討伐を真実とする彼《か》の威《い》の薙刀――⑥
【うたかたの森】は、ちょっと信じ難い光景が広がった、閑散とした山林だった。
荒地との境にあると聞いたが、地面はそのもの荒地である、地形も所々険しい。そんな環境でどうやって生え育ったのか、立派な木々が空へと背を伸ばし、雄大に幹の腕を広げていた。
木々の生える間隔は広く、空も見渡せる。
森ではなく山林であったが、【うたかたの森】と名付けられたのも分かった。
うたかたとは、水面に浮かぶ泡、儚いものの例えだ。
その山林は、うたかたのように荒地に浮かんだ生い茂りのようだ。そうして木々が茂る様子を、詩的に【森】と表現したのだろう。
「周囲、地形に、敵影、痕跡ナシ――。兄貴、私は背後の警戒に回る、お願い――」
「了解」
現地に近付いてからは、さすがに自然と気が引き締まり、ボクらはいつもの張り詰めた感覚の中にあった。
狩り場で気を穏やかにしていいのは生物強者だけだ、ボクらはそうあるべきではない。
クラリスさんは、ボクたちからは目の届かないどこかにいるらしい。
彼女にとって“距離”という因果は関係ない。
だからといって、助けを期待して気を緩めるほど、ボクたちも腑抜けていない。
余計な緊迫で歩を無駄に滞らせることもなく、いつも通り、ボクたちは進む。
痕跡に目を凝らし、空気の揺らぎに気を配る。
時間をかける必要はなかった、異なる気配は、その一つを除いて周囲に存在しなかったから。
崖というには及ばない段差から、こちらを見下ろしていた。
黒い剛毛の繁った――羊のような躯体に、異常な強靭が見目にも窺える、蹄の四肢。
そして――まるで仮面を被ったような、独特の顔。
【仮面の雄羊】
ボクたちが未だ知らなかった、この地に現れし悪夢。
「んじゃ兄貴、作戦通り、私が行ってくるよ」
「気をつけて」
【伝動不全柄の竜爪槍】を握ったモニカが、【仮面の雄羊】へ一歩を踏み出す。
その瞬間。
【仮面の雄羊】は自然な動作で――ボクたちに背を向けて、一目散に逃走し始めた。
「兄貴、気をつけて! 大気があり得ない揺らぎ方を始めた、魔法を行使してくる……!」
最も辛い予測が当たったか……!
モニカも駆け出す、走行速度に差はあるが、そこはモニカを信じて、ボクは――ただ、待つ。
【理に触れる飛竜】討伐後、お師匠様手ずからの苛烈な修行で悲鳴を上げる体に鞭打って創り上げた、新たな【アビスハウル】を静かに構えて。
『兄貴、この武器は創っておいたほうがいいように思うんだ。【アビスハウル】制作には幻獣素材が必要――無駄はできないとはいえ、これは創り置いて、絶対に役立つときが来るはず。この素材を――この鋼を用いて――……この形に仕上げて――――。――……どう、兄貴、創作意欲は湧きそう?』
――最高に。
構えるは、薙刀の形状をとった武器だ。
握る柄も、先端の刀身も、底抜けに鮮やかな赤色の発色を宿した、見目に異形な長物武器だ。
武器を構え、ボクはただ、静かに待つ――……。
――――やがて、耳に足音、肌に気配、そして疑いようもない視界にも映り、息を切らせたモニカが現れた。
「兄貴、ゴメン――……。追跡に失敗した、【仮面の雄羊】の姿を完全に見失った……。どうしよう……?」
「…………」
「……兄貴?」
言葉も返さず、身動ぎも起こさずに、ただ武器を構え続ける。
音と気配が消えた。
モニカの姿も、いつの間にか失せている……。
――――しばらく経つと。
今度は、傷を――全身に血まみれの致命傷を負ったモニカが、息もからがらに、ボクの前へ姿を現した。
「…………兄貴、ごめん、失敗した……。――ごめん、こんなところで…………あとは……頼ん……。…………」
「…………」
「ア、ニキ…………」
特に酷く痛んだ腹の部分を押さえるモニカの姿に、ボクは――……身動ぎもせず、静止して待ち続ける。
(【兎足を持つ仮面の雄羊】――分かってきた……)
(一目散に逃げた意味を考えるに、後を追わせることに意味がある――必ず自身を狩る者を狩り取る、そのような悪夢なのだろう)
(だというのなら、多人数で追うのはやはり悪手だ。ボクたちは最善の選択を選べている――)
心乱れた瞬間に負ける。
信じる。モニカは必ず【仮面の雄羊】を追い込むし、ボクはそれに、万事備えなければいけない。
「兄貴……兄貴…………。もう…………」
「…………」
この幻覚は。
ボクの深層心理を知り得ていなければ発現し得ない。
おそらく、見る者それぞれに異なる幻を見せる魔法だ。最終的には群衆同士による殺し合いを誘発してくる可能性も否めない。
そこまでは事前に予想できなかったが、図らずも、ボクたちの対策が間違っていない補強として、心を落ち着かせる。
――と。
薙刀の柄に、《熱》が宿り始めた。
――――来る。
「――兄貴ィ、頼んだ!!!!」
その声も幻であるかは分からなかった。
けれど、その声はボクの胸内にも熱を灯らせた。
駆けてきたのは――モニカだった。モニカ自身だ……!
浅い傷を負って、息切らして走ってくる。
だけど――【討伐を真実とする彼の威の薙刀】の柄を握ったボクの視界には、二重視界のようにして見えていた。
狩り取ると定めだ敵の姿を必ず瞳に映す、彼の威の視界を借りて――疾走する【仮面の雄羊】の姿が。
「【竜の眼】を素材とした【アビスハウル】は――」
お師匠様から盗めた数少ない技術。
初速のみ神速で詰め寄る一歩を、踏み出す。
「それを持つ者が《敵と定めた相手》を前にした時のみ《熱》を宿し、幻覚、錯乱の一切を振り払い無効化する【竜】の視界を、手にする者に与える特性を持つんだ――!」
薙刀の刃が、空間を切り裂き、【仮面の雄羊】に迫る。
薙刀。
「薙ぎ払う」攻撃に特化し、槍と比して一撃必殺の性能は劣るがその分、間合い、攻撃範囲が広いのが特徴。
【兎足を持つ】相手には、まず一撃必殺を狙うよりも、確実なダメージを狙うほうが理に叶う。
「――――――ギャアアアアアアアアアッッ」
羊には似ても似つかない絶叫。
鮮やかな赤色の刃が、兎足の後脚を削いだ――! これでもう強靭な脚力は活かせない。
【仮面の雄羊】の瞳と、目があった。
確実に【狩り取る】という、明確な黒く輝く意思が見える――。
【仮面の雄羊】は幻覚の魔法を捨てて、異常発達した前足で、殺すに十分な足蹴を放ってきた。
馬よりもはるかに早い脚の振り上げ。
どういった生物構造か、前脚だというのに後ろ蹴りにするような威力で放たれた怒涛――それを、ただ何の工夫もなく、薙刀の柄で受け止める。
「――――!!?」
砕かれない。
簡単に砕け散ると見込んでいた【仮面の雄羊】の動きが、止まる。
「――【竜の眼】は特殊な素材、【竜の血肉】に溶かし混ぜなければ精錬に使用できない。――【竜の血肉】の素材は、玉鋼に強力な衝撃耐性を付与する効果がある」
薙刀は、よほどの豪力を備えてなければ、一撃必殺には向かない。
だから、一撃必殺は――相方に任せる。
「観念の時間だ、【仮面の雄羊】!!!!」
止まった一瞬を見逃さない。
モニカの持つ【伝動不全柄の竜爪槍】が、【兎足を持つ仮面の雄羊】の肉体を、――貫いた。
槍が貫くとほぼ同時に、【討伐を真実とする彼の威の薙刀】を振り上げる。
「ガッ――……」
仮面の頭が、鈍い音を立てて、斬首された。
その頭が地面に転がる――……。
「モニカ、警戒を」
「分かった」
未確認新種の幻獣、どんな何があるのか分からず警戒は解かなかったが――モニカが【竜爪槍】で貫いたその時すでに、事切れる寸前であったようだ。
周囲を覆っていた薄い霧が、晴れてゆく――……。
「――いつの間に、霧が……?」
「ね、私も途中まで気付かなかった。気付いて、霧を振り払って幻から一瞬逃れて、なんとかこっちまで【仮面の雄羊】を追い込めることができたんだ。まあ、後で私の活躍譚を聴いてよ、とりあえず……――おつかれ様、兄貴」」
「――――いや、まだだ」
【討伐を真実とする彼の威の薙刀】を構え下ろさないまま、短く告げる。
「再警戒」
「――――!」
モニカも武器を再度、構える。
――妙ではあった。この周辺に、【仮面の雄羊】以外の、スライムのように脆弱な幻獣の気配すら一つもなかったということが。
はたして――……。
「――――兄貴、北西方向、上空!!」
そう、【仮面の雄羊】に手を焼いていたのは、人類だけではなかった。
霧が、今までにない晴れかたで、失せたのを見て。
ナワバリ争いに敗北した者たちが、群を成してこちらへ疾走してきた。
「――【竜の翼の鳥】ッ。ワイバーンの群れが来てる……! 兄貴――」
「落ち着いて。――モニカが持っている、その武器は?」
「――【伝動不全柄の竜爪槍】」
「うん、遠距離攻撃の手段には困らない。それに、【竜の翼の鳥】は【竜】と比べて耐久性にずっと劣る、大丈夫」
「――了解ッ」
「武器を交換しよう、ボクが【竜爪槍】を手繰るから――」
そこまで意思疎通を図った、その時だった。
ボクたちは気付いた――――気付けぬ間に、目の前に、人が一人、現れていたことに。
「うん、あなた達の実力は、大体分かったわ。合否というものがあるとすれば、とりあえず合格よ」
【虚空転位】――……。
相変わらず、いつ現れたのかも察知できない……。
「アレは私に任せなさい」
クラリスさんは言うと、ワイバーンの群れへ銃口を向けるみたいに、人差し指を示し向けた。
瞬間、彼女の足元に、太陽冠を模した虹色の光の輪が顕現する。
「【灼天爆葬《ヴァ―ミリオンヘリオブラスト》】」
星の崩壊爆発に等しいとされるエネルギーが、一点集中で、ワイバーンの群れに天から降下する。
――――赫い。
ただそれだけしか見えない。視界が赫い光に埋め尽くされる。
それも一瞬のことだった。
爆ぜたエネルギーは拡散することなく、その一瞬後には何もなかったかのように――何処かへ消え失せた。
エネルギーが縮小する予兆も見せず、まるで最初から、なにも無かったみたいに。
――――【星骸の律動】
空にある星の光を「魔力の音」として読み取り、それらを変化させることで世界の法則そのものを書き換える、事象改変魔法。彼女以外にその魔法詳細を解き明かした者はいない。
目の前にしても意味が分からない。
これが――現代至高の【アンリアルウィッチ】。
「こんなところかしら」
ワイバーンの群れが跡形もなく蒸発したのを見取ると、しばらく周囲を警戒したのち、ボクたちのほうへ向きなおった。
「さて、修行を課すにおいての要点も分かったわ、そうしたら帰りましょうか」
「――……はい」
「クロちゃん、やっぱり凄ぉ」
目をまん丸にするモニカにフッと笑み、アンリアルウィッチのポーズを見せるクラリスさんだった。
遥かな場所に存在する人間は、いる。
けれど、その事とは無関係に、人には人の歩むその道先があるから――その遥かな隔たりを目前にしても、足を止めることは、あってはならないことなのだろう。
そのこともまた、昔、このお方から学んだことだった。
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――【兎足を持つ仮面の雄羊】の討伐。
使用武器・【伝動不全柄の竜爪槍】及び【討伐を真実とする彼の威の薙刀】
採取素材・【???】
Clear・『クロエクラリスからの依頼』




