第六話 マロン、はじめての戦闘?
城のすぐそばにある軍の訓練場は、重たい曇天の下、たくさんの兵士であふれていた。
王族の護衛や戦の最前線では宮廷召喚士の召喚獣が活躍するけれど、どの国も数が少ないから、こういった召喚士以外の兵士たちも国防の点ではかなり重要なの。
今日はライネス王子が第三王子であるロナード王子と軍の訓練を見るために、訓練場に来ていた。
例によって私は両手でしっかりマロンを抱えているわ。
こんなに人がたくさんいて、集団で走ったり剣の手合わせをしている場所なんて、マロンが興奮しすぎて大変なの。
きっとマロンはみんなが遊んでいると思っているのね……自分もまざりたくって、私の手の中でバタバタしているわ。
「ライネス兄さん、天気があやしくなってきたけど、まだ続けるかい?」
訓練場を例の大股の早歩きで横切っていくライネス王子の後ろを、ロナード王子、ロナード王子の護衛、そしてわたくしの順でついていく。
ロナード王子の護衛を務める宮廷召喚士は、わたくしと同じ伯爵令嬢で、名前はヘレナというの。ちょっと真面目すぎるところがあるけど、召喚士養成学院時代からそれなりに仲良くしているわ。
そして彼女は真っ白なワーウルフを使役していて、大きさは大型犬より一回り大きいくらいかしら?
満月の夜には人狼の姿になるらしいけれど、普段は大きい狼って感じね。
大人しく主人の後ろを歩いていて、ちょっとだけ羨ましいわ……。
「多少の雨なら訓練にもなるからな、よほど激しくならぬ限りは続ける」
「いや訓練の話じゃなくって、俺たちは帰らないのかって話。ガイスターが雨に濡れると、せっかくのモフモフの毛がびちょびちょになっちゃうんだよね」
ロナード王子は心配そうにワーウルフに視線を投げかけている。
ガイスターっていうのはワーウルフの名前よ。
確かにガイスターはワーウルフにしては毛がモコモコしていて立派ね……普通はもっと硬い毛で雨が降ってもある程度は水をはじくと思うのだけど、ガイスターの場合は毛が濡れてびっしょりになってしまいそう。
しかしそんなガイスターの主であるヘレナは、少し申し訳なさそうな顔でロナード王子を見上げているわ。
だからわたくしはロナード王子に助け船を出すことにした。
「確かに冷たい風が吹いてきましたわ。まもなく雨が降るかもしれませんわね」
「そうなんだよ。しかもさっき、遠くの雲がピカッて光ったのに気づいたかい?」
「か、雷!? こんな開けたところで……ちょっと恐いですわ」
するとライネス王子はいらだたしげに大きく息を吐き、立ち止まった。
「嫌なら先に帰っていろ」
「じゃあ俺たちはそうしようかな。でもさ、彼女は帰る訳にはいかないでしょ? ライネス兄さんの護衛なんだし」
ロナード王子がわたくしに気を遣ってくれる。
ライネス王子の塩対応に慣れてしまった私には、とっても嬉しい言葉だけれど……そんな理由でライネス王子が城に戻るとは思えないわ。
「これだけ自軍の兵がいる中だ、護衛は不要だろう。先に帰っても構わん」
「ええ~? そういう油断は良くないよ」
「ふん、言い方を変えるか。万が一、自軍の兵の中に刺客が紛れ込んでいたとしても、私は自分の身は自分で守れる」
た、逞しいわ……わたくしの出番なんてないんじゃないかしら?
でもそうでないと困るわね。マロンは実のところ、ぜんぜん戦えないんだもの。
ロナード王子は苦笑してから、わたくしに向き直る。
「じゃあ、君も一緒に帰るかい?」
「えっ、いえ、でも……」
さすがに……ライネス王子本人が護衛は不要だと言っても、雨に濡れるのが嫌だからという理由でお仕事を放棄するのは良くないわ。
まあ、わたくしがいても護衛にはならないんですけど……。
「わたくしは残りますわ。ロナードさまはどうぞお戻りになってくださいませ」
「そう? あまり雨が降るようなら先に帰った方がいいよ」
「お心遣い、感謝いたします」
ロナード王子はライネス王子の弟とは思えないくらい、爽やかな笑みを見せてから去って行った。
わたくしは去って行くロナード王子とヘレナ、そしてガイスターの後ろ姿を見送りながら、しみじみと思う。
ロナード王子って、ライネス王子とはぜんぜん違うわ。
髪や瞳の色が違うだけで、顔の系統はライネス王子と一緒だと思うのだけど、表情がまったく違うから兄弟とは思えないの。
ロナード王子は隣を歩くヘレナと何か話しているみたいで、声を上げて笑っている。
ライネス王子があんな風に笑うところなんて想像できないし、そもそもライネス王子が純粋に楽しくて笑うなんてこと、あるのかしら?
常に苦悩を背負っているかのように不機嫌なお顔だし……。
なんて柄にもなくライネス王子について考え込んでいたら。
突然、前方で鋭い声が上がった。
「ライネス王子、お覚悟!」
ガキィィィン!
目に見えないほどの速さでライネス王子が動いた。
そして金属と金属が激しく打ち合わされる音がして、ようやく状況を察する。
え、なっ、刺客!?
ザッと砂を蹴る音と共に、数人の兵士がライネス王子の周りを取り囲んだ。
服装は我が国の兵士の軍服なのに、その目つきはゾッとするほどに暗い。
そしてタイミング悪く、ポツリポツリと雨粒が降ってきてしまった。
「ほう、ロナードの勘が当たったな。ゴルダイ帝国の刺客か」
えええっ、軍の兵士になりすまして潜入したっていうの!?
刺客の数はザッと見て十人程度。
けれどもライネス王子とわたくしたちはすっかり囲まれてしまった。
その刺客の壁の向こうで、ようやく状況を察した本物の我が国の兵士たちが、慌てふためいて抜剣している。
こんなに兵士のいる中で、ライネス王子を襲うだなんて!
自分たちの命は捨てる覚悟ということ?
でも……確かに、周りにいる兵士がこの刺客たちを打ち倒すまでの間、輪の中にいるライネス王子は無事でいられるのかしら。
……って、輪の中にはわたくしもいるじゃないの!
「ライネス王子をお助けしろ!」
「案ずるな、宮廷召喚士殿も一緒だ!」
なんて声が聞こえてくる。
その間にも、最初に斬りかかって来た刺客を、ライネス王子が目にも止まらぬ素早い剣さばきで切り伏せた。
ま、まずいわ、マロンも戦わないといけない雰囲気になってる!
前方はライネス王子に任せるとして、後方は……。
ばっと振り返ると、ちょうどわたくしの真後ろにいた刺客の一人が飛びかかってくるところだった。
「きゃあっ!」
斬られるっ!
と、目をぎゅっとつむったのとほぼ同時、右腕をものすごい力で引っ張られて、わたくしは地面に背中から転がった。
目を開けば、すぐ傍らにライネス王子が立っていた。
そして私をチラリと一瞥し、すぐに視線を前方に戻す。
そのしなやかな全身から、ピリピリとした殺気が放たれていた。
横たわったまま視線を巡らせば、わたくしに斬りかかろうとしていた刺客もまた、少し離れた地面に転がっている。
わたくし……斬られそうになったのを、ライネス王子に助けられたの?
「油断するな、死ぬぞ。私のことはいい、そのチワワで身を守れ」
「えっ、で、でもっ……」
そんなこと言われましても、マロンはっ……。
焦りながらも、わたくしは急いで身体を起こした。
立ち上がりながら顔を上げると、また新たな刺客が剣を下段に構えてじりじりと距離を詰めてきていた。
わたくしは恐怖で震え上がる。
「あっ、マロン!」
なんてこと!
倒れたときすら離さなかったのに、マロンが隙をついて腕から飛び降りてしまったわ!
しかも遊んでくれるとでも思ったのか、そのままちぎれんばかりに尻尾を振って刺客の前へ転げ出ていってしまう。
「マロン、ダメよ!」
ああっ、マロンが斬り殺されてしまうわ……!
わたくしはマロンに駆け寄ろうとするも、焦りのあまり躓いて転んでしまった。
同時に刺客の方も突然走ってきたマロンに驚いたのか、数歩後ずさる。
「マロン、こっちに来なさい!」
立ち上がる余裕もなく、地面に膝をついたまま叫ぶものの、マロンはそのまま刺客の前まで進んで……。
そして、ポツポツと身体に落ちてくる雨粒が気になったのか、その場でブルブルブルっと身体を震わせた。
「なっ……」
通称、チワドリル。
そう、鼻先付近を中心にぐるんぐるん回転して見えるアレよ。
あまりのマロンののんき具合に、わたくしは思わず呆気に取られてしまう。
しかしマロンと向き合う刺客はチワドリルを攻撃準備とでも思ったのかしら? 剣をスッと振りかぶった。
その直後。
わたくしの目の前で、爆音とともに閃光が炸裂した。
バリバリバリッ! ドォーーンッ!!
白一色の視界。
下から激しい震動に突き上げられ、わたくしは再び地面に転がった。
何が起こったのか分からず、必死になって身体を起こすと、温かくて柔らかいものが手に触れる。
「マ、マロン……?」
マロンはそのまま私の腕の中に飛び込んできた。
触れた小さな身体が小刻みに震えている。
「なんだ……落雷か?」
今度は呆然としたようなライネス王子の声。
ようやく光にやられた視界が回復してきて周囲を見てみれば、さっきまでマロンと向き合っていた刺客の男が、白い湯気を上げて仰向けに倒れている。
「ら、落雷?」
地面に座り込んだままおろおろと頭上を見上げれば、いつの間にか真上の雲の合間がピカピカと光って、ゴロゴロ音がしていた。
そういえば……さきほどロナード王子が言ってたわ、雷が見えたって!
つまり、刺客に雷が落ちたということ!?
ようやく状況を察したわたくしは急いで立ち上がると、倒れた刺客に向けて高らかに笑った。
「ほほほほほっ! 今のは必殺チワドリル。マロンがこのか弱き仮の姿でかろうじて使える雷魔法よ!」
途端に残った刺客たちはザッと後退した。
その隙を見逃さず、周囲を取り囲んでいた兵士たちが背後から飛びかかる。
そうして、あっという間に刺客たちは捕縛されていった。
「チワドリル……随分と強力な魔法だな」
まとっていた殺気が霧散したライネス王子が、わたくしの腕の中のマロンを見つめ、つぶやいた。
「え、ええ、そうですわね。ただし屋外で、かつ近くに雷雲がないと使えないのですけど。使用条件が厳しいのは仕方ないですわ、あくまでこれは仮の姿ですもの」
マロンはようやく落雷のショックから立ち直ったのか、いつものように口角を上げて舌をペロッとだしていた。
まったく、のんきな子ね!
「ライネス兄さん、大丈夫だった!? すっごい雷だったけど……」
「ああ、さっきの雷はチワワの魔法らしい」
「えっ、チワワの!?」
そう遠くまで行っていなかったのだろうロナード王子が、真っ青な顔で駆けつけた。
もちろんヘレナと、ガイスターも一緒よ。
少し強くなった雨でガイスターの白い毛が少し濡れてしまっているわ。
ああ、恐かった……。
あのままだったら間違いなく斬り殺されていたわ。
とはいえ、当然ながら雷が落ちたのは偶然よ。
こんなに見晴らしの良い場所で、剣なんて金属の棒を頭上にかかげるから避雷針状態になっちゃったのね、きっと。
それにしても、こんな場所でも刺客に襲われるだなんて!
ライネス王子って、敵が多いのね……。
とにかく、マロンがただの可愛いワンコだってバレる前に、早くアネリと代わらないとだわ。
そうじゃないと私だけでなく、ライネス王子まで危険な目に遭わせてしまうもの……。