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第一章 旅立ち(2)

 洗濯を終えたアルシオーネは、いそいそと薬草と野菜の世話に向かった。

 いつものように、野菜の世話を先に済ませた後に、薬草の手入れをしていく。それが終わったら、籠を手に持って、必要な薬草を摘んでいく。

 トライベッカ領は、肥沃な大地に恵まれた場所の為、少しの肥料でも作物が育つのだ。

 そして、代々伝わる秘伝のと言っても特に秘密にはしていないが、特製の肥料のお陰で他所の地域とは比べ物にならないほど作物の出来が良かった。

 しかし、作った作物は基本的に自分たちで食べるための物で、他領の作物を仕入れることも、逆に他領に輸出することもなかったためあまり知られていなかったが、トライベッカ産の作物は、味も質一級品だったのだ。

 

 アルシオーネは、必要な分だけ薬草を摘んでから籠を持って自室の隣に作った研究室に向かった。

 研究室と言ってもそれほど大したものではなかった。

 しかし、そう思っているのはアルシオーネだけだったが。

 研究室には、アルシオーネが書きとめた薬草の効能や調合の割合が乱雑に走り書きされた紙が散乱していた。

 大きな机の上には調合に使うガラス器具や乳鉢が、散らばった走り書きとは対象に綺麗に置かれていた。

 アルシオーネは、部屋に入ると薬草の入った籠を机に置いてから、ざっと床に散らばる走り書きを片付けた。

 走り書きを片付けるアルシオーネは、眉を寄せて困ったように乾いた笑いを浮かべていた。

 アルシオーネが乾いた笑いを浮かべるのには理由があった。

 彼女は、研究に没頭し過ぎてしまうところがあったのだ。

 そのため、普段はきちんと整理整頓をしているのにもかかわらず、新しい薬の調合を思い付くとそれを手近な紙に走り書きし、それを試しに調合しては、ああでもない、こうでもないとさらにペンを走らせて、書き綴った紙を散らばしてしまうのだ。

 そして、満足いく物が出来上がるとふらつく足で自室に戻って泥の様に眠るのだった。

 因みに、どんなに部屋を紙切れで散らかしても、実験器具だけはきちんと掃除して綺麗に片づけた後に部屋を出るのだった。

 

 散らばった紙を集めてまとめたアルシオーネは、次に籠から手慣れた様子で薬草を取りだすと調合を開始した。

 一般的に売られている回復薬は、その名の通り体力を回復する効能しかなかった。

 しかし、アルシオーネの作る回復薬は、傷の治りを速めて、小さな傷であれば立ちどころに治ってしまうというものだった。

 領地から出たことのないアルシオーネは、自分の作る回復薬が貴重なものであるという自覚がなかった。

 そして、それは領民たちも同じだった。

 この事実を知っているのは、子爵とセバスティアンとコックォのみだった。

 ただ、この三人はアルシオーネを大層可愛がり、過保護が過ぎるところがあった。

 そのため、アルシオーネを領地から出すなど考えてもいなかったため、彼女が作り出す薬が貴重なものだということを伝えていなかったのだ。

 それに加えて、アルシオーネの薬の恩恵を受けている領民たちもアルシオーネを好いているため、彼女を害するような考えを持つものなどいなかったのだ。

 アルシオーネは、周囲の人たちから守られて優しく、そして健やかに育った、所謂箱入りだったのだ。

 当人にはその自覚はなかったが、子爵を含めてアルシオーネを見守る領民全てが真綿で包むように彼女を大切に育てたと言っても過言ではなかった。

 

 

 そんな周囲の過剰なまでの優しさを知ってか知らずか、アルシオーネは、自由にのびのびと暮らす中で、たびたびズレたことを言っては周囲を慌てさせていたのだった。

 そして今回もアルシオーネのある決断が、子爵たちを驚かせることとなったのだった。

 

 アルシオーネは、薬を作り終わった後、研究室を綺麗にしたその足で子爵のいる執務室に向かっていた。

 執務室の前に来たアルシオーネは、扉の前で一つ深呼吸をした後に目の前のドアを軽くノックした。

 コツコツと扉をノックする軽い音がした後、アルシオーネが言葉を発する前に扉の内側から、「アルシオーネだね。入っていらっしゃい」という子爵の優し気な声が聞こえた。

 子爵の声を聞いたアルシオーネは、もう一度大きく息を吸った後にゆっくりと息を吐いてから、「失礼します」と一言言って執務室に入室したのだった。

 

 執務室に入ったアルシオーネだったが、両手の指を胸の前で合わせて、何かを言いたげに視線をさ迷わせていた。

 子爵にはすぐにアルシオーネが何かを言いたげにしているのが分かったが、可愛い愛娘の姿に微笑まし気な表情を浮かべるだけで言葉を発することはなかった。

 しかし、アルシオーネは覚悟を決めたように深呼吸をした後に真剣な表情で言ったのだ。

 

「お父様、わたし決めました。出稼ぎに行こうと思います」


 きりっとした表情でそう発言したアルシオーネに子爵は目を丸くして聞き返していた。

 

「え? で、出稼ぎだって?」


 子爵の驚きに上ずった声を聞いたアルシオーネは、父親の目を真っ直ぐに見つめて頷いた後に続きを話した。

 

「はい。わたし、思ったんです。このままでは、孫の代まで借金生活が―――」


 アルシオーネが「孫の代」と言う言葉を発したのを聞いた子爵は悲鳴を上げて彼女の言葉を遮っていた。

 

「のーーーーーーーーー!! まままま、孫? ダメだ! 孫はきっと可愛い。絶対に可愛い!! だが、だかな、孫イコール私の可愛いアルシオーネがお嫁に……お嫁に行ってしまう……。うぅぅぅ!!」

 

 この世の絶望を知ってしまったかのような子爵の嘆きにアルシオーネは、若干後退りながらも泣き出してしまった父親を慰める言葉を口にしていた。

 

「あ…あの、お父様? あれは言葉の綾でして……。わたしを貰ってくれるような人なんていま―――」


 あれは、嫁に行くということではないと説明するアルシオーネだったが、「わたしを貰ってくれるような人なんていません」と口にしようとしたところ、最後まで言う前に執務室の扉がバーン!! と、ものすごい勢いで開いたのだ。

 そして、扉の外にいたセバスティアンとコックォが鬼のような形相で交互に捲し立てたのだ。

 

「お嬢様を好きにならない人間なんておりません!」

 

「そうだぜ! お嬢に惚れない男がいたとしたら、そいつは頭がどうにかしてらぁ!!」


「そうです! お嬢様はこの地上に舞い降りた天使! お嬢様はお心は優しく、その姿は天使の如く愛らしく、この世の全ての可愛いを集めたかのような尊い存在なのです!!」


「おう! お嬢の全てが尊いぜ!!」


 まるで舞台俳優のような大仰な仕草でアルシオーネを褒めたたえる二人に同意するように子爵は、二人が言葉を発するたびに「うんうん」「そうだ」「ああ、私の娘はマジ天使なのだよ」と頷くのだった。

 称賛の嵐をその身に受けたアルシオーネは、あまりの恥ずかしさに顔を真っ赤にして涙目になってしまっていた。

 そんな、全身で恥ずかしがる様子のアルシオーネを見た三人は、「うちの娘が可愛すぎるんだが」「うちのお嬢様が可愛すぎます」「うちのお嬢が可愛すぎる」と表情をデレデレとさせていたのだった。

 

 そんな状況を抜け出そうと、精神的ダメージを負いながらもアルシオーネは、言葉を発していた。

 

「わたしはいたって普通の凡人なんです。過大評価は身に余ります!! もう、身内びいきはお止めください!! それよりも、わたしは出稼ぎに行くんです!! もう決めたんですからね!」


 アルシオーネの「普通」「凡人」発言に、三人は「ないない。それはない」と心の中でツッコミを入れていたが、アルシオーネの出稼ぎは決定事項だという言葉に石化する事態となったのだった。



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