37 赤髪の少女
「下界まで雷雲が垂れ込めているだなんて」
下界に降り立ったアクディーヌは、偶然城の頂上に着地し、空を見上げる。
頂上であることは気にせず、真剣な眼差しで雷雲を見つめ続けた。
天界と下界にはマグトルムによって結界が張られており、それによって境界線ができている。
そのため、今では状況は違うが基本は天界の澄んだ空とは対照的に、下界も同じ空だと明らかにおかしいのである。
つまり、下界でも雷雲が垂れこみ、雨が降り始めようとしているとなると結界が破られたと言っても過言ではないのだ。
下界では雨が降ってはいないが、じきに降り始めるとなると相当まずい状況になる。
すると、城の下からドンッと音が鳴り、青い煙が立ち上るのが見えた。
「あれは……発煙筒でしたっけ?」
アクディーヌは、城の下を確認しようと城に巻き付く水の渦を軽々と歩き、バルコニーに飛び降りた。
そこが誰の部屋かも分からず、気にせずにいたが、バルコニーの扉が開き、アクディーヌは目を見張る。
そこには、肩までの赤毛と薄紫の瞳を持つ、気の強そうな十歳くらいの少女が唖然と立ち尽くしていた。
(ど、どうしましょう! スイではなくアクディーヌとして来ていたんでした! でも今ここで気配を消すのもあれですし……。まぁ、お兄様と違って私は姿を現したことがないですし大丈夫ですよね? あ、私っていかにも水神みたいな容姿してたんでしたっけ、はぁ)
アクディーヌはそう思いながら、片手を後ろにやり、泡から何かを取り出す。
(昔、イグから貰った謎の仮面があったはずなんですが……あった!)
泡から謎の仮面らしきものを取り出したアクディーヌは、素早く仮面を身に付けた。
この仮面は、何百年か前にまだ幼いイグニーゼルから自分で作ったものだと、渡された白い仮面である。
その仮面は、赤い線で微笑む顔が描かれていた。
目元は細く、口元も笑みが描かれているため、少し息苦しい。
(この仮面、ただの怪しい人みたいじゃないですか。子供が泣きますよ。でも、イグがせっかく作ってもらったものですし……)
アクディーヌは素早く仮面を装着した。
少女は訝しげにアクディーヌを見上げていた。
「怖くないデスヨー」
「……」
「……雷落ちてくるかもしれませんから、部屋の中に戻った方がイイデスヨー?」
「……」
少女は何も言わないまま、じっとアクディーヌを見つめていたが、突然、部屋の中へ駆け込んだ。
「……危なかった。でも、見られちゃいましたし、どうしましょう。……まぁ、何とかなりますよね!」
アクディーヌが安堵して下を覗こうとすると、再び部屋の中から足音が聞こえてきた。
振り返ると、少女が一冊の本を抱えて戻ってきた。
「え、えっと〜? な、なんデスカー?」
「あ、あの! もしかして、アクディーヌ様ですか!」
「へ?」
「この本に、アクディーヌ様のことについて描かれてるんです!」
少女が見せてくれた本には、正真正銘のアクディーヌが描かれていた。
天界の神官が描いたに違いない。
(えっ!? 私の姿がそのまま描かれているじゃないですか! 姿を現したことがないのに……)
もちろん、ダメだということはないがこのままでは本気で変装を考えなければならなくなる。
だが、ギルから貰ったフード付きマントを身に付ければ問題ないが取らなければならない場面に遭遇したらとんでもないことになるだろう。
これは、困ったことになった。
仕方ない、はぶらかすしかない。
「ちょっと、何言ってるのか分からないですねぇ」
「絶対にアクディーヌ様です!」
「違います」
「アクディーヌ様!」
「違う」
「アクディーヌ様!!!」
少女の声に気が付いたのか、部屋まで走ってくる足音が聞こえてきた。
足音の数からして四名ほどだろう。
そして、部屋の扉を叩く音に少女は口を押さえた。
「お嬢様! 入りますよ!」
護衛らしき男の声が聞こえ、少女は慌てて扉を背中で押さえながら口を開いた。
「な、なんでもない! あっち行って!」
「アンドレア! 兄ちゃんだ、入れてくれ」
「兄ちゃんでもダメ! なんでもないって言ってるでしょ!」
「誰かに脅されてそう言っているんだろ!? 入るぞ!」
「ち、違っ……きゃあっ!」
少女は突然強く開かれた扉の衝撃で尻もちをつきそうになっていた。
アクディーヌはすぐさま、泡を少女の下敷きにさせて衝撃から守った。
そして、男たちが入ってくると同時にアクディーヌは少女に人差し指を仮面越しに当て、気配を消した。
(……不思議ね。あの子なら、私が水神アクディーヌだということを知られてもいいように思えてきました)
そんなことを思いながら、気配を消したアクディーヌは城の下へと降りていった。
◆◆◆
城の下に降りたアクディーヌは、仮面を外し壁の陰に隠れて様子を窺った。
気配を消しているので隠れる必要はなかったが、一応雰囲気だ。
周囲を見ると、慌てている兵士たちや苛立つ貴族らしき白髪交じりの中年男性がいた。
彼は何かを待っている様子だった。
(よく分かりませんけど、なんだか凄いことが起きそうな予感! 楽しみですねぇ。ですが、今はスイではなく正真正銘のアクディーヌとして来ていますし、他のところにも行かなければ……)
そう思っていると、見覚えのある二人組が面倒くさそうに城の中へ歩いて来るのが見えた。
目を凝らしてみると、その二人組はヒューバートと目つきの悪い青年だった。




