11話「夏休みの宿題」
家族全員と一緒に昼食を食べるという、珍しい体験をしたあと、
二階にある自分の部屋へと上がり、そのまま流れるように布団に身を包み、俺は横になっている。
この建物の構造を少し教えると、俺の部屋の隣にはカグヤの部屋があり、俺とカグヤの部屋を足し合わせた分が、丁度俺とカグヤの部屋の下に存在する、リビングの広さだ。
俺とカグヤの部屋がそれぞれ、10畳より少しい大きいほどの広さがあり、あとは部屋を分かつように、木の壁が存在しているため、リビングの広さは22畳ほどだろう。
「あぁ......やっぱり布団は最高だな......。一生ここで暮らしてもいい......。」
布団に包まり、少しだけゴロゴロと動く。
丁寧に掃除されているのだろう、布団からの匂いは全く臭くなく、洗濯を終えた時のあの匂いに似ている。
布団の柔らかさも購入した日と比べても遜色なく、ここ1年近く洞窟で暮らしていた分、普通の人間よりも数十倍心地よく感じれていることだろう。
空腹は最高のスパイスと言うが......洞窟ぐらしは最高の心地よさを生み出す。
これだけでも、かなり恵まれている環境であると言えそうだが、
それだけじゃない。
窓際から入る仄かな太陽光。
ヒノキに近い香りが漂う空間。
ユウが家出している間も、忘れることなく手入れしていたと人目でわかる部屋の清潔感。
人口密度が少ない農村特有の汚れを知らない空気感に子供の声。
その全てが合わさって完全なる調和を生み出し、俺を天国へと誘っているような感じがする。
先程6時間ほど睡眠をしたが、さらに寝ようと思えば寝られるくらいだった。
「いいなぁ......お布団。ユウの身体にずっと触れられているし......ずるいなぁ......。」
ベッドに横になっていて考え事をしていると、そんなアゼルの言葉が聞こえてくる。布団に対して嫉妬の感情を抱くの......多分、お前くらいだぞ、アゼル......。
「仕方のないことだ、アゼル。触り心地ではアゼル<お布団なんだ。疲れた身体にお布団が一番なのは、光合成には水と二酸化炭素が必要であると言うくらい、言うまでもない世界の真理だ。疲れを癒やすという点において、お布団に勝てる存在などこの世界にはいないのだ。」
一方的にそう話してから俺は瞳を閉じる。
完全に調和した空間。
そしてお布団。
そして......人肌の温もり。
......うん?人肌の温もり...?
そう感じると同時に、布団とはまるで違う仄かな温かみをもったやわらかい感触
が神経を通して伝わってくるのを感じた。
閉じていた目を開ける。
そして、感触の正体を確かめるように、その方へと身体を向けた。
アゼルと目があった。
コウモリ姿のアゼルではなく、人型の姿のアゼルと。
なんで布団に入ってるんだ?
まぁ......俺だけの布団と言うわけではないので、そこまで強く否定することは俺には出来ない。
というか......こう改めてみると......可愛いな......アゼル......。
千年に一人の美少女と言われても納得どころか、一万年に一人の美少女と言われても納得がいくレベルだ。もし日本にアゼルが入れば、間違いなく子供の時から芸能界へと足を踏み入れ、数十年後には世界一の女性の称号を手にしていることだろう。
そんな未来が容易に想像出来るほどだ。
「アゼル......」
「ユウ......」
なぜか二人して見つめ合う。
さらさらとしたアゼルの銀髪に自然と右手が動いていた。
男の髪の毛とはまるで違う感触だ。しっかりとした感触というよりかは、水のようにサラサラとした感触に近い。
コウモリの姿も撫でると気持ちよかったが......人型であると、さらに手触りが心地よかった。
姿が人間であるというのも......手触りが心地よいと感じる要因になっていたりするのだろうか?
脳内スーパーコンピュータで計算しようにも記憶と情報量が少なすぎるため、答えを出せそうない。
感触が心地良いのをわかってくれたと思うが......
それだけじゃない。
匂いもいい香りだ。
ただ匂いで誤魔化している虚飾の感じではない。
人間の脳が、いい匂いと認識するようなものを発しているような感覚だった。
人間という種とは明らかに違うとわかるが、正確に言語化が出来ない。
そんな状態に俺はいる。
「ユウ......」
そんなことを考えていると、アゼルも俺の頬へと手を伸ばしてきた。
小さい、柔らかい手だった。
俺の手よりも1.5関節分ほど小さい手だが、その手からはしっかりと人肌としての温もりを感じられる。
人間とは違うと認識した直後に、人間であるという認識を植え付けられるため、思考が混乱し、判断能力が低下していっている気がする。
「ふふ、ユウの身体......あったかいね......」
アゼルは、人一人分もなかった距離をさらに縮めて、身体を密着させてくる。柔らかい感触が脳を強烈に刺激し、匂いは鼻孔をさらに擽った。
クモの巣に絡め取られる虫のように......俺の心をアゼルに囚われていくような感じがする。
「アゼル......」
視線が交錯する。
アゼルは小さく舌なめずりをした。艶冶な雰囲気を醸し出すアゼルは、とても艶めかしく感じる。
なんだこの感覚は......。
今まで感じたことがない感覚だった。
新しい予感がする。
自分の知らない領域へと足を踏み入れるようなそんな......予感が。
「お兄ちゃん!ちょっと助け..._______あっ!?ご、ごめんね!?、そ、その......お、終わったら、い、一階に降りてきてほしい!ま、待ってるから!!」
ガチャと部屋のドアを開け、数秒後にはバタン!!と部屋全体に響かせるようにカグヤはドアを閉めた。
ドアを開けてからドアを閉めるまでその間僅か約8秒。
その間に状況確認→謝罪→要件の伝言→退出。これを行ったのだ。
出来すぎた妹なのは言うまでもない。
これを約8秒......いや、正確には8.21秒くらいだろうか?
で済ませたのだ。
まだ若いながらも社会人としては完璧な素質を持っていそうだ。
ブラック企業が喉から手が出る程にほしい人材だろうが、もしカグヤを騙して地獄のような労働を強制させた場合『月天の輝塵』で焼き尽くすことになるだろう。
......この世界にもあるんだろうな......ブラック企業......。
「危なかった、カグヤには感謝しないとな。」
もしカグヤが来なかったら......何か不味いことになっていたような、なっていなかったようなそんな気がする。
「俺は一階に降りる。アゼルはどうする?」
布団から出て、唖然としているアゼルにそう問いかける。
妹の言葉のトーンから推測するに結構まずい状況にいそうだからだ。
兄としては...いや、前の人格のユウの意志を受け継ぐ以上、助けに行く必要が俺にはあるだろう。
「......僕も行く...。」
めちゃくちゃ不満そうだった。
もし現れた人間が、カグヤや両親以外じゃなかった場合、どんな目にあっていたのだろうか......。そう考えてしまうと、ブルッと身体が震えた。
布団から出てアゼルが立ち上がると、木製の床がギィ...と微かに音を鳴らし、静寂すぎる空間に少しだけ音を添えた。
アゼルはコウモリの姿へと変身して、パタパタと翅を動かしながら飛翔し、いつものように左肩に停まった。
左肩に野球ボールがポンッと置かれたような重みを感じる。
「はぁ.........」
ものすっっっごく深い溜息を、アゼルは吐いていた。
*
部屋の扉を開けて、廊下へと出たあと、再度扉を閉める。
ドアの目線付近には、『ユウのお部屋』とポップな字体が掘られた看板が掛けられている。
階段まで歩く道中には、カグヤの部屋のドアが存在し、俺の部屋同様、『カグヤのお部屋』と看板が掛けられていた。
木目がかなり綺麗であるため、職人が丹精込めて作り上げたものだと凡人の俺でも理解することが出来た。
廊下を歩き、そのまま流れるように階段をゆっくりと降りる。
階段には手すりが取り付けられていて、『黎明の審判』の能力により弱体化している俺の身体には、嬉しいものだった。
階段は意外と掃除が難しい場所であると思うが、チリや埃がほんの僅かにある程度であるため、新築かと疑ってしまう程だ。
一階と二階を結ぶ12段の階段を降り、正面玄関から見て右手にあるリビングへと足を踏み入れた。
「カグヤ降りてきたぞ、何があっ......たん......なんかいろいろと増えているな......誰かの先天的魔法術式の影響か?」
カグヤを助けたいのはやまやまだが......
すまん、先にそうツッコませてくれ。
階段をおばあさんくらいの速度で、ゆっくりと降りて、リビングに足を踏み入れたんだ。
開放的なリビングだからこそだろう。
今の状況をそのまま説明すると、情報量が凄まじことになる。
リビングの右側に設置されている縁側の部分には、凄まじい風格を醸し出している武士と、小さな青緑色の蛇を身体に纏わせている小さな亀が座っていて、山々に目を向けながらお茶を嗜んでいた。(亀がどうやってお茶を飲むんだ?湯呑みが二つあるぞ......)。
武士と判断した理由としては、全身を白と黒、がメインの甲冑に身を包んでいて、座っている隣には、長さが1.8mを超えそうなほどの長剣を置いていたからだ。形状が日本刀に似ていたのは少しだけ驚きだ。
巨大なリビングの一角を担うゴロゴロと過ごせそうなエリアには、小さな蒼い龍と小さな蒼緑色の龍が喧嘩(?)のようなことをしていた。
自分達の身体を剣のようにしてぶつけ合ったり、頭で頭突きをしたりなどをしていて、時間があればどちらが勝つのか決着を見届けたいと思った程だ。
視線を移動させて、先程昼食を食べていたテーブルへと視線を合わせる。
そこには、宿題......と格闘しているのだろうか?
頭を抑えながらカグヤが物凄く唸っていた。
威嚇しているライオンみたいだったが、カグヤの体型は、人型のアゼルよりも少し大きい程度しかなく、そもそもの性格がユウに似た優しい性格の持ち主であるため、微塵も怖さを感じないどころか、それすらもカグヤの魅力として昇華されていそうだ。本人は全く自覚していなさそうだが......。
カグヤの側には紫色の髪の毛をした、人型のアゼルよりも更に小さな女の子と、白い色の小さな虎がじゃれ合っているのを確認出来る。女の子は、虎の身体に自分の頬を当てて、毛並みのもふもふとした感触を嬉しそうに体感していた。ホワイトタイガーの赤ちゃんのような風貌のため、俺もその感触を確かめたいという欲求に駆られる。
最後に......リビングに足を踏み入れてから5秒ほどだろうか?どこからともな二匹
の動物が現れて、右肩には小さな赤鳥が停まり、頭には狐...だろうか?もふもふとした毛並みの感触と、人間とは違う動物特有の、内側に熱源があるような......そんな独特の温かさが神経を通して伝わってきた。
尻尾を含めれば、俺の頭幅の2倍以上あるが帽子を被っている時くらいの重さしか感じないのはとても不思議だ。
という状況なんだが......どういうことなんだ......。
俺じゃなければ、情報量過多で思考がフリーズしていることだろう。
母さん由来の高次元の脳が、今はとてもありがたいものだった。
「お兄ぢゃぁぁんー、宿題分かんないよぉぉー!助けてぇぇぇー......」
そんなことを考えていると、涙目になりながらカグヤが俺の元に激突してきた。
衝突の勢いを殺せなかった俺は、若干だが倒れそうになった。
カグヤは、上目遣いでこちらを見つめて来ていた。
茶髪のツインテールに、青緑色の瞳、アゼルよりも少しだけ大きい胸の膨らみ。
アゼルとは違うベクトルの可愛さを内包している。
アゼルが美しい彫刻のようなものとすれば、カグヤは小動物のような可愛さだ。
今はその可愛い顔立ちを少し崩している。
涙目になっている点から察するに......宿題の提出期限が近いのだろうか?
「...そう言えば......アゼル、今の西暦は?」
世界の根幹のシステムを聞いておくのを完全に忘れていた。
宿題の提出期限ということを思考しなければ思いつかなかった。
「1910年8月27日土曜日だね。カグヤもユウも今は夏休み中だよ。」
ボソッと喋るくらいの声量でも、アゼルは正確に聞き取ってくれた。
アゼルゆえのものなのか、コウモリゆえの耳の良さなのか。そこは不明だ。
「助かる。」
アゼル(コウモリの姿)に左手で一度触れる。
えへへ///と俺だけに聞こえる声を発し、アゼルとても満足そうだった。
ご機嫌を取るの......めちゃくちゃ簡単だな...。
今度悪いことをしたら、全力でアゼルを褒めることにしよう。
「カグヤ、任せろ。俺に解けない問題は一つもないからな。」
数学、国語、地理、歴史、英語、科学、の基礎科目に始まり、
天文学、医学、農学、海洋学、生物学、気象学、経済学、心理学。
数多の学問を網羅し、習得している俺に解けない問題など殆どないのだ。
「おぉ...!流石はお兄ちゃんだね!、じゃあさっそくこの数学の問題についてなんだけど......」
母さん、ありがとう。
人生で初めてあんたに感謝したよ。
カグヤに手を引っ張られて、昼食を食べていたテーブルへと向かい、カグヤの隣に座る。そして、覗き込むように問題集に書かれている文字へと視線を移した。
「______はっ?」
カグヤが頭を抱える理由がわかった。
何だこの文字?
アヴェスター語?古代バビロニア語?シュメール語?
卓越した知識量を持つ俺の脳が一切の答えを出せずに、フリーズしかけている。
どう読めと?
数字すらも地球で学習したものとまるで違った。
「ユウ、『言語翻訳』。」
カグヤに聞こえない程の小さな声量で、アゼルの声が聞こえてくる。
......そうだ、俺の言語野には『字形翻訳』が刻印されていない。
そのため、会話は自然に可能でも、文字の読み書きは出来ない。
アゼルが『字形翻訳』を使ってくれないのは、アゼルからすれば、覚える必要性が一切ない後天的魔法術式だからだろう。
「カグヤ、問題を読み上げてくれ。」
そうなると、カグヤ本人に読み上げてもらい、情報を日本語へと変換してもらう必要が出てくる。
「えっ?」
「それじゃないと教えないぞ...。」
「えっ!?わ、わかった!えぇっと......さんえっくす...ぷらす...じゅうに...いこーる......さんじゅう....のえっくすをもとめなさい、だって!」
カグヤの言葉だけで聞いたら、余白をぶち込まれているため、一瞬だけではあるが呪文のように感じる。
というか......そんなに難しい問題だろうか....?
俺が教える必要があるのか?
そう思うものの、人には必ず苦手なものがある。
俺が数学が出来るのも数多の計算をしてきたからだ。
カグヤには問題を解き、正解に導いたという自信がいる。
思考を切り替えるべきだ。
「12を左辺に移項して、30-12で18。これで3x=18の形になるから......x=何になる?」
答えは教えずに、プロセスだけを教える。
「えぇーと......6?」
両手を使い、何か操作?をしてから、カグヤはそう答えた。
正解をすぐに答えずに静かにしていると、カグヤが心配そうな目でこちらを見てくる。
「......あぁ、正解だ。」
「えっ?...ほんとに!?やったぁぁ!!」
相当嬉しいのだろうか、口角が上がり、物凄くいいとびっきりの笑顔を俺に見せくれた。
敢えて沈黙の時間を作ることで、正解の時のインパクトを数倍にして与える。
カグヤには少しでも早く勉強というものに対して、面白いと抱いてもらう必要があるからだ。
このような些細な積み重ねも重要だ。
「じゃあ、このまま次の問題に行くね!えぇっと......」
「ちょっと待ってくれ。」
「えっ?どうかしたの?」
「問題数......あとどのくらいあるんだ?」
俺は恐る恐るカグヤに問いかける。
すぐに終わると踏んでいたんだが......
返答次第では、地獄を覚悟しなければならないか?
「えぇっと......320問くらい?」
パラパラと紙を捲り、ざっと問題数を確認したであろうカグヤからそう返答が返ってきた。
「宿題の期限は?」
日本と似たようなシステムだが違う可能性もある以上、それも聞いておく必要がある。
地球での常識は当てはめない方がいい。
「9月1日から学園が始まるから......あと5日だね。」
27、28、29、30、31と右手を使ってカグヤは期限までの残り日数を数えた。
「残りの宿題はどれくらいだ?」
カグヤからすればキツイ質問が続くだろうが......まだ日がある今に現実を見ておく必要がある。
そうしないと、夏休みの最後の日を宿題で終えるという、悲惨な結末を迎えることになるだろう。
カグヤは質問に対して、凄く言いづらそうだった。
嬉しさが限界突破していた状態から一変して、雲がかかったかのように静かになったからだ。
「あと......これだけだね......」
そう言いながらカグヤの視線の先にあったのは、山積みの問題集だった。
この数学の問題を自力で解けないカグヤからすれば、地獄でしかない量だ。
一人では片付けられない可能性の方が遥かに高い。
「仕方ない......兄の意地を見せてやる時だな。」
渋々ながらも俺はそう決断した。
前の人格のユウが家出してからは、カグヤの性格を考えると、思考を切り替えて宿題に手を付けることは、正直に言えば無理だっただろう。
兄のことが気になってしまって、まともに思考出来ない筈だからだ。
その分は......俺がカバーする必要があるだろう。
それがユウの意志を受け継いだ俺の役目だ。
「やったぁ!ありがとう、お兄ちゃん!大好き!」
会話からして、完全に否定する流れだったため、カグヤの表情はとても嬉しそうだった。その気持ちが溢れている出している根拠に、俺の右腕に柔らかい感触を押し当てながら抱きついてきた。
前の人格のユウであれば、兄弟であるため今のように抱きつかれても、心臓がドキドキするなどしなかっただろうが、俺からすればカグヤは半分妹で半分は他人だ。
そのため、普通にドキドキしてくる。
カグヤの優しすぎる性格も合わさり、男としての本能が大変揺さぶられて困る。
「お兄ちゃん?顔少しだけ赤いよ?......まだ体調優れていないの......?」
「いや、それはない。カグヤが可愛いと思っているだけだ。これは......その熱だ。」
カグヤの悲しい表情を見たくないと思った俺の脳は、取り繕うこと無く本音を伝えていた。
「そうなんだね、えへへ///」
嬉しさが限界突破したのだろうか?
さらに密着して抱きついてくる。
あまりにも非現実的すぎる現状に、俺の脳細胞は初めて四次方程式の解の公式を見た時ほどに困惑していた。
「......ユウの女誑し......」
今までにないほどの、どんよりとした重すぎるトーンの、アゼルの声が俺の耳に響いた。
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