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31 得体の知れぬ水

「あのとき、喧嘩なんか買わなければよかった……」


ヒューバートとの対戦後、突如謎の暗殺組織に招待されたアクディーヌは、驚くべき速さで逃げ、ユウェシルと共に天界へと向かうゲートに入った。


アクディーヌの言葉を聞いたユウェシルは、呆れた様子で「全くです」と言ってため息をつく。


まさか、ヒューバートが戦いを仕掛けてくるだなんて想像もつかなかった。

そして、最も意外だったのは、彼がただのギルドマスターではなく、殺し屋組織の一員だということだ。

この国には、皇帝公認の組織があることは兄から聞いていたが、それが殺し屋組織だとは全く予想だにしなかった。

もちろん、殺しだけではないだろうが、それでもあのヒューバートがあの組織に入っているとは。


(私がそんな組織に入ったら、ユウェシルどころかギルに止められるでしょうね。それよりも水神が下界で殺し屋をやってますって知られたら、戦争が起きるんじゃないかしら。とんでもないわね)


そんなことを考えながら視界が変わり、顔を上げると聖塔の『水神の作業場』にたどり着いた。


「到着しました」

「なんだか、久しぶりな気もしますね」

「そうですね」

「お兄様はもういらっしゃるのでしょうか? ユウェシル、外に行ってみましょう」


アクディーヌの言葉にユウェシルは頷いた。


二人が部屋を出ると、外は騒がしかった。


「騒がしいですね。何かあったのでしょうか?」

「まずは、先を急ぎましょう。水神様」


彼のアクディーヌに対する呼び方に一瞬目を見張ったが、気にしないことにした。

そして、聖塔の下階まで下りると、神官たちが慌てて走り回っていた。


「少し話を聞きに行ってきますので、水神様はここでお待ちください」


そう言って、ユウェシルは早足で神官たちのもとへ向かって行った。

ユウェシルを待っている間、アクディーヌは神官たちの様子を遠くから見守った。


顔まで積み上げられた大量の書類を抱えながら走り回る神官や、分身を探している神官、頭を抱える神官などで溢れかえっていた。


(天界に帰ったのはいいけれど、どうしてこんな状態になっているのでしょう)


そう思いながらユウェシルを待っていると、外から悲鳴が聞こえた。

不思議に思い、遠くから外の様子を見ると、何やら地面に散らばっているものが見えた。


(あれって……水?)


アクディーヌが目を細めると、ユウェシルがやってくる。


「ユウェシル、どうでした?」

「水神様、どうやら神官たちは先代水神様の指導によって、このような状況になっているようです」

「え?」


兄の指導が厳しいというのは、一度も聞いたことがない。

むしろ、優しすぎて指導にもなっていないはずだ。


アクディーヌは唸るようにして考え込む。

そのとき、また外から声が聞こえた。

「先代水神様!」と声を上げる神官たちの声が聞こえた。


アクディーヌは顔を上げ、急ぎ足で外へ向かうと、そこには膝をつきながら地面の水溜まりを凝視する兄の姿があった。

その青い瞳は、どこか楽しげだった。


「お兄様!」


アクディーヌが声を上げて兄のもとへと駆け寄ると、周りの神官たちは驚愕し、交互に兄とアクディーヌを見ては状況が理解できないように戸惑っていた。

そんな神官たちにユウェシルは、目配せで指示を出したのか、神官たちは一斉に去って行った。


「お兄様、この水はなんですか?」


アクディーヌが尋ねると、兄は一瞬目を見開くがすぐさま微笑んだ。


「説明をする前に、水を掬わないとね」


兄はそう言って水を吸収し、どこからともなく取り出した瓶の中に入れ始めた。

そして、立ち上がり瓶をアクディーヌに渡した。


「どうしてこれを私に?」

「ディーヌ、この光景は初めてではないだろう? まさか、冗談のつもりで言っているのかい?」


兄の言葉にアクディーヌは顔をしかめる。

いったい何を言っているのか理解ができない。

そんなアクディーヌに兄の余裕そうな笑みが失われていく。

そして、ユウェシルに目線を移して口を開く。


「ユウェシル」

「はい」

「ディーヌは下界で何かを研究していたりしてないだろうね?」

「しておりません」


(え、私がこっそり研究してることを知っているというの? これはいけない、私が残滓を試しに食べてましたって知られたら、もっと大変なことになる)


二人の会話にアクディーヌは咳払いをする。


「あ、あのお兄様。それよりも、この水はなんなのですか?」

「……はぁ。これは困ったことになった」

「お兄様? どちらに? え、お兄様?」


兄は片方の手で頭を押さえながら、聖塔の方へ向かって行った。

アクディーヌは瓶を片手に持ちながら兄を追った。




◆◆◆




兄を追って『水神の作業場』へと到着したアクディーヌは、不思議そうに瓶を見つめた。


「ディーヌ、分身を作ったらしいけどどこにいるんだい?」


兄は、書類が大量に置かれている机の椅子に座り、肘をつきながら尋ねた。


「え? 分身……ですか? 変ですね、確かにいませ――」

『僕はここです! 姉さん!』


アクディーヌが言いかけたその時、どこからともなく分身の声が聞こえた。


「え? 今さっき分身の声がしましたけど、気のせい?」

『気のせいじゃないです! 僕はここですよ、瓶の中です!』

「え、瓶?」


瓶を見ると、なんの変哲もないが、少しだけ水が青く光っている気がした。

瓶を揺らすと、分身の悲鳴が聞こえた。


「あらまぁ! 本当ですね! でも、どうして瓶に?」

「ディーヌ、分身が瓶になったのではなく、瓶の中の水になったんだよ。いや、正確に言えば戻ったと言えばいいかな」


兄の言葉に、アクディーヌはわけも分からず唖然とする。

確かに分身は神力によって水から作ったが、もし壊れたとしたなら、どうして喋れるのだろう。


『と、とにかく僕を元に戻してください〜!』


分身の声に、兄はやれやれといった感じで息を殺して扉側に立っていたユウェシルに目配せをする。

ユウェシルは無言で頷き、部屋から出て行った。


「いったい、どうなっているのですか……」

「こんなこと、珍しくはないけれど、ディーヌがどうして覚えていないのかが何よりもおかしなことだね」

「覚えてないもなにも、こんなこと経験したこともありません」

「うん、これは異常だ」


兄はそう言って、魔法でアクディーヌが持っていた瓶を手元に寄せ、分身に囁いた。


「ディーヌの分身?」

『は、はい!』

「どうして壊れたんだい?」


兄は笑顔で瓶の中の水に話しかけた。

その水はぶるぶると震えながらも、口を開いた。


『そ、それは僕にも分からなくてですね……』

「分からない? それはどうしてだい?」

『ぼ、僕が用があって聖塔から出たら、何かの声がして気が付けばこんな状態に』


分身の言葉に、兄は真剣な表情に変わる。


「声? それは誰の声だい?」

『それは分かりませんが、男の声でした』


兄は考え込むように俯くが、すぐに笑顔に戻り、瓶を机に置いた。

その瞬間、ユウェシルが「失礼します」と言って入ってくる。

ユウェシルが持っていたのは、瓶一杯の青色に輝く粉だった。


(あの粉、どこかで……ん?)


じっくりと見ると、あれは研究に使った兄の部屋からこっそり拝借した謎の粉だった。

まさか、あの謎の粉がここで登場するとは。

大した効果はなかったあの粉をいったい、何に使うのだろう。


「お兄様。それはなんです?」


アクディーヌが不思議そうに言うと、粉の入った瓶を受け取りながら、兄は答えた。


「これは、『お兄ちゃん特性なんでも直っちゃう不思議な粉』だよ」

「だよ、じゃなくて全く理解できないのですが……」

「まぁまぁ、見ていれば分かるよ」


兄はそう言って、水になった分身がいる瓶に向けて一振り二振りしながら粉をまぶした。

すると、瓶は輝き、水が外へと波のように出てきた。

そして、外に出た水は徐々に人の形へと変化し、瞬きをして再び目を開けると、そこには子どもの姿の分身が裸で立っていた。


「ほらね? 直っただろう? 前の分身が壊れても直さなかったけれど、これはいい機会だ。それにしても、ディーヌが作った分身って子どもの姿なんだね。へぇ、可愛いね」


微笑ましく眺める兄に対し、ユウェシルはすぐさま自分の黒色のスーツを分身に羽織らせた。

分身は混乱したり恥ずかしがったりと忙しくしながらしゃがみ込んだ。


「ぼ、僕がどうしてこんな姿に!? というか裸! え? うわぁ」

「お兄様! 分身は子どもの姿ではありませんよ! その粉はなんでも直せるんじゃないのですか!?」

「うーん、まだ試作品だったから……かな?」

「は?」


兄は気まずそうに、机にあった書類に手をつけた。

アクディーヌは無表情になり、諦めた様子で呟く。


「クラルディウス、指名手配」


そう言って、子供となった分身をその場に置いて、無表情のまま部屋から出るのだった。


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