4.ようやく元に戻りました(3)
朝、窓の外を覗くと新聞配達の青年が大通りを走ってゆく後ろ姿が見えた。玄関に届いたばかりの新聞を取りに行くと、俺はそれを斜め読みする。
【魔術研究所の新薬開発、前進か】
魔法科学欄に小さな見出しを見つける。ショーンが行っている魔力回復の新薬開発の研究によい成果がでているというものだった。普通、魔力は魔法を使えば消費されて減り、その回復には時間がかかる。ショーンの開発している新薬はその回復スピードを飛躍的に上げるというものだった。成功すれば、大発明となるのは間違いない。
俺は一旦新聞を置き、自分にかかった幼児化の魔法を解こうと試す。
しかし、キラキラと煌めく魔粒子が舞うものの、すぐにそれは空中に掻き消えた。
(やはりだめか)
何度試しても、幼児化の魔法は解けそうにない。そのとき、ふと台所で朝食の準備をしていたエルマの後ろ姿が目に入る。
「エルマ、少し手伝ってくれ」
俺の声に反応して、エルマは上半身を捻ってこちらを振り返る。
「はい。どうしました?」
「魔法をかけるとき、補助魔法をかけてほしいんだ」
「補助魔法?」
俺はエルマが付加魔法師だということにほぼ確信を持っていた。
付加魔法師が魔法の効き目を増幅させる補助魔法を使えば、その威力は計り知れない。本来よりもずっと強力に魔法がかかるのだ。
「いいですよ。でも、大丈夫でしょうか?」
俺がこんな姿になってしまった日にもエルマは補助魔法を使った。そのときのことを気にしているようだ。
「大丈夫だ。手伝ってくれ」
「わかりました」
エルマは頷いて、鍋をかき混ぜていた調理用スプーンを台に置く。そして、いそいそとこちらに近付いてきた。
「いきますよ」
エルマが片手を上げる。
【きらきらりん。魔法よ、弾けろ!】
エルマがおかしな自作の呪文を唱えるのと同時に、俺は全身の魔力を集中させる。さっき試したときとは明らかに違う、魔力の大きな流れを感じた。
「わぁ。綺麗」
エルマが感嘆の声を上げるのが聞こえた。周囲を、七色に煌めく魔粒子が舞う。そして、自分の体が光り輝くのがわかった。
「やはりな。成功だ」
予想はやはり正しかった。エルマは付加魔法師だ。
あれほど試しても上手くいかなかった解呪を、エルマの助けを受けた俺はいとも簡単に成功させることができたのだった。
◇ ◇ ◇
鍋の中をお玉でかき混ぜると、刻んだ野菜がふんわりと汁の中で踊る。澄んだ琥珀色のスープからは、よだれが出そうないい匂いが漂ってきた。
「美味しそう」
私はスープをボウルによそうと、それにパンとサラダを添えたお皿を合わせてトレーに載せる。
「できましたよ」
「ああ」
返ってきた低い声に、心臓がどきっとなる。
(あー、本当に戻っちゃったんだなー)
先ほどから自分が問題なく魔法を使えるかをあれこれ試していたクラウス師長は、すぐに作業を中断するとテーブルの向かいに座った。
「いただきます」
「……はい。召し上がれ」
何かが違う。
毎日のようにクラウス師長と向き合ってこうして食事をしていたのに、いざ元の姿に戻ってしまうと勝手が違う。
なにせクラウス師長は世の女性憧れの、美貌の魔術師なのだ。キラキラの銀髪、宝石のような薄紫の瞳、そして、どこかミステリアスな雰囲気のある完璧に整ったお顔。
なんでも、何人もの美女がアタックしたものの全く相手にされなかったことから〝鉄壁の要塞〟と呼ばれているらしい。ちなみにこの話は以前サエラから聞いた。
「食べないのか?」
私の手が止まっていることに気付いたクラウス師長が、怪訝な表情でこちらを見る。
「いえ、食べます」
私は慌ててスープを口に運ぶ。
「あちっ」
できたてのスープは思った以上に熱かった。舌と唇がひりひりする。これは、火傷したかもしれない。
「大丈夫か?」
クラウス師長は片手をこちらに伸ばすと、私の口元に手を触れる。ふわっとした魔力の流れを感じ、舌と口の痛みが引くのを感じた。
「舌、見せてみろ」
「いえ。大丈夫です。今、治りました。治していただきありがとうございます!」
秀麗な顔で真剣に見つめられると、意味もなく顔が赤らみそうになる。
「すいません、私のせいで朝ご飯を中断しちゃって。仕事に遅刻しちゃうから、食べましょう!」
私はどきどきを隠すようにへらりと笑うと、朝ご飯の続きを食べ始める。
その後、私達はいつものようにふたりで魔術研究所へと向かったのだった。




