第五話 ライネス王子の軍国主義
そこはお城の中庭、赤や白のバラが咲き誇る美しい庭園だった。
わたくしはその片隅のベンチに腰掛けて、楽しげに遊び回るマロンを見つめていた。
マロンは転げるように走り回り、飛んでいる蝶に飛びかかろうとしたり、自分の尻尾を追ってくるくる回ったりして遊んでる。
もう、まごう事なきただのチワワね。
「マロン!」
そしてすっかりわたくしに懐いてて、名を呼べば一目散に駆け寄ってくるわ。
わたくしは足元にすっ飛んできて跳ねるように飛びついてくるマロンを、撫でくりまわす。
絹糸のように細く、そしてふわっふわのクリーム色の毛が、陽の光を反射してキラキラ輝いた。
「ああマロン、なんて可愛いのかしら……あなただけがわたくしの癒やしよ」
実はわたくし、前世のときからいつかチワワを飼いたいと思っていたの。
でも……犬アレルギーで。
しかも今生でもそうなのよ!? 何の呪いなのよ、まったく!
でも不思議なことに、マロンにはアレルギー反応が出ないの。
うちのお屋敷の番犬は、ちょっと撫でるだけで目のかゆみと鼻水が止まらないっていうのに。
もしかして……マロンは普通のチワワじゃなくて、やっぱり魔獣なのかしら?
再びわたくしの足元を離れ、中庭を駆け回るマロンを見つめる。
まあ、どう見ても普通のチワワなのだけど。
「終わったぞ、部屋に戻る」
突然、深く低い声がかけられ、わたくしはビクリと背筋を伸ばす。
ライネス王子だ。
察すると共にベンチから立ち上がった。
中庭に面した会議室で軍事会議が開かれていたから、わたくしは中庭で待っていたの。
本来、わたくしはライネス王子の護衛なのだから室内まで入るべきなのだけど、出席者はライネス王子の腹心ばかりということから、会議室のすぐそばで待つよう指示されていたわけ。
立ち上がって振り返れば、ライネス王子が中庭に下りてくるところだった。このまま中庭を横切って自室に帰るのだと思う。
ライネス王子はうららかな中庭の雰囲気に馴染まない、まるで夜を背負ったかのようなミッドナイトブルーの髪を、気だるげにかき上げている。
それで普段は見えない顔半分がよく見えた。
ライネス王子は右眉のすぐ横に小さな刀傷があるの。まだ若かりし頃に戦場で負ったものなのだとか。
噂では、その傷を恥として隠していると聞いたけれど……全然目立たない傷だからもったいないわね。
「なんだ?」
ついうっかりジッと見過ぎて、ライネス王子のあの金の瞳と目が合ってしまう。
恐ろしくも美しいわ……まるでオオカミに睨まれた野ウサギの気分よ。
「いえ……ライネスさまは大変整った顔立ちでいらっしゃるので、顔を半分隠してしまうのはもったいないと思いまして」
するとライネス王子は途端に不機嫌な顔になり、ずんずんと大股でわたくしの方へ歩いてきた。
「えっ、えっ?」
ビックリして固まっているわたくしの目の前で立ち止まり、のしかかるようにして見下ろしてくる。あの恐ろしく鋭い金の瞳で。
体温すら感じそうなほどのその距離に、わたくしは思わず息をのむ。
ライネス王子の香水か、服に焚きしめた香か、白檀に似た不思議な香りが漂ってきた。
「もったいないだと? 私は巷では恐ろしいと言われているがな。特にこの目はオオカミのようだとか」
「そ、そんな、恐ろしいだなんて! それに、わたくしは代々強力な魔獣を召喚してきたバラグダート家の娘ですもの、オオカミなんて恐くありませんわ」
言い返してから、「なんて」はつけるべきじゃなかったと青くなる。
しかしライネス王子は何が面白かったのか、その口元に太い笑みを浮かべた。
「確かにな。魔獣に比べればオオカミなど、犬と変わらんか」
そしてサッと身を翻して、そのまま中庭を突っ切っていく。
わたくしは一瞬ポカンとしてから、慌てて後を追った。
「マロン、行くわよ! ……そういえばライネスさま、ゴルダイ帝国との戦が続いておりますが、ライネスさまも現地に行かれる予定はあるんですの?」
「いや、鎮魂の儀と建国三〇〇周年記念のパーティーが終わるまでは、城を離れるわけにはいかない」
「ああ、そうでしたわね。両方ともとても大事なイベントですもの」
本当はもっとゆっくりお話したいのだけれど、ライネス王子は足を止める事なく大股でズンズン歩いていってしまう。
だからわたくしはマロンを抱き上げて、小走りになって後を追うしかない。
せ、せめてわたくしが女性だということを考えて、もう少しゆっくり歩いてくれないものかしら?
大体、ライネス王子は何でも強引なのよね。
ゴルダイ帝国との戦も、国王は和平を望んでいたのに、ライネス王子が強硬に戦を推し進めたって噂があるくらいだし。
どうしてそんなに戦が好きなのかしら?
わたくしの父やお姉さまたちもゴルダイ帝国との戦に出兵し、我が国のために粉骨砕身頑張って戦っているわ。
ああ、本当にアネリなら、このライネス王子を変えられるというの?
それとも実際はライネス王子が恐すぎるから、諫言する者が誰もいないってだけ?
その疑問から、ふと思いついた事を口にしてみた。
「それであれば、鎮魂の儀までは間もないですが、建国記念パーティーまでなら日数がありますわ。せっかくの記念となる年ですもの、ゴルダイ帝国と休戦協定を結ぶというのは……」
そこまで言いかけたとき、突然ライネス王子が足を止めたものだから、わたくしは危うくその広い背中に激突するところだった。
「たかが宮廷召喚士の分際で、軍事に口だしするつもりか」
何度聞いてもぜんぜん慣れない、空気すら凍り付くような低い声……。
しかも今日は特に怒りがにじんでいて、顔半分だけ振り返ってこちらを睨みつけてくる鋭すぎる眼光がかなり恐い。
内心、震え上がってしまったわたくしは、つい本音が口をついて出る。
「も、申し訳ございません、そんなつもりは……ただ、一国民としては戦のない世を願ってしまうもので……わたくしの祖父や母も宮廷召喚士でしたが、戦で亡くなりましたから。そして今、父や姉たちが戦線に赴いております」
切なげな笑みを浮かべるつもりが、ライネス王子が恐すぎて口元が引きつってしまった。
しかし次の瞬間、ライネス王子がかすかに眉を持ち上げ、わたくしを射殺さんとしていた鋭い視線がいくらか和らいだ。
「お前の母……そうか、バラグダート伯爵家は召喚士の名家だからな、男女問わず戦での殉死者も多かろう」
その声は相変わらず低かったけれど……かすかに掠れて柔らかさがあった。
「しかし私も好き好んで戦をしているわけではない。戦で失われる命がどれもかけがえのないものだという事も知っている。しかし、だからこそ、戦で勝つしかないのだ。他国に侵略されれば数多の命が失われ、生き残った者も悲惨な扱いを受ける。和平にこぎつけても、国が強くなければ不利な条件で協定を結ぶことになる……分かるか?」
「は、はい……」
「そしてモデラルドが真に強き国になれば、戦を仕掛けようとする国もなくなるだろう。私が目指す世は、その先にある」
ライネス王子の真摯な言葉だった。
これまで浴びせられてきた不機嫌な言葉の数々が嘘のような。
ゲームの中では、なぜライネス王子が軍国主義なのか詳しく語られていなかったから、思わぬ一面を見せられて、わたくしはとっさに言葉が浮かばない。
そう、そうなのね……ライネス王子は武でもって平和な世を目指すと。
その熱い思いを聞いてしまうと、その道が正しいような気がしてくるわ。
けれどもゲームのトゥルーエンド以外のシナリオでは、戦の絶えない時代が続くことになっていた……。
それはライネス王子としても本望ではなかったのね。
わたくしの苦悩をいくらかでも感じ取ったのか、ライネス王子が戸惑いをにじませた声をかけてきた。
「お前の気持ちも分かる。家族が出兵しているのであれば、一刻も早い休戦を願いたくもなろう。しかし命をかけて戦っているお前の父や姉も同じ考えだと思うか?」
「それは……父も姉たちもバラグダートの名に恥じぬ優れた召喚士です。召喚獣もどんな敵国にも負けないくらい強くて……ですから、戦に勝つまでは家に帰らないつもりかと」
「そうであろう」
「それに、もちろんわたくしもお国の命とあらば、いつでも戦場に駆けつけますわ!」
「ふん、お前の仕事は私の護衛だろうが」
「そ、そうでした……」
最後の一言を発したライネス王子の声は、既にいつもどおりに戻っているけれど、なぜかいつもほど恐くはない。
不思議と温かい気持ちが胸の中にあふれ、じっとしていられないような落ち着かない気分になる。
なんだかライネス王子と少し仲良くなれたような気がして……嬉しくなっちゃったわ。
でも、仲良くなる必要なんてないのよね。
むしろその逆なの。
だからわたくしは今から、ライネス王子を苛立たせないといけないわ……。
「そういえばカインさまは戦場に行かれることはないのですか?」
「なぜだ? カインは武芸が不得手で戦にも興味がない」
「そうですの……アネリの召喚獣のキマイラは宮廷よりも戦場が似合うのではと思いまして。なにせ頭がライオンというだけで恐ろしいのに、胴は山羊、そして尾がヘビだなんて! こんなことを言ってはなんですが、あまり洗練された見た目ではありませんわ」
案の定、わたくしがアネリのことを口にしただけで、ライネス王子の眉根がぎゅっと寄って不機嫌度MAXになった。
ちょっと恐いけれど、ここでやめるわけにはいかない。
「それにアネリ自身、見た目も中身も王宮向けではありませんし。あの子こそ戦場を駆け回っているのがお似合いだと思いますの」
こうやって、アネリは戦場向きだとアピールしておけば、自分の護衛はわたくしよりアネリの方がふさわしいって思うんじゃないかしら?
ライネス王子は小さく溜め息を付き、再び大股で歩き始めた。
あら、無視ですの?
ちょっと拍子抜けしてしまうけれど………きっと言葉を発するのも嫌なくらい、わたくしに呆れてしまったのね。