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49 新たな日常と任務

雷雲が世界から消え去ってから二日が経った。

アクディーヌは静かな『水神の作業場』で、仕事に取り組んでいた。


今まで、マグトルムの命で下界に行っていた分の溜まり込んでいた山積みの書類に、アクディーヌはため息をつき、机の上に広がる書類を見つめた。


「分身くんが結構やってくれましたが、全然減らない……。それに、雷雨によって受けた被害の報告書もまだ整理できていないですし」


アクディーヌの目には、普段の輝きがなく、微かにクマができていた。

睡眠をほとんど取らずに仕事を続けていた彼女は、その疲れが顔に表れていた。

こんなにも、クマが出るほどに仕事に追われるのは久しぶりな気がする。


これまでにどれだけの時間をこの作業に費やしてきたのだろう。


「あの頃は、こんなに大変じゃなかったのに……」


彼女の頭にふと浮かんだのは、まだ兄が水神の座についていた時代の頃だった。

あの頃は、兄が担っていた仕事を、ただ傍で見守るだけで済んでいた。

それに比べて、今は水神となり全ての仕事を引き継ぐことになるとは思いもしなかった。


だが、弱音を吐く時間すら、今のアクディーヌにはない。

それと、あの胸の痛みが薬のおかげなのか痛みは無くなっていた。

いったい、あれはなんだったのだろう。


そんなことを思いながら机の上の書類を一枚手に取るが、視線はどこか宙を彷徨う。

目の前にある任務に集中できない。

頭の片隅に浮かんでいるのは、フィンレーやギルたちと過ごした下界での日々。

あの自由な時間が、遠い夢のように感じられた。


「次はサボって行けるのかも分かりませんし、行けるとしたら夜くらいでしょうね……」


そんなことを考えていると、扉が盛大に開かれた。

アクディーヌは一瞬驚いて顔を上げたが、現れたのは慌てた様子の分身だった。


「姉さん! 朗報です!」


分身は息を切らしながら駆け寄ってきた。

アクディーヌは机に広がる書類から視線を外し、やや疲れた表情で分身を見つめる。


「朗報……? マグトルム様たちが、遊歴に飽きて帰ってきたとか?」


アクディーヌは冗談めかして言いながら、疲れた顔に薄い笑みを浮かべた。

分身は首をぶんぶんと横に振る。


「違いますよ! いいですか、言いますからね!」

「もったいぶらないで、早く言ってください」


分身は勢いよく手を振り上げ、一通の手紙を掲げた。


「じゃじゃーん! なんと、マグトルム様から正式な任務が届きました! 」


そう言って、分身は手に持っていた一通の手紙をアクディーヌに差し出した。

それと同時に、扉を叩く音が聞こえ、アクディーヌはそれに対して「どうぞ」と返事をした。


「失礼いたします」


部屋に入ってきたのは、ムーソピアだった。

彼女は一歩一歩、無駄のない動きでアクディーヌのもとへ近づき、手に持った書類をきちんと整えながら差し出した。


「アクディーヌ様、これが今回の被害状況の最終報告書です。こちらの確認をお願いします」


ムーソピアは丁寧に書類の束をアクディーヌの机に置いた。


アクディーヌは、差し出された手紙と、ムーソピアが置いた新しい書類の山を見比べて、苦笑しながら小さくため息をつく。


「さてと、イグに頼んで燃やしてもらいましょっと」


アクディーヌが軽い調子で言うと、ムーソピアは目を細めながら淡々と返した。


「アクディーヌ様、そのようなことをされますと、さらなる倍の書類が届くことになりますが……。それでもよろしいのですか?」

「冗談じゃないですかぁ、燃やしたら私が死にます。はは」

「なら、早くやらなければ命の危険が増しますね」

「ムーちゃん、厳しい!」


アクディーヌは目を見開きながら、机に積み上げられた書類の山を見つめた。

ふと、分身が小声でクスクス笑うのが聞こえ、アクディーヌは眉をひそめた。


「分身くん、笑ってないで手伝ってください! 私が死ねばあなたも消えるんですからね!」

「え! 僕はまだやることがあるのに! いきなり、水に変わったときだって焦ったくらいなんですよ!」

「じゃあ、なおさら急いで書類を片付けないといけませんねぇ?」


アクディーヌは、苦笑しながらも書類に手を伸ばそうとした。

その瞬間、アクディーヌはふと思い出して、机の上に置かれた手紙に視線を戻した。


「そうだ、分身くん。マグトルム様からの手紙を読まないと」

「あ、そうでした!」

「アクディーヌ様、マグトルム様からの手紙とは?」

「私も分かりませんが、マグトルム様からの手紙だと分身くんが」

「私も共に拝見させていただいても?」

「もちろんいいですよ、一緒に見ましょうか」


アクディーヌは、手紙を取って封を切ると、分身とムーソピアが興味深そうに顔を近づけてきた。

そんな彼らにアクディーヌは苦笑いをしながら、手紙を開き読み始める。


「声に出して読みますね。『任務、下界に滞在して三人目の勇者を育てろ。また、下界と天界を勇者育成期間中は行き来してもよい。以上』……」


アクディーヌが手紙を読み終えると、部屋の中にはしばし静寂が訪れた。


すると、分身は眉をひそめて「三人目の勇者……?」と小声で呟き、ムーソピアも珍しく目を見開き無言のままアクディーヌを見つめていた。


アクディーヌは手紙を持ったまま固まり、状況が理解できずにいた。


(下界に行けることは嬉しいですが、いったいこれはどういう風の吹き回し?)


これまで、マグトルムは何度も彼女を下界から引き戻し、神の仕事に専念させようとしてきたのだ。


しかし今、彼女に与えられた任務は、勇者を育てるというもの。

しかも、下界と天界を行き来しても良いという特別な許可付きだった。


(マグトルム様は、私が人間の世界に関心を持つこと自体、あまりよく思っていなかったはずなのに……)


アクディーヌは疑念の感覚に包まれながら、手紙を見つめ続けた。


「分身くん、ムーソピア、これって罠でしょうか?」


アクディーヌがそう尋ねると、分身は少し考え込んだあと、首を傾げて答えた。


「マグトルム様が、姉さんに罠を仕掛けるとは思えませんけどね……。それに、マグトルム様の考えることは、僕にはさっぱり分かりません」


ムーソピアも眉をひそめ、静かに口を開いた。


「何か別の意図があるのかもしれません。ですが、いずれにせよ、これは正式な任務。慎重に進めるべきかと」


アクディーヌは手紙を握りしめ、少し悩んだ様子で考え込んだ。

彼女にとって下界に行けることは嬉しいことだが、この突然の命令には何か裏があるようにも感じられる。


「罠でも、行かないわけにはいきませんよね。なんてったって、また彼らと会えるのだから!」


アクディーヌはそう言いながら、下界へ行く準備に取り掛かった。




◆◆◆




「姉さん! これで最後の書類です!」


アクディーヌは書類を手に取り、机の上に軽く置いた。

すでに手際よく片付けた書類の山が隣に積み上がっている。


ほとんどの書類が、雷雨による被害の報告書ばかりだった。


「はぁ。天界も下界も、問題が山積みですね……」


報告書のほとんどが、天界からの破壊報告や下界での魔物による被害に関するものばかりだった。


例えば、下界では突如現れた魔物の影響で多くの冒険者が戦闘で負傷した報告や、天界では雷雨が神殿の一部を破壊したという内容が目につく。

しかし、冒険者に関する問題は神々の管轄外であり、直接対応する義務はない。

そもそも、被害の報告書を読んで確認したところで、ほとんどは四神たちの管轄している領域で発生したものだった。

それを、全ての情報が集まるこの聖塔であっても、いくらなんでも押し付けすぎではないだろうか。


アクディーヌは眉をひそめながら、書類の山を指で軽く弾いた。


「結局、これって私が処理する必要ないんじゃないですか? 四神たちの管轄する領域の報告書もあるのに、なんで私のところにこんなに送られてくるのでしょう」

「四神の管轄内であっても、最終的な責任者はあなたですから、アクディーヌ様。それに、先代水神様も同じように文句を言いながら全て処理なされましたから」

「はぁ、私はただの水神なのに……」

「姉さん、下界へ行けるのですから頑張りましょう! ほら、最後の書類ですよ」


分身はそう言って、一枚の書類を指でつつく。

アクディーヌは、ため息をつきながら書類を手に取ると、部屋の外からいくつかの足音が聞こえた。

この足音は、何百年前に何度も聞いた足音と同じだった。

分身は、怯えた様子で座るアクディーヌの後ろに隠れた。


「な、なんですか。この足音は」

「確認してまいります」


ムーソピアが扉のほうへと歩み寄ったとき、勢いよく扉が開かれた。

四神たちは狭い扉の前で押し合いへし合いしながら、なんとか部屋に入ろうとしていた。


「ちょっと、フェリクスあんた邪魔よ!」

「それはこっちのセリフなんだけど? というかスニューティオ、太ったんじゃない?」

「はぁ!? 女のアタシにそんなこと言うなんて、あんた殺されたいの?」

「フェリクスさん、スニューティオさん、早く入ってくださいよー!」

「お前ら邪魔だ」


その様子を見て、アクディーヌは呆れた表情で眉をひそめた。

後ろで隠れた分身は、安心したかのように息をついた。


「なんだ、四神たちですか」

「あらあら、勢揃いで来るだなんて珍しいですね」

「では、私は他にやることがございますので失礼致します」


ムーソピアは、四神たちを一瞥してから頭を下げ、部屋を後にした。

ムーソピアが部屋を出ると、四神たちは勢いよくアクディーヌに詰め寄った。


「ディーヌ! あの約束忘れてないわよね? 一緒に服を買いに行くこと」


スニューティオがまず声を上げる。

アクディーヌは微笑みながら頷いた。


「もちろんですよ、スーちゃん。後で行きましょうね〜」

「師匠〜、僕と一緒に薬を作りましょうよ〜」

「はいはい。またお誘いしますから待っててください、ウィンちゃん」

「ディーヌ、西の領域に来てよ。新しい花を植えたいんだけど、どこに植えるのがいいか見てほしいんだ!」


フェリクスが興奮気味に言うと、アクディーヌはやや疲れた表情で返事をした。


「後で行きますね、フェリちゃん」


そして、イグニーゼルは無言でアクディーヌに近付き、じっと見つめて口を開いた。


「おい、ディーヌ。早く剣を渡せ」


アクディーヌは大きなため息をつきながら答えた。


「後でちゃんと作って渡しますから、待っててください、イグ」


四神たちの突然の要望に、アクディーヌは頭を抱えたように目を閉じる。

目を開くと、全員が期待に満ちた目でアクディーヌを見つめている。


アクディーヌは、視線を書類に移しながら最後の印を押して体を伸ばした。

そして、机の上で手を組み、見つめ続ける四神たちを見上げた。


「さてと、誰から手をつけましょうか」

「アタシ、アタシからよ! 一番最初に約束したんだから!」


スニューティオがすかさず手を挙げる。


「はぁ? ディーヌの服は僕が作るって言ったじゃん! それに、店に並んでる服をディーヌが来たら、ディーヌの価値が下がるだろ!」

「どういうことよ!」


フェリクスは腕を組みながら、スニューティオを睨みつけた。


「師匠〜、僕と一緒に薬作りをしてくれるって言ってくれましたよね? ほら、面白そうな材料を集めたんです!」


ウィンディは得意げに、瓶の中に入っている多種多様な雑草を揺らした。


「ウィンちゃんは、いつでも薬作りできますし、また頼みたいときにまた呼びますね」

「はーい」


すると、腕を組むイグニーゼルと目が合う。


「あ〜、イグは……。ちょっと待ってくださいね」


アクディーヌはそう言って、泡の中を探り始める。


「うーんと、これでしたっけ? あ、見つけました!」


取り出したのは、イカつい装飾が施された大剣だった。


「なんだこれは」

「これは、六百年前だったかしら? 下界に遊びに行った時にとある友人がいらないからってくれた大剣です!」

「……こんなものいらん、俺はこの世にない強い剣が欲しいんだ。早く作れ」

「はぁ、分かりましたよ。作ればいいんでしょー? 作れば」


すると、分身がアクディーヌの後ろからそっと顔を出し、ひっそりと囁いた。


「姉さん、前に偶然できた剣でいいんじゃないですか?」


アクディーヌは振り返って口を開く。


「それもそうなのですが、イグはうるさいからそれでは納得しないんですよねぇ〜」


イグニーゼルは腕を組んで苛立ちを隠せない様子でアクディーヌを見つめている。


「今から作れって言われても、時間がかかるから待っててください」


そしてアクディーヌは、後ろにいる分身に耳打ちをする。


「もう、適当に作った剣を渡してもバレないかしら? あれも以外と強そうに見えるし」

「いけますよ!」

「何をこそこそ話しているんだ」

「はいはい、強い剣ですね! 大丈夫、すぐ作りますから!」


アクディーヌはそう言いながら、立ち上がる。


「皆さん! 今からスーちゃんの順番で皆さんの要望を片付けます! さぁ、行きますよ!」


アクディーヌの言葉に、スニューティオは満面の笑みで手を叩いた。


「ふふん、やっぱりディーヌは分かってるわ!」

「ディーヌ〜、服なら僕が作ってあげるのに〜」

「それも嬉しいですけど、スーちゃんと約束しましたからそれはまた今度でお願いします。さぁ、行きますよ。文句を言ったら下界に行っちゃいますからね」


早足で、部屋を出ようとするアクディーヌに分身含めた四神たちが慌てて後を追った。


どうやら、下界に行く前に彼らの要望を何とか片付けなければならないらしい。

アクディーヌはため息をつきながらも、軽やかな足取りで廊下を進んでいった。


すると、後ろにいた分身がまたもや小声で囁いた。


「姉さん、本当に大丈夫なんですか?」

「大丈夫ですよ、もともとマグトルム様を見つける交換条件として私が言い出したことですしね。それに、下界へ自由に行けることになったのですし、これくらい容易いことです!」


アクディーヌは笑みを浮かべながら答えた。


その背後で、スニューティオが鼻息を荒くスキップしながら、「やっぱり私が一番よね!」とご満悦な様子だった。

イグニーゼルは黙って不機嫌そうに後ろをついてきていた。


そんな彼らに、密かに笑みを浮かべながらアクディーヌは聖塔を後にした。

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