33 薬
ベッドの上で眠る風神ウィンディは、まるで悪夢を見ているかのように唸っていた。
アクディーヌは、そんな彼のおでこに手を当て、微かな光を灯す。
すると、ウィンディの唸り声はすぐに止まり、代わりに穏やかな寝息が響き始めた。
(なるほど、悪夢を見てしまうのですね。これは、少し改良しませんと)
アクディーヌはそう心の中でつぶやき、薬のことはユウェシルや分身にはひとまず秘密にしておくことにした。
「どうやら、薬の研究に失敗したようですね。今は安静にして、目を覚ますのを待ちましょうか」
「水神様、この薬はいったいなんなのですか?」
ユウェシルは棚に並べられた無数の薬品を眺めながら尋ねた。
(ウィンちゃん、思った以上にたくさん薬を作っていたのですね…)
棚にある無数の薬は、アクディーヌが頼んでいた薬以外の、薬品が置かれていた。
色が明らかにおかしいものは、だいたいアクディーヌが頼んだ薬だろう。
本来なら一緒に調合すべきだったが、兄とマグトルムが不在の間に仕事が増えてしまったため、すべてウィンディに任せてしまっていた。
にもかかわらず、ウィンディが作った薬はアクディーヌが作るものよりも質が良く、香りも洗練されている。
どうやら、彼には薬作りの才能があるようだ。
「この薬は見るからに、風邪薬や回復薬でしょうね。あ、イグに試した強化薬もありますね」
その強化薬は、力を制御できない者に一時的に抑制効果を与える薬だ。
だが一時的なため、効果がすぐに切れてしまう。
以前、イグニーゼルに試した結果、力を抑えるどころか増幅させてしまい、改良が必要だと分かったのだ。
「水神様、我々天界の者に風邪薬や回復薬は必要ないのでは?」
「ここだけの話、ウィンちゃんは下界で薬師として働きたいそうですよ。これらの薬は下界の薬師試験に提出するために作っているんです」
「え? 風神は下界で働くつもりなんですか!?」
「働くというよりも、薬師になってみたかったという理由のほうが大きいですけどね。マグトルム様の許可が下りたら、神の仕事をしながら、下界でぶらぶらと薬を売りたいそうです」
分身は信じられない様子でブツブツと呟き始めたが、アクディーヌはさらに考えを巡らせる。
(神が人間社会に混ざって仕事をするのも、おかしな話ですが、天界は退屈なところですし、下界に行く神官や五神以外の神が人として生活しているのが多いんですよね。他の神のことは知りませんけど、神官たちは神殿で働いているとか)
五神は、下界や天界において重要な存在であるため行動が限られているのが何とも苦痛なものだ。
兄がまだ水神だった頃、朝にすべての仕事を片付け、昼には下界へ向かい、夜には幼いアクディーヌを寝かしつけていた。
アクディーヌは寝ることが嫌いで、兄が去るのを待っては天界で好き勝手に過ごし、下界の物を鑑賞する日々を送っていたのだ。
兄はおそらくそのことに気づいていたが、知らないふりをしていたに違いない。
なにせ、あのマグトルムに目をつけられていたのだから、知らないわけもない。
「さて、とりあえずこの散らかった部屋を片付けましょう」
「分かりました!」
「はい」
アクディーヌの言葉に応じ、分身とユウェシルは床に散らばった瓶や書類を拾い始めた。
部屋には様々な薬の匂いが充満しており、アクディーヌもひっそりと作業場で調合を行っているが、ここまでの匂いがこもることはない。
おそらくウィンディは換気をせずに調合をしていたのだろう。
すべての物を拾い終えると、アクディーヌは水魔法で部屋を洗浄し、仕上げとして「お掃除ならホンちゃんにおまかせ!」と言いながら、水で作り出した魚を泳がせた。
その魚はホンソメワケベラという海の掃除屋さんだ。
アクディーヌが作り出したこの魚は、生き物ではないため、水の中でなくても活動できる。
「水神様、その魚は……」
「これはホンちゃんです。掃除が得意なんですよ。普段はあまり使いませんけど、ウィンちゃんの部屋があまりにも汚いので、しばらくここに置いておきます」
「うわっ、この魚。床を舐めてる……」
「床が一番汚いからでしょうね〜」
「すごい顔で舐めてますよ! 不細工すぎます! 口がとにかく大きい!」
分身は青ざめながら、床を舐めるホンソメワケベラを凝視していた。
確かに、実際のホンソメワケベラとは違い、目が大きく、青と黒の縦線が入り、細長い体をしているが、口が異様に大きかった。
「水神様、これは本当にホン――」
「え? なんですか? あ、そろそろ仕事に戻らないと!」
「水神様の仕事は、書類の確認ですよね。おそらく三メートルくらい積み上がっていますよ」
「うーん、殺す気ですか」
「姉さんは神ですから、そんなんで死にませんよ〜」
「分身くんを消すことはできますけどね〜。あと、ユウェシル。雑草のことはきちんとマグトルム様とお話させていただきますからね〜」
アクディーヌの言葉に、分身とユウェシルは逃げるようにウィンディの部屋を出て行った。
だが、部屋の外で様子を伺っている二人を見て、アクディーヌは微笑む。
その後、泡の中にしまっていたオパール色に輝く瓶を取り出す。
見た目は完成しているようだが、あと一つだけ材料が足りない。
しかし、ウィンディにその材料を教えるわけにはいかない。
それに、この瓶はオパール色に見えるだけで、真のオパール色ではない。
最後の材料を加えれば、本物のオパール色となり、薬は完成する。
だが、試さない限り完成したとしてもなんの意味もないが。
(必ず完成させてみせる。あなたがいない世界だなんて、私が抱く憧れですら持っていたとしても無駄ですから)
◆◆◆
「アクディーヌ様はどちらに?」
天界の大神官ムーソピアは、居座っている氷神スニューティオに尋ねた。
スニューティオも五神の一柱であるため忙しい身だが、彼女だけでなく他の神もたびたび聖塔に訪れ、『水神の作業場』に居座るのだ。
「それはアタシが一番聞きたいわよ。ったく、せっかく一緒に服を買いに誘おうと思ってたのに」
「服を?」
「そうよ、あんたも知ってるでしょ? マグトルム様を見つけたら服を買いに行くって約束したのよ。それにしても、突然マグトルム様とクラルディウス様がお戻りになるなんて、予想外だったわ」
「私もです。先代水神様に関しては、一時間前まではお見かけしたというのに、今はどこにも見当たりませんし」
スニューティオとムーソピアは互いに溜め息をつく。
「やっぱり兄妹ね」
スニューティオの一言に、ムーソピアはふっ、と口角を上げて「そうですね」と囁いた。




