28 ギルドマスター
スイが、突然少年と謎の男を抱えて飛び去った後、ヒューバートは苛立ちながらバルコニーで外を眺めていた。
Sランクである自分に劣らないほどの素早さで走り、ドラゴンのように高く飛んでいく彼女は、どう見ても人間ではなかった。
魔法が使えるとはいえ、あれほど軽々と飛ぶことができるなど、到底ありえない。
だからこそ、気になって仕方がない。
名しか知らず、素性が不明な彼女とあのまま別れるなど、ありえないことだ。
冒険者ギルドという場所にいる限り、情報はすぐに集まるはず。
しかし、いつ再び会えるかもわからない人物と、こんなにも簡単に別れることが許せない。
ため息をつくヒューバートの後ろから、声がかかる。
「マスター、あの女の情報がないっす」
濃い緑色の髪と蜂蜜色の瞳を持つ、目つきの悪い男が、数枚の紙を持って言った。
その言葉に、呆れた顔と苛立ちが入り混じったヒューバートは、振り返って声を荒げる。
「はぁ? 情報がないってどういうことよ、ルイス」
ルイスは、ヒューバートの従者であり、護衛騎士としてこのギルドに滞在している。
実際にはこのギルドが自分の家というわけではないが、二階は仲間や知り合いの貴族、皇族以外には立ち入りを許していない。
だが、スイは特別だ。
そしてルイスもまた、Sランクであり、礼儀が良いとは言えないが頼れる仲間だった。
「俺にも分からないっすよ。ほら、これを見てください。書類にはあの女の名前しか書かれてないんすよ!」
ルイスが差し出した書類を見ると、『スイ』という名前だけが書かれ、『詳細不明』という言葉が並んでいた。
アイテールティア帝国の皇帝公認の影の組織にも関わらず、情報が集まらないのはおかしい。
彼女があれほどの力を持っているなら、動きからでも特定できるはずだ。
それができないというのは、あまりにも奇妙だった。
「……どうなってるのよ。じゃあ、あの少年は? まさか、あの子どもまでも詳細不明なんて書かれてないわよね?」
「もちろん調べたっすよ。あの子どもに関しては、家まで特定できたっす」
ヒューバートはもう一枚の書類を手に取ると、そこには『ギルベルト』と書かれた名前や素性全てが書かれていた。
水の国であるアイテールティア帝国出身で、父親は元Sランク冒険者。
現在は、父親と縁を切り、貴族のもとで庭師として住み込みで働いていると書かれていた。
そんな父親は、四年前に冒険者を辞め、女遊びに夢中になっているそうだ。
こんな阿呆な父親の息子であるギルベルトだが、ちゃんとした人生を送っているようだ。
そして、少年は平民であり、母親はギルベルトを産んですぐに亡くなった模様。
彼があれほど楽しそうにしているのは、スイのおかげだろうか。
もし、自分がこんな姿になる前に出会っていたなら、何かが変わっていたのだろうか――。
そんな思いがよぎるが、もう過去には戻れないし、戻る気もない。
今の自分が好きだし、この姿になったからこそルイスや仲間たちと出会えたのだ。
だからこそ、ギルドマスターとして存在し続けているのかもしれない。
そう思うのと同じで、逆に二度と会うことができないようなスイを逃すわけにもいかない。
(たくさん話すと約束したんだから)
そう思いながら、ギルベルトの書類に目を落としながら、ヒューバートはほくそ笑んだ。
「げっ……。マスター、男が出てきてるっすよ」
「ルイス、あたし見つけたわ」
「何をっすか?」
「スイの居場所よ!」
「本当っすか!?」
ヒューバートは笑顔で頷き、支度の準備に取り掛かる。
ルイスはそんなヒューバートを手伝いながら尋ねた。
「マスター、いったいどこにいるんすか?」
「書類をよく見なさい。ギルベルトがそこにいるなら、スイもいるってことよ」
「……! マスター天才っすね! さすがっす」
「ふん、当然よ。あたしを誰だと思ってるのよ」
ギルベルトの住所には『ロベール屋敷』と書かれていた。
その屋敷は、アイテールティア帝国の大神殿や城よりも高い場所にあり、長い道を登らなければたどり着けない。
謎に包まれた屋敷にスイがいるというなら、行かない理由はない。
情報によると、この屋敷は元主であったロニーという貴族の男がいたらしいが、突如今の主に屋敷を引き渡し、姿を消したという。
だが、それ以外の情報は聞いたことがない。
そんな怪しい男の屋敷に、スイとあの少年がいるというなら行かないわけにもいかない。
「絶対に逃がさないわよ、スイ」
そう呟いて、ヒューバートは日傘を片手にギルドを後にした
◆◆◆
ギルたちと別れる前に朝食をとることにしたアクディーヌは、見慣れない料理を前にして、隣にいるユウェシルに耳打ちをした。
「ねえ、ユウェシル。この食べ物を食べたことあります?」
テーブルには、白いパンに挟まれた緑色の葉と薄い桃色の具材が乗った皿が置かれていた。
さらに、黄色いスープが湯気を立て、その上には細かい緑の葉が散りばめられている。
不思議そうに料理を凝視するアクディーヌを見て、ユウェシルは呆れたような顔で答えた。
「スイ様、下界に頻繁に行かれているのに、下界の料理をご存知ないのですか?」
「だ、だって私は、基本的に食事はしませんし――」
「食事をなさらなくても、下界へ行ってるスイ様は料理の名前くらいは分かりますよね」
「でも、下界の料理は種類が多いですし……」
「これは、サンドイッチ。そしてこちらはコーンポタージュです」
「なんだか聞いたことがあるような名前だなぁ……あはは」
アクディーヌは苦笑いを浮かべながら、ユウェシルをちらりと見て答えた。
その時、向かい側の席にいたギルが目を輝かせてアクディーヌに話しかけた。
「スイと一緒に朝ごはんを食べられるなんて、僕すごく嬉しい!でも、これが最初で最後だなんて残念だな……」
「私も残念です……」
二人がしんみりしていると、上座に座っているフィンレーが空気を和らげるように無理やり笑顔を作り、「さあ、食べましょう!」と言った。
思えば、フィンレーは本当に元気になった。
あの雑草がなければ、もっと前から元気だったのかもしれない。
しかし、持病が治ってからというもの、彼はよく笑うようになり、それを見ると自然に嬉しくなる。
「でも、僕がこの席で本当に良かったんでしょうか……本当はスイ様がここに座るべきなんじゃ……」
「いいんですよ。私なんて二日間しかいなかったただの客人です。それに、フィンレーくんはこの家の主なんですから、そこに座るのが当たり前です」
「スイ様がそうおっしゃるのなら、何も言いませんが……」
「さあ、食べましょう。これは初めて食べますが、とても美味しそうです! いただきます!」
アクディーヌはそう言ってサンドイッチを一口頬張る。
その新鮮な感触に目を輝かせ、次々とサンドイッチを口に運ぶアクディーヌを見て、ギルは声を上げて笑った。
それにつられてフィンレーも笑い始めたが、アクディーヌはまったく気にせず、ひたすら料理に没頭していた。
こんなにも下界の料理が美味しいなんて思いもしなかった。
天界では、紅茶や水以外ほとんど口にしないアクディーヌだったが、食べることも悪くないと思うようになった。




