3 コードネーム
「ユウェシルですね、とてもよい名です」
「……ありがとうございます」
アクディーヌは微笑みながらも、疑念を抱えたまま尋ねた。
「そういえば、その屋敷に行って何をすればいいのです?」
「水神様には、そこに住む人間と話をして欲しいのです」
「話を?」
話だけで済むのだろうか。普通なら神ではなく人間に頼むはずだ。
だが、人間とじっくり話す機会なんてそうそうないはず。
これは、素晴らしい好機ではないだろうか。
アクディーヌが思案を巡らせていると、ムーソピアがユウェシルに向かって口を開いた。
「アクディーヌ様の件はともかく、ユウェシルと言いましたか? 私は長年お忙しい神々に代わり、天界を管理してきましたがユウェシルという者の名は聞いたことがありません」
「……」
ムーソピアの言葉にユウェシルは無表情で彼女を見つめる。
彼女の知識は膨大で、天界のすべてを把握しているはずなのに、彼の存在は謎に包まれていた。
異様な空気が流れる中、アクディーヌと分身は互いに目を合わせ、頷く。
「まぁまぁ、落ち着いて。マグトルム様と連絡を取れるということは、普通の神官ではないのでしょう。あの方の性格上、気に入った者には名を公表させないという気持ち悪い習性があるじゃないですか。きっと、彼はあのお方に名を公表するな、と言われたのでは?」
「そうだよ! 姉さんの言った通り、彼には彼なりの事情があるんだよ」
「では、何故ユウェシルと名を公表したのでしょうか」
ムーソピアの鋭い問いに、二人は「あ……」と口を噤んだ。
肩を落とし、ちらりとユウェシルを見つめると、彼はため息をついて口を開いた。
「実は、この名はコードネームとして使っているのです。ですので知らないのも無理はありません。それと、私はマグトルム様に仕える神官です」
「はぁ、また新たな情報が増えました」
ムーソピアは大きくため息をついた。
コードネームは本名の代わりに使用されるもので、簡単に言えば仮名だ。
彼女はユウェシルがマグトルムに仕える特別な存在であることを理解し、少し驚いていた。
ムーソピアが、コードネームの存在を知っていてもコードネームは名簿には載らない仕組みになっているのである。
そのため、彼女が彼の存在と名を知らないのも納得がいく。
それと、マグトルムに仕える神官を今まで見たことがなかったのでまさかここで会うとは思わなかった。
それも自ら会いに来るとは。
マグトルムの神官に選ばれることはそうそうないため、ユウェシルの存在は大神官であるムーソピアよりも大きいのではないかと思うが、五神に仕える彼女も凄いものだ。
アクディーヌは、興味津々でユウェシルに尋ねる。
「あなたはどうして本名としてユウェシル、と名乗ったのですか?」
「それは私も気になります」
尋ねる二人に、ユウェシルは「気に入っているからです」と答えた。
「へぇ〜、じゃあ、本名はなんだい?」
「弟くん、コードネームは本名を言いたくない場合としても使われるのですよ。分をわきまえましょうね」
「はーい、姉さん。ごめんね、ユウェシル」
二人の会話を聞いていたムーソピアは、呆れた表情で「いつの間に姉弟みたいな仲になっているのですか」と呟いた。
その瞬間、誰かが吹き出して笑う声が響いた。
振り返ると、ユウェシルが口を押さえながら笑っていた。
(あらあら、常に無表情だと思っていたけれど、案外感情を表に出してしまうタイプなんですね!)
ユウェシルは、皆の視線に気づくと、頬を赤らめながら慌てて咳払いをし、再び無表情に戻った。
彼は、仕事モードとプライベートモードをしっかり切り替えているのだろう。
だとしたら、マグトルムに気に入られるのも無理はない。
いや、仕事をするにあたって、モードを切り替えるのは当たり前だ。
だが、きっとプライベートモードが本来の彼ということだろう。
ユウェシルは、一瞬アクディーヌの方へと目を向けて口を開いた。
「水神様のおっしゃる通り、本名を言うのに抵抗があるのでコードネームで呼んでいただけると幸いです」
「ふふ。分かりました、ユウェシル」
「じゃあ僕のことは、『分身』でいいよ。これはコードネームさ」
「アクディーヌ様がお作りになった今までの分身を見てきた中で、あなたが最もおかしいですね」
「ムーちゃん、彼はきちんと鍛えれば中身は違くても、しっかりと働いてくれますよ。ですよね? 『分身』くん」
(まぁ、鍛えるというより暗示ですけど)
分身は、ギクッとして独り言を呟きながら、落ちている無数の書類を拾い始めた。
「ところで、私たちなんの話をしていましたっけ?」
アクディーヌの言葉に、ユウェシルとムーソピアは顔を見合わせて、何度目か分からないため息をついた。