鏡の意味を持つ幻影蠱惑の連鎖刃《れんさじん》――⑧
「――――始めて扱う武器形状とは思えないほど、手に馴染み、思い通りに手繰れる。私の意思に添って刃が走る――……」
軽く速く、強靭に空を裂いて泳ぐ刃に、ミヤコさんは目を見開いた。
「――これなら」
最強の蛇神へ、相対の視線を定める。
空恐ろしい存在感を放ち、ゆっくりと尾をうねらせて、悠々《ゆうゆう》と歩み寄るように迫ってくる蛇神へと。
刃が空を泳ぐ。うねり声を上げて、大仰な軌道を描くでもなく美しく、連鎖刃がしなる。
「兄貴、やった! 連鎖刃は身体的にも感性的にも、完全にミヤコさんと適合してる――!」
持て余すことも、無駄もなく手繰られている。
モニカの言う通り、そこは問題ない。
蛇神とは対象の神速、そして大剣を振り降ろすような超威力で、連鎖刃が蛇神の胴へと振り抜かれた。
「――――……ッッ!」
――――蛇神は別段、特別な方法を使ったわけではなかった。
ただ、避けただけ。
それだけの動作で――……生物存在としての超越性を、ボクたちへ知らしめた。
コンマゼロ秒の意識伝達、そして生物運動における最効率を100%で体現した身のこなし。――――美しい。完成の意味を知らしめる動作を可能にする物体がこの世に存在すること、そしてそれが、『生物』であること。
戦いの最中にも茫然と崇敬しそうになる、【存在の超越】。
「――やはり【複合種獣の蛇神】は形態として不完全ですッ! 大蛇の尾では器用的なステップは踏めない、お師匠様と違って身のこなしに限界がある、必ず攻撃は当たる!!」
声を張り上げて、震撼に意識を奪われた仲間へ呼び掛ける。
「全員集中ッ! 接近も含めてミヤコさんを援護!!」
「――了解、兄貴!」
「あらら。コンマ秒、尻込みしちゃったよ。ケツを叩かれてしまった……」
「やはり、素晴らしいですね――……」
声漏らし、ミヤコさんは連鎖刃を自在に操った。
蛇神は、ゆるゆると距離を詰めてくるだけだ。
――連鎖刃の刃がしなり走るのと同時に、ボクは距離を詰め、モニカは【竜爪槍】を振るう。
連鎖刃の軌道は危うげもなくボクを避け、【竜爪槍】の斬撃と連動して《しねり》《うねって》、全ての脅威を敵に押し付けた。
――行動の後から考えても、選択肢、動作精度、ボクたちの一連は考えうる限り、最善であった、はずなのに。
まるで、それが稚拙だと知らしめるような一動作。
『数式のように美しい動作』で、ゆんわりと歩むついでのように、ただ《彼女》は身を避ける。
動きにすると、こんなにも分かり易い。
真実の意味で完成された最効率の生体動作は、それだけで究極であると。
空を裂く斬撃とか。
強大無比な爆破とか。
地を無限裂傷させる呪いや、あるいは遍くを凍らせる秘術、超常的な衝撃波、音速の連撃、呪詛攻撃、もしくは時空断裂といった想像上の力さえも。
攻撃を避ける単純な動きの、完成され尽くした最効率の前には、全てが無意味な長物でしかないのだと。
派手なだけ。
無駄を増やしているだけ。
最効率から遠ざかっているだけ。
「――――モニカ五歩圏内の間合いに決して踏み入らないことを考えて援護を! イヴさん前に出ます」
「兄貴ミヤコさんがッッ」
「あっ、あっ、あっ、ぐ、ぁ――――……」
「ミャコ一旦下がれ!!!!」
こちらには強力無比な【アビスハウル】が三振り。あちらは――相手の持っている得物は、ただの、骨。なのに――……。
この瞬間、脅威度の圧が最も宿っているのは、重量も性能も圧倒的に劣る小枝よりマシな程度の、固いだけの棒だった。
なぜなら。
単純な話だ、こちらの攻撃が当たらない、当たる気配がない。
こちらの攻撃軌道に対する最適解を叩き出し続けている、それは指先のなにげない動きの一つでさえも。――蛇神の尾が存在を不完全にしているのは確かなんだ、お師匠様の動きと比べれば、いいところが二割程度しか至高を体現できていない、それでも。
骨が振られる。
【正しい軌道は存在する】とボクたちに教える、意識の間隙を縫うような一振り。
まるで物体の意識に対してさえ、間隙を縫うように。
どうしてか性能で圧倒しているはずの【アビスハウル】が、ただの骨に、圧される――。
「ぐ、うっ、うっ、うっ、あっ――――」
「ミャコ死ぬ気で下がれッッ。――――【幽絶無痕】⇒【人猟鬼道】」
『――私は【アークウィッチ】なんだ。それで、私の魔法は奥の手として運用してくれると嬉しい。【幽絶無痕】は『物体の存在感を消す魔法』、【人猟鬼道】は『物体に変則軌道を与える魔法』。どちらもほんの小さな力だけれど、こと戦闘においては、いつでも大きな意味を状況にもたらす。使い道は任せるよ、上手く運用してくれな』
――しかしすでに、初手でそれらの魔法は、ご本人の意思から行使されていた。
存在感の消えた、認知できない針状の武器が、蛇神へ殺到する。
不可視より見えない暗殺。
ボクたちには知覚できないそれらを――……《彼女》は他の強襲と同じように、悠々《ゆうゆう》と、ただ避けた。
「――――どうして、存在感が消失した物体を、認知できている――……?」
『いいかい、現実というものには必ずね、《辿るであろう只唯一の道筋》というものが存在するんだよ。それを見極めればいいんだ。
簡単だよ。
一見、『予見不可能な偶然』という要素から世の成り行きは定められているように思うかもしれないが、違うんだ。
突発的な影響力はこの世に波紋を落とし、他の偶発と影響し合い、そうして大なる事に繋がる前には、必ず強大な波紋をこの世に落とすんだ。だから、『予測不可能な偶然』は、私たちが察知できる範囲においては起こり得ないわけだ。大きな影響同士の波紋を、感じ取るようにして読めるようになることだよ。そうすれば、「ああ、次はこうなるだろう」ということを自然と察知できる。
それは戦闘でもそう、生物の意思さえ大きな波紋の一つだからねェ。そうした連なりを読むんだよ、それが出来ればおのずと、《辿るであろう只唯一の道筋》を無理なく理解できる。
……イマイチ分からない? 教えるっていうのは、難しいねェ……』
昔、お師匠様が仰っていたことだ。
今をして、「こういうことだ」と教えられているようだった。
「っ……ミヤコさんが集中して狙われて――……」
「兄貴イヴさんの前に出すぎてるッッ!」
「ほら、右、前、しゃがめ……! ――こっちも頼れな、切羽詰まった時こそさ」
「うぅ……ぐぅ――……――こちらは大、丈夫……!」
「ミヤコさんの援護指示はモニカ、任せる! 蛇神に強襲の意思は見られない、このまま連携精度を練って――」
――その時、ふと。
青色の瞳と、目が合う。
もの言いたげだった。
どうして。
どうして、そのような簡単なことが出来ないのか?
なぜ出来ない……?
なぜ、天威の顕現の如き凄まじい能力を持ち得て体現しながら、根本部分の大前提、そのような簡単であるはずのことが出来ない?
どうして?
瞳の情緒が雄弁に語る。
その情緒にも理解及ぶ。
《彼女》はただ動いているだけだ。
ボクたちは立体的に動き、強大な能力を行使し、大声で威を示す――傍目には、ボクたちが勝手に、なんだかバタバタしているだけ。
でもね、お師匠様。
然るべき道筋を辿るためであれば、ボクたちはいくらでも、道化のように舞ってみせるんです。
それがボクたちの冴えたやり方だから。
「【属性転換】――《畏敬》⇒《憧志》!」
じわりと心を捉える絶望が極限に達したその時――――。
地に手を付いて、モニカが宣言した瞬間。
周辺周囲における、【存在が世界に及ぼす影響結果】に変革が訪れた。
――――青色の瞳が、見開かれる。
一瞬を経て、ボクたちは――《彼女》と渡り合っていた。
猶予を稼いで耐え凌ぐのではない、紛れもなく渡り合って、競り合っている。
革新されたボクたちの挙動――それは《彼女》の至高に片足を踏み込んで目前に迫る、生物進化を遂げたような飛躍。
心の在り様で全てが変わることの証明。
《彼女》という存在が及ぼす影響。
心が認めていた理解――大いなる【畏れを抱き敬服する絶望】が。
心を燃やす意思――大いなる【憧れがそのまま志となる心】に変わって、ボクたちを変革する――!
憧志が、直情な向上心を見つめさせて、人間の無限を示すような熱を生み出す。
不可能ではない、隔たりではない。
その遥かな威を、目指すべき存在としてボクたちに見つめさせる。
「スゥー……フっ――……」
呼吸が、落ち着いていく。
無駄な動作が削がれてゆく。
気付けばもうボロボロの体も今は関係ないものと、冷静に、心が燃えている。
それだけで――ボクたちは瞬間、《彼女》と渡り合った。
【影響力自体を変革する力】
おそらく……お師匠様にとっての――《彼女》にとっての、急所。
「―――……っ!」
振るった【銀灰の細身剣】が《彼女》へ迫る。
彼女は卓越の動作で避けた。――今までにおける最効率の動作、ボクたちが追い切れる挙動。
刹那、ボクの身が削げるギリギリ、連携の理論値で放たれた【竜爪槍】の斬撃が《彼女》を強襲した。
僅か、彼女の対応に、遅延が訪れる。
見逃さず、イヴさんの蹴りが蛇神の尾を揺らす。そして――。
【鏡の意味を持つ幻影蠱惑の連鎖刃】が。
その刃が、始めて、《彼女》を捉えた。
胴体――胸の上部位に、裂傷が走る、鮮血が飛び散った。
「【属性転換】――《存在圧》⇒《地的重力》!!」
《彼女》の体が、自重が増したように、下へ沈み込む――――。
存在の影響力が、そのまま重力効果となって彼女を縛る。
「終わりです、最強の蛇神」
【連鎖刃】が鋭く、振るわれた。
――――だが。
そこまでだった。
信じ難い、モニカの追撃による動揺は誘えなかった。
一瞬の後には肉体の初損傷など一つの意にも返さずに、何もなかったかのように、現状における最適解の動きでボクたちの攻勢を《彼女》は避けた。
――けれど心の在り様においては、確実にボクたちが昂じている。
これを意味に繋げることが出来れば、ボクたちの勝ちだ。
「フッ――――」
【連鎖刃】が唸りを上げて、再び《彼女》へ迫る。
――《彼女》の動きは最小限だった。
胸の鮮血を掬い取り、それをミヤコさんへ放った。
「ウッ――――!」
避けた、けれど――目元の一部から下が鮮血に塗られて、視界が、僅か削がれた。
【連鎖刃】の軌道に、致命的な低能率が生まれる。
骨が振られた。一連の動作は完璧に滑らかであり、それにおいて神速が体現されて、意識の間隙を射抜かれた。
援護が間に合わない――……!
「アッ――くっ――……!!」
不味い――!
でも、致命じゃない。
動揺はない。
思考は今も燃え上がるように輝きを増し、どこまでも冷静でいられた。モニカとの連携で蛇神を相手取れる戦略構想が、明々《めいめい》に――――
「二人とも引けェエエエエエエエエエッッッ――――!!!!!」
イヴさんの絶叫に近い指示が響いた。
けれど、ボクらは瞬時にはその意味を理解できなかった。燃え上がるような意思と冷静を持ってしても――。
至高の御業で振り抜かれた骨の、蛇神の動きに注視していた――そのところに。
襟首を引っ掴んだ、強引な力任せで、身が後方へ引き摺られた。
「なッ――――!?」
イヴさんに引かれて、たった一手の攻撃は避けれた、けれど――――三人の体勢は致命的に崩れた、駄目だ! 次の攻撃はどうあっても、避けること叶わな――――…………
「ア ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ッ ハ ッ ハ ッ ハ ッ ハ ッ ハ ッ ハ !!!!!!!!!!」
――――どこまでも耳に心地良い、この世で最も底の抜けた笑声だった。
どこから響いたのか分からなかった。
目の前から響いたことに、気付けなかった。
――攻撃を防げたのは本当に偶然からだった、たまたま、伸ばしていた【銀灰の細身剣】に刃が当たっただけ。
モニカ側のイブさんの腕ごと、刃に引き裂かれるところだった。
「アハ、ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ! ! ! ! !」
「――奇跡的に五体満足だね、運には見放されていないようで何よりだ」
イブさんの声。ボクたちは底の抜けて心地良い笑声に酔った意識から僅か冷め、現実性を取り戻した。
人が、この世のしがらみの、何からも解放されたように笑っていた。
それを見てボクは、どうしてか――――……救われたような気持ちになった。
彼女の笑声は、未だ心底心地良く、ボクの耳に響き続けている。
――ボクたちは【最強の蛇神】と戦い、苦闘していたわけだけど。そのことは、瞬時にして忘れた。
目の前の光景が、あまりに印象的すぎて。
笑う彼女の足元に、何かが転がっている。
気付いたら、【最強の蛇神】の躯体が、バラバラになって亡くなっていた。




