1.想定外の事件です(3)
私はそのドアをじっと見つめる。
(ここは休憩室? 何だろう?)
音がするのは、休憩室になっている部屋だった。
セキュリティの関係上、魔術研究所のドアにはひとつひとつに魔力認証式の鍵がかかっている。ただ、休憩室は職員なら誰でも開けられるはずだ。
(こんな朝早くから、休憩室に誰がいるの?)
遠巻きに見ていると、再びドアがガタガタと揺れた。
しかし一向に開かないドアを見て、さすがにおかしいと感じた。
普通なら、触るだけで認証ロックが外れるはずなのに。
(もしかして、中に部外者がいるとか……?)
ここの魔術研究所はリスギア国の魔術研究において最高峰の施設だ。どこかしらのスパイが潜入してきたとしても、不思議はない。
(不審者だったら捕まえないといけないから、誰がいるのか確認するべきよね?)
大声で叫べば、下にいるショーンさんも気付くはずだ。
私は恐る恐るドアに近付き、背中をピタリとドアの横の壁に預ける。ドアノブに手をかざすと、認証ロックが外れるカチャリという音がした。
「そこにいるのは誰?」
勢いよくドアを開け放ち、中に入る。片手には武器代わりにしようと掃除用の箒を握りしめたままだ。
「──って、あれ?」
てっきり泥棒でもいるのかと思っていた私は、部屋の中にいる人物を見て拍子抜けした。
「クラウス師長? そんなところにうずくまって何をなさっているんですか?」
そこにいたのは、先ほどショーンさんが捜していた相手、筆頭魔術師のひとりであるクラウス師長だった。クラウス師長はなぜか、ドアの前で顔を手で覆い、うずくまっている。
「エルマ=ホフマン。ドアを開けたことは褒めてやるが、そこに人がいないかきちんと確認しろ」
ようやく立ち上がったクラウス師長はキッと私を睨み付ける。なまじ綺麗な顔をしているだけに、睨まれるとものすごい迫力がある。
ただ、今回に限っては思わず笑いそうになってしまった。
だって──。
「…………。師長、せっかくのイケメンが台なしです」
クラウス師長のお顔は、残念なことになっていた。すっと筋の通った鼻の頭が真っ赤になっており、片方から鼻血が垂れている。
「お前が言うな! 誰のせいだと思っている!」
「あ、私のせいですか?」
そこでようやく気付く。もしかして、勢いよくドアを開けたせいで、ちょうどドアの向こう側にいたクラウス師長は顔で受け止めてしまった?
「それは、申し訳ありませんでした」
私は笑いを堪えながら謝罪する。
未だにボタボタと鼻血を垂らすクラウス師長を見かねてその顔に手をかざす。
【痛いのばいばい、飛んで行け!】
すると、クラウス師長の鼻血がピタリと止まり、鼻の頭の赤味が引いた。
治癒魔法、成功だ。
「なんだ、そのおかしな台詞は?」
「なんとなく、何かを唱えたほうが上手く魔法がかかりそうな気がしません?」
魔法をかけるとき、特に呪文を唱える必要はない。けれど、雰囲気がよくなるかなーなんて思って私は自作の呪文を唱えることが多い。
クラウス師長は冷ややかな眼差しでこちらを見下ろすと、はあっとため息をつく。
そのとき、開きっぱなしになっていたドアが風に吹かれたのかパタンと閉じた。クラウス師長の眉がぴくりと動く。
私は部屋の中を見回した。
ここは研究所の所員が疲れたときに使う休憩スペースだ。広い部屋の中に、ローテーブルと二メートルほどのロングソファーがふたつ置かれている。
(よし。先にここを掃除しちゃおうかな)
さほど散らかってもいないので、すぐに終わるだろう。
私が持っていた箒で部屋を端から掃き始めると、クラウス師長は何も言わずに部屋に置かれたソファーにぽすんと座った。ずいぶんと難しい表情をしていらっしゃる。
「もしかして師長、休憩中でしたか?」
「別に、休憩中ではない」
クラウス師長は不機嫌そうに答える。