ぼくとおじいさんと海―海なし県に住んでいる、ぼくとおじいさんの冒険
内陸高原地帯で二人だけで暮らす、おじいさんとぼくのファンタジー。一度も『海』を見たことがなかったぼくに、おじいさんが見せてくれた『海』とは?
ぼくは高原地帯の小さな森で、おじいさんと二人で暮らしている。
森全体はおじいさんの持っている土地だ。中には小川が流れている。
おじいさんの家は、森の真ん中にぽっかりとあいた場所にある。
おじいさんが自分で建てた平屋のログハウス。
暖房用のまきストーブは一年中使っている。夏も朝は冷えるからだ。
電気は小川に作った水力発電所を使っている。といっても、全部まかなえるわけじゃないので、大金はたいて電線を引いたらしい。
森の木はいつも、切っては植えてをくりかえしている。たいていはナラの木やシラカバ、カラマツ、イチイだ。
木の下や庭には、お茶にしているクマザサやヨモギ、ゲンノショウコなんかがびっしりと生えている。
食べることができるフキもたくさん生えている。フキは毎年領土を増やしている。
ただ、夏から秋にかけて生えてくるキノコは、食べてはいけないと言われている。
庭には広い畑があって、いろいろなものを育てている。肉や魚はたまにおじいさんが捕ってくる。
けれどもそれだけでは生きていけないので、10日に一回くらい、おじいさんは町に出て買い物をしてくる。
何回かぼくもいっしょに町へ行ったことがある。そのときは、ソフトクリームやソーセージを買ってもらって食べたっけ。
外で食べるものは、どうしてあんなにおいしいんだろう。
物心ついたときから、ぼくの家族はおじいさんだけ。お父さんとお母さんはいない。
ぼくと同じくらいの子供が行くという保育園へは、行ったことがない。
本を読んだり、文字や絵をかいたり、ものを数えたり、なにかを作ったりすることは、みんなおじいさんから教わっている。
ぼくが6歳になったくらいの夏、おじいさんから、この世界には『海』という場所があることを教えてもらった。
山や川、湖や用水路は近くにあるから知っている。でも、『海』とはどういう場所なのか。
ぼくはおじいさんにおねだりした。
「ぼく、海へ行ってみたい」
おじいさんは驚いてぼくを見たあと、目を細めて静かに言った。
「わかった、来週、連れて行ってあげよう」
とうとうその日がやってきた。『海』へ行くんだ。
どんな場所なんだろう、何があるんだろう、どのくらい離れているんだろう。
ぼくはその日までわくわくが止まらなくて、ちょっと寝不足になった。
半そでシャツに半ズボン、水やおやつやタオル、着替えを入れた、熊除けの鈴付きのリュックを背負って、
さあ、出発。
朝焼けを見ながら食べた、いつもより早い朝食のあと、小さな森から歩いて1時間、駅からおもちゃのように小さい、二両編成の電車に乗って2時間、大きな電車に乗り換えて30分。
電車の外の景色が、暗い森から明るい森へ、広大なキャベツ畑から水田に変わる。
そして、おじいさんとぼくは、とある駅に到着した。
切符を駅員さんに渡し、改札口から外に出て駅前に立った。
ここから、ゆるやかな下り坂の大通りになっていた。
おじいさんはぼくの手をきつくにぎりしめて、歩道をゆっくり、散策するように歩き出した。
しばらく歩くと、色とりどりの、見たことのないものを売っている小さなお店に入った。
「これをくれ」
おじいさんが買ったものは『浮き輪』と言って、海で遊ぶためのものだという。
「くつを変えよう」
おじいさんはぼくに、ゴムぞうりをはかせた。
そのあと、甘いにおいのするお店に入った。
「ソフトクリーム二つ」
おじいさんは、ぼくの大好きなソフトクリームを買ってくれた。
片手でぺろぺろ食べながら、もう片手でおじいさんの手をにぎりながら、慣れないゴムぞうりでぺたぺた歩道を下る。
ゆるやかな坂の下に、湖よりも大きなものが見えた。
「おじいさん、もしかしたらあの大きなのが海?」
「そうだ」
「ひゃ~~~~っ!」
ぼくはおじいさんの手をはなして、浮かれまくって走り出した。今までにない感動がわき上がった。
あんなものが、この世界にあったなんて!
「待て」
肩をつかまれ、ぼくはおじいさんに、がくっと引き戻された。
「走るとあぶない」
海にたどり着いたぼくとおじいさんは、さっそく服を脱ぎ、おじいさんから渡された海水パンツをはいた。まわりには、大きなパラソルを立て、長い椅子に寝そべっている人がたくさんいた。砂の上を走りまわっている子供もいた。
「とりあえず、ここでゆっくりしよう」
と言って、おじいさんは砂の上にビニールシートを敷いた。
おじいさんはそう言ったけれど、でもぼくは海に入りたかったから、ぴょんと飛び出して海へ向かって走った。
「ちょっと待て」
ぼくはまたおじいさんに引き止められた。
「準備運動をしてからだ」
「はーい」
おじいさんのまねをして、てきとうに体を動かして、ゴムぞうりを脱いで、いざ海へ!
ぼくは体にすっぽりと浮き輪を付けられ、ズボンをひざの上までたくし上げたおじいさんに引かれて、足からそろりそろりと水に入った。
冷たい。
「うひゃっ、冷たい!」とぼくが言うと、
「そうさな」
と、おじいさんが顔をくしゃくしゃにつぶして、面白そうに笑った。
パシャパシャと、浮き輪ごとおじいさんに引っ張られ、海の中に浮いた。水が冷たくて、身体がブルブルふるえた。でも、しばらくすると水の冷たさに慣れてきた。
ふわ~~~、なんて気持ちいいんだろう。温泉に行ったことはあるけれど、ここは大浴場なんてもんじゃない。水は冷たいけれど、どこまでも水が広がっていて、どこまでもふわふわ浮いてられる。
「そろそろひと休みしようか」
と、おじいさんは言うけれど、ぼくはもっと浮いていたい。
「まだ遊ぶ!」
おじいさんは仕方なさそうに笑って、浮き輪にはまったぼくを引っ張ってくれた。
休んだのは、「しばらく水から上がってください」というアナウンスが流れたときだけ。
昼になると、おじいさんとぼくは、後ろにある店で買ったやきそばを食べて、シュワッとしてのどがしびれる冷たい飲み物を飲んだ。
シュワッとした飲み物を飲むと、ぼくの頭がふるっとふるえた。それを見たおじいさんがまた笑っていた。
ふだんそんなに笑わないおじいさんが、今日はたくさん笑っている。
午後も浮き輪を付けてパシャパシャ遊んだけれど、なんだかちょっと疲れてきた。朝早かったし、はしゃぎすぎたかな。
「それじゃあ、そろそろ帰ろうか」
「うん」
ぼくはおとなしくおじいさんの言うことを聞いて、タオルで体をふいてから着替え、後片付けをして海をあとにした。
「また連れてきてくれる?」
「そうさな」
おじいさんが笑った。
それから何年かして、やっとぼくは、おじいさんと行った『海』がどこだったのかわかった。
それは海ではなく、巨大な湖だった。ぼくたちが住んでいる小さな森から海へ行くには、まる一日かかるらしい。少なくとも二泊しないと海で遊ぶことはできない。
だからおじいさんは、小さなぼくに、大きな湖を『海』だと言って連れて行ってくれたんだろう。
(おじいさん、ありがとう)
海なし県民の悲哀です。
『マルロと森の仲間たち』(仮)という長編ファンタジーの短編スピンオフです。この短編は舞台を日本の海なし県にしてあります。
AIイラストアップロードしました。