2.わけあって憧れの大魔術師様と同棲中!(3)
「急に決まったみたいですよ。ところで、ルーカス師長はクラウス師長に何かご用が?」
私は恐る恐るルーカス師長に尋ねる。ドアを開けたとき、ずいぶんとご立腹しているように見えたのだけれど、気のせいだろうか。
「一昨日の夜の件について、苦情を言いに来た。あやつ、私に全ての結界作りを任せて自分はその場に現れなかったのだぞ!」
「結界作り?」
「王宮舞踏会があっただろう」
「あ、なるほど」
私はすぐに理解する。
王宮で舞踏会など大規模な会が開かれるときは、王国騎士団の騎士達が警備するだけでなく、魔法での攻撃や不審者の侵入を防ぐための防御結界が城全体に張られる。その防御結界を張ったり、維持したりするのは筆頭魔術師の役目だ。
ルーカス師長によると、一昨日の舞踏会ではその役目にクラウス師長とルーカス師長のふたりが任命されていたらしい。けれど、クラウス師長が時間になっても現れず、結局ルーカス師長がひとりで城全体の防御結界を張ったらしい。
「それは大変でしたね。おひとりで城全体の防御結界を張って一晩中維持するなんて、ルーカス師長はすごいです」
私はしみじみと告げる。
防御結界を張るのはさほど難しい作業でないが、城全体を守るような大規模なものを一晩中張り続けるとなると話は別だ。魔術研究所に勤めているエリート魔術師達ですら、維持できてせいぜい一時間だろう。それなのに、ルーカス師長は急遽それをひとりでやってのけたのだから、すごい!
「ん? まあな。私にかかればそれくらい、朝飯前だ」
さっきまで『大変だった』と宣っていた気がするが、ルーカス師長は少し得意げに鼻を指で擦る。褒められて嬉しいのか、緑色の瞳には心なしか喜色が見て取れる。
あまり接点がなくて知らなかったけれど、ルーカス師長はおだてに弱いタイプなのかもしれない。
「とにかく、ペアを組んだのが私だったから事なきを得たものの、別の者だったら結界が維持できず、最悪の場合賊が城内に侵入する可能性だってあったのだぞ。きみはクラウスの秘書として、あやつにしっかりと伝えておくように」
「はあ、わかりました」
私、秘書じゃないんだけど……、という言葉はすんでのところで呑み込む。
ルーカス師長は私のことをクラウス師長の執務室で働く秘書と勘違いしているらしい。
「本当に申し訳ありませんでした。よく伝えておきます」
「ああ、頼んだぞ」
最後にもう一度私が謝罪すると、ルーカス師長は満足したようでご自分の執務室へと戻って行かれた。茶色い髪の毛の一部に寝癖が付いたその後ろ姿を見送ってから、私はバタンとドアを閉めて後ろを振り返る。
「師長、なんで一昨日、お仕事をさぼったんですか!」
「行こうと思ったんだが、あの休憩室から出られなくなったせいで行けなかったんだ」
クラウス師長はふて腐れたように口を尖らせる。
「あっ……」
なるほど。確かに、そんなことを言っていたような気もしなくもない。
私ははあっと息を吐く。
ちょうどそのタイミングで届いたクラウス師長宛の書類を受け取って、いそいそと仕事を始めたのだった。
◇ ◇ ◇
クラウス師長と共に暮らし始めてわかったことがある。
それは、クラウス師長は重度のワーカホリックであるということだ。
本当に魔法の研究が好きなようで、「そろそろ帰りましょう」と声をかけなければいつまででも仕事をしている。クラウス師長の執務室には簡易ベッドやシャワーも設置されているので、そのまま泊まり込むことも多いのだろう。
それはクラウス師長と過ごす最初の休日のこと。クラウス師長は相変わらず、家まで持ち帰った仕事の書類を読み返していた。
「何を見ているんですか?」
小さな男の子なのに難しい書類を真剣に読み込んでいる姿は、なんだか不思議だ。私はクラウス師長が熱心に見入っている書類を後ろからひょいっと覗き込んだ。実験結果のレポートのようで、線分図と数字の羅列が並び、考察がつらつらと書かれている。
「ここ一週間、研究所全体で研究成果が芳しくなかった。どうしてだろうと理由を考えていた」
「そうなんですか?」
私は小首を傾げる。
魔術研究所には複数の筆頭魔術師がおり、研究所の魔術師からは〝師長〟と呼ばれている。そして筆頭魔術師の大事な仕事のひとつに、大勢いる魔術研究所の魔術師達の研究の進み具合の確認や、アドバイスなどをすることがある。
「クラウス師長が不在で直接アドバイスをしてあげられないから、とか?」
「書面で質問に答えたりコメントしたりしているのだから、そんなことはないだろう?」
じゃあなんでだろうと考えて、ふとサエラと昨日立ち話したときの会話を思い出す。
「そういえば、実験室の備品類がきっちり揃っていなかったりして勝手が違うと皆さんが愚痴をこぼしていたとサエラから聞きました。ショーンさんがご立腹で周囲がピリピリしているって。私、明日からは研究所全体のお掃除と実験室の準備をしてから師長のお手伝いに行こうかな」
「ショーンのやつ、またか」
クラウス師長は半ば呆れたように息を吐くとイスの背もたれに寄りかかる。ショーンさんの気分屋なところは、クラウス師長の耳にも入っているようだ。
「私、ショーンさんがご機嫌斜めな日はなぜかいつもお休みをいただいていて、未だにその現場に遭遇したことがないんですよね」
サエラを始めとする研究所の同僚からは、ショーンさんの機嫌が悪くなった日はとにかく気を遣うから大変だと聞いた。けれど、幸運なことに私は一度もその現場に鉢合わせたことがない。




