45 諦めの悪さ
眠る少女の部屋で傍にあった本を読んでいると、ふとある内容にアクディーヌは鼻で笑う。
その本には、先代水神である兄のことが書かれていた。
『アイテールティアが誕生する遥か以前より、先代水神クラルディウスは人間たちと親しく交流していた。彼は、その端整な容姿と共に、慈悲深い微笑を絶やさず、神とは思えぬほど親しみやすい人柄で知られていた。それと同時に、目を合わせた者すべてが感じるほどの威厳と圧倒的な知性を兼ね備え、国を統治した。そして、時が来ると共に、初代皇帝リヒャード・アイテールティアにその権力と名を譲渡したのだ』という内容が記されていた。
兄がアイテールティアの名と権力を初代皇帝に譲ったことは知っていたが、『人柄が良い』という部分は妹であるアクディーヌからすれば、全くの嘘だ。
あの兄に似ていると多くの神官や神々に言われるこのアクディーヌですら、性格が良いとは言えないのだから。
どうやらこの著者は騙されているようだ。
どこの神官かは知らないが、もう一度書き直したほうが良いのではないだろうか。
そう思いながら、さらにページをめくると、今度はアクディーヌ自身について書かれていた。
『突如として、先代水神クラルディウスの妹君であらせられる、水神アクディーヌが代替わりのようにして水神の座についた。彼女は、知恵と優しさに満ちていると評判だ。だが、先代水神クラルディウスとは異なり、彼女はまだ一度も人々の前にその姿を現したことがない。信徒たちは彼女がいつその美しき姿を見せるのか、日夜待ち焦がれている。想像の中でのみ描かれるその姿は、神秘的なまでに美しく、まるで水面に映る幻影のように儚いと言われているが、いまだ誰も確かめることができていない』と記されていた。
この記述を読んで、アクディーヌは思わずため息をついた。
今の目標は、人々の前に姿を現すことだ。
だが、水神となって百年が経ってなお、何を迷っているのか姿を現せないでいる。
『緊張』『不安』『恐怖』といった様々な感情が、溢れかえり胸の奥でつっかえたままでいた。
いつまでも、取れずにその感情があるせいで姿を現すことができないままでいるのだ。
どうしたら、その邪魔なものを取ることができるのか、何度も考えてはいたが解決策は何一つ見つかることはなかった。
今でも、少女の部屋で人々の行く末を見届けているが、これはまるで逃げているのと同じだ。
兄には、『人々の力を見てこい』と言われたが神である自分が何もせずにただ見ているだけなのは、本当に正しいことなのか、と常に思ってしまう。
それが法則だからなんだ、人間が解決できそうにない出来事が今、目の前で起こっているのだとしたら今こそ神の出番ではないのか。
いったい、どうしたらいいのだろう。
そのとき、少女が「うーん」と寝返りを打つ声が聞こえ、アクディーヌは慌てて本を閉じた。
少女は体を起こし目を擦る。
(い、いけない! またうっかり気配を消し忘れてました! 仕方ありません、秘密兵器を出すしかないようですね)
アクディーヌはすぐさま泡から仮面を取りだし身に付ける。
「……え?」
「ど、どうも〜」
「あ、アクディー……んぐっ!?」
「しっー! 私はアクディーヌ……様ではないですが、一応声を抑えましょう?」
アクディーヌによって、口を押さえられながら少女は首を縦に振る。
結局、いつかは姿を現すというのに正体を隠す意味が分からないが、一応念の為だ。
「あなたが心配で見に来ちゃいました」
「わ、私のことを?」
「はい、お兄さんのことで何か揉めてたりしてないかなぁ、と思いまして」
「あ、ぜ、全然大丈夫です! その、あの時はすみませんでした……」
「え? 何故謝るのですか?」
「私のせいで、アクディーヌ様が危ない目にあったかと思うと……」
「…………」
どうやら、この少女は本気でアクディーヌだと思っているようだ。
だが、こうなればもう隠す必要はないのかもしれない。
アクディーヌはため息をつきながら、少女の頭に右手を置く。
少女は驚き顔を上げる。
「あなたは本当に、私のことを水神アクディーヌだと思っているのですね」
「は、はい! だって、あの時と同じ雰囲気を纏っているんですもの!」
「同じ、雰囲気? あの時、とは?」
「私に、『聖騎士になる』とおっしゃったときです!」
覚えもないことに頭を抱えたくなるが、彼女の目はまるで目の前で起こった出来事のように、真っ直ぐな目でこちらを見ていた。
もし、本当に自分が彼女に言ったことなのだとしたら、覚えていないという疑問よりも、彼女の純粋な心を受け入れるのが先だ。
アクディーヌは、そう思いながらぷっと吹き出す。
「え?」
「ふふ、すみません。あなたのしぶとさについ笑ってしまいました。もう、あなたには敵いません」
そう言って、仮面を外し、再び少女の頭に右手を置く。
「………っ!」
少女は衝撃のあまり顔を手で覆った。
「私の名はアクディーヌ。この国の二代目の水神です。はじめまして、小さな少女」
「……あ、あ、アクディーヌ様ぁぁ! やっぱりアクディーヌ様だぁ……!」
突然泣き始めた少女に、アクディーヌは宥めるかのように頭を優しく撫でる。
「ごめんなさいね、事情があって正体を明かすことができなかったのです。でも、神官でもないあなたはすぐに気付いたのですから、あなたなら、正体を明かしてもいいと思ったのです」
アクディーヌの言葉に、少女はさらに目から大きな粒を流しながら声を上げた。
そして、少女はアクディーヌに抱きつく。
「アクディーヌ様が綺麗すぎて、見られないよぉ……!」
「え!?」
「それにいい匂いするし、瞳が綺麗で直視できないし温かいしで、なんなんですかぁ……!」
「えぇ……?」
ふと、アクディーヌは思い出す。
ギルと出会ってから、この少女のように抱きしめられることが多いが、ギルもまた少女と同じような表情をたまにしていたのだ。
そう思うと、少女とギルはとても似ている。
「アクディーヌ様……」
「なんですか?」
「……大好きです」
少女はアクディーヌのお腹に顔を埋めながら囁いた。
アクディーヌは微笑みながら、少女の頭を撫でた。
まさか、衆人ではなく一人の小さな少女に水神として姿を現すとは思わなかったが、今ではとても心が落ち着いた気がした。
胸の奥につっかえたままでいた邪魔なものが、小さく消えていくのを感じた。
(――本当に人間というのは、大変素晴らしく温かい。だから、私はそんな人間に憧れているのです)
◆◆◆
少女に正体を明かしてから、数分の時間が経った。
部屋の中で、少女は机の上に複数の人形を並べていた。
少女は、嬉しそうに机に並べるその人形には、既視感を感じた。
全ての人形を並び終えたのか、少女は目を輝かせながら人形について説明を始めた。
「見てください! これは『アクディーヌ様人形』です!」
「やはり、どこかで見たことがあったと思ったら私でしたか。それにしても、これはお店とかで売ってもいいくらいに上手ですね」
アクディーヌは人形を手に取り、凝視する。
机に置かれている人形の数は、五つほどあった。
その人形はそれぞれ種類が違く、剣を持つアクディーヌ、祈るアクディーヌ、微笑むアクディーヌなどが作られていた。
「私が妄想しながら作ったアクディーヌ様人形ですが、やっぱり予想通りでした!」
「なんと言いますか……、物凄く完成度が高いですがあなたが思い描くような私ではありませんよ?」
「いえ、そのまんまです! とても美しいです!」
「本当ですか……? まぁ、あなたがいいのなら、よしとしましょうか」
「あの、アクディーヌ様。今更なんですけど、いきなり現れたあの雲はなんなんですか?」
少女はそう言って、魔物が溢れ出す雷雲を指差した。
「あれは、悪いお馬鹿さんが悪さをして世界を滅茶苦茶にしようとしているんです」
「お馬鹿さん?」
「はい、ほらこの本に描かれているような魔王ちゃんみたいな方です」
傍に置かれた本を取り出し、紙をめくるアクディーヌは魔王に関して書かれた場所を開き、絵を指差す。
そこには、六百年前に現れた魔王が描かれていた。
二本のツノと、漆黒の翼、そして魔王らしい服装が想像によって生み出されたものだと錯覚するほどに、アクディーヌが見た実物の魔王とはかけ離れていた。
だが、子供向けによって作られたものだとしたらそれが一番良いのかもしれない。
六百年前の実際の魔王は、若い魔王でアクディーヌにとっては子どもだった。
性格は、生意気かつ良いとは思えなかったが王としての意志が強かったことだけは一番の印象的だ。
実際に直接対面し、戦ってはいないが神官たちが怯むほどに力があったことは覚えている。
けれど、魔王は力がなければなることができないことは誰しも知っている。
頭脳や思いやりの心があったとしても、所詮は力がなければ魔王にはなれないのだ、とかつて戦った魔族が言っていたのを思い出した。
そんなことを思っていると、少女は隣で胸を張った。
「この私が倒してみせます! だから、早く聖騎士になりたいです!」
「……聖騎士。ふふ、それならば期待しています。もし、あなたが聖騎士になれたら、正式にあなたに力を授けましょう」
「……! 本当ですか!? わぁ、嬉しいです!」
「ですがその前に、名前が分からなければあなたの名を呼べません。私は知っての通りアクディーヌですが、あなたの名前はなんですか?」
「あ、そうでした!」
少女は立ち上がり、アクディーヌの前でスカートを持ち、片足を斜め後ろにやり、腰を折る。
そして、少女は口を開く。
「私の名前は、アンドレア・グローカンラと申します。家の事情で、今はこの城に留まっております……。私ちゃんと言えてましたか!?」
「はい、素晴らしかったです! アンドレアちゃん」
「えへへ……」
すると、突如外から雷鳴が轟いた。
それと同時に、閉められていたバルコニーの扉が開かれその衝撃で机に置いてあったアクディーヌ人形が倒れる。
(……! この気配……)
アクディーヌは、アンドレアを後ろにやりバルコニーを見つめる。
「な、なに……」
再び雷鳴が轟き、瞬きをした瞬間、目の前には白く霧かかったものがこちらを睨みつけるかのように浮いていた。
このとき、アクディーヌはこの謎の物体から覚えのある力を感じ取る。
それが、自身にとって最も大切な存在である特別な力の感覚を。
「――自ら現れるなんて、愚かですね。『銀の魔神』」
アクディーヌは、銀の魔神を睨みつけながら微笑んだ。




