不穏な空気
次が体育の時間なので俺は教室の隅で制服を脱ぎ、体育着に着替えた。
女子は更衣室を使っているため、汗臭い男子しかいない。
五月が終わる頃だというのに今日は気温が高く夏本場かというほど蒸し暑かった。
「相変わらず杉山はいい体してるねえ」
「お前が男に興味があったとは驚きだ。いいからさっさと着替えろ」
滝沢が上半身むき出しの委員長を見て口笛を鳴らす。
筋肉がしっかりとつき、お腹が薄く割れている健康的な体だ。
勉強もできて運動もできる。
まさに優等生と呼ぶしかない存在。
着替え終わった生徒達は各々運動場へ向かう。
俺もクラスメイトの波にのまれて外を目指していると一人の男が近づいてきた。
「お前いつから詩織ちゃんとあんなに仲良くなったんだよ。ちょっと嫌味を言っただけで一生懸命睨みつけちゃって。その必死な態度も可愛かったけどさ」
滝沢が思い出すように鼻の下を伸ばしていた。
「俺と特別に仲がいいのではなく、お前が嫌われているだけなんじゃないか」
詩織との仲が少しずつ深まっていっている感覚はあるが、まだ日も浅く眼鏡野郎ほど親密にはなれていない。
そこまで行くには長い道のりになるだろう。
しかし、彼女と滝沢が普通に会話をしている場面を俺は見たことがない。
放課後に杉山と下校するために待っている時に何か話しかけていたが今朝みたくほとんど無視されるか、一言だけで終わることがほとんどだった。
よく心が折れないなと感心する。
「言っただろう。彼女はツンデレだって。ツンが強ければ強いほどデレたときの見返りも大きいもんだ」
最近こいつはドМなのではないかと疑っている。
マゾヒズムとは、異性から心身ともに傷つけられるほど性的興奮を刺激するという変態だ。
毎日明るく振舞っている裏では壮絶なストレスでも抱えているのだろうかと心配になる。
運動場に着くと体育教師がすでにおり、白黒のボールが入った籠を運んでいた。
今日の授業はサッカーのようだ。
「おい、あっちのほうを見ろよ」
滝沢が指さした方向には女子が緑色の体育着になり集まっている。
色からして一年生だ。
その中には見覚えのある子がいた。
身長が低く、黒髪で短いボブカットをした女子生徒。
制服と違い体の線が出やすく、見た目同様に控えめな胸をしていた。
「女子と同じ場所とかついてるぜ。退屈な授業もそれだけで華やかに変わるってもんよ。てか、あれ詩織ちゃんのクラスだ」
話しかけに行こうとしたところで、集合の号令がかかり体育教師の前へと移動した。
「今日はリフティングの練習だ。お前らには最低十回はできるようになってもらう。合図するまで自主練の時間だ」
サッカー部が張り切ってボールを全員に行き渡るように籠から取り出しては空中で蹴り上げ的確に配給していく。
ちょうど、俺の足元にも転がってきたので足で受け止めた。
風があまり吹かないため体感温度はとても高く少し動くだけで汗が噴き出てきた。
「今日暑すぎるだろ。粟国もそう思わね?って、すげえ汗かいているな」
滝沢がリフティングに失敗したのか俺のところに飛んできたボールを拾うために近づいてきた。
サッカーはあまり得意ではなさそうだ。
「汗っかきだからな、夏は苦手なんだ」
汗を拭きながら一息つく。
すぐ隣では、眼鏡野郎がボールを落とさずに難なくと蹴り続けながら独り言のように話しに加わってきた。
「それは健康な証だ。体の中の老廃物を排出することで新陳代謝を促している。免疫力が向上し肌の生まれ変わるサイクルも促される。お前の肌が綺麗なのも汗をよくかくおかげかもしれないのだから、その体質に感謝することだな」
視線はボールに集中したまま流暢に言う。
一体何回目なのか分からないが、大量の汗を見るにずいぶん長い間リフティングを続けているようだ。
「男から肌が綺麗とか言われても気持ち悪いな」
良かれと思って言ってくれたのだろうが、感情に素直な言葉が自然と吐き出ていた。
しばらく黙々とボールを蹴っていると、ふと滝沢が明後日の方向を見ていることに気が付き、その視線を辿った先には一年生の女子が持久走をしていた。
「うひょおおお、見ろよ。汗で体育着が透けてブラが丸見えだぜ」
授業そっちのけで性欲丸出しにしていた。
この蒸し暑い中で持久走は地獄だなと思っていると先頭集団に詩織を見つけた。
運動が苦手な子だと勝手に予想していたが意外とできるようだ。
「お、詩織ちゃんはピンク色のブラジャーか。花柄で可愛いやつだな」
滝沢も見つけたようでしまりのない顔で見入っていた。
「おい、嫌らしい目線で俺の幼馴染を見るな」
わざわざリフティングを中断してまで、俺達に近づき頭を叩いた。
「痛ってえええ、なにすんだよ。お前の彼女でもあるまいし別にいいだろ?」
「だめだ」
大きな笛の音がなり、一旦リフティングは終了となり最後にそれぞれチーム分けして試合をすることになった。
俺は対して動かなくていいディフェンスを担当することにした。
経験者と非経験者では実力の開きが大きすぎる。
誰もサッカー部のドリブルを止められなければキーパーなんて名ばかりで枠にシュートを打てば一点だ。
ハーフラインからこちら側にボールがこないため、周囲を観察する余裕がある。
女子のほうは片づけに入っており、詩織が用具倉庫へと何やら運んでいた。
要するに暇だということだ。
蒸し暑い中で立っているだけでも体力が奪われていく。
早く終わらないかと思っていると、こちらの人数が一人少ないことに気が付いた。
いつの間にか滝沢がフィールドから消えている。
一年生の女子でも見に行ったのかと思い視線を遠くにやると、用具倉庫のほうへと歩いているのが見えた。
放っておこうと思ったが、確か詩織も片づけで倉庫にいるはずだ。
眼鏡野郎は気づいておらず懸命にゴールを守っている。
唯一サッカー部相手に互角の勝負をしているが、一人で戦況を覆す力まではないようだ。
一応様子見しに行くか。
トイレ休憩と見せかけて試合を抜け出して後を追い、倉庫に近づくと中から声が聞こえてきた。
「ちょっと……滝沢先輩……」
「ほら、俺が持ってやるから」
恐らく詩織相手にいい格好をしようと手伝いでもしているのだろう。
わざわざ授業を抜け出してまで熱心なやつだな。
俺も出来るだけ彼女に接触して距離を縮めようとしているが、タイミングはしっかりと考えている。
体育の授業で他クラスの手伝いをわざわざするというのは不自然だ。
違和感は不安に繋がり嫌悪感へと変わっていく。
「……いいです……自分でやりますから」
「ほら、遠慮するなって届かないだろ」
近づくにつれて、何かが棚にぶつかっているような音が聞こえる
大きなものを運んでいるのだろうか。
「私汗臭いですから……離れてください……」
「詩織ちゃんの臭いなら全然平気だよ」
不穏な会話が聞こえてくる。
あの馬鹿は何をしているんだ。
速足で近づく。
「んっ……先輩、当たってます……」
「そりゃ、支えてやってるんだから少しぐらい体に触れるのは我慢してくれ」
「……そうじゃなくて……」
俺は倉庫の前に到着し扉を開けた。
そこには、段ボールを棚の上段に置こうと背伸びしている詩織とそれを支えるように下底へと手を当てている滝沢がいた。
お互いの体が接触しており、詩織のお尻に滝沢の下腹部が当たっていた。
二人で支える必要があるほど重そうにはみえない。
「おい、何してるんだ」
俺はできるだけ低い声を出し威嚇するように大きな声を出す。
「粟国先輩……」
「あ、粟国!?」
詩織は安心したように肩が下がり滝沢は慌てて距離を取った。
二人で不格好に支えていた段ボールは土台を失いリレーで使うバトンがカランカランと散らばった。
「急に授業を抜け出すもんだから何かあったのかと追いかけてみたんだが、これはどういう状況だ?」
「見て分かるだろ?ただの手伝いだよ。変な勘繰りとかやめてくれよ……じゃ、俺は行くからよ」
そういって、慌てた様子で倉庫から出て行った。
「大丈夫だったか?」
「はい……助かりました」
ぱたんと力が抜けたのか地べたに膝をつけて座った。
汗で透けた体育着にはピンク色の花柄のブラジャーが張り付いていた。
俺はそんな詩織の代わりにカラフルなバトンを拾って段ボールの中に入れ棚の上段に片づけた。
「ごめんなさい。本来は私の仕事なのに」
「気にしなくていいよ。それより、何もされなかったか?」
「うん……私が段ボールを運んでいると後ろから滝沢先輩が支えてくれただけです」
怪しく思っているけど、故意に体を当ててきたのかは確信が持てないのだろう。
優しい子だ。
「あれ……?」
何度も立ち上がろうと試みていたが、足が震えて上手くいかない。
俺はゆっくりと近づき手を差し伸べた。
「良かったら、捕まって」
「あ……ありがとう」
一瞬手を取るか躊躇ったが俺の顔を一度見てから手のひらに指を重ねた。
そして、腕の力で立ち上がらせると体重を預けるように前に倒れこんだので慌てて背中に腕を回して支えた。
「大丈夫か?」
「……うん」
俺から離れて自力で立とうと後ろに下がった時だった。
回収し損ねたバトンが一本転がっており、それに足を取られて後ろからマットの上へと転んでしまう。
「きゃっ」
「危ない!」
咄嗟に立ち位置を入れ替え、俺は目を閉じて衝撃に備えた。
「痛ててて」
背中が痛むがそのおかげで詩織は無事のようだ。
起き上がるために、彼女を抱いている腕に力を入れると、柔らかい感触が伝わってきた。
「んっ……先輩っ……」
「ごめん……」
どうやら、不運にも詩織の胸の位置にちょうど手のひらが置かれており体育着の上からわし掴みしてしまったみたいだ。
「粟国……これはどういうことだ!答えろ!」
倒れる音が聞こえたのか、運悪く杉山が倉庫に顔を見せたところだった。
マットの上に座り、その膝に詩織を乗せて彼女の汗でピンク色の花柄のブラジャーが透けている体育着の上から胸をわし掴みしている男の姿がそこにはあった。




