8話「家族」
「ここが......カグヤが住んでいる場所か...。」
ポケットに手を入れながら、眼前に広がる都市の景色を多少の優越感に浸りながら眺める。
町の街頭らしきものが、晃々と淡い光を放ち、都市全体を照らしていた。
100万ドルの夜景にも引けを取らない、幻想的な光景だな...。
もし彼女がいるならば......一緒にこのような景色を、一度は眺めてみたいものだ。
「『海洋国家セレティス』の都市の一つ、『マレーナ』だね。セレティスの中では一番小規模の都市だけど、農業・漁業・林業が盛んで『セレティスの庭園』と、国民からは呼ばれているね。カグヤが住んでいるのは、郊外の......あの農村付近だね。ちょっと暗くて見えづらいけど......農園と牧場があるのを確認出来る?」
アゼルの言葉を聞いて、それらしき場所を探すこと____6秒ほど。
それらしき場所を確認出来た。
アゼルの言う通り遠目で曖昧ではあるが、大きい農園と牧場を視認することが出来た。
そこに......カグヤとその家族達は暮らしているようだ。
だが、住宅がかなり密集していてどれがカグヤの家なのか、遠目では判断がつきそうになかった。
「ユウ...大丈夫?」
「うん?どうかしたか?」
心配するような、弱々しい声のトーンに疑問を抱く。
「指先...少しだけ震えているよ?」
「そうか?震えてなんて...........」
アゼルにそう言われた俺は、右手を顔の近くまで持ってくる。
確かにだった。
アゼルの言う通り、右手の指先がブルブルと僅かにではあるが震えていた。
「......大丈夫だろう、体に違和感はない。」
体にはな。
「......うん、わかった。」
アゼルは何かを言いたそうであったが、さらに言葉を紡ぐようなことはしなかった。
「とりあえず、まずはあの近辺に向かうとしよう。」
先程確認した農園と牧場付近に、もう一度視線を合わせる。
距離で言えば3km前後と、ウォーミングアップには丁度いい距離だ。
数十分後には......あそこに辿り着いていることだろう。
*
標高数百メートル程度の小山を下り、10分ほど。
都市『マレーナ』の郊外に俺は到達した。
緑豊かな田園風景と牧場が広がるため、日本らしさと西洋らしさを同時に感じる風景だった。
そして......俺が驚愕する出来事に、遭遇することになった。
「この緑の草......稲か?」
遠目から何一つとして不明だったそれらは、その場に近づき、それを手に取ってじっくりと観察することで、明確にその存在が何者であるのかを理解できた。
間違いなく......日本でよく目にする稲だった。
「アゼル......この世界の農業のレベルはどれくらいだ?」
稲の草を触りながら、アゼルに問いかける。
返答次第では、これからの動きが変わってくることになる。
うーん...と唸り、アゼルは少しの間沈黙を続けた。
「そうだね......僕の基準が高いのかも知れないけど、正直に言えばまだまだ低いかなーと思う。稲......僕もこっそりユウの家から盗んで食べたことがあるけど......あまり美味しくはなかったね。」
一瞬...うん?と疑問に思うような言葉が聞こえたような気がするな...。
「そうか.....まぁ、いい。それについては学習した知識と魔法を使えば......時間はかかるかも知れないが、問題なく発展させられる。」
アゼルの『万象解読』を使い、寒さに強い遺伝子(これは気候を調べていないため、変わってくるかもだが)、デンプンの生成に関わるWaxy遺伝子、香りを感じさせる2-アセチル-1-ピロリン、その香りを抑制するBadh2遺伝子(こいつを欠損させることで、甘い米になる)、などを解析して特定の品種どうしで交配させればいいだけ。
成長も魔法などを使えば、効率的に成長できる可能性があるだろうし...頑張れば数年で行けるかも知れない。
......俺が学習した分野は、物理学、天文学、量子力学、などが中心ではあったが、
それだけで留まることはなかった。
農学、医学、気象学、地政学、生物学なども基礎的な内容であれば、かなり覚えている自負がある。
母さんには迷惑をかけられたが、いざこのような現状に直面すると、勉強をしておいてよかったなと思うのは、皮肉だ。
......このまま稲の栽培をどう発展させようか考えてもよかったが、それはあとでも出来る。
アゼルを待たせるのは悪いため、名残惜しいが一旦この問題は記憶の片隅に置いておく。
「アゼル...ここからは、ナビゲーション頼むぞ。」
おろしていた腰を上げて、立ち上がる。欲を言えば...もう少しだけ居たかった。
「うん、了解。じゃあ......まずはこの道をまっすぐだね。」
俺は、筋肉の休息がてらゆっくりと道を歩くことを選んだ。
夜明け前の時間ということもあり、周囲から聞こえるのは風の音くらいなものであり、殆どない。
人間も動物も、今は夢の中にいることだろう。
そんな状態とは対極的に、俺は歩いている。
少しだけ......その事実には優越感を抱く。
皆がしらない世界を自分だけが知っているような、そんな感覚。
そう言えば......少しは羨ましいと思うだろう。
「......アゼル...あの建物は何かわかるか?」
周囲を観察しながら歩いていると、大きな小屋が視界に入った。
暗くて多少認識しづらいが、屋根が赤色だと確認出来る。
「あれは......鶏小屋だね。ここ最近、鶏の卵が色々な料理に使えることが広まってね、セレティスではかなり重宝されている具材の一つだね。最近だと、価格が少し高騰しているイメージがあるね。」
「鶏小屋か......。そうか、鶏の卵にはカルシウムの供給がいるが......この国は”海洋国家”。つまり、牡蠣が原料のボレー粉が容易に作れる上に、魚粉も大量にある。その技術があるかは不明だが......自然発生的に利用されていても不思議じゃないな。」
改めて思うが......
魔力や自身の先天的魔法術式の『月の支配者』について知っていくことも大事だが、それに匹敵するレベルでこの世界の知識についても、並行して学習していく必要があるなと考える。
現状......俺の推測でしかないが、地球の歴史に当てはめればこの世界は......1900年代頃の文明レベルである可能性が非常に高い。
郊外の建物は木造建築の比率が高いが、遠目で確認した中心部の建物は煉瓦や石造りの建物が多かった。
さらに......蒸気機関車のような乗り物が動いていることもギリギリではあるが確認できた。
まぁ......魔法がこの世界に存在する以上、地球と全く同じ速度で科学が進歩しているわけではないだろうし......偶この国がそうであるだけであって、他国では全く違う文明が築かれていても何ら不思議ではない。
「ユウ、ここを左に曲がるよ。」
「あぁ、了解だ。」
一人であれば深い思考に入ることなど出来はしないが、今の俺にはアゼルというもう一つの意識があるようなもの。
怪我などの心配がかなり減るうえ、人間という生物体である以上、必ず出来る死角部分を常にアゼルに見てもらえるため、先程アゼルが見せた『風撃の刃』のような超音速の攻撃でなければ、回避はかなり安定することだろう。
意識が二つあるということは、それだけでも戦闘時にかなりのアドバンテージを得られる。アゼルの存在は戦いという場においても、圧倒的な安心感を与えてくれそうだ。
「ここからは......住宅地のようだな。」
さらに『マレーナ』の中心部に比較的近いところまで来ると、密集している住宅地に入った。
円の内側から順に、比較的発展している上流階級が住む中心の都市部。中流、下流階級層が住むであろう住宅地。農村や牧場、港などのエリア。上からであれば、そのようにこの地域の枠組みを確認できるはずだ。
そして、今俺がいる場所は下流階級層が暮らすであろう住宅地だろう。
煉瓦作りの文明発展の趣を感じられるような建物は一切存在していない。
道は多少整理されているものの、都会の人間がここにくれば間違いなく田舎臭いと感じるだろう。
まぁ...俺は都会よりもこのような景色の方が好きだ。
視界に入る情報量が少ない分、勉強に脳のエネルギーを回せるからだ。
そんなことを考えながら歩いていると、気づくことがあった。
何の作物であるかは不明だが、家庭菜園をしている家が多いことだ。
学習の一環として俺もトマトやハーブなどを育てたことがあるため、多少好感の感情を抱いた。
「これは......寺子屋みたいなものか?」
さらに内側へと歩いていくと、家よりも遥かに大きい木造建築を確認出来た。
足を止めて窓から建物の中を観察してみると、学校のように綺麗に整理されて並んでいる机と椅子が確認出来たためだ。
「うん、ここの近辺に住んでいる子供達は、ここで勉強をしているイメージだね。ユウも文字の読み書きは、ここで勉強しないといけないね。ふふ、子供達に紛れる15歳かぁ......少し面白いね。」
「俺にとっては面白くはないがな......。それにしても......勉強.....か......。」
勉強という言葉を聞くと、思い出すのは、母さんの面影だ。
俺が物心ついた頃......いや、正確にいつ始まったのかは不明だが、勉強というものを、何よりも重要視する人間だった。
そのカリキュラムはあまりにもレベルが高く、6歳の時点で小学生で習う内容は全て習得、8歳の頃には中学生で習う内容を、10歳の頃には高校生で習う内容を全て習得した。
高校生で習うカリキュラムを終えてからは、物理学がメインになった。
なぜ物理学がメインになったのか、それについては間違いなく母さんの勝手な都合だろう。
母さんは、昔は卓越した物理学者であったらしく、時期ノーベル賞候補と言われるほどであったらしいが、そんな重要な時期にある不祥事が発覚してしまい、その地位は完全に落ちてしまった挙げ句、ノーベル賞の受賞までも逃してしまうことになった。
と......ネットで母さんの名前、_____『月之宮雫』を調べた時に、一番上に表示されていたサイトに載っていた情報だった。
だが......それについては....俺は嘘であると確信している。
母さんは口癖のように、この言葉を言っていた。
『私の游で......復讐を果たしてやる......』と。
母さんの態度は、狂気そのものでしかなく、あまりにも深すぎる闇に覆われていた。
病気では?
と最初に疑ったものの、母さんの特徴は病気に当てはまらなかった。
論理的な思考力は常に健在であったため、本当にただ、復讐をしたかっただけなのだろうと、母さんと一緒に暮らすことで、俺は体感していった。
母さんとその周囲の人間関係に何があったのか、裏工作により陥れられたのか、真実を知ることは出来なかったが......どこか闇を感じるのは確かだった。
まぁ......俺を復讐の道具に使うな、とは殺す手前に言ってやればよかったと後悔している。
もう死んでいる上に、......いや、そもそも俺も地球にいない以上、例え存命であったとしても無理だったな。
「___ウ、ユウ、ぼーっとしすぎだよ。」
アゼルの言葉が聞こえた。
その声は淡々としていながらも、子供の体調を心配してくれる母のような声だった。
「......すまん、少し考え事をしていた。」
アゼルに一言だけ謝罪を添えてから、俺は再びゆっくりと歩き出した。
*
「ここが......カグヤの家......か。」
寺子屋から200mほど。遂にカグヤもとい、前の人格のユウの家に俺は辿り着いた。
他の家と変わらぬ木造建築であり、玄関の隣には、いくつかの植木鉢を確認出来た。
どんな植物であるのか判断出来なかったが、花の一種であることだけは理解出来た。
「時間が経てば......緊張が消えると思ったんだがな......何一つとして消えていないどころか、悪化している節まであるな...。」
どうせアゼルにはバレているため、隠すことなく本音を発露させた。
実のところ......セレティスに辿り着いてから、カグヤの家に向かう道中ずっと、心臓の鼓動が速かった。
母を思い出したのも、動作がいつもより遅かったのも......
カグヤの家に行きたくないと、心が防衛本能を起こしていたからかも知れない。
今ならそう思える。
「ユウ...大丈夫...?少し......顔色が悪いよ...?」
「問題ない......多少......気分が悪いだけだ。」
アゼルに心配をかけないように、優しく体を撫でる。
その温もりは、俺の心を多少ではあるが安定させてくれた。
「ふぅ......さて......どうしたものか......」
P≠NP予想に匹敵する超難問に、俺の思考は停止しかける。
もういっそう......このまま時間が止まってくれたらとすら思えてくる。
だが_________俺の願いは叶うことはなかった。
「お母さん、お父さん、行ってきまー..............えっ?........お.....お兄ちゃん.....?」
夜明け前の遅い時間帯であるはずなのに、......カグヤが扉を開けて俺の前に現れた。
前の人格のユウが死んでもなお残した記憶と感情。
それが......洪水の如く心の奥底から溢れ出してくるようだった。
カグヤはずっと放心状態であったが、呼吸を忘れていた体が無理矢理放心状態を解かせて、カグヤの意識を現実へと引き戻した。
「おにぃちゃん......お兄ちゃん......ずっと.....どこに行ってたの.....私を置いて.....一人で行かないでよ......」
体の水分が無くなるほどの滝のような涙を流しながら、カグヤは俺の体に抱きついてきた。
体のあちこちに付着している血に対して、一切の素振りを見せることはなかった。
ただ......強く強く抱きしめてくるだけだった。
絶対に離さない、そんな強い意志を俺は肌で感じた。
「ちょっとカグヤー、ちゃんと扉は______えっ?......ユウ?......ユウなの......?」
扉を開けていたからこそだろう、家の中にいながらも俺とカグヤの存在を認識出来てしまった。
母さんは手に持っていた道具を、力を抜いてしまったことで、落としてしまった。
その衝撃に、ドンッと響くような音が鳴り響いた。
「大丈夫か?母さん、怪我は______ユウ......なのか......?」
何事かと心配して来たんだろう、父さんまでも来てしまった。
これにより......俺は一切の心の準備をする前に、家族と出会ってしまった。
なんだ_________この感情は........
家族というものに対して、憎悪と絶望の感情を。
家族というものに対して、親愛と希望の感情を。
そんな本来交わることがない感情を同時に抱くことで、俺の情緒は、今までにないほどに複雑怪奇に満ち溢れていた。
「っ!!!!!?」
それと同時だった。
久しぶりの家族との出会いを祝福するかのように、朝日が昇った。
その輝きは漆黒の世界を、一瞬で照らし出し、世界に夜明けを告げた。
だが......その光を浴びた瞬間だった。
俺の中から...”全てが消え去ったような虚無感”と”今までに体感したことがないほどの痛み”に同時に襲われることになった。
「っ!?、お兄ちゃん!?」
その痛みに耐えきれずに、自分よりも体格が小さい妹に倒れ込んでしまう。
眠い..........もう..........俺は疲れた............
カグヤ......そして、母さんと父さんの悲鳴が聞こえるが......水中に潜っているかのように、一切正確には聞き取れず......
そのまま死んでしまったかのように、俺の意識はそこで途切れた。




