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50 弟妹たちの要望


「ちょっと、スニューティオいくらなんでも買いすぎでしょ」

「当たり前じゃない、天界の服屋はほぼアタシとディーヌのために作られたと言ってもいいくらいに、需要があんのよ」


スニューティオは腕を組んで得意げに話した。

アクディーヌは呆れた表情で、袋に詰め込まれた服の山を見つめた。


「スーちゃん、私そんなにたくさんの服着ませんよ。むしろ、今の服で十分―――」

「何言ってんのよ! 神だってファッションは重要なの! 見た目で神格が決まるって言っても過言じゃないわ! ねえ、ウィンディ?」

「え? あ、はい……そうですね」


ウィンディは慌てて頷くが、特に何も言えずに口をモゴモゴと動かしていた。


「次はフェリちゃんですね。さぁ、どんとん行きますよー!」


アクディーヌは、四神たちを置いて瞬時に姿を消した。


「あ、ディーヌ待ってよ!」

「姉さん、置いていかないでください!」


フェリクスと分身が慌てて声を上げるも、アクディーヌはもういない。

焦った彼らは互いに顔を見合わせ、瞬間移動でアクディーヌの後を追うように姿を消した。


「本当にせっかちなやつだな」


イグニーゼルが腕を組みながら呟くと、フェリクスも苦笑いしながら「それは君もでしょ」と言って、彼も瞬間移動で追いかけた。


残されたスニューティオは、大量の服が入った袋を両手で抱えたまま、ため息をついた。


「もう、ディーヌったら」


そう呟きながら、ふと視線を感じて顔を上げると、アクディーヌが戻ってきていた。


「スーちゃん、ごめんなさい! 重たいものを持たせてしまって。これは私が泡にしまっておきますね」


アクディーヌは優しく微笑みながら、スニューティオが抱えていた服の袋をそっと受け取り、泡の中にしまい込んだ。

身軽になったスニューティオは、一瞬驚いたように目を瞬かせた。


「さぁ、行きましょ」


そう言ってアクディーヌはスニューティオの手を取った。

スニューティオはその手の温かさを感じ、顔を赤くして嬉しそうに微笑んだ。


「う、うん!」


小さな声で返事をすると、二人は一緒に瞬間移動し、姿を消した。



そして、目を開くと色とりどりの花が咲き誇る、神秘的で美しい空間が目の前に広がっていた。


さすが、どの領域の中でも最も美しい場所と言われるほどだ。

地面は柔らかな草と花びらで覆われ、まるで絨毯のように足元を優しく包む。

微風が吹くたび、様々な花が揺れ、その香りが甘く漂っている。

空は鮮やかな青で、雲ひとつない晴天が広がっていた。


「悔しいけど、ここは綺麗すぎて嫉妬するわ」

「ふふ、そうですね」

「ディーヌ! こっちこっち!」


アクディーヌとスニューティオが話していると、フェリクスは手招きをして声を上げた。

アクディーヌはスニューティオに一瞬目を向け、少しだけ肩をすくめてからフェリクスの方へ歩み寄った。


「あら、それが植えたい花ですか?」


目の前には、数本の桃色のガーベラが優しく風に揺れていた。

フェリクスは誇らしげに頷きながら、それらを手に取ってアクディーヌに差し出した。


「そう! 下界に行ったときに花屋から数本貰ったんだ。今のこの領域は、もう花に囲まれてるでしょ? だから、このガーベラが馴染む場所に植えたいんだけど、やっぱりディーヌの意見も聞きたかったんだ。どこがいいと思う?」


フェリクスの言葉にアクディーヌは一瞬思案しながら、領域を見渡した。


「そうねぇ……」

「へぇ、フェリクスさんと同じ髪色の花なんですね。いいですねー」

「絶対、興味ないよね」


ウィンディの言葉にフェリクスは口を開く。

そして、ふとアクディーヌの視界に映ったのは、花など興味なさそうに自分の大剣を眺めているイグニーゼルと、彼の横で同じように腕を組んで大剣を見つめる分身だった。


そんな彼らに苦笑いしていると、隣にいたスニューティオが「よっぽど、あんたに大剣を作ってほしいみたいね、アイツ」と耳打ちで囁いた。


アクディーヌはスニューティオの言葉に小さく笑って、そっと頷いた。


「ふふ、そうみたいですね。感情が読み取れませんが、イグは行動で示すので見ていて面白いです」

「面白がってるのは、多分あんただけよ」

「え? なんですか?」

「……なんでもないわよ」


スニューティオが小さくため息をつきながら、視線をそらすと、アクディーヌは再び領域を見渡した。

しばらく周囲を眺めていると、アクディーヌの目は、ふと、一角に留まる。


「フェリちゃん、ここなんてどうですか?」


アクディーヌは少し離れた場所を指さし、優しく微笑んだ。

そこは、大きな木々が作る木陰と、柔らかな光が差し込んだ場所だった。

まさに桃色のガーベラが馴染みそうな、穏やかな空間だった。


フェリクスはその場所を見つめ、やがて満面の笑みを浮かべた。


「凄い! ここならピッタリだよ!ありがとう、ディーヌ!」

「良かった、ではさっそく植えましょうか」


アクディーヌが微笑んで答えると、フェリクスは早速、持っていたガーベラを地面に優しく置き、慎重に植え始めた。

アクディーヌもまた、差し出されたガーベラを優しく植えた。


フェリクスのほうを見ると、彼の手が花びらに触れるたびに、周囲の空気が少しずつ華やかになり、領域全体に柔らかな光が広がっていた。

さすが、花神といったところだろう。

先代の花神は、フェリクスのように花が好きだったが、特にこだわりを持っていなかった印象がある。

そう思うと、フェリクスは最も花神らしいと言える。


「よし、これで完璧!」

「ふぅん。意外と綺麗な花じゃない」

「意外とじゃなくて、元から綺麗だし。馬鹿」

「はぁ? 誰が馬鹿ですって?」

「こらこら、スーちゃん、フェリちゃん。喧嘩しないの。それよりも、フェリちゃんの要望は叶いましたし、次はイグですね」


アクディーヌの言葉に気が付いたのか、イグニーゼルが腕を組んだままゆっくりと近付いてきた。

その後ろに、分身も近付いてきていた。


「やっとだな、早く作れ」


イグニーゼルは待ちきれない様子でアクディーヌの腕を掴むと、彼女を引き連れて聖塔へ向かって急いだ。


アクディーヌは、イグニーゼルに強引に腕を引っ張られながら、少し困惑した表情を浮かべた。


「そんなに急がなくても、剣は逃げませんよ」

「剣が逃げなくても、お前が逃げるだろ」

「そ、そんなわけないじゃないですかぁ」


アクディーヌは苦笑いしながら、力なく反論したが、イグニーゼルの強い視線に黙り込んでしまった。

少しだけ逃げ出したい気持ちを隠しつつ、イグニーゼルのペースに合わせるしかなかった。


その横で、分身は「頑張れ」と言わんばかりに、親指を立ててアクディーヌに微笑みかけた。

アクディーヌはため息をつきながら、イグニーゼルに引っ張られながら聖塔へと向かうのだった。




◆◆◆




作業場に到着し、泡から大量の素材と道具を取り出すアクディーヌは、軽く腕を伸ばしてから、材料を手に取る。

燃え盛る炎のように光る赤い鉱石を選び出し、それはほんの少しだけ熱を感じた。


「この鉱石は、実は千年以上前に炎のドラゴンが眠っていた火山の底で見つかったものなんです。長い年月、炎を浴び続けて強靭な力を蓄えているんですよ」


アクディーヌは鉱石を手に取りながら、イグニーゼルに説明した。

その鉱石は、まるで内側に炎が燃え盛っているかのように、かすかに光を放っていた。


「まぁ、私が拾ったわけではなく先代炎神の部屋からこっそり拝借しただけですけどね」

「あんたって、いつもどこからか盗んでない?」

「気のせいですよ」


スニューティオの言葉に、とぼけながらもアクディーヌは再び作業に集中し始めた。

赤い鉱石を溶かし、大剣の型に力強い炎をまとった大剣が少しずつ形を成していく。

そして徐々に炎を纏う大剣を丁寧に仕上げていく。

その手元からは、赤い光が放たれ、作業場全体が淡い炎の色で染まった。


「よし、最後の仕上げをしますね」


アクディーヌは、大剣の刃を刃先まで指でなぞり、魔力を吹き込んだ。

すると、大剣の表面に紋様が浮かび上がり、力強い輝きを放った。


「完成です! ほら、イグ。これがあなたの望んでいたものでしょう?」


大剣を差し出すと、イグニーゼルは目を見張り、その大剣を手に取り、重さとバランスを確かめた。


「悪くない」

「さすが、師匠です! あの頑固で頭でっかちで愛想もないイグニーゼルさんを満足させるとは、やっぱり師匠はすごいです!」

「おい、ウィンディ。後で表に出ろ」


イグニーゼルはウィンディを鋭く睨みつけた。

ウィンディは一瞬怯んだが、すぐにニヤリと笑って後ずさった。


「いやいや、冗談ですよ、イグニーゼルさん。そんなこと一度も思ったことないですからぁ」

「僕はウィンディが、裏で言ってたの知ってるけどね」

「ちょ、ちょっと言わないでくださいよ! フェリクスさん!」

「ほう、死にたいか?」


イグニーゼルが冷ややかに問いかけると、ウィンディは顔を引きつらせ、両手を前に出して後ずさった。


「い、いやいや、そんな! 冗談ですってば。イグニーゼルさん! いや、イグ兄さん!」

「誰がお前の兄だ」

「はいはい、そのくらいにしなさい。皆さんの要望も叶いましたし、私はそろそろ任務に出ないと」

「え、任務ってなによ?」

「先ほど、マグトルム様から手紙が届いたのですが、しばらく下界に滞在することになりました。もちろん、天界にもちょくちょく顔を出しますけどね」


アクディーヌの言葉に、その場にいた分身以外の四神たちが驚いた表情を浮かべた。


「え? 下界に滞在? いったいどういうこと?」


フェリクスが疑問の声を上げると、アクディーヌは肩をすくめて笑った。


「ええ、どうやら私にしかできない任務のようです。でも、全く大変なことではないのでほとんどただの遊びになるだけですね。うふふ」

「遊びって……それ、任務じゃないよね?」


フェリクスが眉をひそめると、アクディーヌはにっこりと笑って肩をすくめた。


「まあまあいいことじゃないですか。下界で自由に遊べるのは私にとって至福ですね」


アクディーヌの言葉に、スニューティオは腕を組みながら口を開いた。


「あんたくらいよ、下界でそんなに楽しめるのは」

「師匠は、昔から人間が好きですもんね〜」

「異常なほどにな」

「うふふ、人間はいいものですよ。いつ見ても素晴らしいです」

「僕、姉さんの分身ですが、一度も人間や下界に興味を持ったことないです」

「あんたは完全に欠陥品ね」

「……僕、泣くよ?」


アクディーヌは苦笑いを浮かべながら、分身に答えた。


「まぁ、さすがに性別が変わっていたのは驚きましたが、もうそれはそれでいいんじゃないですかね。分身が私みたいだと、天界は大混乱になりますから」

「でも、人間に興味がないなんて、もったいないわよ。あんなにユニークな存在、他にはいないんだから」

「師匠だけが、クラルディウス様よりもそこまでの情熱を持って下界に行くのが理解できないですけどねぇ」

「ほんとよ。普通の神なら、面倒なだけだわ」

「まぁ、僕は花神として国を守ることくらいはちゃんと考えてるけど、ディーヌほどじゃないなぁ」

「はぁ、私の弟妹たちはどこで何を間違えて育ってしまったのでしょう……」


アクディーヌの言葉に、イグニーゼルが冷ややかに口を開いた。


「誰がいつお前の弟になったんだ? それに、お前に育てられた覚えはない」

「まぁ、ひどい。何百年もあなたたちの先代たちに代わって神力やら魔法やらを教えたのは誰ですか? あんなに、私に縋って離れなかったのに」


イグニーゼルは不機嫌そうに腕を組み、ため息をついた。


「それはお前が暇つぶしで教えてただけだろ。誰も頼んでない」

「ええっ、そんなことないでしょう? 皆さん、私のことを『頼れるお姉ちゃん』だって持ち上げてくれてたじゃないですか」


アクディーヌはわざとらしく驚いた表情を見せ、ウィンディがそれに乗っかるようにニヤリと笑った。


「そうそう、イグニーゼルさんだって、昔は師匠にベッタリでしたよね。あの頃は今みたいに生意気じゃなくて、もっと素直でしたよね〜」

「お前も黙れ、ウィンディ」


イグニーゼルが険しい顔で睨みつけると、ウィンディはすかさず手を振りながら後退した。


「いやいや、冗談ですよ、冗談じゃないですけど。そんな怖い顔しないでくださいよ!」


アクディーヌは笑みを浮かべて、イグニーゼルに近づき、軽く肩を叩いた。


「まぁまぁ、イグ。あなたも私がいなかったら、ここまで強くなれなかったでしょう? 素直に感謝してくれればいいのに」


イグニーゼルは少し間を置いてから、呆れたように言った。


「ふん、一生言わん」


それを聞いたアクディーヌは、大げさにため息をつきながら、肩をすくめた。


「んもう……素直じゃないんだから。まぁ、そんなところも可愛いですけどね」


そう言って、彼女は軽やかに身を翻し、確認し終わった書類を整えその山を泡に包み込んで浮かばせる。

そして、人差し指を軽く振りムーソピアの部屋に繋がるゲートを開き、書類の山々を転送させた。


すると、スニューティオが気が付いて口を開く。


「本当に行くのね、下界に。準備は整ったの?」


アクディーヌは振り返り、軽やかな声で答えた。


「はい。今のところムーちゃんに頼まれた仕事とやるべき仕事も終わりましたし、何かあったらまた分身くんに頼めばいいですかね」

「えー! 姉さん! 僕、もう休みたいです! それで、姉さんと一緒に下界に行きたいんです!」

「そう言われても、所詮は私がいないときのためにあなたは作られましたからね。それに、あなたが下界に来たらいろいろと面倒なことになっちゃいますよ」


アクディーヌが言うと、分身は不満げな顔をしながら腕を組んで、口を尖らせた。


「面倒だなんて、そんな……僕だって下界を見てみたいんです! ずっと姉さんが楽しそうにしてる話ばかり聞いてると、気になるに決まってるじゃないですか!」


アクディーヌは苦笑いしながら、軽く肩をすくめた。


「あなたまで来たら、聖塔は誰が管理するのですか? また、ムーちゃんに怒られてしまいますよ?」


分身は悔しそうに唇を噛みながら、肩を落とした。


「そ、そんなの……ムーソピアだって僕よりちゃんとやれるじゃないですか。僕がいなくても大丈夫ですよ!」


アクディーヌは微笑みながら、分身の頭を軽く撫でた。


「まぁ、確かにムーちゃんなら何とかしてくれるでしょうが。でも、あなたがここにいるのも大切なことですよ。だって、私が下界で何か起きた時に頼れるのは、やっぱり分身くんしかいませんから」


分身はちょっと照れくさそうに顔を赤らめたが、まだ納得できない様子で手を腰に当てて反論した。


「でも、でも! それならいっそのこと、僕も一緒に行けばいいじゃないですか! 姉さん、僕に下界の面白いところを教えてくださいよ!」

「分身くん、面倒くさいこと言ってないで、まずはしっかりお留守番してなさい。もし下界で必要になったら、ちゃんと呼びますから」


その言葉に分身はさらにむくれて、頬を膨らませたが、やがて諦めたように深いため息をついた。


「はぁ……分かりましたよ。でも、約束してくださいね? 次は絶対に僕も連れてってください!」

「はいはい。さてと、四神の皆さん。私が下界に行っている間、天界で何かあったら遠慮なく呼んでくださいねー?」

「安心しろ、お前がいなくても解決する」

「イグニーゼル、あんた何言ってんのよ。ディーヌがいないときに限って、いつも何か大きな問題が起こるじゃないの」

「俺がいれば問題ない。お前らが余計なことをしなければな」

「ちょっと、それじゃ僕たちが足手まといみたいじゃないか!」


フェリクスが言うと、イグニーゼルは冷静に見つめ返す。


「そうだが?」

「ひど! でもまぁ、ディーヌがいない間はちょっと静かになるかもしれないけどね」


アクディーヌはそんなやり取りを楽しむように眺めながら、軽くため息をついて口を開いた。


「もう、なんで私がいない方が静かだって思われてるんでしょうね? それじゃあ、私は下界に行ってきますけど、皆さん仲良くしてくださいね。あ、そうだウィンちゃん。少し頼みたいことがあるのですが」

「はい! なんでしょう!」


アクディーヌはそう言って、ウィンディに近付き耳打ちをした。


「薬のことなのですが」


アクディーヌの言葉に、ウィンディは首を傾げながら不思議そうに見つめながら小声で話し始めた。


「薬ですか? もしかして、僕たちが研究しているあの薬のことですか?」

「それもありますが、私が下界に行く前にウィンちゃんがたくさん作ってた回復薬を少し分けてほしいのです」

「回復薬ですか? それはもちろん構いませんが、何に使うのですか?」


アクディーヌは少し目を伏せ、静かに答えた。


「まぁ……万が一の時のために、ですよ!」

「なるほど。でも、師匠ほどの力があれば、そんな薬なんて必要ない気もしますけど、分かりました! すぐに用意しますね!」


そう言って、ウィンディは部屋を飛び出した。

ウィンディは、いつも失敗を繰り返しては、回復薬や強化薬を作っていた。

その数は、部屋を埋めつくしてしまうほどの数だった。


そう思いながら、そのまま部屋の窓の外を見つめ、軽く息をついた。


「さて、これで準備はほぼ整った。あとは……」


アクディーヌは自分の胸元にそっと手を当てた。

あの、謎の痛みがこれから自身の体を蝕んでいくのなら、なおさら、隠し続けなければならない。

それも、兄やマグトルムには絶対に隠し通さなければ。


アクディーヌは胸元に手を当てたまま、静かに目を閉じた。


(お兄様とマグトルム様は、勘が鋭いからいつか気付かれてしまうだろうけど、今はまだダメです……)


痛みが再びじわりと広がるのを感じながらも、アクディーヌはまだ部屋にいる四神たちに、気付かれないようにと平常心を装った。

この痛みが、もし三千年も生きてきた中で自分自身が無意識に行っていた罪が具現化されてできたものだとしたら、いったい、何を傷付けてきたのだろう。


人間に憧れて、ましてや神としての役割を幾度も蔑ろにしてきた。

神としての自覚を持たずに、未だに何も囚われていない自由の身であった頃の大精霊だと思い込みながら、何度も下界に逃げ込んできた自分が、いったいどれだけのものを傷付けてきたのだろう。


(私は、何を償えばいいのですか……? この痛みが代償なのだとしたら、私は……)


アクディーヌは自問しながら、目を閉じて深く息をついた。

痛みは一時的に和らいだかのようだったが、胸の奥にはまだ重い感覚が残っていた。


(私は人間に憧れて、神としての義務から逃げ続けてきた。それが罪だと言うなら……私は何を犠牲にすれば、この痛みから解放されるの?)


自らの存在が罪を重ねているのだとしたら、その罰がどれほど重いものなのかさえ分からない。

ただ、この痛みがその一部であることを薄々感じ取れた。


(けれど、この痛みはそれだけの理由ではない気がする……)


そんなことを考えていると、後ろから元気な声が聞こえた。


「ディーヌー! 僕たちそろそろ帰るけど、お見送りは必要? 僕はしたいけど」


振り返ると、フェリクスが手を振りながらこちらに向かってきていた。


その後ろにはスニューティオたちも続いており、少し離れたところで軽く談笑していた。


「ふふ、お見送りは大丈夫ですよ。皆さんは各自自分の領域に戻ってください」

「そっか、じゃあ戻るね。ディーヌがいなくて少し寂しくなるけど、絶対に顔を見せに来てよね!」


フェリクスが少し寂しそうに言いながらも、手を振って軽く飛び跳ねるように部屋を後にした。

スニューティオは肩をすくめつつ、笑顔を浮かべて言った。


「まぁ、ディーヌが下界でどんな騒ぎを起こすか楽しみにしてけど、下界に行くなんていつものことだし気長に待ってるわよ」

「お前が下界で何をしでかすか、楽しみにしてる」


そう言って、イグニーゼルは部屋を後にした。


「あ、スーちゃん。あなたから預かった服を返しますね」

「あ〜、いいわよ。あんたが下界で着てちょうだい」

「え? ですが、私はそんなに……」

「いいから! ほとんどアタシが選んだんだから、全部ディーヌに似合うはずよ! じゃあね!」

「え、ちょっと、スーちゃん!?」


スニューティオは手を軽く振りながら部屋を後にした。


「もう……スーちゃんったら」


アクディーヌはその姿を見送りながら、ほんの少しだけ微笑んだ。

残った分身は、アクディーヌのもとに近付き静かに抱きしめた。


「姉さん、気を付けて行ってきてくださいね。僕、どうしてだか、これから姉さんの身に何かが起こるんじゃないかと思ってしまうんです。でも、もし何かあったら、すぐに駆けつけますからね」


アクディーヌは優しく微笑み、分身の頭をそっと撫でた。

分身はアクディーヌ自身なのか心の一部が、僅かだけ共有しているのだろう。


「ありがとう、分身くん。でも、大丈夫ですよ。私は簡単にはやられませんから」


分身がアクディーヌを抱きしめ、アクディーヌたちがしんみりとした空気に包まれているその瞬間、突然部屋の扉が勢いよく開いた。


「師匠、薬を持ってきまし……あっ!」


ウィンディが元気よく入ってきたものの、目の前で抱きしめ合っているアクディーヌと分身を見て、ぴたりと動きを止めた。

彼はその光景をしばらく見つめ、目をぱちぱちと瞬きした後、口を開いた。


「まさか、僕、タイミング間違えました?」


ウィンディの言葉に、アクディーヌと分身は驚いたように互いを見つめ、離れながらそして苦笑いを浮かべた。


「いえいえ、大丈夫ですよー! 薬ありがとうございます、貰いますね」

「は、はい!」


ウィンディは慌てて持っていた薬をアクディーヌに差し出した。


「ウィンちゃんも、抱きしめますか?」


ウィンディは一瞬戸惑ったものの、次の瞬間には目を輝かせて勢いよくアクディーヌの方へ飛び込んできた。


「師匠〜! 大好きです!」


その言葉にアクディーヌは少し驚きながらも、笑みを浮かべて彼をしっかりと抱きしめた。


「ふふ、あなただけですよ。こんなに甘えん坊なのは」

「僕は、子どもの頃から師匠に憧れてましたし当然です!」


ウィンディはアクディーヌにしっかりと抱きつきながら、嬉しそうに顔を輝かせていた。

分身も少し呆れつつ微笑みを浮かべながら、その様子を見守っていた。


「ふふ、そうですか。ほら、分身くんもおいで」


分身は嬉しそうにウィンディと共に抱きついた。


「姉さん、下界に行っても必ず天界にも来てくださいね! 忘れないでくださいね!? 僕、ずっとあのムーソピアに監視されるのは嫌ですから!」

「ふふ、はいはい。ちゃんと帰ってきますから心配しないで」


アクディーヌは二人に囲まれながら、どこか安堵するように微笑んだ。

彼女の胸の奥にある痛みも、この瞬間だけは忘れられそうだった。


やがて、二人がアクディーヌを名残惜しそうに離れ、部屋の扉の方へと向かっていった。


「じゃあ、僕たちはそろそろ行きますね。師匠、気を付けてくださいね」

「姉さん、ちゃんと見送りたいですが、少しやることがあるので行きますね」

「はい、気にしないで行ってきてください。……また、お会いしましょう」


アクディーヌは、去っていく二人を見送りながら、ふと小さく息をついた。

窓の外からは、天界の光が優しく差し込み、彼女を包み込んでいる。


「さてと、念願の下界に行きますか!」


アクディーヌは軽く肩をほぐしながら、その場から瞬時に姿を消した。


「また天界に戻る頃には、少しは変わっているといいのだけど……」


その呟きと共に、アクディーヌの姿は完全に消え、部屋には兄が置いた下界から持ち込んだであろう、砂時計が静かに時を刻むだけとなった。

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