第二章 運命の出会いは突然に?(3)
商業ギルドを出た足で、アルシオーネは貴族たちの住まいのある区画に向かっていた。
領地を出る際に子爵から、王都にある屋敷を使っていいと許可を得ていたのだ。
しかし、身分を隠している状態で堂々と住むのはどうなのかと悩んでいたアルシオーネにセバスティアンがある提案をしたのだ。
それは、ずっと使われていなかった屋敷の管理をするために子爵に雇われてきた使用人に成りすますというものだった。
アルシオーネは、その案に乗ることにして、子爵から紹介状迄書いてもらっていたのだ。
それは、万が一にも貴族たちの屋敷を警備している兵士に不審に思われないようにというものだった。
特に咎められることもなく、奥の方にあるトライベッカ子爵の屋敷にたどり着いたアルシオーネは、預かった鍵で門を開き、屋敷の中に入って行ったのだった。
長年手入れすることも出来ずに放置されていたも同然の屋敷は、至る所が傷んでいた。
庭木は荒れ放題で、屋敷の中もホコリが積もり蜘蛛の巣だらけだったのだ。
すぐに全てを綺麗にすることは無理だと判断したアルシオーネは、台所と寝る場所、トイレと風呂場だけを使えるように掃除することにした。
偶然作り上げた手作りのなんちゃってマジックバックから掃除に仕えそうな物を取り出して、夜までかかって掃除を終えていた。
長旅と商業ギルドでの出来事もあって、その日は夜ご飯も食べずに眠りについていた。
翌朝は、久しぶりにベッドで眠れたこともありこれまでの疲れが取れたかのように体が軽くなっていた。
アルシオーネは、一旦風呂で汗を流して、久しぶりに素顔になっていた。
今までは、人の目もあって特殊メイク張りの変装を解くことが出来なかったのだ。
簡単なワンピース姿で、携帯食で簡単に朝食を済ませたアルシオーネは、今日から販売する薬について吟味を始めた。
回復薬は勿論、風邪薬や頭痛薬の領地でもよく飲まれていた薬は販売しようと考えていたのだが、それ以外に何を売ればいいのかと頭を悩ませていたのだ。
領地で人気があったのは、手荒れを良くする軟膏や、アルシオーネお手製の健康に効く薬草茶などだ。
特に、薬草茶は飲めば飲むほど若返るとご婦人方に人気があったのだ。
アルシオーネにその自覚はなかったが、薬草茶には若返りの効能があり、飲み続けていたご婦人方は、十歳は若返ったという自覚があったのだ。
それをアルシオーネに感謝を込めて伝えても「皆さん、お茶を飲む前からお綺麗でしたよ? わたしのお茶ぐらいで変わるわけないですよ~。でも、褒めてもらえてうれしいです」と、本気にはしていなかったのだ。
とりあえず、初日は様子を見ることにしたアルシオーネは、無難に回復薬と風邪薬と頭痛薬のみを販売にすることに決めてから、出掛ける支度にとりかかった。
田舎娘に見えるようにメイクをしてから鏡の前に立ったアルシオーネは、その出来栄えに頷いていた。
そこからどう見ても、その辺で畑仕事していてもおかしくない自分の姿に満足したアルシオーネは、マジックバックに売り物の薬を詰め込んで屋敷を後にしたのだった。
そして、昨日教えてもらった露店に向かいながら、王都の景色を楽しんでいた。
昨日は、景色を見ている余裕がなかったが、今日は周りを見回す余裕がアルシオーネにあったのだ。
綺麗に整えられた街並みと活気にあふれた人々の明るい声。
道行く人々の表情は楽しそうで、これが王都なのだとアルシオーネは実感していた。
すれ違う人たちのお洒落な姿に目を奪われつつも、決してそれを羨むことはなかった。
アルシオーネの中にあるのは、お洒落を楽しみたいというものではなく、お金を稼いで家族をそして領地のみんなを幸せにしたいというものだけだったのだ。
ゆっくりとした足取りでついた場所は、中央広場に位置する露店が集まる場所だった。
そこには、食べ物や飲み物、小物やアクセサリーなどの様々なものを売る露店が広がっていた。
そして、アルシオーネと同じように薬を売っている店も多数あった。
それとなく覗いてみると「体力が大幅に回復する」「風邪が早く治る」などの売り文句で薬が売られていたのだ。
それを見たアルシオーネの感想は、「やっぱり、薬を売るとなると似たようなものが並ぶわよね」というものだった。
周囲の露店を眺めつつ、そこそこ賑わっている場所にある空き露店に着いたアルシオーネは、早速商業ギルドから貸与えられた露店に薬を並べたのだ。
しかし、周囲の美味しそうな食べ物に勝てるわけもなく、一向に薬が売れる気配はなかった。
初めのころは、声を出して売り込みをしようとしたが、アルシオーネのエグい訛りに驚いた通行人たちは、逆に露店に近づかないように距離を空けて歩くという事態になってしまっていたのだ。
それに気が付いたアルシオーネは、呼び込みの掛け声を止めて、ただにこにことしながら誰かが立ち止まるのを我慢強く待つ事に作戦を変えたのだった。
しかし、それはそれでお客が近ずくこともなく、その日は何も売れることなく店じまいをすることになったのだった。
屋敷に帰る道すがら、商業ギルドに寄り、今日の成果が何もなかったということだけを報告すると、アルシオーネを迎えたサブマスターは、悲し気な表情でアルシオーネを気遣って、美味しい飴をくれたのだった。
その後も、アルシオーネの訛りと見た目が嫌煙されたのか、薬が売れることがないまま時だけが過ぎていったのだった。
そんな中、とぼとぼと肩を落として帰路についているアルシオーネに声を掛ける人物が現れたのだ。
それは、貴族の令息と思われる青年だった。
仕立てのいい服を身に纏い、良く磨かれた靴を履いたその青年は、とぼとぼと歩くアルシオーネを引き留めて言ったのだ。
「お嬢さん、どうかこの子犬の面倒を見てはいただけませんか?」
突然そんなことを言われたアルシオーネは、目の前に立つ貴族の青年を仰ぎ見ていた。
小柄なアルシオーネが見上げるほどの高身長の青年は、真っ黒な髪に榛色の瞳をしていた。
意志の強そうな太い眉と、真剣な色を宿した瞳、形のいいすっきりとした鼻と薄い唇のとても見目のいい青年だった。
それだけではなく、武術でも嗜んでいるのか体格が良く、アルシオーネと比べると大人と子供くらいの体格差があった。
そして、その厚みのある胸に抱かれた子犬は、ミルクティー色の毛とルビーのような赤い瞳をしていた。
突然知らない男に呼び止められたアルシオーネは、戸惑いつつもその腕に抱かれた子犬に何故か惹かれるものがあったのだ。
無意識にミルクティー色の子犬に手を伸ばしていたアルシオーネは、指先に触れる柔らかな感触に自然と表情を綻ばせていた。
そんなアルシオーネを見た青年は、ニカっと白い歯を見せてほほ笑んだ後にとても魅力的な提案をしてきたのだ。
「この子は、俺の大切な……大切な子なんだよ。この子が抵抗せずにその身に触れさせたということは、君が……、いや何でもない。ああ、つまりだな。そう、謝礼を出す。このくらい出すから、面倒を見てくれないかな?」
青年はそう言って、指を五本立てたのだ。
アルシオーネは、五本立てられて指の意味を瞬時に理解して、慎重に青年に問いかけていた。
「謝礼ば……。金貨五枚だか?」
(謝礼って……、金貨五枚もですか?)
アルシオーネの問いかけを聞いた青年は緩く頭を振ってそれを否定した後に指五本の正確な金額を口に出したのだ。
「いや、金貨五百枚だ」
青年の言葉を聞いたアルシオーネは、訛ることを忘れて素の声を上げていた。
「ききき……、金貨ごごごご、五百枚?! はわぁ……」
想像していた以上の金額を示されたアルシオーネは、素っ頓狂な声を上げた後に膝から崩れ落ちていた。
しかし、アルシオーネが地面に倒れるより前に、青年ががっちりとした腕でアルシオーネの細い体を支えていた。
アルシオーネを支える青年だったが、彼女に触れるなとでもいうかのように子犬が「キャンキャン!」と鳴きだして大慌てで口の中で言い訳じみた言葉を発していた。
「こ、こら! ヴェル、落ち着きなさい。えっ? 彼女に触れるなって? いやいや、そんなことすればお嬢さんが……、はぁ。我慢しなさい。ちょっ、ヴェル、暴れるな」
そんなやり取りにはちっとも気が付いていないアルシオーネの頭の中は、黄金色に染まっていた。
(金貨五百枚金貨五百枚金貨五百枚金貨五百枚金貨五百枚金貨五百枚金貨五百枚)
頭の中を金貨の海で埋め尽くされていたアルシオーネは、下からワンピースの裾を引っ張られる感覚に気が付き我に返っていた。
足元を見ると、小さな子犬が懸命に何かを訴えるかのように吠えながらアルシオーネのワンピースの裾を引っ張っていたのだ。
その頃には、ひとりで立てるようになっていたアルシオーネから身を離していた青年は、懸命な様子の子犬を見て大きなため息を吐くばかりだった。




