1.想定外の事件です(4)
「ショーンさんが師長のことを捜していらっしゃいましたよ」
「わかった」
「行かないのですか?」
「…………」
そのとき、ぐーっとお腹が鳴る音がした。もちろん、私ではない。
休憩室には軽食が用意されているのだが、棚を見ると生憎切らしていた。後で買いに行かないと。
「師長。お腹が空いているのなら、外のカフェでゆっくりと朝食でも取られてきてはいかがですか?」
「腹など空いていない」
うそつけ、という言葉はすんでのところで呑み込む。
今、絶対にお腹が鳴っていましたよね?
「後で何か買ってきましょうか?」
「そうしてくれると助かるな」
クラウス師長は素直に頷く。やっぱりお腹は空いているんですね。
「承知いたしました。ところで師長、ここで何をしておられるのですか?」
「何もしていない」
(……?)
何でしょうか。即席のなぞなぞ大会ですか?
クラウス師長とこうしてふたりで仕事以外の話をするのは初めてだけれど、かなり不思議な人であることはわかった。てっきりクールで冷淡な人だと思っていたので、だいぶイメージと違う。
(こうなったら、絶対にこの不審な行動の理由を聞き出してやるんだから!)
「師長はここが好きなのですか?」
「好きではない」
「部屋のイスが壊れた?」
「壊れていない」
私は半ば意地になって延々と話しかける。
結果、遂に衝撃の事実を聞き出した。
「魔力を放出できなくなる薬を盛られた⁉」
「大きな声を出すな」
クラウス師長に口を押さえられ、むぐっと私は黙り込む。
「本当に?」
私は口を解放されると、今度は囁くような小さな声でクラウス師長に尋ねた。
「ああ、恐らく。ごく微量には放出できるが、魔法を使えるほどではない」
「それ、すごくまずいんじゃ……?」
この世界は、魔力を放出できることを前提に成り立っている。全ての生命は大なり小なり魔力を有しており、人間も例外ではない。人々は便利な道具を使うときの動力源として魔力を注ぎ、その道具を動かすのだ。
「ってことは、師長がここでさっきから挙動不審だったのは、部屋を出られなくなったからだったんですね」
「挙動不審……」
クラウス師長は眉間に皺を寄せる。でも、そんな顔をしてもだめですよ。明らかに挙動不審でしたから。
魔術研究所は各部屋のドアも魔力認証式になっているので、ある程度の魔力を持っていないとドア自体が開けられないのだ。
そのとき、ふと閃いた。
「じゃあ、私が治すのを手伝ってあげますよ」
私はポンと手を叩く。
魔術研究所では落ちこぼれだけれど、これでも普通の魔術師としては優秀なほうなのだ。
「クラウス師長が解呪魔法をかけるのを、私が外側から補佐します。そうすれば、今の少ない魔力放出の状態でも解呪できるかも」
「いや、いい」
クラウス師長は心底迷惑そうに首を横に振る。
「遠慮しないでください。私、こう見えてもそれなりに魔法は使えますよ? さっきの治癒魔法だって上手くいったのを見ましたよね?」
「当たり前だろう。曲がりなりにも魔術研究所の職員なのだから」
「そうなんです! だから、任せてください」
「いや、いい」
クラウス師長は真顔で先ほどと同じ言葉を繰り返す。
そんな遠慮しなくていいのに。
困ったときはお互い様だ。ここは私に任せなさい!
「いきますよ。師長の使う魔法が増幅される補助魔法をかけますから、心の中で元に戻ることを考えて魔法を使ってくださいね」
「だから、いいと言っているだろう」
「大丈夫ですって!」
私は片手をくるりと回し、自作の呪文を唱える。
【きらきらりん。魔法よ、弾けろ!】
私が今かけた魔法は、術者の力を借りてその人の魔力を増幅させ、使いたい魔法を強化する魔法だ。魔力がほとんど放出できない状態でも、この魔法をかけることでクラウス師長自身の魔力を増幅させて魔法を強化できると思ったのだ。
次の瞬間、クラウス師長の姿が無数の魔粒子に包まれて虹色に光り輝く。
(わっ、こんなの初めて見る。綺麗!)
これが、クラウス師長の魔力なのだろうか。
魔力には人それぞれ個性があり、炎のように赤い魔粒子が立ち上る人もいれば、真っ白な雪のような魔粒子に包まれる人もいる。けれど、こんな風に虹色に煌めく人は初めて見た。今まで見たどの魔力よりも、美しいと思った。
幻想的な光景にうっとりしていた私が激しく後悔するのはこの直後。
魔粒子の光が落ち着き、そこにいたクラウス師長の姿を見た私は目をまん丸に見開いた。
「えっ! 師長、なんか小さくないですか⁉」
その姿はどう見ても五歳程度の男の子で──。
「エルマ=ホフマン。お前、覚悟はできているんだろうな?」
それは、見た目は子供ではあるものの、烈火の如くお怒りモードのクラウス師長に間違いなかった。