第七話 二人っきりのボートの上で
春らしい若草が生い茂る草原を下った先に、キラキラと湖面輝く湖が広がっていた。
王宮の背後を護るようにして広がる国内最大の湖、バル湖だ。
そしてそんな湖の真ん中にポツリと浮かぶ小島には、代々の国王が眠る墓所がある。
今日は来月の建国記念日を前にして鎮魂の儀を行うという大切な日だった。
儀式は国王代理のライネス王子を筆頭に、七人すべての王子と、そして大司祭や神官数名で行う。
もちろん、各王子の護衛を務める宮廷召喚士とその召喚獣も一緒よ。
この儀式は毎年行っているらしいけど、今年は特別なの。なにせ年の終わりには次期国王が決まるんだから。
あの訓練場での襲撃事件後、これまで以上にライネス王子にアネリのアピールをしてみてるけど……。
ライネス王子が不機嫌になるだけで、ちっとも進展がないわ!
予定ではとっくにアネリと交代してるはずだったのに。
あ! もしかして、あのチワドリルのせいかしら?
ライネス王子はマロンの強さを目の当たりにして、わたくしのことは嫌いでもマロンと離れがたくなってしまったとか?
うーん、あの事件はゲームに無かったのよねぇ。
事前に知っていたらちゃんと対策を練られたのに……。
まあ済んだことは仕方ないわね、問題は今よ。
このあとわたくしたちは、それぞれ護衛する王子と二人きりでボートに乗って小島に行くの。
しかも手こぎボートで、素敵な王子さまが直々に漕いでくださるってわけ。
ああっ、なんてロマンティックなの!
やっぱりデートにボートはつきものよねぇ。
しかもこんな晴れて暖かい日だもの、ボート日和だわ。
このイベントはゲーム内にもあったの。
儀式は無事に終わる。
儀式自体は、ね。
問題はその後、儀式を終えた帰りよ。
アネリが乗るボートに細工がされていて、湖岸に着く前にボート内に水が入ってきてしまうの。
そのままじゃ水没しちゃうから、何とかして逃げ出さないといけないわ。
この細工というのは第七王子の護衛の女の子で、わたくしの強烈なシンパの一人であるコーディがやるんだけど、これまたわたくしの指示ではないの。
先日のお茶会で、わたくしがこの前の朝議でライネス王子に叱責されたことをアネリのせいにして嘆きまくったから、それを受けて腸煮えくりかえったコーディが実行に移す、ってことみたい。
下手したら護衛相手のカイン王子も含め水死してしまいそうだけど……大丈夫かしら。
だってトゥルーエンド以外のシナリオでは、ボートが沈みだしたら先に湖岸で待っていた召喚獣のペガサスがやってきて、二人でその背にのって優雅に岸に戻るっていうストーリーだったの。
そしてトゥルーエンドだとアネリが連れているのはフェニックスだから、背中に乗るのは無理。でも相手がライネス王子だから大丈夫なのよ。
さすが軍人でもあるライネス王子、アネリを連れて岸まで泳いじゃうのよね!
ここのポイントはライネス王子が上半身裸になるってこと。
そしてその腕に抱かれるアネリ……ボートが沈むっていう吊り橋効果もあって、二人の心は急接近よ!
……で、今回はどうなのよ。
アネリが連れているのはキマイラだけど、キマイラは泳げるのかしら?
心配になって調べたら、山羊は泳げるらしいのよね。
でもキマイラの頭はライオンでしょ? ライオンは水が嫌いで自分から水に入ろうとはしないらしいの。ほら、猫と一緒みたい。
まあ仮にキマイラが泳げるとしても、アネリとカイン王子の二人を背中に乗せるのは無理よねぇ。
じゃあカイン王子が代わりにアネリを抱えて泳げるかっていうと……う~ん、スタイルは良いけど、ライネス王子みたいに鍛え抜かれたって感じではないし。
なんていう風に考えていたら、アネリたちが溺れちゃったらどうしようと夜も眠れなくなってしまった心配性のわたくし。
だから侍従に頼んで、わたくしとライネス王子が乗るボートの座面の下に、救助用の浮き輪を一つ忍ばせておいたの。
危なくなったら「ボートに乗るのに備えもないだなんて、王子の護衛失格よ!」なんて捨て台詞を吐きながら、浮き輪を投げる予定。
うん、これで安心だわ。
「キャスティーヌ、さっさと乗れ」
ライネス王子が桟橋の上、係留されたボートの脇に立ち、凍りつく低温ボイスでわたくしを呼んだ。
ライネス王子は普段から愛想の欠片もない冷徹タイプだけど、普通にわたくしを嫌ってるから余計に冷たいわ。
いいの、わたくしは嫌われたって……それでアネリが好かれるのなら。
でもなんでかしら、最近、どうしようもなくモヤモヤが募るのよね。
まあ身近な人に嫌われて嬉しい人なんていないわよね、そりゃ。
「はい、ただいま参ります!」
わたくしはお行儀悪いけれど、桟橋の上を靴音高く駆けた。
その足元をコロコロとマロンがついてくる。
マロンは今日、初めてのボートということで、いつもよりさらにテンションが上がっているわ。
「本日は好天に恵まれましたわね。ボートに乗るにもぴったりの陽気ですわ」
実際、温かい風が湖面を揺らしてキラキラと輝いている中を、王子さまと二人でボートに乗るなんて、これが仕事でなくてデートだったら最高なのに!
なんて思ってしまうわ。
だからついテンション高くそう言ってしまったのだけど、ライネス王子は不機嫌そうにキュッと眉を寄せた。
「これは遊びではない。先祖を供養するという王族にとって大切な儀式だ。お前はただ護衛にだけ集中していろ」
そう言い捨てたライネス王子はさっさとボートに飛び降りて、オールがある側の座面に腰掛ける。
ああ……なんて冷たいの。
わたくしはその切なさをごまかすように、桟橋の上をちょこまか動き回っているマロンをつかまえて抱きしめる。
まあライネス王子は元々クールな方なんだけど……わたくしは嫌われきっているから。
その証拠に、ほら、わたくしがなかなかボートに降りられなくても、手を貸してくれやしない。
なんたって桟橋はこんなに高いのよ? スカートでボートに降りるにはちょっと……ひゃっ!
わたくしは片足だけ先にボートにつけようと、桟橋の柵をつかんでゆっくり降りようとしたのだけど、片腕にマロンを抱えているせいでバランスを崩してしまった。
右足はボートについたけど、左足を下ろす前にボートがぐいっと桟橋から離れてしまって悲鳴が出そうになる。
なんてこと! 股が裂けそうよ!
「くっ、うっ……!」
諦めて一度桟橋に戻ろうとしたけれど、もう右足が離れすぎてて無理。
ああっ、このままじゃ湖に落ちてしまう!
その前に、マロン、あなただけでも逃げて!
そう思って、抱えていたマロンを桟橋に放ったところで、急に腰が締め付けられて引っ張られたかと思うと、わたくしの手は桟橋の柵から引き剥がされていた。
「何をモタモタしている。さっさと座れ」
一瞬、何が起こったか分からなかった。
けれども背中から腰にかけて、ホッとするような温かさと鍛えられた筋肉の弾力を感じて、ライネス王子に背後から抱きとめられたのだと分かった。
「はっ、はい!」
ビックリしすぎて、すぐさまその場にぺたりと座り込む。
ライネス王子はそんなわたくしを冷たい眼差しで一瞥すると、桟橋の縁でキャンキャン吠えていたマロンを両手で抱え、そっとボートに下ろしてくれた。
そしてライネス王子が無言のままオールをこぎ出してようやく、わたくしはお礼を言っていないことに気がつく。
「あっ、あの、先ほどは手を貸してくださり、ありがとうございました」
まさかライネス王子が助けてくださるとは思わなかったわ……。
さっきの背中で感じた温かさを思い出すと、なんだかどんどん顔が熱くなってきて、わたくしは既に遠くなった湖岸を眺めるフリをしてライネス王子から顔を背けた。
ふう。
これはあれだわ。
普段は冷たい相手に優しくされるとドキドキしちゃうってやつね。
でも……よく考えれば当然じゃない?
普通、レディがボートに乗ろうとしていたら、手を貸すのが紳士ってものよね!?
それをしない時点でわたくしはライネス王子に十分過ぎるくらい嫌われているの。
今だって、わたくしがお礼を言っても何も返してくれないし。
そう考えると一気に頬の熱が去って行った。
代わりに、またもや胸の奥にモヤモヤが残る。
でも今回のモヤモヤはどうしたわけか、ちょっとだけ苦しい。
ああ、だめだめ、考えすぎだわ……。
気を紛らわせないと。
「あの、お疲れになりませんか? 一人で漕いで」
わたくしは上半身を目一杯使ってオールを漕ぐ、ライネス王子に声をかけた。
ライネス王子はリズム良く、ぐいっとオールを押して、そしてぐぐっと引き寄せる。
そのたびに服の上からでも腕と胸の筋肉がなめらかに動くのが分かる。
そして顔半分を隠した長い前髪が揺れて、真剣な表情が垣間見えた。
ああ、とても逞しいわ……そしてとてもセクシー。
これが好き合っている者同士なら、どれだけ素晴らしいシチュエーションでしょう!
でも残念、ライネス王子はわたくしのことを嫌っているし、わたくしだって……ん?
別にわたくしはライネス王子が嫌いなわけじゃないわ。
ただ、ライネス王子と結ばれるのはわたくしではなくアネリなわけで。
だからわたくしはライネス王子がどんなに魅力的だろうと、恋愛対象にならないというか……。
そんな風に考え込んでしまって、わたくしはうっかり自分が質問を口にしたことを忘れていた。
というか、それだけ沈黙が長かったのだけど。
「これしきのことで疲れるものか。弟たちならいざしらず」
たったそれだけ。
ああ、短い……。
せっかくボートに二人きりなのだから、もっとお話したいわ!
でも、わたくしは嫌われているから仕方ないわね。
そして好かれる必要もないの。
なぜならわたくしは嫌われて、ライネス王子の護衛はアネリに交代する、っていうのが狙いなんだから。
わたくしは胸のモヤモヤに切ない痛みがブレンドされたことに気づきながらも、なんてことない風を装って、ただ湖面を揺らす心地よい春風に目を細めていた。