58 重なる記憶
「マスター、完全に怪しいっすよね」
ルイスの言葉に、ヒューバートは短く鼻を鳴らした。
「ふん。いい度胸してるわ」
ヒューバートとルイスは、屋敷から少し離れた場所に足を止め、風に頬を撫でられながら屋敷を見つめる。
「俺、あえて何も言わなかったんすけど、本当にあの人がロニーなのか、正直怪しくないっすか? 雰囲気が、なんていうか……違うっつーか」
ルイスが困惑気味に呟くと、ヒューバートは無言で屋敷に視線を向けたままだった。
「……あたしには分かる。あいつ、嘘をついてる」
「嘘って……え、なんで分かるんすか?」
「言葉の端々に、何か隠してる気配があった。それに、あの時の目は、殺意が出ていたわ……」
「あの時の目ってなんすか?」
「言葉では表せないわ。でも、あれは完全に『人』じゃなかった」
「人じゃないってどういうことっすか!?」
あの時に感じた異様な感覚。
それは、まるで人間とは言い難い何かがその目に宿っていたような気がした。
それに、彼女と出会った時にも感じた力に似ている気がする。
(いったい、スイは何者なの? それに、あの男は本当に『ロニー』?)
ヒューバートは考え込むように腕を組み、しばらく沈黙した後、ルイスの方を振り返った。
「今は深入りしても意味がない。情報が足りないし、無闇に動けばこちらが不利になるだけ」
「じゃあ、どうするんです? 皇帝の指示通り、あのフィンレーとかいう主人を監視するんすか?」
ヒューバートは少し考え込んだ後、冷静に答えた。
「彼の監視は適当でいいわ。あの皇帝は何考えてるか分からないし、スイと親しいのなら申し訳ないわ」
「確かにそうっすね」
「とにかく、今日は帰るわよ。明日こそ、必ずあの男の正体を突き止めてみせる」
「了解っす。でも、皇帝の命令を無視するのも怖いっすよ……下手したら俺たちが疑われるかもしれないじゃないっすか?」
ヒューバートはルイスを一瞥し、皮肉めいた笑みを浮かべた。
「だからって、命令通りに動いて罠にはまったら元も子もないでしょ。ここはあたしの勘を信じなさい」
「勘すか……?」
「そうよ。あたしには分かるの。あのスイもロニーって男も、何か隠してる。それも、人間の常識じゃ測れないような何かをね」
「じゃあ、俺たちは明日どう動くんすか?」
「明日は、フィンレーっていう子の監視をしているふりをして、あの男を監視するわよ」
「了解っす」
そう言って二人はその場を離れた。
◆◆◆
「スイ〜、完全に遊んでるよね〜?」
「んもう、遊んでないですってば〜ギル」
ユウェシルとの話を終えたアクディーヌが再びギルたちのいる場所に戻り、兄のふりを続けることを伝えると、ギルは目を細めて口を開いた。
「本当にそれでうまくいくと思ってる?」
「もちろんです。それに、兄のふりは私にしかできないでしょう?」
ギルは半信半疑の様子で肩をすくめたが、その表情には心配の色も浮かんでいた。
「まあ、スイが言うなら信じるけどさ。でも、あんまり無茶しないでよ」
「スイ様に何かあったら俺がお守りする。庭師は気にすることはない」
「はぁ? 僕だって役に立つんだから!」
ギルはむっとした表情でユウェシルに抗議したが、ユウェシルはいつも通りの無表情で肩をすくめるだけだった。
「庭師には庭師の役割があるだろう。無理に前線に立つ必要はない」
「なんだよそれ! そういう言い方はないだろ!」
二人のやり取りを見ながら、アクディーヌは微笑みを浮かべた。
「まあまあ、二人とも落ち着いて。どっちも私にとっては頼もしい存在ですよ」
その一言に、ギルは不満げながらも口を噤み、ユウェシルは静かに頷いた。
「でも、本当にロ二ー様のふりなんて無理しなくていいんじゃない?」
「無理というほどではないけれど……面白いですし……あ、いえ。確かに、この先どこまで通用するかは分かりませんね」
「だったら、僕が手伝うよ! あいつらが怪しい動きをしてないか、しっかり見張っておくから!」
「あ! でしたら、ギルも演技に手伝ってくれます? ヒューバートたちなら、屋敷に被害を及ぼすことはないはずですから」
「ぼ、僕も演技するの!? 絶対無理だよ!」
すると、今まで黙って聞いていたフィンレーが腕を組みながら呟いた。
「ギルが演技かぁ……想像がつかないかも。むしろあの人たちにバレないか心配になるくらい」
「主人まで!?」
ギルが憤慨すると、アンソニーが肩をすくめて口を開いた。
「ほっほっほ。実際、お前さんはあまり嘘が得意ではないだろう? すぐ顔に出てしまうからの」
「だから! 二人とも僕のこと信用してよ!」
アクディーヌはそんなやり取りを微笑ましそうに見つめながら、軽く咳払いをした。
「まあまあ。私も初めて演技をしましたからね〜」
「え! スイ初めてだったの!? あれで?」
「ええ。とても緊張しましたぁ、いやぁ。ヒューバートは鋭くて怖いです」
「スイ様! 僕も演技を……」
フィンレーが自信満々に言いかけた瞬間、アクディーヌとギルは声を揃えて「ダメ!」と即答した。
驚いたフィンレーが固まると、ギルが腕を組み、真面目な表情で言葉を続ける。
「主人、僕より演技が下手そうだからダメだよ」
「それは言い過ぎじゃないかな……」
「ふふ、フィンレーくん。ここは任せてください。あなたにはもっと重要なお役目があるんですから」
「重要な役目ですか?」
「はい。フィンレーくんには、いつも通り自然に過ごしていただきたいんです。それが一番の役目です」
アクディーヌの言葉に、アンソニーは口を開いた。
「スイ様のおっしゃる通りですぞ。フィンレー様、余計な気負いは禁物です。自然体でおれば、相手もこちらの動きに気付かず油断するものです」
「確かにそうだけど、意識すると逆に不自然になりそうで……」
「主人。スイ様の言葉を信じればいい。今のそれこそ不自然だ、主人は何も考えなくていい」
ユウェシルは腕を組みながら、口を開いた。
彼のお陰でフィンレーは成長していっている。
このまま、ユウェシルに任せれば勇者の力が必要ないほどに強くなるのではないだろうか。
だが、『運命』には逃れられないのだ。
だからこそ、フィンレーにはちゃんとした人生を送ってほしい。
勇者だからと、肩書きを持つ人生であっても人間らしく生きることこそ、この世界に存在する意味になる。
そんなことを思っていると、ユウェシルはさらに口を開いた。
「主人、お前は考えすぎると動きが鈍くなる。だが、普段のお前なら迷いもなく動ける。それが一番の強みだと自覚しろ」
ユウェシルの冷静な指摘に、フィンレーは思わず背筋を伸ばした。
少し恥ずかしそうに笑みを浮かべながらも、その言葉に頷いた。
「はい、僕。頑張ります!」
二人のやりとりを見守っていたアクディーヌは、静かに微笑む。
(なんだか懐かしい)
アクディーヌの胸に、遠い記憶がよみがえる。
この世界で最も『憧れ』を教えてくれた、大切な存在と過ごした日々、それはアクディーヌにとって、何にも代えがたい宝物だった。
兄やマグトルムさえ及ばぬ勇敢さと賢さを持ち、人間を深く理解し、大切にしていた唯一の神。
その神は今、下界に降り、転々としながら暮らしている。
(どこにいるのか、全く分からないけれど……もし会えるのなら、今すぐにでも会いたい)
アクディーヌは思わず胸に手を当てた。
三千年という果てしない時を生きてきたが、あの神のことを忘れたことなど一度もない。
それほどに大切で、胸が締め付けられるほど恋しくて、どうしようもなく会いたい相手なのだ。
ふと、アクディーヌは窓の外を見つめた。
青く広がる空のどこかに、その神がいるのだろうかと思いながら、アクディーヌは静かに息をついた。




