21話「理想と現実」
「ユウ?......ど、どうしたの...?」
俺は側に来ていたアゼルを、地面へと優しく押し倒した。
単純な力勝負であれば、現状の俺ではアゼルに勝つことなど出来ないが、
あまりにも唐突すぎる行動であったため、体勢を保つことが出来なかったのだろう。
重力に従うように、アゼルの身体は地面へと倒れ込んだ。
突然すぎる行動にアゼルは呆然としていて、理解が出来ていないようだった。
今の体勢は、壁ドンを地面でやっているような状態だろうか。
アゼルが何を想像しているのかを正確には読み取れないが、うっすらと頬を赤らめて、声を震えさせていた。
端から見れば、美少女を押し倒す光景であり、当の本人は皆の想像通り心臓をドキドキさせていることだろう。
現に、アゼルは心臓の鼓動が速くなっているのか、若干過呼吸気味だ。
数時間の戦闘<押し倒してからの数秒。の方が心臓の鼓動が速いのか、というものには違和感しか抱かないものの、
ユウ大好きっ娘のアゼルらしいと、何ら感情を抱かずに冷静に脳が分析していた。
「ユウ......ちょっと怖いよ...?」
何も口に出さずにいると、我慢が出来ないのかアゼルが弱々しく言葉を口にした。
瞳の奥が僅かに揺れているように感じ、これからするかもしれないことに対して不安になっているのを感じる。
風は全くと言っていいほどに吹いていおらず、動物達も眠りについているのか、一切の音が聞こえない。
あまりの静かすぎる環境に、アゼルの身体に触れていなくも、心臓の鼓動が伝わってきそうなほどだ。
誰にも見られていない。
そのような環境下だからこそ、俺はアゼルを押し倒すということを出来たのだろう。
......アゼルが想像している理想とは、違う未来になるかも知れないが。
黙っていても仕方がないため、意を決して行動することにした。
「アゼル_______目を閉じてくれ。」
俺は緊張をしながら、ゆっくりとそう問いかけた。
今の俺は、真剣な表情を浮かべていることだろう。
人生で初めてやることになる、それ。
周りの人間はやったことがあるのだろうか。そんなことすらも俺は知らない。
だからこそ、俺は緊張をしている。
今からやることを、アゼルに見られるのは______だ。
「ユウ......。」
アゼルは俺の言葉を聞いて、すぐに何をするのかを理解してくれたらしい。
ゆっくりと目を閉じて、全ての主導権を俺に渡した。
『皇帝』として、絶対に見せてはいけないであろう大きな隙。
俺だからこそ見せてくれるそれは、アゼルの俺に対する過剰過ぎる愛情を物語っている。
それをするのに、前髪が少しだけ邪魔であったため、右手を使って横に流すことにした。
スラスラと流れる銀髪からは、鼻腔を擽るいい香りが漂い、触れているだけでも気持ちがいい。
ババア......と言ってしまったことに対して、今だにアゼルが不服を感じているかもしれないため、少しだけ機嫌を直してもらおうと考えた。
「なぁ、アゼル。俺がカグヤと再会してから、外見に気を使うようになったんじゃないか?」
少し前から気になっていたことを、丁度いいタイミング(?)なので聞いてみることにした。
アゼルは俺の言葉にビクリと反応を示し、閉じていた目を開けて、俺の顔を見てくる。
しかし、恥ずかしいのか、横に視線を逸らし身体をモジモジとし始める。
「だって......カグヤちゃんが可愛いんだもん......。ユウが取られちゃうって思って......」
珍しくカグヤをちゃん付けで呼んでいることに、どれだけ本気なのかが伝わってくる。
思考が恋する乙女のそれでしかない。
お風呂の途中で『月の雫』のことを思い出したりしていたしな。(本人に聞いていないため、仮定でしかないが)
俺(游)が、ユウ(前の人格)の愛情を受けてもいいのだろうか?
そう疑問に思ってしまうのは、憑依転生の嫌なことの一つだな。
アゼルはそれでも良いらしいが、俺からすれば違和感でしかない。
だが_____不思議とそれを嬉しいと思っている自分がいる。
游とユウの記憶と感性が混ざり合っているせいで、俺の中で感情というものが曖昧なものになっている。
「俺がカグヤに取られる...か。それはないな。俺とカグヤは一応血が繋がっている家族だ。カグヤに対してそのような感情を向けることはない。.......だが、そうとも断言出来ないのが、現状ではあるか...。」
アゼルの心をさらに蝕んでしまうだろうが、これも事実だ。
表面上では血の繋がった家族。
だが、
内面上では血の繋がりがない他者。
それがカグヤという存在だ。
だからこそ、他者には向けないような感情も、家族には向けないような感情も、同時に俺は抱いている。
「なぜそれほどまでに、俺を好きなのか。それについては今は問わない。俺はアゼルの好意を......肯定もだが、否定するつもりも一切ないからな。」
こちらの世界にきてからというもの、恐ろしい速度で自身を取り巻く環境と自分自身の思考体系が変化しているのを感じる。
アゼル、シャレルの一味、カグヤ達家族、妖怪達。
まだ2日程度しか経過していないのに、1ヶ月以上経過したのではないか?
そう錯覚してしまうほどに、俺は濃密な刻を過ごしている。
「_____話しはまた家に帰ってからにしよう。......目を閉じてくれるか?」
目を開けているアゼルに対して、優しくそう問いかける。
アゼルは視線を俺から離さず、一度だけ首を縦に動かして頷いたあと、
「うん......。」
そう一言だけ呟いたあと、そっと目を閉じ、全身を脱力させて、完全に身体を俺に預けた。
魔力の一切合切が身体からは漂っておらず、この世界においてはありえない程に無防備な状態であると言わざるを得ない。
アゼルの身体を背中側から優しく持ち上げて、顔を近づける。
身体を支えているからこそわかるが、心臓の鼓動がドンドンドンと鳴り響いていて、俺よりも数倍以上緊張しているのが伝わってくる。
「ねぇ、ユウ......恥ずかしいから早くしてよぉ......」
自分の身体のことは、自分が一番理解しているだろうしな、アゼルからすれば、穴があったら入りたいような状態だろうか。
「...わかった。...いいんだな?」
一応、許可も取っておく。これは保険だ。
人生で初めてのそれをやる以上、失敗する可能性の方が遥かに高いだろうしな。
「うん....いいよ。....ユウなら.....何をされたっていいから.....」
他者からそんなことを言われても、何一つとして心が動かないが、相手がアゼルと認識していると僅かにだが、心の柱のようなものが揺らいでいるような感じがする。
アゼルからの承諾も得たことなので、俺は人生で初めてのそれをやることにした。
ゆっくりと唇に向けて_______それを押し当てた。
「うん////」
艶っぽい、そんな言葉が脳内から溢れ出してくる。
雲により隠れていた月が徐々に姿を表していき、少しだけ曖昧だったアゼルの表情が、明確に確認出来た。
整った顔立ちは、月に照らされてその美しさに拍車をかけており、錦上添花という言葉が似合っているだろうか。
どういう感情の結果流れたのか。
アゼルの瞳からは、一筋の涙が流れた。
頬は少しだけ膨らませていて......”ジト目でこちらを恨めしそうに見てくる”。
「_____もうーーーー!、わかってたよ!ユウがキスしてくれるなんて思ってなかったよぉーー!バカバカバカァァー!」
アゼルがぽこぽこと俺の腹を殴ってくる。
そんな姿を見てしまうと、少しだけ悪いことをしてしまったのだろうかと、罪悪感が湧いてくる......。
「...悪いとは思ったんだ。でも、事前に許可は取っただろ?だからこそ、俺に文句を言う筋合いはないはずだ。」
予め用意しておいた保険が、早速役に立ったようだな。
「...とったよ、確かにとったよ....でも.....でも......もぉぉぉ....!」
アゼルの目からは涙が零れていて、『不満』という文字が表情からはみえる。
「まぁ、先にイタズラしたアゼルが悪かったってことで。」
当たり前だが、俺はキスなどしていない。
というか出会って二日でキスって、速すぎるんじゃないだろうか。
俺がアゼルに対してやったのは、『魔力活性剤』を飲ませたということだ。
「それに、アゼルにも数時間付き合ってもらったしな。早く回復してもらいたいという俺の粋な計らいなんだ。」
「........」
アゼルがジト目でこちらを見上げてくる。
文句を言いたいだろうが、許可をしてしまっていたため、俺を強く責めることは出来ず、今のようにこちらを見ながら、不満の感情をぶつけるようなことしかしてこない
「じゃあ、そろそろ戻るか。『魔力活性剤』を飲んだとはいえ、疲労が無くなるわけではないだろうし、横になる時間も必要だろう。」
今は、ドーパミンが常時大量に出ているような状態であり、睡眠不要の状態に近いが、朝になればその反動が『黎明の審判』として返ってくる。
夜が明けるまであと6時間以上あるが、
術式の感覚を掴みたいため、鍛錬をするようなことはせずに、睡眠を取ることにしようと俺は考えていた。
その場合には、どのような強さで反動が返ってくるのか。
それを確かめたいのだ。
「____どうしたんだ、アゼル?」
帰路に着こうとして、歩き始めたのだが、
いつまで経ってもアゼルが俺の左肩に乗ってこないため、後ろを振り返ってみると、
駄々をこねた子供のような表情を浮かべながら、こちらをじっと見ていた。
「.......。」
トコトコと俺の側まで歩いてきたあと、何も喋らずにただじっと俺の方を見上げてくる。
何をしてほしいのか、だいたいの予想はつくが、それをやるような勇気は今の俺にはないため、ただ頭を撫でるだけにする。
「.........折角......見つけたのに......」
俺に頭を撫でられながら、どこか意味深にアゼルが言葉を零した。
「見つけた?、何をなんだ?」
一瞬でそちらに興味が向かった俺は、数秒も躊躇うことはなく質問をしていた。
「......何でもないもん。」
アゼルはプイッと首を横に振るだけで、どういう意味なのかは教えてくれなかった。




