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60 知られてはいけないこと

「……ひとついいかい? ギルドマスター殿」

「何よ」

「君たちは、僕といがみ合うために来たわけではないだろう? こんなことをしていたら、時間の無駄ではないかい?」

「もうそんなこと、どうでもいいわ! とにかくあんたと()り合いたいの!」


そんなことを言うヒューバートの手は、今すぐにでも殴り掛かりたいかのように、血管が浮き上がっていた。

これは完全にお怒りのようだ。


「マスターだけずるいっすよ! 俺もこいつと殺り合いたいっす!」

「ちょっと、不審者たち! 迷惑なんだけど!」


すると、フィンレーが彼の前に立ち、怯みながらも口を開いた。


「僕を監視しに来たのなら、隅々まで監視するといい。でも、ロニー様にまで迷惑をかける真似をしたら、僕は許さない」


フィンレーの声は震えていたが、それでも彼の目には意思を感じた。


「……あんた、こいつと似てるわね。でも、今は引っ込んでいて。あたしはこいつに腹が立ってるから」

「フィンレー、ありがとう。でも、今回のことは僕に任せてくれないかな? 本当は、彼らの好きなようにさせようと思ったが、もう終わらせるよ」

「ス……ロニー様! まさか、本当に戦うつもり!?」


アクディーヌの言葉に、フィンレーとギルは目を見開いて驚いた。

そして、ユウェシルのほうを見ると、彼は何を言っても無駄だと思ったのか、腕を組みながら深いため息をついていた。

アクディーヌは、それを見て微笑みながら口を開いた。


「大丈夫だよ、フィンレー、ギル。これは僕の問題だ。君たちには手を出させない」


その言葉に、フィンレーは一瞬口を閉ざしたが、不安そうにアクディーヌを見つめ続けた。

一方、ギルは何か言いたげに眉を寄せていたが、結局黙ったままだった。


余計なトラブルは避けたい、という話をしていたというのにヒューバートが行動を変えたせいで、結局はトラブルとなってしまった。

このまま戦って、大人しく帰ってくれればいいのだがあのヒューバートでは無理だろう。


(仕方ありません。血を吐くのは避けたかったですが、ここで何もしないわけにはいきませんね)


アクディーヌは内心ため息をつきながらも、表情には出さずにヒューバートのほうを向いた。


「ギルドマスター殿、戦う前に一つだけ確認させてほしい」

「何よ、時間稼ぎなら無駄よ」

「もし僕が勝てたら、皇帝陛下にこう伝えてほしい。『ロベール屋敷の新たな主を詮索しないで頂きたい』と」


その言葉に、ヒューバートは少し考える素振りを見せたが、すぐに鼻で笑った。


「勝てたら、ね。まあ、いいわ。約束してあげる。でも、あんたが負けたら――」

「負けるつもりはないけど、君たちに害を与えるつもりもない。だから、僕が負けても何も要求はしないでほしい」


アクディーヌの静かな言葉に、ヒューバートは一瞬目を細めた。


「随分と余裕ね。いいわ、その条件飲んであげる。でも、後悔するんじゃないわよ」


彼がそう言って構え直すと、周囲の空気が一層緊張感を帯びた。


(いくらヒューバートがギルドマスターであろうとも、おそらく勝ち目はないでしょう。私も負ける気はありませんから)


さすがに、魔神と戦ったときのように全力を尽くすつもりはないが、ヒューバートの攻撃を避けながら、まるでサングラスを狙うかのように軽やかに動いてみるのも面白いだろう。


「では、始めようか」


その一言を合図に、ヒューバートが猛然と動き出した。

地面が振動するほどの勢いで迫る彼に対し、アクディーヌは冷静にその動きを見極める。


(前回と同じように、銃を魔法で作り出すつもりですね)


ヒューバートの手が閃くと、彼の手の中に光が集まり、瞬く間に銃が形成された。

その銃口がアクディーヌに向けられる。


「逃げられると思わないでよ」


彼の声が響いた瞬間、銃から魔法の弾丸が放たれた。

速さも威力も尋常ではない一撃だったが、アクディーヌはわずかに身をひねるだけで、それをかわしてみせた。


「やっぱり、動きが洗練されているわね」


ヒューバートは小さく舌打ちをしたが、すぐに間合いを詰め、さらに追撃を繰り出す。

アクディーヌは、何度もかわしながらわずかな隙を突いて、一瞬で間合いを詰めた。


「しまっ……」


ヒューバートが反応する間もなく、アクディーヌの手が彼の銃に触れると、それは次の瞬間に粉々に砕け散った。


「これで終わりだよ、ギルドマスター殿」


ヒューバートは悔しそうに拳を握りしめながらも、肩を落として小さくため息をついた。


「……負けを認めるわ。あんた、本当に強いのね」


その言葉に、周囲で黙って見守っていたギルやフィンレーたちがようやく緊張を解き、アクディーヌのもとへ駆け寄った。


「ス……ロニー様! 不審者に勝つなんてさすがだね!」

「本当に凄いです……! あんなに激しい戦いでも全く危なげなかったなんて……」

「マ、マスター! 負けるのが早すぎるっすよ!」


称賛の言葉が次々と飛び交う中、アクディーヌは微笑みを浮かべて答えるふりをしながら、胸の奥に押し寄せる違和感を感じ取った。


「でも、あんたのその戦い方……。どこかで……」


ヒューバートが何かを呟くが、突然の耳鳴りと世界のぼやきに違和感を覚える。


(まずい……こんなところで……!)


その瞬間、アクディーヌの口元から鮮やかな赤がこぼれ落ちた。

血の匂いが漂う。


「……っ!」


フィンレーが驚いた表情で足を止めた。

ギルも目を見開き、一瞬場が静まり返る。

それと同時に、ユウェシルが素早く近寄りアクディーヌの腕を掴んだ。


「何故、血を!」


ユウェシルの言葉に、アクディーヌは片手を上げて制した。


「だ、大丈夫だよ。……少し疲れただけだから」


言葉を絞り出すようにして答えたが、考えるほどの力がもう既にない。


(こんな姿を見られるわけにはいかない……!)


アクディーヌは深く息を吸い込み、群青色に輝いていた瞳を閉じると、次に開いたときには、オパール色の穏やかな瞳へと戻っていた。

同時に、静かに右手を掲げて光の薄い膜を生み出す。


「……君たちは、何も見ていないよ」


その言葉にフィンレーとギルは一瞬虚ろな表情を浮かべ、ユウェシルも少しの間、アクディーヌの顔を見つめたまま動きを止めた。


すると、ヒューバートは日傘を差しながら首を傾げた。


「え? あたしたち何してたんだっけ」


アクディーヌは彼の言葉を確認すると、右手の人差し指をゆっくりと動かした。

暗示の力がさらに浸透するのを感じながら、彼らに穏やかな声で命じる。


「……皇帝陛下に先ほどのことを伝えて。それから、静かに引き下がるんだよ。それと、『ロニー』はまた突如消えてしまったともね」


ヒューバートは頷くと、隣にいる目つきの悪い青年を引っ張りながら背を向けた。


二人がその場を離れ、屋敷の敷地外へと去っていくのを確認したあと、アクディーヌは残された三人にも同様の暗示をかけた。


「フィンレーくん、ユウェシル。いつもの稽古に戻って。ギルは庭の仕事を続けていてください」


ヒューバートたちが去ったいま、アクディーヌは口調を普段通りに戻し三人に暗示をかけた。


(皆さん、ごめんなさい。本当はこんなことをしたくはありませんでしたが、絶対に知られるわけにはいかないのです)


三人とも虚ろな表情を浮かべながら、各自の作業へと戻っていった。

フィンレーとユウェシルは稽古場に向かい、剣を構えながら準備を始める。

一方、ギルは庭へ向かい、手際よく道具を持って草木の手入れを始めた。


その光景を静かに見守ったあと、アクディーヌはふと小さく息をついた。


(暗示が解けたあとは、不思議に思うと思いますが、思われても仕方ありませんね。今は、少し休まなければ)


彼女は屋敷の一角に身を寄せると、目を閉じる。

次の瞬間、体中を覆うほどの水が現れ、アクディーヌを包み込む。

やがて、水とともに消え去った。




◆◆◆




「分身さん、ムーソピアさんが探していましたよ? どうして僕のところにいるんですか?」


柔らかな風が吹き抜ける森林の中、そこは風神ウィンディの領域で、空には雲が流れ、鳥のさえずりが響き渡る。

ウィンディは困惑した表情を浮かべながら、目の前にいるアクディーヌの分身を見つめていた。


「……君のところなら、少し静かに考えられると思ったんだ」


分身の声には、微かな疲労が滲んでいた。

ウィンディは何か言いたげに口を開きかけたが、すぐにやめて手に持った薬瓶を静かに置いた。


「ムーソピアさんに追いかけ回されてうんざりしているでしょうけど、きっと師匠のことですよね」


分身は小さく頷くと、目の前にある机に歩み寄り、椅子に座るなり顔を伏せた。

両腕を机に投げ出し、顔を隠すように突っ伏してしまう。


分身は顔を伏せたまま、手元にあった羽ペンを掴むと、指先でくるくると回し始めた。


「僕は、姉さんの一部だから……姉さんが何を感じているのか、どれだけ疲れているのか、分かるんだ。姉さん、僕に心配させないようにしてるつもりなんだろうけど……それが余計に、辛い」


ウィンディは黙って薬瓶を机の端に押しやり、隣の椅子に腰掛けた。


「師匠は強い神ですからね。でも、強さって言うのは時に、自分を犠牲にするものでもある。……分身さんがこうしてここに来たってことは、何か手を貸したいって思ってるんでしょう?」


そのウィンディの優しい声に、分身はほんの少しだけ顔を上げた。

オパール色の瞳がちらりと見えたが、すぐにまた伏せられる。


「そうだけど、僕は欠陥品だ。ただ書類作業をしたり、簡単な仕事しかできない。姉さんのように、皆に頼られるようなことはできないんだ。僕は、何もできない」

「そんなことはありませんよ。分身さん、あなたが自分をどう思っていようと、師匠にとってはかけがえのない存在なんです。それに、僕にとっても大切な友だとも思っていますから」


分身はわずかに眉を寄せ、口を開きかけたが、ウィンディは続けて言葉を紡いだ。


「それに、顔がいい! それだけで、あなたは十分に周りを救っているんです。特に、あなたたち三兄弟やマグトルム様のような方々には、いるだけで癒されるんですよ。自分では気づいていないかもしれませんが」

「そんなこと僕が一番知ってるよ」

「あ、そうですか」


分身は唇を引き結びながら、照れくさそうに視線を逸らした。


「……でも、ありがとう。こんな姿を姉さんに見られたら、失望されるかもしれないから、嫌だけど仕事に戻るよ」

「師匠は、とてもお優しい方だから失望なんてしませんよ。ですが、また何かあったらいつでも来てくださいね!」

「うん!」


分身はウィンディに軽く手を振り、静かにその場を去っていった。

彼が去ったあと、ウィンディは机に置いてある薬瓶に目を向ける。


「師匠、いったい何があなたを苦しめているのですか」


しかし、その問いかけは彼女には届くことなく、風に溶けるように消えていった。

それでもウィンディは、薬瓶をそっと抱きしめるように握りしめるのだった。

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