46 宿敵と衝撃
少しグロテスクな表現が含まれておりますので、苦手な方はご注意くださいませ。
銀の魔神は、白い霧となりゆらゆらと浮くだけだった。
「まさか、意識だけを飛ばしてこちらに来るだなんて相当死にたいようですね? あ、死ねないんでしたっけ? それは残念」
アクディーヌの挑発に、後ろにいたアンドレアは納得したかのように部屋の隅の方へと隠れた。
「それで……私に何か御用ですか? あいにく、私は人間の子と楽しくお喋りをしていた最中なので、邪魔をされると心底不快です」
『…………』
「意識だけでは、喋ることはできないのですね。なら、ささっと封印されてくれませんか? あなたの中にあるその力、私の勘違いであればいいのですが、私の大切な方のものですよね。あなたが意識体でなければ、今すぐにでもあなたに刃を向けていたのに」
そう言うアクディーヌだが、両手が異様に震えていた。
今、目の前にいるのは、銀の魔神本体ではなく意識体ではあるが、そこから感じ取れる邪悪な力は真っ白な霧となって現れた銀の魔神に相応しくないほどに、身の毛がよだった。
今は相手にしてはいけない。
たとえ、意識体であろうといくら神であったとしてもマグトルムでさえ倒すことができない相手に立ち向かったところで、死にに行くようなものと同じだ。
今は、このアンドレアを守るのが最優先だ。
そう思いながら、アクディーヌが背を向けてアンドレアの方へと向かおうとしたそのとき、突如何かが壊れる音がし、振り返るのと同時に銀の魔神がこちらに向かって襲いかかってきた。
アクディーヌは、部屋が壊れないようにと瞬時にバルコニーまで移動し、空中に移動する。
銀の魔神は、ゆらゆらと動き、体に雷を纏い始めた。
「……私を殺すつもりですか?」
心配になって様子を見に来たのか、アンドレアがバルコニーから「アクディーヌ様!」と叫ぶ声が上がる。
「アンドレアちゃん! 少し、姿を消しますね!」
そう言って、アクディーヌは気配を消す。
銀の魔神は、神であるためアクディーヌの姿が見えるのか、城よりも高く空を飛ぶアクディーヌを追った。
「しつこいですね、あなたのためにわざわざ結界の近くまで上がったのですから感謝してほしいですね」
その言葉に反応したのか、銀の魔神は意識体でありながらも、黒魔術のような魔法を放ってきた。
「……黒魔術ですか。ですが、そんなもの私に効きませんよ!」
アクディーヌはそう言って、右手を上げ大きな泡を作り出す。
その泡が盾となり、銀の魔神が放った黒く濁った無数の氷柱を弾き返す。
しかし氷柱はすぐさま戻り、四方からアクディーヌを取り囲んだ。
「面倒ですね……。禁忌とされた古代の魔術がこれほどにも鬱陶しいとは思いもよりませんでしたが、研究しておくべきでしたね」
かつて太古の昔、深淵から現れた魔神が『黒魔術』を生み出したと、マグトルムから聞いたことがある。
闇の底から生まれでた魔神は、マグトルムの目を盗み世界に破壊と絶望をもたらすために人々の前に姿を現した。
この魔神は闇の底から生まれ出たときから、黒魔術を操る存在であり、人に姿を変え、古代の賢者たちの心に入り込み、禁断の知識を囁いたとされている。
この魔神の甘美な言葉を信じた賢者たちは、やがて黒魔術の虜となり、魔神によって懐柔されたという。
さらに、自然の法則を捻じ曲げるほどに、黒魔術の呪文を指先から解き放つことによって死者を蘇らせることができるということから、『禁忌の力』とされている。
しかし、死者を蘇らせることは自身の寿命を削るため、寿命が足りなければ蘇らせるどころか、自身の命を一瞬にして奪い取られてしまうため、使うものはいなかったという。
死ぬことができない魔神は、この世界を創ったマグトルムでさえ殺すことができない。
しかし、唯一殺すことができる存在がいるらしいが、それがマグトルムが最初に創り出した古代の神だった。
そして、マグトルムにとって家族のような存在だと言う。
しかし、とある理由でその古代の神と対立し、ついには、自らの手で封印することとなってしまったのだと言う。
それを話していたマグトルムの表情は、見たことがないほどに悲しい表情をしていた。
(マグトルム様から少しだけ聞いた話だというのに、どうしてか複雑な気持ちになるのは何故でしょう。マグトルム様があのような表情をなさるほどに、深刻だったのは分かりますが、この感情はいったい……)
そう思っていると、突如四方八方から脅しのように周りを取り囲む黒く纏った氷柱が、アクディーヌに向かって雨のように降りかかる。
アクディーヌは一気に下降し、泡を作り出し氷柱を閉じこめた。
そして、泡を両手で抱くように左右から潰し消し去る。
「魔神さん、そろそろ諦めたらどうですか? 私を殺したところで、需要もなにもないですよ」
しかし、銀の魔神は再び黒魔術を発動しようとしていた。
「全く、話の通じないお馬鹿さんですね。戦うつもりはありませんでしたが、あなたがその気なら戦って差し上げましょう」
アクディーヌは、指を鳴らし頭上に無数の泡を出現させた。
泡は、光の反射によって七色に輝き鋭利な武器へと変化する。
水の刃に変化させたアクディーヌに銀の魔神は、再び黒く纏った氷柱を出現させた。
「あなたの氷柱と、私の水の刃、どちらが勝つことができるのでしょうか? もし、私が勝ったらあなたは大人しく封印されてください」
そう言って、人差し指を軽く振り、瞬時に水の刃は氷柱に向かって素早く突進する。
それと同時に、氷柱もアクディーヌの水の刃に向かって素早く突進し、二つの攻撃は衝突し衝撃波が空中を揺るがした。
「……下にいる人々に流石に気付かれてしまったでしょうが、仕方ありません。あなたはたとえSランクの者であろうと攻撃を与えることができないでしょうから、神である私が解決します。これは、神の法則に反していませんし今はマグトルム様もお兄様も手が離せない状態でしょうしね」
今目の前にいる、この意識体である銀の魔神は必ずと言っていいほどに、攻撃をすることは人間には無理だろう。
とはいえ、たとえ水神の身となったとしてもこの者は攻撃をしたところで滅ぶことはない。
それに、意識体だけを滅ぼすことができたとしても、本体がある以上封印しなければこの世界は危険だ。
兄は神の出番が必ず来ないと言っていたが、人間たちが知らない場所で水神と魔神が戦っているのだから、実質ただの戯れだと思っていいだろう。
だが、兄ですら予想していなかったことが起こっているのだとすると、マグトルムや兄は相当あちらで慌てているに違いない。
(意識体を私が封印し、本体をマグトルム様たちが封印すればどうにかなるのかしら……。いいえ、やってみるしかないわ)
アクディーヌは封印をするために、神力を解放しようとした突如、水神の胸に鋭い痛みが走った。
「……っ!?」
息が詰まるような感覚。
感じたこともない初めての感覚に、戸惑いを隠せないでいるアクディーヌ。
何が起きたのか分からないまま、胸を抉るような強い痛みに思わず胸を押さえる。
さらに、胸の奥から熱い何かが込み上げ、思わず咳き込む。
反射的に手で口を覆うと、鼻から鉄のような匂いが通る。
疑問に思い、口を覆っていた手を離すと手のひらには、赤く染まった血が滲んでいた。
「……え?」
アクディーヌは呆然とする。
今まで、こんなことなど一度も起きたことがなかった。
それに、神は簡単に病にかかったり呪われたりすることはない。
この原因が、先ほどの戦いで力を使いすぎたのか、それとも銀の魔神の隠された攻撃によるものなのか。
自身の体内で何かが狂い始めている。
今まで、回すことなく止めていた歯車が何かの不具合で動き始めたかのように。
呼吸が荒くなり、視界が霞んでいこうとしているアクディーヌに銀の魔神は容赦なく、氷柱を放った。
「……ふふ、あなたにとって……絶好の機会のようですね」
歯を食いしばり、痛みに耐えながら水神は咄嗟に手をかざし、目の前に大きな泡を作り盾とする。
氷柱が泡に衝突するとともに、再び胸に強い痛みが走り、胸を押さえる。
謎の痛みによって泡が限界を迎えようとしているのを察したアクディーヌは、咳き込みながらも力を振り絞り、空中に無数の水の刃を出現させた。
だが体力だけでなく、神力を解放することが難しくなっていることに気が付く。
さらに、体が少しだけ思うように動かず水の刃を出現させたはいいものの、徐々に体の力が抜けていき、放つための力が湧かなかった。
「……良かった、作りかけではありますがあの薬を持ってきておいて」
そう言ってアクディーヌは、いつでも研究できるようにと泡の中ではなく太ももの装飾に取り付けて隠してある三本の瓶のうちの、オパール色をした瓶を取り出した。
これは、風神ウィンディが持ち出したアクディーヌの研究途中の瓶だった。
「『蘇生瓶』という名がある以上……不可能なもの可能にしてしまうという素晴らしい効能を持っているこの薬なら……たとえ完成品でなくても、ある程度のものなら治せるはずです……」
アクディーヌは、瓶に向かって人差し指を上に向かって振る。
瓶の中からは、小さな玉くらいの水中に浮かび上がるような泡が浮かんでくる。
その泡を口に向かって移動させ口に含み、飲み込んだ。
その瞬間、体内で瞬く間に綺麗なものが広がっていく感覚があった。
しばらくの間、何も変わらなかった。
だが、次第に彼女の胸の痛みが徐々に和らいでいくのを感じた。
彼女は深く息を吸い込み、心を落ち着かせる。
力が徐々に戻っていってはいるが、謎の病のようなものを治ったわけではなかった。
痛みを和らげ、症状を一時的に抑えているだけで根本的な解決にはなってはいなかった。
(たとえ、治ってはいなくともこれなら、痛みに振る舞わされずに戦える)
アクディーヌは、瓶を太ももに身に付けている装飾へ戻し銀の魔神を見つめる。
「今度は、しっかりと封印をして差し上げます」




