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苦手な方はご注意ください。

【BL】ゲームセットのその日まで〜ガキの頃の約束のせいでとんでもない執着男と付き合う羽目になりました〜


「……ゲームオーバーじゃん……」


 頭の上に雷が落ちたかの様な衝撃だった。

 高校二年最後の期末試験結果が配られて、教室全体がざわついている。それでも、こんなにショックを受けているのは俺だけじゃないだろうか。


 俺の机の上には、全教科に「一位」が並ぶ紙切れが一枚と、「二位」が並ぶ紙切れが一枚。

 二位の紙には「的場天(まとばそら)」と俺の名前が書いてある。

 そして、一位の紙には「茶原秀馬(ちゃはらしゅうま)」。

 机の前に涼しい顔をして立ってる美形の名前だ。


 何度見ても、ひっくり返しても、それは変わらない。一位と二位の名前は逆にならない。

 つまり、紛れもない現実だった。


「ゲームオーバーじゃない。ゲームクリアだ」


 別のクラスからわざわざ紙切れを見せにきた茶原は、はっきりと勝利宣言をしてきた。


「約束、守れよ」

「……約束……」


 俺は片手の甲を唇に当てて単語を繰り返す。

 そう、約束。


 何も俺は、一位じゃなかったことにショックを受けてるわけじゃない。そんなことは高校二年ともなれば何回もあったし、一位に固執していたわけでもない。

 ただ、こいつにだけは。茶原にだけは負けるわけにはいかなかったんだ。


「俺の恋人になってくれ」


 ああ、なんて浅はかな約束をしてしまったんだろう。

 子どもの口約束に時効ってものはないものか。

 小学生の頃の自分を呪いながら、俺は頷くことも首を振ることも出来ずに数字が並ぶ紙切れを見つめた。


 俺と茶原は小学校からの同級生だった。

 幼なじみかっていうと、少し違うと思う。

 いつも一緒に遊ぶとか、家がすごく近いとか、親が仲がいいとか、そんなことは全くない。

 同じ小学校で、同じ中学で、同じ高校に通っているだけの「同級生」だ。馴染んでない。


 でも何故か、俺はこいつに告白されたことがある。

 忘れもしない小学六年生の卒業式。

 私立中学に通うことが決まっていた俺は、仲良い奴らと離れ離れになることを惜しんでいた。

 そこに、ほとんど話したことのない茶原が、


「二人で話したい」


 なんて言ってきたんだ。

 のんきな俺は、


「同じ中学行くの、俺だけだもんな。不安なのかも」


 くらいにしか思っていなかった。

 今思えば、人を寄せ付けないオーラを出して、いつも一人で本を読んでる茶原が「中学では知り合いがいないから不安」なんて。

 そんなことあるわけないだろって思うのに、俺はノコノコついて行った。そして、


「お前が好きだ」


 校庭の隅っこの、まだ蕾しかない桜の木の下で、光の強い瞳が俺を射抜いた。

 声変わり前の透き通った声は、五年経った今でも覚えてる。


 普段は人と関わらない子どもが告白なんて、どんなに勇気がいったことだろう。

 どんだけ悩んで、どんな覚悟で言ったんだろう。


 当時の俺はそんなことまで全く考えられず、ただ頭が真っ白になったことを覚えている。

 そしてなんと、口から滑り出た言葉がこれだ。


「俺に成績で勝てたら恋人になってやるよ」


 なんてクソガキなんだ。

 でも、それを聞いた時の茶原の瞳は、さらに煌めいた。


「本当に?」

「そ。楽しいゲームだろ?」


 なんってクソガキなんだ。


「なんっってクソガキなんだ!」


 茶髪に染めたばかりの髪を掻きむしる。そのまま背中を反らして転倒しないギリギリを攻めた。


「自業自得やアホ」

「バカだよね。本当にバカ。勉強のできるバカって的場のためにあるね」


 人が本気で反省してるっていうのに、前の席に座って好き勝手なことを言う友人二人。

 ウルセェ黙れ。俺だって分かってんだ。


 確かに俺は勉強ができる。謙遜はしない。

 子どもの頃から答えがある問題ってのは大得意で、苦労せずとも高得点だった。


 逆に道徳の授業なんかは、てんでダメだった記憶がある。

 戦争がなぜ起こってしまうのか、みたいな話の時に「儲かる人がいるから」って答えたクソガキ俺。あの時の先生の「その話は今してない」の顔は今でも忘れられない。

 さらに言うなら、


「バレンタインって、手作りより買ってくれた方がコスパもタイパも味もよくね?」


 とか恋人に言って、ついこないだ頬っぺたにでっけぇ紅葉を咲かせてたのは俺だ。もちろんフラれた。

 ついつい本音が出ただけで、そうじゃないってのは分かってんだよ。でも黙ってられないんだよ。


 俺は俺が悪い時には自覚がある。相手の反応を見て反省もするし、出来るだけ同じことはしないように気をつけてる。

 しかしながら、だ。茶原の件についてはこちらにも言い分があるんだよ。


「あの時の俺は大パニックだったんだ!」


 理由は三つある。


 まず、相手は男だ。クソガキ時代の俺でも可愛いなって思う子くらいはいた。嫌われてたけど。そしてそれは女子ばっかりで、俺はいわゆる異性愛者だと思う。

 中学生以降に出来た恋人も女子だけだしな。つまり、同性に好意を抱かれるなんて夢にも思ってなかった。


 次に、告白なんて初めてされた。

 俺は幼児の頃から可愛い可愛いと外見を褒められて生きてきたし、勉強もできる賢い子どもだった。でも思ったことをすぐに口に出す性格が災いして、小一から一緒の女子には総スカンくらってた。告白されるなんて夢のまた夢だったわけだ。


 最後に、ほとんど話したことない相手だった。

 他の二つなんてこの事実に比べたらかわいいもんだ。


「こいつ俺の何を知ってて俺のこと好きって言った? 全然仲良くないのに?」


 これがずっと俺の頭を回ってたな。

 想定外がありすぎて、ただでさえ他人の心をうまく理解できない俺は大パニックだったと言うわけだ。


 だからってなんでそんな上から目線だったのかとか。

 なんではっきり断らないでチャンスを与えてしまったのかとか。

 色々疑問はあるけれど、あの時の俺は「拒否はしちゃいけない」と咄嗟に判断したんだ。

 何故かは分からない。俺の本能がそうさせたとしか言えない。


 おかげで茶原は五年間、俺の成績を越すために勉強を続けた。俺はどんどん成績を上げてくる茶原を恐れて、適度に遊びつつ逃げていた。

 高校に入ってからは、ほぼ一位を取り続けるくらい、テスト期間は本気だった。

 それが、高二の最後でついに追い越されたってわけだ。茶原の粘り勝ちという他ない。


 本日何度目かのため息が出る。

 呆れ返る友人たちを前に、俺は今度は机に頭をぶつけた。ゴンっと想像以上に派手な音と共に、鈍い痛みが額を襲う。あ、これは赤くなったあと青くなるやつだ。

 他人事みたいに思いながら、机にキスし続ける俺に、


「無闇に体を傷つけるなよ」


 深くて低い声が降ってきた。

 これがついさっきまで思い出していた、透き通るような美少年ボイスと同じ人間の声帯だというのだから、成長って不思議だ。


 出来れば聞こえなかったフリをしてやり過ごしたい。正直、まだ「恋人」なんてものになる覚悟ができていない。

 でも、


「的場、帰るぞ」


 と、はっきり言われたらどうしようもなくて、俺はそろそろと目線だけを上げる。


 五年で別人のようになったのは声だけじゃない。

 平均的な体格の俺とドングリの背比べみたいだった体はぐんっと大きくなって、周りより一つ頭高い。いつも本ばっかり読んでるくせに肩幅が広くてがっしりしてるし、髪もスッキリと短くてまるでスポーツマンだ。 


 几帳面にワイシャツのボタンは上まできっちり止めて、ネクタイも弛みがない。学生手帳の後ろの方に書いてある「制服の着方」のお手本みたいな奴だ。


 茶髪にして第二ボタンまで開けて、ネクタイユルユルの俺とは正反対だなぁ、なんて、ぼんやり観察をしていると。


「……上目遣いかわいい」


 耳を疑うような言葉が聞こえてきた。

 ウットリとかネットリとか、そんな感じじゃなくて淡々とした響きだったから、言葉のヤバさに気がつくのに一秒くらいかかったぞ。


 一緒に聞いていたであろう友人たちは、顔を見合わせる。そして、サッと立ち上がってそそくさと教室の出口に向かってしまった。

 待ってくれ。さっきまでバカだアホだとうるさかったくせに、なんでこのタイミングで黙って見捨てるんだ。


「お前らせめて茶化してからいけよ!」


 立ち上がった瞬間、ガタンっと椅子が後ろの机に当たる音がした。

 そして聞こえないはずのない俺の必死の声は、ヒラヒラと手を振ってスルーされてしまう。なんて友達甲斐がない奴らだ。


 五年間だ。

 なんでか分からないけど、五年も俺に片思いしてた奴がようやく恋が成就した状態なわけだ。

 そんなのと二人きりになって、俺は大丈夫なのかと自分の身が心配になる。

 俺は少し逃げることを試みることにした。


「恋人って一緒に帰らなくてもいいんだぞ」

「俺は、お前と下校してみたい」


 まぁな。知ってたさ。

 初めて恋人(仮)ができたらそりゃそうか。


 俺からの気持ちが全然なくて申し訳ないけど、がんばらせたのは他ならぬ俺だ。

 お付き合い最長記録が二週間の俺に、どれだけ茶原がもつのか試してみるのも一興。

 こいつが幻滅するまでの間、付き合ってやろうじゃないか。


「そっか。じゃあいくぞ」

「ん」


 そこからは、ただ隣を歩いて、電車に乗るだけ。本当にそれだけだった。

 手を繋ぐこともなく、肩が触れるか触れないかの距離を保って、人が増え始めた夕方の電車に揺られる。

 茶原はずっと黙ってて、何か話しかけてくることはない。

 俺が話しかけても一言二言で終わって会話になりゃしない。

 そのくせ、斜め上からジーッと俺のことを見つめている。


「めっちゃ見てくるな」

「幸せを噛み締めてる」

「そ、そうか」


 やっぱりこいつ、なんか変。

 表情も声の調子も、感情が全く見えない。全然嬉しそうじゃないだろうって思う。

 でも、この俺が言葉に詰まってしまう、言いしれぬ圧は一体なんだろう。


 小学校が同じってことは、当然降りる駅も一緒なわけで。電車に乗ってる間、ずーっと見つめられる居心地の悪い時間が続いた。

 いつも通り駅前のスーパーの前を通って、車がビュンビュン走る大通り抜けたら住宅街で、俺の家の前でさようなら。


「え、終わり?」


 あっさり帰路に着こうとする広い背中に、俺は思わず声を掛けた。茶原はピタリと足を止めると、振り返りながら首を傾げてきた。


「何が?」

「家、寄ってくかと思った」


 俺が量産型この上ない我が家を指差すと、茶原は真顔で手を左右に振った。


「突然家に上がるのはご家族に迷惑だろ」


 五年間粘りに粘って「恋人」の立場を勝ち取ったとは思えない冷静さだ。

 こいつには好きな人と触れ合いたいとか、キスしたいとか、そういう欲は無いのか。

 拍子抜けしたし、警戒心が消え失せた俺はヘラリと笑って片手を上げた。


「そっかそっか。じゃ、またな」

「あ……」

「なんだ?」


 門に手をかけると、やはり何かやり残したことがあるらしい茶原が小さく口を開いた。俺はすかさず先を促す。

 何かしてほしいわけじゃないけど、五年間追いかけられた身としては、何もないと逆に気持ち悪いんだよなぁ。


 茶原はパクパクと口を開閉し、言いにくそうに目線を泳がせる。

 待てない俺はそれが焦ったくて、もう一声かけてやろうと口を開こうとしたけど。


「恋人だから、明日から一緒に登校したい」


 先に、微妙に緊張を感じる茶原の声が聞こえてきた。

 嘘だろう。溜めといて言ったことがそれかよ。


「要望が謙虚すぎる。まぁいいけど。じゃあこれ」


 俺はポケットからスマホを取り出して親指を滑らせた。連絡専用アプリのQRコードを茶原に差し出す。休む時とかに連絡先を知らないと困るからな。


「……」


 別に特別なことでも難しいことでもないも思ったけど、茶原は俺のスマホ画面を見て固まってしまった。ただひたすら凝視するだけで微動だにしない。

 俺の中にある人間の行動パターンと違いすぎて、どうしたらいいのか分からない。


 もしかして、連絡専用アプリを使うほど親しくするつもりがないから困っているのだろうか。

 恋人になっておいてそんなことはないと思うけど、まぁ連絡さえとれればなんでもいい。俺は提案を変えてみることにした。


「SNSのメッセージ機能使ってもいいぞ」

「あれ、メッセージ送っていいのか」

「俺のアカウント知ってるのか? もちろん、いいぞ。知らない仲じゃないんだから」


 スマホを見つめたままで目を見開いた茶原に、俺の方が驚いた。当たり前のことだ。メッセージ機能なんだから。

 でも、茶原は青天の霹靂だとでも言うように自分と俺を指差した。


「俺が、お前に?」

「だからそうだって」

「そう、なのか」


 心なしか目をキラキラさせた茶原は口角を上げる。俺の胸に一瞬、ふわりと温かいものが広がった気がした。


「お前、笑うと優しい顔になるな」


 俺は思わず心の声を口から出してしまう。

 いつも仏頂面で威圧感のある顔で成績表だけ見に来てたから、知らなかった。

 それ以外の時には関わることがなかったし、本当に俺のことが好きなのか疑わしいくらいだったから。

 笑ったのは、どうやら本人は無自覚だったらしい。


「笑ってるか?」


 なんて、目を丸くしている。俺は素直に頷いた。


「うん。今日、初めて嬉しそうな顔した」

「そうか。幸せだからだな」


 今度は目を細めて、完璧に「笑った」顔になる。あまりにも綺麗な笑顔だったから、俺もつられて笑ってしまった。

 すると、笑みを深めた茶原の形の良い唇が動いた。


「かわいい」


 笑顔の美形から繰り出される「かわいい」が、さっき教室で聴いた時よりも俺の心臓にクリーンヒットする。

 かわいいなんて月並みな言葉が、こんなに心を揺さぶられるなんて聞いてない。

 顔に熱が上がってくるのを察した俺は、慌てて顔を俯けた。


「で! どうすんだ! 連絡先、どれにする? すぐ決めないなら交換しねぇ!」

「それは困る」


 荒い口調でなんとか会話を元に戻そうとすると、茶原はすぐに乗ってきた。学校指定のスクールバッグからスマホを取り出して、差し出したままの俺のスマホにかざす。


「今までの恋人にはこのアプリの連絡先を教えてたよな。だからこっちがいい」

「りょーかい」


 連絡専用アプリのQRコードが読み込まれるのを見ながら、俺はやかましい心臓を押さえる。

 落ち着け。ちょっと顔が良いだけの恋人もどきだぞ。今までの恋人ととりあえず同じように接すれば良いんだ。

 と、そこまで考えて俺は顔を上げた。


「なんで、恋人にはこのアプリの連絡先を教えてだって知ってるんだ?」


 スマホを操作していた茶原も視線をこちらに寄越す。何か考えるように視線を上に向け、それからスマホで口元を隠した。


「なんとなくそう思っただけだよ」 


 告白された時と同じ、奥底に強い光を持つ瞳。

 それが茶原の背後で輝く夕陽よりも妙に眩しくて、俺は目を細める。


 好きなやつのことはなんでも分かるとか、そういう感じなのかもな。

 適当に納得した俺は、アプリの友達申請の許可ボタンを押して、今度こそ茶原と手を振り合った。


 その日から「おはよう」「おやすみ」と毎日メッセージが来るようになって、


「あー……これめんどくさいタイプの恋人だ」


 と、ベッドでつぶやいてしまったのは秘密の話だ。


 ◆


 目の前にある大きな窓には道を行き交う人々と、人で賑わう午後のカフェ内の様子がうっすらと映っていた。

 テーブルに頬杖をついている俺と、隣で姿勢よく座っている茶原もガラス窓からこっちを見ている。

 俺は軽快なBGMに合わせて、カウンターチェアでぷらぷらと足を揺らした。

 ギリギリ足が床につかないもんだから、行儀が悪いと分かっててもついついやってしまう。


 今の俺はものすごく茶原に言いたいことがあるんだけど、らしくなくどう切り出したものかと迷っているところだ。カフェのロゴ入りのタンブラーをストローでかき混ぜながら、心の中で唸る。カラコロと音を立てる氷が浮き沈みするのをしばらく見つめて、ようやく意を決した。


「おい」

「どうしたんだ?」


 隣を見もせずに口を開いた俺に、すかさず茶原は反応してくる。


「映画、つまらなかったか? それともそれ、不味いか?」

「スッゲェ面白かったし美味いよ! こんな神カスタマイズ初めて飲んだわ! じゃなくてだな」


 的外れな茶原の言葉に必要以上に声がでかくなった俺は、気持ちを落ち着けるために一度ストローに口をつけた。

 たっぷりの生クリームが混ざり合ったまろやかなコーヒーと、トッピングしたチョコチップの舌触りが絶妙だ。


「一気に飲み干したいくらい美味い……」

「良かった。好きだと思ったんだ。こっちも美味いから飲むか?」


 言いたいことを忘れてうっとりと呟く俺に、茶原は満足気に自分のホット用カップを差し出してきた。

 俺は間接キスとか気にしない。遠慮なくカップの中のミルクティーを口に含むと、これまた温かく蕩けそうな甘みに自然と頬が綻ぶ。


 茶原と恋人になって何度目かのデートだけど、こいつはびっくりするほど俺の好みを把握していた。交換した食べ物も飲み物も、全部俺が好きな味がするんだ。


「好みが似てるんだな」


 なんて、茶原は言っているけれど。本当かどうか怪しいもんだよな。


 そう、俺と茶原は休日デート中。

 なんとお付き合い最長記録を更新して、一ヶ月目に突入した記念日だ。

 記念日と言っても特別なことをする予定はない。ずっと見たかったアクション映画を見て、今はチェーン店のカフェで休憩中だった。


 そして俺は、今日のデートで確信したことがある。

 薄々と感じていたことだったが、このカフェに入ってやっぱりなと思った。

 甘いドリンクに舌鼓を打つ俺を柔らかい目で見つめていた茶原にカップを戻す。そして、ズイっと体を寄せた。


「なんか、今までの彼女と行ったデートのやり直しさせられてる気分なんだが!?」


 俺は周りに聞こえないようにヒソヒソ声で、でも責めるように語気を強める。

 本当に、言葉の通りだった。


 最初のデートはショッピングモール、次がゲームセンター、カラオケ、ボーリング、水族館、そして映画館。それに伴い訪れた飲食店などなど、全部覚えがある場所だった。


「デート内容が被るのはともかく、店舗まで一緒なのは流石に違和感なんだよ!」

「一緒じゃないと意味ないからな」

「どういうことだよ」


 茶原はなんでもないことのような顔でカップに口をつける。こいつも本当に間接キス気にしないよなぁとか、現実逃避なことを考えながら俺は言葉を待った。


「お前が次にこの場所に来た時に、俺以外を思い出さないように上塗りしてるんだよ」

「言い方が気持ち悪い」


 結局、俺は歯に衣着せぬ物言いしか出来ない人間だった。茶原が何を言っても動じないどころか嬉しそうなのもあって、安心して言いたいことを言ってしまう。

 今も、何が面白いのか、形の良い薄い唇が弧を描いている。


 はーっと俺はデカいため息がでた。

 追及したところで、茶原は逃げも隠れもせず本当のことを答えてきて、俺が気味悪い思いをするだけな気がする。


 実際、この一か月はそうだった。

 でも、気になったらどうしても聞いてしまうタチの俺はどんどん自分から墓穴を掘ってしまう。


「だいたい、なんで全部知ってんだよ」

「SNS見てたからな」

「こんなに全部投稿した覚えはない」

「彼女たちは何を食べたかまで詳しく見せてくれてたぞ。便利だなSNS」


 ほら出た。

 こいつはこの五年間、テストの成績に挑んでくるだけのやつだったわけではないらしい。俺の情報を得るために、とにかく調べて回っている。

 彼女たちのSNSまで見るか普通。


 恐怖を感じても良いくらいだと思うけど、不思議と嫌悪感はない。でも一応釘は刺しておこうと、俺はジトっと茶原を睨んだ。


「ネットストーカーって知ってるか?」

「好きなやつの行ったとこ見て、一緒に行きたいって妄想するくらい許せよ」

「ぬぅ」


 悪びれなく答えられると、「そうかもしれない」と思ってしまう。

 別に俺は茶原に危害を加えられたわけでもないし。付き合い始めてからは俺のことに俺より詳しい茶原が全部合わせて甘やかしてくるから、これに慣れたらヤバいなって思うくらいだ。

 こんなに尽くしてくれる恋人、普通はいない。それくらいは俺にもわかる。


 モゴモゴと何も言い返せないから、俺はストローを咥えて時間稼ぎをしようとした。

 そんなカッコ悪い俺ですら、茶原は愛しくてたまらないって目で見てきていてむず痒い。


「おかげでお前の好きな物や場所が分かって楽しかった」


 そんな風に優しく言われたら、どうしても心臓が大きく波打つ。俺はなんとかトキメキを誤魔化したくて、ストローの端っこを噛む。

 濡れてふやけてきた紙が破れて気持ち悪い。


 仕方ないから口を離して、ほとんど飲み物の残ってないタンブラー内をカラコロとかき混ぜる作業に戻った。


「俺が好きな場所じゃなくて、彼女が行きたい場所だったけどな」

「でも、嫌な場所なら的場は行かない」

「ぐぬ」


 図星だった。恋人たちが提案した中で、興味ない場所はあっさり却下してた。フラれる原因の一つだったかもしれない。

 茶原はそれを全部分かってるんだ。

 ここは、俺も相手の意見をちゃんと聞ける男だって見せてやらねぇと。

 俺はフーッと息を吐いて茶原の方へ体ごと向ける。


「じゃあお前が本当に行きたいところ言えよ。どこでも付き合ってやる」


 目を丸くした茶原はカップを置いて黙った。

 まるで宇宙人を見たみたいな顔をしてるけど、こいつの中の俺は一体どんな人間なんだ。

 本当に俺のこと好きなのか?


「お前と一緒ならどこでも楽しい」


 ようやく出てきたのは、よく聞く、ありふれた言葉だった。相手に責任を押し付ける都合の良い言葉だ。


 でも、茶原が言うと説得力があって俺は俯く。顔が熱くなってきたから、赤くなってると思う。

 付き合うまでの茶原の努力、付き合ってからの茶原の言動、俺への尽くしっぷり。


 全部が「茶原は本気だ」って教えてくれる。


「口説くなバカ」

「なんでだ? 恋人にはなったけど、的場は俺のことなんとも思ってないんだ。ちゃんと好きになってもらいたい」


 今まではメッセージもコメントも送らず、こそこそSNS見てたくせに。告白してきた時と成績を確認しにくる時以外は声もかけてこなかったくせに。

 恋人になったら恥ずかしげもなく直球でガンガン迫ってくる。


 茶原が真面目を極めてて良かった。

 俺の提案を律儀に守るやつでなければ、とっくに陥落させられていただろう。

 俺は自分が「真っ直ぐに来られるのに弱い」ことを初めて知った。

 

 気持ちが揺れるのが恥ずかしくて、照れ臭くて。

 珍しく自分の気持ちをそのまま口にすることができなかった。


「次はそういうゲームか? じゃあSNSは攻略本だな」

「ゲームじゃない。俺は本気だ」


 あくまでも茶原は真っ直ぐだ。凛々しい眉毛をギュッと寄せて、俺の軽口を訂正してくる。

 ゲームクリアとか言って乗ってきてたから冗談は通じるんだろうけど、息苦しいくらい愛を押し付けてくる。


 俺はヒョイっと茶原のカップを取り上げる。許可もなく飲んでも咎めることも嫌な顔をすることもない茶原に、今更すぎることを聞いてみることにした。


「お前さぁ、なんで俺のことそんなに好きなんだよ」

「一目惚れ」

「……っ、そんだけ?」


 即答されて変なところに甘いミルクティーが入ってしまう。

 俺は顔は良い方だと自覚はあるけど、人のもの勝手に飲んでも許されるほど絶世の美男子じゃない。

 咽せている俺の背中を柔らかくさすりながら、茶原は指折り数え始めた。


「後は、小学校一年のときに消しゴム貸してくれたのと、二人組作れなくて困ってる時に声掛けてくれたのと、二年の時の休み時間に外遊びしようって声かけてくれたのと、三年の時に俺が読んでる本見て『面白そう』って」

「待て待て待て」

「……?」


 どんどん俺との思い出らしきものを挙げ連ねる茶原の口を、思わず片手で押さえる。

 咽せている場合じゃない。

 今度は俺が宇宙人を見つけた人間の顔になる番だった。


 茶原を黙らせたまま深呼吸する。なんとか呼吸を整え、改めて揺るぎない瞳を見つめ返した。


「そ、そんなこと?」


 首を傾げて問いかけると、指の長い大きな手が俺の手首を掴んだ。促されるままに口から手を退けたら、茶原はそのまま俺の手に頬擦りしてくる。


「いつもお前はキラキラ笑ってて、俺には高嶺の花だった。せめてお前と同じ中学に行きたいと思って、勉強頑張ったのもいい思い出だな」


 手のひらから茶原の頬の熱が伝わってきて、俺の腕に伝染していく。声を出すたびに指先に触れる息から逃げようとするけど、しっかり掴まれた手は動かせない。

 俺が焦ってるのなんか分かってるはずなのに、茶原は気にせず言葉を続けた。


「フラれても少しは意識してくれるかなってダメ元で告白したけど……チャンスをくれた時は嬉しかった」

「チャンス……っていうか……」


 クソガキの咄嗟の提案を、そんな風に思ってたのか。

 うっとりと俺の手を撫でて語るものだから、おれは何も言えなくなってしまう。こいつといると、浮かんでいるはずの言葉が消えていく。


「何があってもお前を恋人にするって決めたよ」

「う、あ……えっと……」


 カフェ内のBGMが遠い。人のざわめきも耳に入ってこない。

 今までポンポンポンポン口から発していた「言葉」の重みが、ずっしりとのしかかってくる。

 俺は唾を飲み込み、木製のテーブルに置いた手を無意識に握りしめた。


「お前の人生、俺が変えちゃってるじゃん」

「そうだよ。俺の人生、お前で出来てる」


 茶原の声は響くように深くて、どこまでも染み渡るように優しい。

 震える拳に温かい手が重なって、ゆったりと撫でられた。

 そういえばこの1ヶ月、手も繋いだことなかったのに。茶原はこんなに自然に、俺に触れてこれるのか。


 俺はその後、何を話したのか分からない。

 ただ、問答無用で飲み干したミルクティーが喉が焼けるほど甘かったことだけは、ずっと忘れないだろう。


 ◆


 担任の先生が教室を出て行った瞬間、ガタガタと椅子が鳴り机が動き、クラス中が喧しくなった。間違って音付きの広告を押してしまったみたいな唐突さだ。


 でも仕方がない。今日は二年生最後の日で、終業式の日だ。明日から春休みの上、昼飯前に帰れる。浮き足立つなって方が難しい。

 かく言う俺も、ものすごい開放感だ。座ったまま、思いっきり手を伸ばす。


「終わった終わったー」

「遊びにいこうよ! 何食べる?」

「ハンバーガーがええなぁ。あ、でも的場は彼氏と帰るんちゃう?」


 例に漏れずにこやかな表情の友達二人が俺の席に集まってきた。


「んー……どうすっかな」


 茶原のことを聞かれた俺は、立ち上がりながら唸る。悩ましい。

 茶原は何もかも俺に合わせてくれて、一緒にいるのは楽しいし楽だ。でも、あいつと付き合いだしてから友達付き合いが出来なくなってる。

 こいつらと久々に飯に行きたいなって気持ちもあった。


 珍しく即答しない俺に、友人が肩を組んでわざとらしい甘えだ声を出してくる。


「ずっと彼氏と一緒だと飽きられちゃうってぇ! 今日は僕たちに付き合ってよぉ」

「あいつが飽きるわけないだろ」

「うわ、すごい自信」


 バッサリ切り捨てた俺の耳元で引き気味の声がする。目の前にいるもう一人の友達も目を瞬かせた。

 なんだよ。そんなに驚くことか?


「だってあいつは五年も俺のこと好きだったんだぞ」


 長年の恋がようやく叶ったのに、すぐに飽きるなんて考えられない。俺は本気でそう思ってだけど、友達二人は顔を見合わせる。

 こいつら、俺が茶原と付き合いだしてからこういう顔をすることが多くなったな。この二人にとって、俺たちは何か変なのだろうか。


 かと思えば、二人の顔が急に深刻になった。声色を暗くして、わざわざ声をひそめて俺に額を寄せてくる。


「逆に五年好きだったから……ちょっと付き合ったら飽きるかもじゃない?」

「もうゲームクリアしとるしな。すぐ燃え尽きるかもしれへん」

「……ゲーム、クリア……」


 二人の発言は目から鱗だった。

 驚きすぎたらしい。俺は机の上にあった手提げ鞄を持ち損ねて床に落としてしまう。ガヤガヤと騒がしい教室で、パスっと重量感のない音が虚しく鳴った。でもそんな音は、嫌な音を立て始めた俺の心臓の音に比べたら無音に等しい。


『ゲームクリアだ』


 淡々とした声で、しかし爛々とした目で告げてきた茶原を思い出す。

 クリアしたゲームを、ずっと続けることがあるだろうか。普通、すぐ飽きるよな。ボーナスステージでもなければ、俺はもうプレイしない。

 目の前の景色がぐるぐる回る気がして、俺は机に手をついた。


「ま、的場? 冗談だからね? そんな悲しい顔しないで」

「してねぇよ」


 本気で心配したような慌てた声と共に肩を叩かれて、俺はハッとした。反射的に出た声は、自分でもちょっと震えてた気がする。

 悲しい顔なんてしたつもりはないけど、全く説得力がない。

 続いて、もう一人の友達は独特のイントネーションで笑いながらポンっと手を叩いた。


「ほら、あれやん。ネットストーカーするレベルの愛やからな! そう簡単に飽きへんって!」

「だから心配してねぇし! そもそも俺は別に」


 あいつのこと、好きじゃない。約束だから付き合ってるだけだ。

 そう言おうと思って、口を閉じる。

 どうしてそんなにムキになって否定してるんだ。違うなら、「バカじゃねぇの」って笑い飛ばせばいいんじゃないのか。


 ゲームクリア? 飽きられる?


 上等だろ。テストの度に追い越される心配もしなくて良くなるし、毎日毎日やってくる、


「おはよう」

「おやすみ」


 って、する意味があるのか分からないメッセージに返信しなくて済むんだ。 


(……ちゃんと俺が毎日返信すんの、初めてだな)


 今までは面倒だと思ったら返信しなかったのに。

 五年追いかけさせたしな、という義務感からの日課だったけど。そういえば、今はあいつの「おやすみ」が来そうな時間にスマホみちゃうな。


 どうしてだろう。


 頭の中でどんどん思考が飛んでいく。手の甲を唇に当てて固まっている俺は、相当悲壮な顔になっていたらしい。目の前にいる二人が、「ごめん」「大丈夫」そんなことを言って慌てているのだけは感じていた。


「あ! 茶原だ! 的場! きた! きたよ!」

「おー! 来た来た! ほら大丈夫やって! 冗談や言うたやろ?」


 二人の異様にデカい声を聞いた瞬間、俺は弾かれたように顔を上げた。教室の入り口には、妙に歓迎されて怪訝な顔をしている茶原がいる。

 いつも通り姿勢良くこちらに歩いてくる茶原を見て、俺は心底ほっとした。体や顔から力が抜けていく。


 机も椅子も他の生徒も、背景ですらないというように、茶原は真っ直ぐ俺の方だけ見てる。俺はそれを眺めながら黙って立ち尽くしてるだけだ。

 目の前まで来た茶原は、覇気が全くないであろう俺の顔を覗き込んできた。


「的場、どうかしたのか?」

「あのね、茶原。実は」

「今日はこいつらと寄り道するから、先に帰ってくれ」


 現状を説明しようとしたらしい友達の言葉を遮って、俺は自分でも驚くほど早口で茶原に言い放った。


「……」


 言葉を受けた茶原は、無表情な上に無言になって、何を考えてるのかさっぱり分からない。

 反対に友達二人は「何を言い出したんだこいつ」って顔に書いてある。

 三人に見つめられる俺ですら、なんでそんなことを言ったのか謎だ。口が勝手に動いたとしか言いようがなかった。


 恋人になってから毎日「帰るぞ」と迎えにきていた茶原は、秒針が一周するより少し短い時間考えていた。

 そしてなんと、小さく首を振る。

 縦に、だ。縦に、首を振った。つまり頷いた。承知したんだ。


「分かった」

「え?」

「先に帰ってる」

「あ……ああ」


 驚くほどあっさりと俺に背を向けて行ってしまう。俺は「待ってくれ」と伸ばしそうになった手を握りしめた。

 ここで俺はようやく、


「ダメだ。一緒に帰る」


 って言われるのを期待してあんなことを言ったんだって気がついた。俺の性格をよく知ってる茶原はそれに気付いてて、追いかけてくるのを待っているのかもしれない。


「そうだ……今ってボーナスステージなんだ」


 ポロリと声が出た。それは周りの喧騒の中に紛れて、近くで心配そうな顔をした二人にしか届かない。

 俺は二人を振り返り、両腕で二つの肩を抱えた。三人で、再び額を突き合わせる格好になる。


「うわ!」

「なんや!?」

「俺、気付いたぞ」


 あいつは俺の恋人になった。その後、俺があいつのことを好きになるまでのボーナスステージ。

 きっと、俺があいつに惚れたら本格的なゲームセットだ。


 それを回避するには、あいつを本気で好きになっちゃいけない。どんなに優しくされても、居心地が良くても、好きになったらあいつは俺に飽きるんだ。


「だから、俺、絶対あいつのこと好きにならない。今度は負けねぇ」


 力いっぱい言い切った俺を、二人は唖然と見てくる。そして、もう何回目になるのか分からない「顔を見合わせる」をした。


「お前ら、その顔なんなんだ」

「いやーだってそれさぁ。そんなこと考える時点でさぁ」

「もう負けとるやん」


 そんなバカな。

 頭の中に宇宙が広がっていった俺は「今のお前の気持ちはな」と、友達二人にハンバーガーを食いながら懇々と説明されたのだった。


 ◆


 昼飯を食い終わっても説教のような講義のような恋心談義が終わらなかったせいで、帰れたのは世界がオレンジ色に染まる頃だった。


(俺は茶原のことが好き……びっくりだ)


 何度も「お前の気持ちこそ恋やで!」って繰り返されたけど、いまいち実感が湧かない。


 頭を掻きむしって叫び出したいくらい胸がむずむずするけど、流石に平和な住宅街でそれをやったら警察か救急車を呼ばれてしまう。

 部屋のベッドの上で転がるぐらいで我慢しようって決めて足を早める。


 そして最後の角を曲がった時、風呂に浸かったみたいな心地よさが全身を包んだ。

 家の塀にもたれ掛かってスマホをいじってるやつを発見したんだ。あのスタイルの良さ、顔を確認しなくてもわかる。


 俺はズボンのポケットに入れたスマホが短く振動するのを無視して、まだ制服を着てるそいつに声を掛けた。

 口元が緩むのを我慢できなくて、きっと間抜けな顔をしてる。


「茶原、いつからいたんだ」

「……さっきから」


 俺の声に反応して勢いよく顔を上げたくせに、澄ました顔で静かに答えてくる。


 茶原のさっきって、多分数時間前だ。

 午後の間ずっと届いていた「今どこにいる?」ってメッセージ。初めの二回は一時間待ててたのに、感覚が三〇分になり二〇分になり。帰りの電車の中では五分ごとになっていた。

 最後に来たのは二分前。そしてついさっきのスマホの振動。五分も待てなくなってんじゃねぇか。


 返事をしてやったら安心して送ってこなくなっただろうに、どんどん感覚が狭くなるのがなんだか嬉しくなっちまってさ。そのまま放置してしまった俺は、友人たちに言われた通り感覚がおかしいんだろう。


 俺が門を開けてさっさと家に入ろうとしても、茶原は全然止める気配がない。


 もっと話したいなら言えよ。

 もう少し一緒にいたいって言えよ。

 ちゃんと言わないと帰っちまうぞ。


 色んな言葉が頭を埋め尽くすけど、俺は午後の間ずっと「会話してる人の心」とやらを教えてもらったんだ。

 それって俺がやりたいことだろってな。

 だから俺は、自分からちゃんと誘うことにした。

 緊張で滲んだ汗を拭うために手を口元にやり、一回だけ、静かに深呼吸する。


「……入れよ」


 門を全開にして、家の中を指差す。力が入りすぎて華奢な門が軋む音がしたけど、ご愛嬌。

 目が見れないのも、今は許してくれ。


 俺としては勇気を出したのに、茶原は足に根っこでも生えてるのかってくらい動かない。


「急だから。顔見れたし帰る」

「俺と一緒に居たくねぇの?」


 あ、間違えた。

 引き留めたかったのに、まーた上から目線で言ってしまった。俺が一緒に居たいんだって伝えないと、愛想を尽かされるって言われたんだった。

 そう思い出して、言い直そうとしたけど、


「一生一緒に居たい」


 想定より重い返答があって、やっぱり心配する必要ないんじゃないかなと気持ちが緩んでしまう。


 結局、頑なに家には入らなかったから公園に向かうことにした。住宅街だからゆっくり話せる場所が公園くらいしかないんだよなぁ。

 今から街に出るのも億劫だから仕方ない。


 小さくてベンチしかない公園だから二人になれるだろうし、自販機があるからあったかい飲み物が買える。俺たちにはそれだけで充分だ。


 オレンジ色がほとんどなくなって、薄暗くなった住宅街の隅っこの公園。

 やっぱり誰も居なくて、俺は遠慮なく軽いカバンをベンチに投げた。

 俺が喋らないと、茶原も喋らない。道中何も言わずについてきた茶原は、すぐに自販機の前に立った。


 ずっと俺のことを待ってたから喉が渇いたのかなって見てたら、茶原は迷いなくポンポンと二つのボタンを押す。

 あったかーい、のココアとアップルティー。

 この自販機の中なら、俺がどっちにしようか迷っただろう二つだ。

 当たり前の顔をして、


「どっちがいい?」


 なんて聞いてくる茶原は、本当は何が好きなんだろう。

 聞きたい気はするけど、俺が見つけたい気もする。俺も、「お前はこれが好きだろ」って言ってやりたい。

 そのためにも俺は茶原と色々話して、お前のこと知っていかないといけないんだ。


 ココアの方を受け取った俺は、礼を言ってから口を開いた。


「あの、さ。お前っていつまで俺のこと好きなの」

「……どういうことだ?」


 本当にどういうことだよ。

 俺はキョトンとした茶原の顔を見て、自分の会話の下手さにガッカリする。じんわりと手に広がっていく熱を握りしめる。アルミが手の中でギチギチなった。


 一番気になることを、なんの前振りもなく聞いてしまった。しかも、これは聞いたら台無しなことくらいは俺にでも分かる。

 なんとか挽回しようと、俺は必死で言葉を繋ぐ。


「俺、今まで付き合えた期間が短いからさ。お前なら知ってるかもだけど最長でも」

「お前が一番長く付き合ってた恋人が十三日と十七時間三十八分だったことは知ってる」

「俺は今初めて知ったよそんな細かいこと」


 こっちは真剣に話そうとしてるのに、茶原は大真面目にギャグみたいな情報を捩じ込んでくる。告白されたところと振られるところ、両方見られてたんだろうか。

 でもそんなことでは驚かなくなってしまった俺は、気を取り直して言いたいことをまとめようとしたんだけど。


「ちなみに最短は一日と」

「言わなくていいから!」


 思いっきり頭を引っ叩いてしまった。ベチっと中身が詰まったものの音がする。遠慮なくいったから手がジーンと痺れるし痛い。


 なかなか話を進めさせてくれないのはわざなんじゃないかと疑ってしまう。

 表情の乏しい茶原が患部を抑えて顰めっ面になっているのを見下ろし、俺は咳払いをした。


「……だから、その……お前はいつくらいまでもつのかなって」


 すっかり真っ暗になった景色の中で、一つしかないライトがぼんやりと茶原を照らす。表情が見えにくくて膝が触れ合うくらいまで距離を詰めると、少しだけ茶原の肩が揺れた。

 光の強い真っ直ぐな瞳から逃げずに見つめ返すと、


「日本人男性の平均寿命知ってるか?」

「小数点以下切り捨てで八十一才」


 唐突すぎる質問が落ちてくる。それがなんの関係があるんだって思う前に即答してしまった俺も俺だけど。

 太陽が落ちて冷たくなった風に髪を乱されながら、茶原は満足そうに頷いた。


「当たり。病気や事故がなければだいたいそのくらいまで俺はお前といる。医療が進めばもっとかもな」


 バクンッと心臓が跳ねる。風の音とか、葉っぱのざわざわ音とか、車の音とか全部消えた。

 こいつと話していると、脳みそがバグる。


 すごく、なんかすごいことを言われた気がするぞ。こんな、普通のテンションでいうことじゃない。まるで、プロポーズだ。


「なんで、お前はそんなに迷いがないんだ?」


 俺は、自分の気持ちさえよく分からないのに。


「俺の人生、お前で出来てるって言っただろ」


 飲み物を握っていた温かい手が、俺の頬を挟み込む。そこからどんどん熱が広がって、俺は火照った顔を隠したいのにさせてくれない。離れようとしても、茶原の目に縫い止められたように動けない。

 茶原しか、見ることが出来なくなった。


「一生離さない。絶対に、お前にも俺を好きになってもらう」

「……っ」


 呼吸がうまく出来なくて、唇が無意味に動く。短い息を繰り返してたら、茶原が俺の片手を持ち上げて俺の口に当てる。それだけで不思議と落ち着いて、深呼吸することが出来た。


 そうだ。俺は緊張してるとき、いつも手の甲が唇に触れている。茶原はそんなことまで知ってるんだ。

 酸素が回った脳が働き始めて、俺はようやく口を動かした。


「お、俺がお前を好きになったらゲームオーバーとか、なんねぇの?」


 結局、気になることは全部聞いてしまう。

 俺はどうしても駆け引きなんてできないし、疑問に思ったらすぐ解決しないと気持ち悪い。

 茶原は眉を寄せて、心底心外だって声色になった。


「舐めるな。俺が今までなんのために頑張ってたと思うんだ。人生のゲームセットまで一緒にいてもらうためだろ」

「はは、ゲームじゃないんだろ」

「お前が言い出したくせに」


 激重な感情をぶつけられて、俺は唇が緩んでしまう。安心しきった俺の軽口に、茶原は唇をへの字に曲げて納得いかなそうな顔をした。

 そういう表情を見ても、こいつは本気なんだなって思えて嬉しかった。俺に話を合わせて、本気で本気なことを伝えようとしてくれてる。


 俺は手を翻して、茶原の指に指を絡めた。ギュッと握ると、一瞬だけ固まって遠慮がちに握り返してくる。


「俺、自分勝手だし。お前の気持ち考えたり出来ないから……幻滅しても知らないからな」


 今までの恋人にも同じ忠告をしてきた。

 みんな、そんなの大丈夫って言うんだよ。大丈夫じゃないくせに。

 深刻な忠告だと思うのに、茶原ときたら鼻で笑いやがった。


「どれだけお前のこと見てたと思ってるんだ。俺のことなんて考えないで好きにしてくれ」


 物好きめ。


「もうちょいわがまま言わないのか」

「お前が俺から離れられなくなったら言う」

「ほんとに、謙虚なんだか傲慢なんだか……」


 グイグイ来て俺の時間をどんどん奪おうとするくせに、俺に触れることは本当に少ない。手を繋いで道を歩くなんてこともしたことがない。

 元々、そういう欲は少ないんだろうか。


 そう頭をよぎったとき、我慢の効かない俺の頭の中で「一つの欲」がムクムクと育っていく。

 俺は手を握りしめたまま、イタズラをする時みたいに目を細めた。


「……あのさ、お前としてみたいことが一個あんだけど」

「なんでも言ってくれ」

「じゃ、目ぇつぶれ」

「こうか?」


 一ミリも疑う素振りを見せず、怪訝な顔ひとつせず、茶原はきっちり瞼をおろした。長いまつ毛が目元に影を落とすのが、薄暗い中でも分かる。

 俺は自分よりがっしりとした体に音を立てないようにしながら近づいていく。顔を寄せると、呼吸同士が触れ合う距離になる。


「そう。そのまま」

「なに……っ!?」


 唇と唇がちょこんと触れる。

 もう少しちゃんとするつもりだったのに、俺にはこれが精一杯だった。唇の柔らかさとか、キスの味とか、感じられるレベルのものじゃない。

 それなのに、あたかも大きなことを成し遂げたかのように胸を張った。


「ずっと好きでいてくれたボーナス。ファーストキスくらいはくれてやる」


 また上から目線になってしまった。茶原が甘やかすから、俺は一生こんな感じなのかもしれない。


 流石の茶原も、知らないだろう。恋人たちとの付き合いが短かすぎて、俺がキスすら一回も出来てなかったなんて。


 頭がクラクラするくらい顔が熱いけど、暗いから赤くなってるなんて分からないだろってドヤ顔で茶原を見る。意外とはっきりどんな表情をしているか見える。ということは、俺の表情も茶原にはバレているんだろう。


 周りの家の安眠を邪魔しない程度の仄かな光の下で、浮かび上がっている端正な顔は真っ赤に染まっていた。


「お前でもそんな顔すんだな。かわいいとこあるじゃねぇか」

「……ぅ、ぁ……」


 うめき声みたいなのを上げて口をパクパクしながら唇を指で触っている。喋り方が分からない妖怪みたいだ。

 こんなに狼狽えてるところは初めて見た。恋人になってから押され気味だった俺はとても気分がいい。


「じゃあ、ゲームセットまでよろしくな」


 調子に乗って、俺は声を弾ませる。

 満面の笑みで茶原の混乱した顔を覗き込んだ時だった。

 長い腕に体を包まれ、強い力で制服の胸に押し付けられる。


 茶原に抱きしめられた。


 そう気づいた時にはもう一度唇が重なって、息が止まりそうになる。何も出来ないまま、俺の頭は真っ白になった。

 ああ。さてはこいつ、いーっぱい我慢してるな。



 

 おしまい


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