非恋愛主義の王太子ですが
神聖ポメラニアン王国の王太子バーナードは婚約者の処分を宣言した。
「シェパードン侯爵令嬢テリアナとの婚約を破棄する」
幼き日、テリアナと初めて会ったバーナードは、その外見を気に入った。
その湖畔のようなたおやかさは、豊富な水産資源を供給し、飲み水としても使える湖を彷彿とさせた。
その宝石のような瞳は、秘めたる知性を感じさせ、宝石よりも実用性に富んだ鉱物の方が需要が高いなと思いを馳せさせた。
さらにその成長した姿を想像するに、確かな埋蔵量が期待できると希望が持てた。
見栄えヨシ。
ときおり美しい瞳に影がよぎるが、それも圧が強いといわれる王家特有の偉容には却って相性が良いかと思われた。
自分と並ぶと栄える。
その姿は国民の支持を得られそうだ、とバーナードは計算する。
中身?
そんなもの初対面で分かるはずもないとバーナードは切って捨てた。
後に、きちんと内面も精査しておくべきだったと、バーナードは後悔することになる。
彼にとって、数少ない後悔であった。
バーナードとテリアナは正式に婚約者となり交流を深めた。
テリアナの兄であるシェパードン侯爵家の跡継ぎ、ベルマンが将来の補佐役としてバーナードの傍に侍ることになった。
テリアナとの定期的なお茶会にはベルマンも参加してきた。
どちらも交流を深めるべき相手であることに変わりないと、バーナードは参加を許した。
いつのころからか、そのお茶会にさらにもう一人の参加者が増えることになった。
テリアナたちの妹であるレトリーだ。
レトリーは控えめな美貌のテリアナとは対照的に目を引く美しさをもった少女だった。
レトリーは姉と同じく美しく。
姉と同じく繊細で。
姉と同じく散ってしまいそうな儚さを持ち合わせ。
姉と同じく特に中身には関心を持てず。
姉と違い男の庇護欲をそそる容貌をしていた。
それでいて受ける印象はまるで対照的なのだから、そこがバーナードの関心を引いた。
同じ姉妹なのになぜこうも違うのだろう。
バーナードとテリアナはお茶会ではいつも向かいあった席に座っていたが、レトリーはバーナードの隣に座った。
その気配を察知させず、いつの間にか席を取る手腕にバーナードは感心した。自分に近づき接触しようとするレトリーを見過ごす程度には。
それは令嬢に対する適切な評価なのかはさておき。
そうこうしているうちに婚約者であるテリアナがお茶会に出席しなくなった。
兄ベルマンと妹レトリーのみがやってきた。
テリアナは体調不良とのことだった。
「そうか、体調不良か。それは仕方がないな」
バーナードは婚約者の体調を気遣うセリフを兄妹らに吐きつつ、婚約者本人がいないのだから解散してもいいなとも思いつつ、二人とお茶会を続けた。
そして、それがずっと続いた。
正確には、徐々にテリアナの欠席する率が増していき、やがて全然来なくなった。
「それほどに体が弱いなら、婚約者の件も考え直す必要があるかもしれないな」
「~~っ!! はい! ……それも仕方のないことかもしれませんわね。嗚呼、お可哀そうなお姉さま。でも仕方ないですわよね。ええ」
「…………」
婚約者本人がいないのにその兄妹だけがやってくる。
無礼な話である。
バーナードはそう認識していたが、それで騒ぎ立てるのは器の小さい所業だと自分を納得させ、黙ってお茶会は続けられた。
やがて噂が流れ始めた。
「王太子の悲恋」という名の噂が。
その噂によると、王太子バーナードの心は荒んでいた。
冷たく強欲で吝嗇で人の欠点をあげつらいマウントを取るのが生きがいの婚約者により、王太子の心はやすりをかけられたようにつるつる。その滑らかな表面をあらゆる感情がこぼれ落ちる。慈愛と優しさに満ち溢れていた王太子は、今は感情のないからくり人形へと変貌してしまった。
その心のない仕事マシーンのマシーンハートに人のぬくもりが宿った。
宿らせたのは麗しき乙女レトリー。
バーナードは取り戻した人の心でレトリーを愛し、レトリーもまた哀れなマシーンを慈しんだ。
しかし、悲劇。
二人は人の愛を憎む姉テリアナによって引き裂かれる。
テリアナは王家の定めた約定という卑劣な大義名分で真実の愛を切り刻むのであった。
哀れ王太子。
その噂はバーナードの元にまで聞こえてきた。
王家にとってはゴシップもまた高貴なる義務。王室を侮辱し体面を汚す、害あるものでなければ聞き過ごせ。
バーナードはそう教育されてきた。
王室など酒の席で下ネタにされるぐらいがちょうどいい。
憎まれ殺意を抱かれ、王家憎しで国民に団結されれば圧倒的な数の力で粉砕されるのみ。王家とは砂上の楼閣である。
いじられる程度に親しみを抱かれ、逆らってはいけないが悪口ぐらいは言ってやる。王であることは無意識に無条件で認められている。その程度に民衆の意識に浸透されておればよい。
それがポメラニアン王室の家訓。
なので、バーナードはそうした。
噂を聞いたレトリーとベルマンは困惑した様子を見せた。
だがレトリーはすぐにこれは自分に有利な噂だと思った。
バーナードの前では表向き姉をかばう風な発言をしつつ、周りにはこの噂の通りであるという態を崩さなかった。
そして、さらに時は流れ、バーナードとテリアナの婚姻も近づいてきたある日。
断罪のための刃傷沙汰が起こった。
姉テリアナによる妹レトリーへの殺害未遂だ。
階段から突き落とすというポピュラーなやつではなく、鈍器と刃物を用意して波状攻撃で妹をボコボコにした。
確かな殺意を証明できる代物だった。
残念ながら実家での事件であったため確かな公証人はいなかった。
学園の卒業パーティーとか、貴族各位を招いた公の場でなかったことが悔やまれる。
テリアナ容疑者は、妹の方がいいんでしょう。これで満足でしょう。さあ、断罪してください。などと、錯乱した言動を繰り返しており、精神鑑定の結果が待たれる。
妹の方がいいなら、その妹を殺しておいて満足するはずもないのに。
結果的に生きていたが。
バーナードはだからお茶会にはでてこなかったのかと想像した。体が弱いのではなく、精神が不安定で家に閉じ込められていたのか。
シェパードン侯爵家は王家との婚姻を解消されないために隠しつつ、代わりに妹を宛がおうとして、噂を流したり工作を行ったりした。
「そうだと仮定すれば話は通るかな」
バーナードは信を置く側近にそう漏らした。側近と言っても姉妹の兄・ベルマンではない。
「シェパードン侯爵家では妹のレトリー嬢を甘やかし、姉のテリアナ様にはきつく当たっていたようです。それが原因かと。例えば、ある日には……」
「そこは必要のない情報だ」
バーナードは側近の報告を止めた。
「客観的にみてシェパードン家がどのような印象を持たれるか、法に照らし合わせるとどような罪状にあたるか。それをまとめて報告してくれたまえ」
バーナードは必要のない情報とバッサリと切り捨てた。
あの両親を御せない政治力。
その発想に至らない視野。
特に他人を使う能力のなさは致命的だ。実際に致命だった。
「ちょうどいい理由もできたしな」
「シェパードン侯爵令嬢テリアナとの婚約を破棄する」
神聖ポメラニアン王国王太子バーナードは側近に向けて宣告した。
「彼女も犠牲者ですよ」
側近のシバは一応という態で言及した。
「情はないのですか?」
考えようによってはかなり無礼な発言ととらえられてもおかしくないが、バーナードは流す。
「もちろんあるとも。もっと早く我が国の善良な臣民であるテリアナを救えなかったのは痛恨の極みだ」
バーナードは心底悔しそうな表情になる。
「だが、それと将来の王妃として適格かは別の話だ。彼女には、いい施設に入ってもらい、いい医者を招き 手厚いケアを施そう。立ち直ってくれると喜ばしいな」
バーナードは心からテリアナの快気を願った。
「……臣民である、ですか。……妹のレトリー嬢については?」
「アレならまだ、錯乱しているテリアナの方が適正が高いだろう」
なお事件の報を聞いた姉妹の兄ベルマンは、
「おめでとうございます! これで殿下の望み通りですね!」
と、吐き捨てて、先ほど部屋を出て行った所だった。
「どうやらベルマンは、シェパードン侯爵からは何も聞かされていないらしいな。親にも信を置かれていない。自分で気づいて探り出す能力にも欠ける、か……」
さらに隠してもいないこちらの意図を読み取る力もないようだなとバーナードは判断した。
噂の内容を聞いた時、王室を侮辱し体面を汚すものでなければ聞き過ごす、とバーナードは決めていた。
なので動いていた。
十分に王家を侮辱し体面を汚す内容であると判断して。
すでに調べさせて証拠を集めさせている。
「どうしたら、殿下がレトリー嬢に恋しており、しかもそれで妃を決める、と思えたのでしょうかね彼は?」
可哀そうな妹。俺だけは理解者だ。できた俺。……ただし、解決に向けて指一本動かす気はない。
そんな所だろうと、バーナードは当たりを付けた。
それでバーナードのベルマンに対する関心は失せた。
ただ、彼の言葉だけはバーナードの心に残っていた。
それにしても、殿下の望み通りね……。そうか、望み通りか……。
そうか、望み通りにしていいのか。
ちょうどいい理由もある。
その後、シェパードン侯爵家は、王太子に対して謀略を仕掛け、その過程で王室への侮辱があったとして婚約破棄だけでなく、家門自体が遠ざけられた。
証拠は十分に集められたし、外戚とするには家庭環境から見て悪影響と多くの貴族も主張した。彼の家にあえて近づこうとする貴族はないだろう。
王太子バーナードは三年後、政治的に妻を迎えた。
彼女はバーナードの子を三人産み。それから愛人を作り、愛人との間に子は作らなかった。
すでに即位して国王となっていたバーナードは、王家の影以外には、その事実を隠し通した手腕に満足した。
さらに時は流れ――
神聖ポメラニアン王国国王バーナードⅢ世、臨終の日。
バーナードは死の床で思う。
中部コーギー地方の灌漑事業。30年前比較で38%は収穫が増したが、まだ安心できる域じゃない。一度災害が起これば余畜などすぐに消し飛ぶ程度。まだ道半ばだ。
それにマルチーズ湾における海賊問題も対処療法だけで根が経ち切れていない。
6の国境線の内、不穏さが増している箇所が2つもある。
どれもこれもまだ途中。時間が足りない。
一代で為しえる解決でなかったとはいえ、やり残したことがあまりにも多い。
バーナードの胸が病より気の病でひずむ。
あれもこれもそれもやるべきことが次から次へと浮かぶ。
今からでも王太子に指示をだしておくべきか。
止めておこう。
世代が変われば時代も変わる。
自分の代と次の代ではやり方も変わってしかるべきだ。
数々の問題も、自分のこれまでの対処も、必要事項はすでに廷臣たちから王太子に伝わっている。
これより国をどう運営していくかは彼らの判断で行うべき事柄だ。
そして、静かにバーナードは逝った。
国を挙げ盛大に国葬が催された。
王の身内は義務感の元に列席し、
多くの国民は心から王の死を嘆き悲しんだ。