変化
「……えっ?悟!?きゃっ」
詩織は顔を真っ赤にして両腕で体育着の前を隠した。
汗で濡れた髪にピンクの花柄のブラジャーが透けた体育着で男の膝の上に座っている姿は隠れて逢引している恋人同士もしくは人目のつかない倉庫で襲われた女子に間違われても不思議じゃない。
「待て!お前は勘違いをしている」
杉山は怒りの形相を浮かべて拳を握りつぶしている。
その長身から見下ろす視線からは殺気すらも感じられた。
しかし、詩織が俺の上に座っているので立ち上がることができない。
「何が勘違いだというのだ!詩織も早くそんな奴からは離れてこっちにこい!」
荒げた声に恐怖したのか触れ合っている足から震えが伝わってくる。
滝沢にセクハラ紛いのことをされて精神的に疲労しているところで、幼馴染とはいえ偉丈夫な男から発せられる怒声を聞きもすれば萎縮して当然だ。
動きたくても体が動かないのか小刻みにお尻を振動させるせいで、俺の下半身も反応してしまった。
「あっ……先輩っ……あまり動かないで……」
慌てた俺は詩織をどかそうと腰を浮かしたが、彼女に押し戻されてしまう。
「俺を馬鹿にするのもいい加減にしろ!」
その光景がどう映ったのか、まっすぐ走ってきて胸倉をつかみマットの上に押し倒された。
「きゃっ!」
その拍子に詩織も横にはじき飛ばされ、マットの上から落ちて床に転がった。
「詩織!」
咄嗟に彼女の名前を呼び、手を伸ばしたがそれが癇にさわったのか、詩織のその様子には目もくれずに馬乗りになって拳を振り上げた。
「ちょ、おい!話を聞けよ」
「お前の言葉なんぞ聞く価値はない」
相変わらず力が強いな。
体を動かしてもびくともしない。
誤解するのも無理はないが、話ぐらいは聞くべきだろう。
視線を横に向けると詩織が心配そうにこちらを見ていた。
今にも泣き出しそうだ。
人見知りで男嫌いな彼女には災難な日になったな。
ここで責めるような目を向けると今後俺を避けるようになってしまうだろう。
だから、安心させるようにこんな状況でも笑顔を見せた。
「何を笑ってるんだ!この野郎!」
数発はもらう覚悟で目を閉じる。
「やめて!」
体が軽くなり目を開けると、詩織が眼鏡野郎にタックルをしたのか杉山に横から抱き着くようにして二人がマットの上に倒れていた。
「何をするんだ。俺はお前を助けるために」
「粟国先輩は悪くないの。あれは私のせいだから……」
「まさか、詩織から誘ったってことなのか?」
委員長の物言いから自分の発言が変な誤解を生んでいることに気が付いたようで頬を軽く叩いて「馬鹿」と小さく呟いた。
一旦その場は収まり、俺は経緯を説明した。
滝沢が片付けの手伝いをしていたということ。
そして、途中で帰ったため代わりに段ボールを上段に収めたこと。
脚を滑らせてマットの上に転んだこと。
下腹部を押し付けられていたことは話さなかった。
詩織がそれを望んでいないようにも見えたのに加え俺自身も意図的だったかは断定できなかったからだ。
杉山に勘違いされたのと同じように偶然そういう態勢になってしまった可能性も捨てきれない。
冤罪がどれだけ人を苦しめるのかを身をもって知ると軽々しく結論を出すことはできなかった。
「……大体は把握した。俺も短気だったな、すまない」
「お前は幼馴染のこととなるとすぐ熱くなる。悪い癖だぞ」
眼鏡野郎はマットの上で正座をして頭を下げている。
自分が間違っていたと分かれば素直に謝れるところも俺がこいつを嫌う理由の一つだ。
もっと性格が悪ければこんなに劣等感を持つこともなかったのに。
「体育の時間ももう終わる、俺がここに来たのも粟国、お前を探すように言われたからだ。女子も片づけが終わりそうだ、そろそろ戻った方がいい」
杉山は立ち上がり、背中を向け出口まで歩いていく。
「さっきは助けてくれてありがとう」
「当たりまえです。粟国先輩は何も悪いことをしていないんですから」
詩織の体からは震えが止まっているようで、その口調は落ち着いていた。
委員長に見つかったときはどうなるかと思ったが、とりあえず急場は凌げたようだ。
俺は彼女に手を差し伸べた。
「ふふふっ、もう私一人で立ち上がれますよ」
「あっ……悪い」
足が震えて立てない姿を思い出して自然と体が動いていた。
恥ずかしくなって、腕を引っ込めようとしたら暖かい手に掴まれて引き戻された。
「もう、心配性ですね」
必要ないのに俺の手を支えにして立ちあがり、出口まで一緒に歩いた。
何故か詩織からは戸惑ったような視線で見上げられたので、安堵させるように微笑むと落ち着かない様子でもじもじとさせていた。
「お前ら……」
杉山が呆然と口を開けて待っていた。
何をそんなに驚いた顔をしているのだろうか。
あんなことがあった後だ手を貸すのは不自然ではない。
「はぁ……。じゃ、俺は先に行くよ」
ため息をつき、一人でさっさと戻って行った。
「俺たちを待っていたと思ったら、勝手に一人で行ってしまうし、どうしたんだあいつ」
「多分……これが原因かな」
苦笑いを浮かべながら詩織は左手を上げると、それにつられて俺の右手も持ち上がった。
「……このまま外に出るの?」
そこには彼女の手を強く握りしめている俺がいた。
昼休憩になり中庭へと向かうと詩織の他にもう一人金髪の女子生徒が対面に座っていた。
一人はそわそわとした様子で、もう一人は足を組んで優雅に寛いでいる。
「詩織、隣座ってもいいかな?」
「もう、粟国先輩は友達なんですから、好きに座ってください」
俺が遠慮がちに話しかけると、昼を一緒に過ごすのが当たり前のことのように気楽に答えてくれた。
それなりに信頼され始めているようだ。
「ようやく来たか、遅いぞ厚金」
俺は購買で買ったパンをテーブルに置き二人の中間にある椅子に座ると、待っていたかのように言う。
「名前呼び……。お二人はどういう関係なんですか?」
詩織の声にはどこか棘があるように聞こえた。
「ああ、俺が一年生の時から世話になっている人だ」
「粟国先輩は私以外にも女子の友達がいたんですね」
「ははは、なんだ?詩織はうちに嫉妬しているのか?」
「嫉妬なんてしてません」
相変わらず先輩は人と仲良くなるのが上手いな。
人見知りする彼女が相手の目を見て会話をしている。
まるで姉と妹みたいだ。
「別にうちとこいつは男女の関係ではないよ、詩織も粟国なんて他人行儀な呼び方じゃなくて厚金と名前呼びすればどうだ。厚金は詩織と名前呼びなのだから、そのほうが自然だろう」
咲野先輩がそう言うと、少し間が空いてから詩織が口を開いた。
「……厚金先輩」
躊躇いがちに紅潮しながら大きな目で俺を見た。
「詩織からそう呼ばれるってなんか嬉しいな」
それに対して真っすぐに目尻を下げて返事をする。
苗字ではなく名前で呼ばれるようになるのは時間がかかるだろうなと思っていたところ、咲野先輩はあっさりとハードルを飛び越えさせてくれた。
「ところで、何してるんですか咲野先輩。彼と一緒にいるのかと思っていましたよ」
「あいつには頼み事をしておいたから今はせっせとうちのために働いてるぞ」
詩織の前ということもあって名前を伏せて杉山のことを聞いた。
俺が前に頼んだ情報集めの手伝いでもさせられているんだろうか。
「人使いが荒い人ですね。彼には同情してしまいますよ」
「なんだかお二人共仲がよさそうですね」
ジト目で俺と咲野先輩を交互に見ながら言った。
「うちらより杉山とはどういう関係なんだ?」
「どうもこうもありません。ただの幼馴染の友達です」
「だそうだぞ、良かったな厚金」
まるで代わりに聞いてあげたかのように先輩面を吹かして話を振ってくる。
俺と詩織との仲が深まってほしい咲野先輩からしたらこの機会を生かせと言いたいのだろうが、これほど反応に困る振り方はない。
「……どういう意味ですか?」
案の定詩織も食いついてしまった。
頭のいい子だから俺が好意を持っていると遠回しに先輩が言っていることに気が付いているだろう。
だが、ここで恋愛感情を持っていると思われるのは危険だ。
相手もその気があるなら二人の仲は一気に縮まるがそうでないなら避けられる可能性がある。
かといって友達以上の感情は一切持ってないですという態度を取るわけにもいかない。
完全に異性として見てないと宣言するのは、仮に相手側にそういう気持ちをもっていなかったとしても傷つくものだ。
「急に何を言い出すんですか。俺を揶揄うのはやめてください」
俺は冷静に、ただし耳を赤らめて言った。
咲野先輩は何が面白いのか「すまん、すまん」と笑っている。
「厚金先輩ってあべこべですよね」
詩織はそんな俺を見て小さく息を吐いた。




