出会い
良い大学に入るため張り詰めた空気の中で授業を受け、家に帰っても勉強に追われる生徒達にとって、学校の昼休憩というのは唯一プレッシャーから解放される瞬間だ。
周囲からの期待で押し潰されないように、この時間だけは友達との談笑や笑い声が絶えず、騒然とした様相を呈す。
空のペットボトルが外側にある空気の圧力で潰されないよう内部の圧力を高めるように。
しかし、中には自身の精神的なストレスを支えきれずに外に吐き出してしまう者もいる。
がやがやとした喧噪が次第に遠くなり俺達三人は校舎を出て中庭へと足を踏み入れた。
普段は閑散としている中庭に数人の女子が集団となって一つのテーブルを占有していた。
三人に囲まれて一人の生徒が座っているのが遠くからでも見える。
「あっ、杉山の幼馴染ってあの子だよな?あまり良い雰囲気じゃないけど。って、おい」
滝沢の話を最後まで聞かずに、委員長が駆け出したので慌てて後を追いかけた。
近づくに連れて状況が明瞭になっていく。
女子グループのリーダー格と思しき人物が腕を組み、小柄な少女と何か言い争っているようだ。
取り巻きの一人が横から椅子を押して地面に倒したところで、眼鏡野郎がその場に到着した。
「詩織大丈夫か!……所で、ここで一体何をしていたんだ?」
眼鏡をくいっと上げ、威嚇するように前に立つ。
杉山にしては珍しく、口調に怒声を含んでいる、
百八十センチという長身から見下ろされる女子達はしどろもどろに弁解を始めた。
「え?あ、いや、その、ちょっと、私達が先に取っていた席だったもので。それで少し言い争いになってしまって……この子もそんなに強く押すつもりはなかったんですよ。ほんとに。それじゃ、私たちはこの辺で失礼しますわ。またね、大橋さん」
三人はそそくさと退散しようと後ろを振り返ると丁度追い付いた俺達と視線が合い、「あっ」と気まずい場面を見られたように頭を下げながら走っていった。
晴れて天気のいい日は中庭のスペースが混むこともたまにあり、場所取りの仕方によっては口論が起こることは不思議じゃない。
他にも空いている場所があるならどちらかが移ればいいだけの話だけど。
俺は周囲を見渡すと幾つかの空席がある白いテーブルに太陽の光が降り注ぎ、中庭を眩しく照らしている光景が映った。
「大丈夫かい?詩織ちゃん」
滝沢は優しく微笑み、立ち上がろうとしている後輩に手を差し伸べたが、パンッと大きな音が響き渡る。
思わぬ返答を受けた彼は叩かれた手の甲を擦りながら、「軽率だったかな」と苦笑いを浮かべていた。
見ず知らずの男から突然、ちゃん付けで名前呼びされたのだ。
不快に思うのも無理はない。
「あっ、ごめんなさい」
少女は目を合わせることなく俯いたまま立ち上がり、椅子を立て直す。
そして、顔を上げると俺達と杉山、両者へ視線を彷徨わせ困惑した表情をしていた。
急に知らない異性の先輩に囲まれたのだから、当然の反応だ。
委員長と見つめあって、何か言いたげに小さな唇を震わしていたが両手を握りこみ黙り込む。
話に聞いていた通り、とても小柄な子だった。
身長は百五十センチぐらいだろうか。
女子高生にしては低めだな。
制服を着ていなければ小学生と言われても驚かないだろう。
小顔で目が大きく、綺麗な黒髪にボブカットも相まって幼く映る。
白いソックスに校則通りの膝下まで伸ばした長めのスカートを穿いていることから真面目な生徒だと推測できる。
新入生らしく真新しいブラウスに緑色のリボンを付けていた。
学年を表すリボンの色は赤、青、緑の三種類があり、ローテーションで決まっているため好きな色を選ぶことはできない。
咲野先輩はいちいち着けるのが面倒だという理由で必要な時以外は赤色のリボンは外している。
破れる校則は破らないと気が済まないと言わんばかりの先輩とこの子では気が合いそうにないな。と心の中で呟いた。
「遅れてごめんな詩織。聞きたいことはあるが、まずは紹介だけさせてくれ」
気遣うようにやさしく語り掛ける杉山。
それに対し彼女は両手でスカートに付いた土を払いながら、「うん」と頷いた。
テーブルを囲むように四人で座る。
詩織の左右に、杉山と滝沢が。正面には俺という配置だ。
男慣れはしていないのか、白いテーブルに視線を落としたままで顔を合わそうとしない。
「じゃ、まずは俺から行くぜ。名前は滝沢春日だ。杉山とは今年知り合ったばっかで歴はまだ浅いが、クラスじゃ一番の仲だと自負している。こいつは見ての通り、体格が良く、勉強もできるが他人に厳しい性格だから俺が仲裁役としていないとすぐに喧嘩になっちまうことがある」
一泊置いてから、ちらりとわざとらしく俺のほうを見た。
何が「俺が二人の仲を取り持ってやる」だよ。
言外に眼鏡野郎と仲が悪いことをほのめかしたな。
「人と仲良くなるのは得意だから友達は多いぜ。先輩後輩問わず、誰とでも気軽に接することができる。つまり、この学校において役に立つ人脈を数多く持っているんだ。だからもし何か困っていることがあるなら何でも相談してくれよ。友人の幼馴染で、可愛い後輩の頼みなら自分の手を汚すことだって躊躇わないよ」
椅子の腰掛に手を掛け気楽に話していたかと思えば、深刻そうに両手を握りしめて声を低くして締めくくる。
やはり、こいつは侮れない。
言葉だけじゃない、身振り手振りをも駆使して説得力が増すように計算されている。
俺を悪役に仕立て上げ、自分は頼りになる先輩であることをアピールした。
先ほどのちょっとした事件のおかげで、この後、相談の連絡を送る可能性は高い。
大抵の女子はこの人は自分の味方になってくれる人なんだと思い、恋に落ちることもあるだろう。
滝沢は上手くいったと満足な笑みを浮かべていた。
だが、詩織は俯いたままで話を聞いているのかいないのか曖昧な様子だ。
これではお得意のボディーランゲージも効果は薄いかもしれないな。
女子と話していた時もそうだが、人の顔を極力見ないようにしている。
人付き合いが苦手な子なんだろうか。
「よし、では次はお前だ粟国」
詩織はまだ終わらないのかと杉山を横目で見ている。
それに気づいたのか、小さくため息をつき頭を下げて謝った。
アウェー感がすごくて話しづらい。
恋人同士の仲に無理やり割って入って恋路を邪魔する嫌われ者みたいだ。
とはいえ、実際その通りなので文句は言えない。
とにかくこの自己紹介が正念場だ。
不本意だが、眼鏡野郎の紹介という下手に出てまでこの状況をセッティングしたからには、無難に名前と趣味を言って終わりにするわけにはいかない。
目的はあくまでも詩織に惚れてもらい、彼女から杉山との距離を取らせることだ。
その点、後攻をもらえたのは結果的に良い方向に働いた。
先行だったら滝沢と同じように、人間関係の問題に対して相談に乗ってもらえるようなアピールの仕方をしていただろう。
先に俺への印象を下げられた時は、やられたなと思いもしたが一番最悪なのは興味関心を持ってもらえないことだ。
滝沢の自己紹介の仕方は上手かったが、彼女の反応を見ている限りでは感銘を受けている様子もなく、むしろ人付き合いに対して無関心であるようにも見えた。
非社交的な人間で人の目を見ることを極端に恐れているにも関わらず、幼馴染の杉山に対しては自らアイコンタクトするほど信頼している。
それにも関わらず恋人同士ではない歪な関係性。
頭の中でカチッと朝から組み立てていたパズルが嵌った音がした。