39 込み上げてくる思い
アクディーヌは屋根を伝いながら、気が付けば冒険者ギルドの上にたどり着いた。
周囲には多くの冒険者が集まり、皆が雷雲のことを話題にしている。
ギルドの前では、受付嬢のブルーナが心配そうに空を見上げていた。
(ブルーナさんには迷惑をかけましたし、今度来たときに謝りましょう)
アクディーヌがそう考えながら冒険者たちを観察していると、突然の怒号が聞こえてきた。
「いったい、これはどうなってるんだ! いきなりこんな不気味な雲が現れ、さらに雷まで鳴っているんだぞ!」
「これは水神様のお怒りだ! 間違いない!」
「そんなわけないでしょう! あの優しい水神様がこんなことするはずがない!」
「だったら、この雲はなんなんだ!」
冒険者たちの論争をただ見つめるアクディーヌ。
その時、また別の声が飛び込んできた。
「水神様なら、この雲をなんとかして下さるはずだろ?」
「じゃあ、どうして何も変わらないんだ!」
「今の水神様はどうやら先代水神様の妹君だそうだな。きっと、先代水神だったらこの雲をどうにかして下さったはずだ」
その言葉に続くように、急に激しい雨が降り始めた。
人々は雨から逃れるために慌てて家に駆け込む。
ブルーナも冒険者ギルドへと戻っていった。
きっとこれも神を悪く言ったことへの代償として、水神の怒りだと言うのだろう、とアクディーヌは思った。
(まずいですね……雨が降り始めたってことは、結界が破られたということ。お兄様ならこんな雷雨をすぐに収めるはずだけど、時間がかかってるということは、手が離せない状態なのかしら。今は、人間たちがどう動くか見守るしかありませんね)
アクディーヌは雨に打たれながら、逃げ惑う人々を静かに見つめていた。
すると、見慣れた少年が冒険者ギルドに向かって歩いてくるのが目に入った。
(……! あれはギル?)
雨の中、屋敷で別れたはずのずぶ濡れのギルがギルドへと入っていく。
こんなにも雨が降っていれば、風邪を引いてしまうに違いない。
アクディーヌはそれを追って、ギルドのバルコニーに降り立ち、廊下を歩き下の階に続く階段に立ち止まる。
下の様子を覗くと、ブルーナが慌てた様子でギルをタオルで拭いているのが見えた。
「ギル君! どうしてここに来たの! 今は大変な状況なのに、危ないでしょ!?」
「ブルーナ、スイは来てないよね?」
「え? スイさん? 来てないけど……」
「スイって世間知らずだし、仏頂面雑草男がいたとしても心配なんだ」
アクディーヌはその言葉に目を見開く。
知り合って間もないのに、自分を心配していることに驚いた。
「スイさんは来ていないけど、ギル君も見たでしょ? 悪い奴らを追っ払ったあの勇姿。スイさんなら心配しなくても大丈夫だと思うわよ?」
「そうだけど……」
「水神様はいったいなにしてやがる! 全く助けてくれやしないじゃねぇか!」
すると、冒険者の一人が叫び、再び怒号が響く。
「え……なに」
「またあの人たちね…」
ギルとブルーナは冷たい目でその様子を見つめた。
さらに、冒険者ギルドに集まる他の冒険者たちも、ギルたちと同じような目をしていた。
「おい聞いたか? この国だけじゃなく全世界がこの雲で覆われてるそうだ」
「おいおい、嘘だろ!? じゃあ、この雲はなんなんだよ!」
「ねぇ、もしかしたら神様が助けに来ないのは雲の上で戦っているんじゃないかしら!」
「はっ、そんなわけないだろ。神がいなかったら俺たち人間はとっくに死んでるね」
冒険者たちの間で言い争いが始まり、アクディーヌは目を閉じて四方八方から飛び交う言葉を聞きながら、彼らの感情が色となって交じり合うのを感じた。
「本当に大人って馬鹿だよね」
突然、ギルの声がギルド全体に響き渡った。
一部の冒険者たちが彼を睨みつける。
「あ? なんだと」
「馬鹿で頭が悪くて、人を貶すことに何も抵抗がないんだからさ。それも神様に対しても」
ギルはそう言いながら、ギルドの中心に立った。
「神様を貶すなんて、情けないと思わないの? 神様だってできることに限界があるんだよ。何でもかんでも神様のせいにして、失礼なことを言うなんて、自分から死にに行くようなものだって分からないの?」
「ぎ、ギル君……!」
「おじさんたちはさ。散々、神様のことを貶してるけど、逆におじさんたちは何ができるの? 魔物盗伐? お金儲け? それとも喧嘩かな?」
「このガキが……!」
冒険者の一人がそう言いながら、殴りかかろうとしていた。
ギルは微動だにせず、殴りかかる男を見上げていた。
「ギル君、危ない!」
ブルーナが声を上げた瞬間、男のうめき声が聞こえた。
その光景に、アクディーヌは目を見張る。
男が地面に倒れ込んでいたのだ。
さらに、ギルはその背中を踏みつけ、冷たい目で見下ろしていた。
(私が目を離した瞬間に、いったい何が起こったというのですか……)
ギルの行動にブルーナ含めた冒険者たちが唖然としていた。
「言っておくけど、僕には勝てないよ。この見た目でも一応Aランクだから。それに、基本僕は殴りかかられたとしても手は出さないけど、今回だけは手を出させてもらうから」
ギルは、男の背中を踏みつけながら静かに言った。
(もしかして、この前襲われそうになっても黙って立っていたのはこういうことだったのでしょうか? でも、ギルならやりかねませんね)
すると、またもや雷が落ちた。
踏みつけられている男は、足が緩んだギルの隙を狙って逃げ出して行った。
そろそろ、他の場所にも行かないとならない。
ギルが少しだけ気にはするが、今の彼なら大丈夫そうだ。
それに、彼の正義感に感謝しなければ。
アクディーヌは、そっとギルのもとへと行き耳元で囁いた。
「ありがとう」
そう言って、冒険者ギルドを去るアクディーヌに「スイ……?」というギルの声が聞こえたが、聞こえないふりをすることにした。
今はアクディーヌだ、『スイ』という人間は今はいないのだから。
そう、今は。
◆◆◆
「今、スイの声が聞こえた気がする……」
ギルは、呆然としながら呟いた。
いないはずの彼女の声が耳に届き、とうとう自分が正気を失ったのではないかと疑った。
しかし、あの声は間違いなくスイのものだった。
「え?」
「絶対、あの声はスイだよ! 『ありがとう』って、そう言ったんだ!」
「わ、私には聞こえなかったけど……」
ギルの視界が滲み、一粒、二粒と涙が床に落ちる。
まるで記憶の欠片が甦るように。
スイと初めて会ったときのこと。
冒険者ギルドで助けられた瞬間。
彼女に初めて贈った特別なフード付きマント。
それらが走馬灯のようにギルの脳裏に浮かび、涙として具現化されていた。
「ぎ、ギル君!? どうしたら……、一応受付の後ろにある部屋に行きましょ? ね?」
ブルーナの優しい声に、ギルはただ頷き、鼻をすすりながら涙を袖で拭って立ち上がった。
泣いてばかりでは何も変わらない。
(こんなに泣き虫なのが嫌でたまらない。子供っぽくて、大人になりきれない自分が悔しい……。あのユウェシルが羨ましくなる)
自分の未熟さが悔しくて、ギルの心に苛立ちが募る。
どうすればもっと強くなれるのか? その答えがわからない。
やはり、あのギルドマスターである不審者に聞くしかないのだろうか。
そう思いながら、受付の奥にある小さな部屋に入り、椅子に腰を下ろす。
ギルは意を決して、口を開いた。
「ねえ、ブルーナ」
「何? ギル君」
「あの不審者……ギルドマスターはいつからSランクになったの?」
「……そうねぇ。あまりここでは話しちゃいけないから小声で言うわね。実はギルドマスターは生まれたときからSランクだったらしいのよ」
「え?」
生まれたときからSランクなんてありえない。
力を持つ者がランクを与えられるこの世界では、誰もがDランクから始め、努力と経験を積んで上位ランクに進むのが常識だ。
冒険者だけでなく、魔力や異常な力を持つ者も全て同じ規則に従っている。
後継者だろうが、それで優遇されることはないはずだ。
「それはおかしいよ。普通は、どんなに素質があってもDランクから始めるのが規則だよ」
「そう思うわよね。でも本当なのよ。私も初めて聞いたときは耳を疑ったわ。詳しい話は教えてもらえなかったけど、ひとつ確かなのは――ギルドマスターは、その力があまりにも危険すぎて、冒険者協会が危険視しているってこと」
「危険……? それじゃあ、生まれたときから危険な存在だってこと? もし本当にそんなに危険なら、誰かを殺していてもおかしくないよ」
「ギル君、気になると思わない? ギルドマスターが毎日のようにサングラスをかけていることが」
「おかしいけど、顔を隠さなきゃいけない理由があるからとかじゃないの?」
ギルが首を傾げながら、そう言うとブルーナは近付き口を開いた。
「そう。その理由は、ギルドマスターの目が人間のものじゃないから、という噂があるのよ」
「人間の目じゃない?」
ギルは驚いたが、ふと思い出す。
スイだって普通の人とは思えない美しさを持っていた。
本人は気にしていたが、その姿で街を歩けば誰もが崇拝するだろう。
だが不審者の場合、目を隠しているのだ。
このブルーナでさえ、見たことがないのだからギルドマスターであっても怪しまれてもおかしくはない。
「この前、冒険者協会がギルドマスターに目をつけているって話したでしょ。その理由ははっきりとはわからないけど、私はやっぱり彼の目が関係していると思うのよ」
「目が変だからって、協会が目をつける理由になるの?」
「本当よね。何を考えているのか、さっぱりわからないわ」
そう言いながら、ブルーナはやれやれと首を横に振った。
(ギルド協会……。僕、あんまり詳しくはないけどスイとまた出会えたら、近付かないように言っておかないと)
窓の外を見ると、いつもの澄んだ空とは違い、不穏な雲が街を覆っていた。
ギルは視線を外に向けたまま、ふと違和感を覚える。
この光景は初めてではないように思え、目を擦った。
もしかしたら疲れているせいでそう感じただけかもしれない。
そう思いながらも、天気は晴れることもなく街には降りしきる雨と雷が落ちていくだけだった。




