29話「諸行無常」
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(......あれ? また、いらしてくださったのですか?)
意識落としてから、数分も経過しない内に先程別れたはずの月の女王と意識が繋がった。
会話を終えて、『またな。』と別れの挨拶をしたばかりであるため、彼女は目を丸くして驚いていることだろう。
(その態度から察するに、別れてからの一部始終を見ていたわけじゃないんだな。説明すると_________。)
俺は、月の女王との会話を終えて意識が覚醒してから、再び舞い戻るまでに起きた事の顚末を具に説明した。
ある人間が聞けば、理解不能。
ある人間が聞けば、共感。
そのような思考や感情を抱くことになるだろう。
(そう......なんですね。 ......私が助けれたらいいのですが......現状だと、あなたに声をかけるだけで精一杯なのです......。)
彼女は自分のことのように、四凶天の現状を嘆く。
『現状だと......』という彼女の言い方的に、俺と意識で繋がる以上のことが出来ると言っている風に聞こえてくるが、
それについて今度繋がった時に聞くことにして、今は目の前のことに集中する。
(......そう思うだけでも、あいつにとっては十分なんじゃないか?お前がそこまで嘆く必要はないと思うぞ。)
彼女に負担をかけない言葉を選び、返答する。
ただでさえ国の運営で負担が多い月の女王に、四凶天のことをそこまで深く気にしてもらう必要はない。
それを気にして国の運営が滞ってしまえば、余計に彼女の心の負担になるだけだろう。
月の女王が会議でロボットになっていることが目に見えるが......女王の仕事は会議だけではないだろうしな。
(ですが...本当に大丈夫なのですか?話を聞く限り、かなり深刻そうに感じますけど......)
それでも心配が勝るのか、不安そうな感情を隠すことをせずに彼女は問いかけてくる。
......一言伝えた程度では、民を大事にする彼女にはまだまだ弱かったか。
そう心の中だけで呟く。
鋭い観察眼を持つ月の女王だからこそ、四凶天の深刻な心境を正確に見抜いてしまう。
だが、それを冷静に受け入れる器がなければ、その力は月の女王にとっては毒になる可能性を秘めている。
そして現に、彼女の心を蝕もうと根は既に広がっている。
(......もう一度言う、問題はない。お前には四凶天以上に、守るべき存在が側にいるはずだ。それに、どれだけの長い時間、あいつが苦しんでいたのか正確にはわからないが、あいつはその実情を受けて入れているようにも俺は感じている。これを解きほぐせるのは、彼女のように強大な闇を内に秘めた者にしか出来ない。お前にその資格がないとは言えないが、非効率なのに変わりはないと俺は思う。)
だからこそ、根は広がる前に枯らしておく必要がある。
俺は四凶天と月の女王を分析し、その上での結果を算出して伝えることにした。
性格はネガティブとポジティブと正反対であり、その時点でかなりハードルが高い。
妖怪にしろ人間にしろ、共感出来るものがあるからこそ心の内を話そうと思えるハードルが下がる。
俺が彼女の奥底に巨大な闇があると見抜いたからこそ、自分の身の丈について話したのだと思っている。
もちろん、月の女王という立場上、四凶天のようなネガティブな性格のやつと対話をすることにもなれてはいるだろうが、
月の女王の長所は、ポジティブさによるところが非常に大きく、
ネガティブな四凶天とは相性が悪いと言わざるを得ない。
それが俺が二人と会話して出した結論だった。
月の女王は、俺の言葉を聞いて悩んだあと、閉じていた口をゆっくりと開けた。
(そうです......ね。彼女を救うという点であれば......私よりもあなたの方が向いています......悔しいですが......)
彼女は自身の弱さを憂えるように、言葉を発する。
困っているやつが近くにいるというのに、手を差し伸べられない。
それは、民を大事にする彼女にとっては大変苦痛なものだろう。
そんな痛みが十分に伝わってくる。
(少し......いいですか?)
どこか目上の人に対するようなよそよそしい声で月の女王が話しかけてくる。
(......あぁ、構わないぞ。)
あまりにも真面目すぎる態度に、一瞬まごついてしまうが、
それも彼女の一面であると冷静に受け入れる。
(あなたは......辛くないのですか?あなたの母体であるユウ、アゼルちゃん、カグヤちゃん、四凶天ちゃん、そして......言語の習得や肉体強化、魔力運用などのその他諸々。強い心をもつ人間でも、これほどの量を冷静に処理し、受け入れる人は多くありません。それに......憑依転生したばかりという精神にもかなりの負担がかかる時間だと私は思います。四凶天ちゃんも聞いていましたが......あなたは......人間ですよね...?)
少しだけ失礼とも取れる発言ではあるが.......真摯に対応することを選ぶ。
そして、これを期に、俺の将来について真剣に考えて話してみることにした。
(質問についてだが......まず、俺は悪魔でも妖怪でもない、正真正銘の人間だと伝えておく。お前の言う通り、比較的多い情報を並列処理している最中ではあるが、辛いとは思わないな。生まれつき情報処理能力に関しては......前の.....父さん、と比べて多少は劣るが、平均的な時間よりも遥かに速い時間で、情報を処理出来る体質だからだろう。憑依転生に関しても、前の世界に多少未練はあるが、やるべき最低限度のことはやったと思っている。......俺の正義は、信念は、不条理を殺すことであり、それにアゼルやカグヤ、四凶天が当てはまるのであれば、俺は一切ブレることなく行動に移せる。......つまるところ、俺にとってはこの現状は辛いどころか、普通よりも少しだけ負担がかかる程度でしかなく、判断を下すのにも躊躇いというものがないうえに、情報は情報であることに変わりはない以上、それらに対して重いとも、逆に軽いとも思わない。)
(.......。)
月の女王は俺の言葉に対して、呼吸を忘れ絶句している。
俺は、そんな彼女を置き去りするように言葉を紡ぎ続ける。
(だが......憑依転生を果たしてからというもの、俺の中でその指針が揺らぐことが多い。 新しい環境による影響なのか、前のユウの記憶や感情が身体に残っているのが影響なのか、正確には判断のしようがないが。けれども、そんな自分も受け入れている俺がいるのも確かだ。 そんな俺に対して、お前がどんな感情を向けるのか。それは好きにすればいい。)
憑依転生、という名のバグが降りかかってきたものの、それによって起こる変化ですらも楽しみにしている自分がいる。
最初はかなり驚いたものの、もうひとつの新しい世界で過ごせるというのは大変貴重な体験だ。
それによって起こる苦難や後悔もあるだろうが......それもそれで、新しい人生の一部になっていくだろう。
(____私には......あなたの気持ちが理解出来ません......。あなたはどれだけ最愛の人であろうとも、自身の正義を軸に動くということですよね...?それは......辛くないのですか...?怖く......ないのですか...?)
オブラートに情報を包んでくれた時点で、俺がどういう人間なのかを、月の女王はなんとなく気づいたようだ。
(......あぁ。その正義だけが俺を形作り、俺という存在を世界に固定している。その正義が欠けた存在は、もはや俺という個体では無くなる。だが、お前の気持ちも分からなくはない。それはなぜか?......俺は、人というもの......この世界ではアゼルや四凶天のような存在もいるが、包括して人という定義に当てはめる。 そんな存在達に対して、生まれてから一度たりとも愛情を抱いたことがないんだよ。.......人を好きになるとはどういうことか。誰かを愛するというのはどういうことか。 母さんと父さんによって地獄の日々を与えられていた俺には、そんな感情が芽生えることなどなかった。それは、日々を生きる上で邪魔な感情であると幼少期に理解してしまったからなのか、元々そのような感情を抱きにくい体質なのか、それについて知らない以上判断のしようがない。だからこそ、俺はその感情を知りたいとも思っている。実は、既に知っている。.......なんてこともあるかも知れないが......明確にその感情がどういうものかを言語化出来ていない以上、それは知らないのと同義だろう。
そして......それらの感情を真に自覚した時に、俺という個体はどういう行動を選択するのか。今、一番興味のあることはそれだな。)
長い長い話を終え、足りなくなった酸素を深呼吸により体内に吸い込む。
久しぶりに......自分について深く語ったような気がする。
月の女王でさえ、かなり絶句している以上、身の丈について話せる相手は少ないだろうな......
そう考えると、自分の境遇は異質なんだと理解させられる。
(それが......あなたの本質なのですね。)
どこか寂しそうに、彼女は喋る。
しかし、それは束の間の時間だけだった。
(ですが......まだチャンスはあるようです。......それが本当であるならば、あなたは必ず誰かを好きになりますよ。 アゼルちゃんなのか、カグヤちゃんなのか、四凶天ちゃんなのか。それは私にも分からないですが...今からとっても楽しみです。ふふ。)
子供に悟らせるような仏のような口調で、彼女は俺の将来を喜んでくれた。
俺という存在に恐怖心を抱いたとしても、守るべき存在であることに変わりはないらしい。
本当に心優しいやつだ。
(その相手が、お前になる可能性もあるんだがな。)
月の女王は女性である。つまり、そういうことである。
(っ!?......それは......その........。......そ、そんな未来も......楽しそうですね!)
かなり悩んだものの、彼女は自分なりに真剣に答えてくれた。
その言葉に好意の意味を持つのか、持たないのか。
それは、理解できなかったが、今はそれでも十分だと俺は感じた。
*
___瞼をゆっくりと開ける。
真っ先に目に入ったのは四凶天の顔ではなく、木目が綺麗に感じる天井だった。
「______漸く......動けそうだな。」
首を動かして周囲をざっと見渡してみるが、四凶天の姿は確認出来なかった。
残ったのは、彼女の微かな匂いだけだった。
上体をゆっくりと起こし、蝙蝠姿のアゼルがよく立っている窓際へと視線を動かす。
最初の起床した時と比較して、観葉植物の影が西から北側によっている。
時間に換算して1時間以上だろう。
「寝たのに眠い......全く......不便な身体になったものだな......。」
夜の、全てを掌握するような超越的な高揚感が脊髄に染み込んでいるからこそ、余計に朝が辛く感じる。
あるのは飢餓感に近いなにかであり、睡眠で多少はマシになるものの消えるわけではないのだ...。
「...よし、動くか。」
しかし、それに嘆いていてもどうにもならない。
意識を切り替えるように、俺は言葉を腹の奥底から吐き出し、
一切の迷いなく、ベッドから立ち上がる。
少しだけ身体を解し、いつものようにベッドメイキング行う。
布団を畳み、ベッドを綺麗に整え、これからは活動の時間であると脳に認識させる。
「今日も綺麗に畳めたな。」
綺麗に整えられたベッドを少しだけ満足気に眺めたあと、自室から出ることを選ぶ。
廊下へと続く扉を、右手を使いゆっくりと開ける。
ガチャッという音が聞こえると同時に、自室よりも冷えた空気が身体を無慈悲に横切る。
「ちょっと寒いな......。」
震えるからだを両手で摩擦を起こして、冷えを緩和する。
しかし、それでも身体の芯から暖まるわけではない。
「......着替えるか。」
寝間着の生地だけでは、少しだけ頼りない。
上にはこの一着しか身につけていなかったのが、要因だろう。
明日はもう一枚、下に着込んでおいて丁度いいくらいだろうか。
「あっ。ユウ、漸く目覚めたんだね。」
「アゼルか。部屋にいなかったから、1階のリビングにいると思っていた。」
衣服が収納されている箪笥がある場所は1階であり、そこへ足を運ぶために廊下を歩いていると、階段付近で蝙蝠姿のアゼルと出会った。
『魔法大全』とは違う、片手で十分に持てる程の大きさの本を、
小さな足で抑えながら読んでいた。
アゼルはそれを仕舞ったあと、鋭い眼光を向けながら話した。
「だって_____四凶天と寝てたんでしょ?とっても幸せそうに寝てたから、邪魔しちゃ悪いでしょ??」
「........」
浮気をしている現場を見られた訳ではないのに、まるでそれほどのような強烈な嫌悪感をアゼルから向けられる。
蝙蝠姿だからこそ、多少は緩和されているが、人型姿で視線を向けられていれば、心臓に包丁が刺さった時のような激烈な痛みが走っていたことだろう......。
「そう捉えられても......否定のしようがないな......」
俺は反論することはせずに、アゼルの言葉を素直に受け取る。
推測するに、
四凶天が顔を見られるのが恥ずかしいと発言してから俺が再度眠りにつき、
彼女がそれを確認してから部屋を出ていくまでの間に、
アゼルは俺の部屋へと足を運んだのだろう。
その間の光景を見てしまえば、俺の上に四凶天が乗っている場面が視界に映ってしまうはずだ。
なんともタイミングの悪い登場だったな......。そう心のなかで呟く。
「どういう経緯で、そうなるに至ったのかは聞かないけど......」
アゼルはそう言いながら、逃げることを許さないように視線を合わせてくる。
「あまり、そういう光景を僕に見せないでね。嫉妬心で......殺しちゃうかもよ?」
「......善処する」
俺を殺すという強烈な言葉は、それくらい怒っているという比喩だと確信しているが......本当にそれを実行に移せるほどの圧力を感じたため、
俺の口からは自然と言葉が零れていた。
「ふふ、それじゃあ、行こっか。」
小さな翼をパタパタと動かし、いつものようにアゼルが左肩にポツンと乗っかる。
あまりの豹変ぶりに、悍ましい程の恐怖心を抱き、身体が動くことを躊躇う。
「どうしたのユウ?動かないの??」
いつものような淡々としているが......ライフルを向けられているような強烈な感覚だ。
「......なぁ、アゼル。」
これ以上の刺激を与えないように、下手に出ながら問いかける。
「何かな?」
「......かなり、怒っているよな?」
「......怒ってないよ。僕はユウに対しては寛大だもん。」
「妙に間があった気がするんだが......まぁ、そうだよな。四凶天が俺のベッドを占領していたのが悪いわけで......そう、これは冤罪なんだ。俺がアゼルに怒られるということがおかしいだろう。」
アゼルの言葉を信じて、俺が無実であることを素早く伝える。
「なんとなく推定出来るけど......別にユウが強引に退かすことも出来たんじゃないかな?」
......痛いところを......。顔に表情を出さずに、心の中でそう言葉を垂れ流す。
「......まぁ...可能ではあったな。 だが、四凶天のことも考慮した結果そうするのが最善だと俺は思ったんだ。決して、四凶天の温もりを感じたいだなんていう魂胆は一ミリもないぞ。」
俺は少しだけ真面目なトーンで話す。
事実、最初の方は本当のことであり、俺の意思に基づいて下した判断であるため後悔や未練などは一ミリもない。
「最後の言葉はちょっとだけ怪しかったけど......嘘は言っていないし、信じるね。」
「......」
大変だな...。
正直な感想を言えばそうなるが......それが相棒を持つということの対価でもあるだろう。
そして、最後はいつものように、アゼルの身体を優しく撫でることにした。
「撫でても全部許すわけじゃないからね......」
そう強く言ってくるものの、何度も何度も繰り返している内に、
『えへへ、もっとぉ......』なんて小動物のような愛くるしさを見せながら、
頬を撫でている右手に頭部を擦り付けてくるため、
機嫌取りやすいな......と、改めて思った次第だ。
*
階段をノロノロと降り、クローゼットが置かれている納戸へと向かう。
納戸は両親の寝室と浴室の間に存在しており、ここに家族全員の服装が収納されている。
位置で言うと南から北へ寝室、納戸、浴室の順番に存在していると言えばいいだろうか。
服装は箪笥に綺麗に整えられて収納されており、俺と父さんの身長が、カグヤと母さんの身長よりも高いため、腰を痛めないようにと、高い段に収納させてもらっている......らしい。
アゼルから聞いたため、正確な情報ではあるだろう。
納戸の出入り口の扉は、空気を入れ替えるためなのか、閉められずに開けっ放しにされており、
俺は、そのまま扉を閉めることはせずに、開けておくことにした。
それにすぐに終わるだろうという楽観的な観測があったのも要因だろう。
部屋の中へ足を踏み入れると、洗剤の香りがよりダイレクトに鼻孔を擽ってきた。
元の母さんが好んで使っていた香りとは違い、匂いが若干だが強めに感じる。
この強い匂いを換気するために、扉を開けているのだろうと俺は直感した。
視線を少しだけ上に向けると、小さな窓が一つ存在しており、反射した太陽光が
差し込んでいた。
「____えぇっと......俺の服装は......四段から六段目だな。」
俺はカグヤの服装が入っている段に触れないように、昨日教えてもらった記憶を呼び覚ましながら必要なものを手に取っていく。
箪笥は二つ存在していて、俺とカグヤの衣服が収納されているのは奥側だ。
その箪笥の下から数えて一段から三段にはカグヤの衣服が。四段から六段には俺の衣服が入っている。
間違えて三段以下を開けようものなら、
『お兄ちゃん......気持ち悪いよ...』なんてカグヤにドン引きされ、
『ユウ......僕の衣服ならいくらでもいいよ?』なんてアゼルに狂愛ぶりという名の変態性を見せつけられる未来が見える......
ため、好奇心を抱いたとしても、開けては駄目なのだ。
「さてと......」
一式を手に取ったあと、ゆっくりと箪笥を閉める。
しっかりとした作りをしているため、どこかで引っかかるようなこともなくスムーズに戻すことが出来た。
......リビングの大きさであったり、浴槽の大きさであったり、
この家は意外と裕福だったりするのだろうか。
箪笥は細部の装飾の作り込みから、丹精込めて制作されたことが職人ではない俺でも簡単に分かるほどの代物だ。
最低金額でも10万イリスは絶対に下らないだろう。
そんなことを考えながら、俺は寝間着に手をかけたのだが......
「......なぁ、アゼル。どうしてさも当然のようにこちらを見てくるんだ?」
アゼルが普通に俺の着替えて待ってくれているが、どうして部屋の外ではないのかと、今更ながらに疑問に思ってしまった。
アゼルが近くにいることが殆どであるため、疑念を抱くのに時間がかかったのだろう。
「パンツまでは脱がないでしょ?それなら問題ないんじゃないかな。だって、人間は海だとほぼ下着で歩いているようなものでしょ?それと大差ないと僕は思っているよ。」
アゼルの口角が僅かに緩んでいるのを見逃さないが......それ以外は特に変わりはなかった。
「......それは、そうなんだがな......なんかこう...違うと言うか...」
言語化出来ないモヤモヤとした感情をそのままアゼルに伝えてしまう。
なんだろうか。すごく暴論に感じるが......理にはかなっているんだよな...。
水着だと問題ないのに、下着だと問題がある。違いがないと言えばない。
だが...どこか違うとも感じてしまう。どうにかして、言語化したいものだが......経験が乏しい現状では結論を出せそうになかった。
「......わかった。その代わり、ジロジロと視線を向けてくるのだけは勘弁してくれ...」
恥ずかしいという気持ちもあるが、それ以上にアゼルの生々しい視線が肌に突き刺さるということが何倍も気持ち悪かった。
だからこそ、羞恥心は捨てて最低限度の保障を約束してもらうことにしたのだ。
「えぇ......見られても減るようなものじゃないのにぃ......。でも、そういうことならジロジロとは見ないよ。ジロジロとは...ね。」
アゼルは、顔を顰めたものの、最後には悪魔のように小さく微笑んだ。
その言葉通りに、肌に突き刺さっていた感覚はすぐに和らいだものの、
見られているという現状は変わらないため、実質的な変化は微々たるものだったりする。
「......」
そんな現状に溜め息が口から零れそうになるものの、
肌に突き刺さるような視線はやめてくれたため、
渋々ながらも俺は寝間着に手をかけることにした。
俺が着ているのはボタン式の寝間着であり、上から順番にボタンを外していく必要がある。
少しだけ面倒だと感じるものの、丁寧に一つずつ外していくことにした。
「少しキツイが......」
ボタン式の寝間着はあまり着たことがなかったため、外すことに多少苦戦はしたものの、取り方のコツがわかった3つ目からは、スラスラと流れるように外すことが出来た。
「えへへ......カッコいいなぁ......」
前が開いた瞬間に、アゼルの口から言葉が零れる。
「......」
アゼルが見惚れるように、俺の体に釘付けになるが......
チラッと、脱いだ上半身を見てみる。
そこには昔のような筋骨隆々な肉体ではなく、適正体重を下回った弱々しい細々とした身体が目に入るだけであり、カッコいいなどとは微塵も感じない。
「どうしたのユウ?下も脱がないの???」
重々しい強烈的な圧力を宿したアゼルの声が響く。
「......いや、脱ぐから。その強烈な視線はやめてくれ...」
自然と降参の意を示すように、両腕の肘をうえに上げる。
「別にそんな視線で見てないよ、えへへ...」
言葉ではそう話すものの、アゼルの視線はずっと固定されていて、聞く耳を持たない。
「...好きにしてくれ...」
俺の意思は完全に折れた。根本からポッキリと。
どちらもが矛で戦い合う時、どちらかが矛を下げるか、折れない限り戦いは続く。
それを身を以て知れた......と思えば多少は尊厳を保つことが出来るだろうか...。
「.......」
相変わらずアゼルからの視線は感じるが......いずれはこのような状況にも身体は適応していくのだろう。
慣れとは......怖いものだ。
俺が両親を殺した時に感じた多少の罪悪感、それも10人を越え始めたあたりから何も感じなくなっていく。
まるで呼吸のように。
それが当たり前になっていく。
だが......逆にそれを応用することが出来れば、無限に人は成長できるだろう。
そんな哲学的なことを考えながら、
少しばかりの抵抗になるかはわからないものの、アゼルとは別の方向(出入り口がある方向だな)を見ることにした。
「.........えっ?」
「...!?」
計算外。
一番最初に思い浮かんだ言葉がそれだった。
俺の目の前には____呆然と立ち尽くすカグヤの姿があった。
そして、そんなカグヤと対する俺は上裸だった。
......つまるところ、チェックメイトと言ったところだろうか。
終わった...。
世界滅亡を目の前にすれば、こんな思いになるかも知れない......。
そんな意味不明な言葉を考えながら、カグヤに罵倒されることを覚悟する。
「..............」
だが、
覚悟をする意味はなかった。
いつまで経っても、カグヤから罵倒されることがなかったからだ。
そんな俺の思考とは裏腹に、
カグヤの行動は、想像の二段も三段も上をいくものだった。
カグヤは少しだけ頬を赤らめて、すぐに視線を逸らしたものの、
雑念を振り払うかのように首を左右に振ったあと、俺の側までゆっくりと歩いてくる。
「か、カグヤ...?」
想定外の行動に、俺は吃りながらそう問いかけることしか出来なかった。
側まで来たカグヤは唇を噛み締め、ゆっくと視線を俺の目に合わせた。
「......着替えるときは......扉を閉めておいてね。あと...その傷はお母さん達には見せちゃ駄目だよ......」
声を震わせながらも、カグヤは俺と目を逸らすことはせずに、まっすぐとした視線のまま言葉を伝えてくれた。
「......そう...だな。......悪かった。」
すぐに終わるという楽観的観測が招いた結果だろう。
俺は、すぐに謝ることを選んだ。
カグヤの表情は、見たくもない光景を目にしたかのように、辛く、悲しみに満ち溢れていた。
俺にとってはどうでも傷跡だったとしても、カグヤからすれば見たくもないことであることを懸念出来ていなかった。
完全に......意識外の範疇だった。
罪悪感が心に蠢いているのか、何者かに握りしめられたかのように、心臓がキュッと痛む。
「......また、あとでね...」
カグヤはそんな状況であろうとも、精一杯笑顔を浮かべてくれた。
だが......指先が震えていることを、俺の目は見逃さなかった。
「あ、あぁ......」
感じたこともない感情に、脳は正常に応答を返せず、ただ一言だけしか言葉に出来なかった。
そんな俺を置いていくように、
カグヤは足早に部屋から出ていき、背中を向けながら扉を閉めた。
俺は_________
カグヤの背中を見たまま、棒立ちすることしか出来なかった。




