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第一章 旅立ち(1)

 大陸一の大国、キャバリエ王国の端にあるトライベッカ領は緑豊かでのんびりとした気質の人間が多く住む土地だ。

 領民たちは、畑を耕し家畜の世話をしながら、朴訥としてはいるが穏やかな毎日を送っていた。

 その土地の領主であるトライベッカ子爵は、人のいいと言うには度が過ぎるほどで、ある意味騙されやすいお人好しと言った方が正しいかもしれない。

 お人好しの子爵は、領民たちにとても好かれていた。

 貴族にしては珍しい大恋愛の末に結婚し、一人娘を授かったが、愛する妻は娘を産んでしばらくしてこの世を去ってしまったのだ。

 もともと体が弱く、病がちだったのだ。

 それでも、最後の時まで愛する夫と可愛い娘との暮らしに微笑みを絶やさない人だった。

 子爵は、愛する妻の死を心から嘆いた。

 そして、愛娘も愛する母親の死に心から悲しんだのだ。


 それから数年。愛する妻以外に見向きもしない子爵は、後妻を迎えることはなかった。

 娘と二人、領民が微笑ましく見つめる中、仲睦まじく暮らしたのだ。

 

 子爵令嬢は、母親の死を目の当たりにした後、ある一つの決意を持つようになった。

 それは、病で苦しむ人を救いたいという思いだった。

 子爵邸には、代々受け継がれていた知識の泉ともいえる膨大な書物があったのだ。

 子爵令嬢は、その膨大な書物を紐解き、数多くの知識を手に入れたのだった。

 その知識は、領民のために振るわれることがほとんどであった。

 怪我に苦しむ人がいれば駆けつけ、病に苦しむ人がいれば看病に向かう。

 そんな子爵令嬢に領民たちは、心から感謝をしたのだ。

 トライベッカ領は、広大な土地を有してはいたが、特産品もなく、ただ自然が美しいだけの場所だったため、財政の面ではあまり豊かとはいえなかった。

 それでも、その土地に住む人の温かく穏やかな気質の為か、領民たちは心からトライベッカを愛していたのだ。

 そして、子爵と令嬢のことも心から敬愛していたのだ。

 

 子爵家と領民たちの距離は他の領地と比べるととても近く、気やすいものだった。

 顔を見れば親し気に挨拶をかわし、笑顔を浮かべる関係は、微笑ましいものだつた。

 

 

 そんな穏やかな毎日を過ごす中で、子爵はその底抜けのお人好しを利用されてしまう事件が起こったのだ。

 学生時代の旧友に騙されて多額の借金を負ってしまったのだ。

 子爵を騙した旧友は、「すまない。今月末には必ず金は返す」と言い続けた後、姿をくらませてしまったのだ。

 子爵は、借金を押し付けられたのにもかかわらず、苦笑いで令嬢に言ったのだ。

 

「ははは。お前にはいつも苦労ばかり掛けてしまって申し訳ないよ……」


 令嬢は、父親のその眉を寄せて困ったように首を傾げる姿を見て、大きなため息を吐く事しか出来なかった。

 

「もう……。大丈夫です。家財を売って、仕えてくれるみんなには悪いけど、他の働き口を紹介しましょう」


「うん。アルシオーネ……。頼りない父ですまない」


「もう。お父様が頼りないのは誰よりもわたしが知っていますから。今更ですよ。くすくす。それじゃ、ちゃちゃっと手配してしまいましょう」


 捨てられた子犬の様に瞳を潤める子爵の情けない姿を見慣れてしまっている令嬢は、敢えて微笑みを浮かべて励ますように言ったのだ。

 そして、華奢な腕を曲げて力こぶを作るようなポーズで片目を瞑って見せたのだ。

 それは、令嬢が誰かを励ますときに無意識に取るポーズだった。

 それを知る子爵は、喉の奥がきゅっと苦しくなって泣きそうになってしまっていた。だが、泣くことはなく、いや、正確にはさらに瞳を潤めて、やっとのことで震える声を振り絞り「うん」と頷いたのだった。

 

 

 これは、トライベッカ子爵令嬢である、アルシオーネが十五歳の時の出来事だった。

 それからアルシオーネは、屋敷に残ってくれた執事のセバスティアンと料理長のコックォと共に管理することとなったのだ。

 広い屋敷は少しでも借金返済の足しにするため、家財の大部分を売ってしまっているため、使っていない部屋は何もない空き部屋となっていた。

 それでも、掃除をしなければ屋敷が傷んでしまうため定期的に掃除を行っていた。

 そして、色とりどりの花が咲き乱れていた庭園は無くなり、今では沢山の薬草や野菜が育てられていた。


 こうして、借金返済のためにもともと慎ましかった生活が更に慎ましくなって二年ほどが経過していた。

 その日アルシオーネは、洗い終わったシーツを干し終わった後で手で庇を作りながら空を仰いだ。

 風がそよぎ、ロールパンのような白い雲がそよそよと流れていくのを見てある決意をしたのだ。

 

 心地のいい風がアルシオーネのワンピースをふわりと揺らしたのも気にせず、気持ちのいい風を受けていた。

 アルシオーネの一本の三つ編みに結んだ桜色の髪の毛が揺れたのと同時に、眉の上あたりで適当に切られて不揃いの前髪がふわりと流れて、彼女の美しい顔が露になった。

 まるで宝石のようにキラキラと輝くエメラルドの大きな瞳は、長く繊細な睫毛に縁どられていた。

 大きな瞳は、子猫の様にくりっとしていて目尻が少し吊り上がっていたが、父親に似たのか細い眉は困ったような八の字になっていたためかきつい印象はなかった。逆に、子猫を思わす大きく潤んだ瞳は、アルシオーネを守ってあげたくなるような印象を与えていた。

 整った鼻と形のいい小さな唇が完璧に配置されたその花の顔は、まさにお人形のように可愛らしいものだった。

 

 アルシオーネを心から可愛がっている子爵は、「可愛いアルシオーネ……。パパをおいてどこにも行かないでおくれ……」と言っては、アルシオーネを困らせたものだった。

 しかし、アルシオーネが生まれる前から彼女を見守っていた執事のセバスティアンと料理長のコックォは、子爵の口癖を聞くたびにその言葉の真意である「可愛いアルシオーネ、お嫁にはいかないでおくれ」という叫びを理解し深く頷いていたのだった。

 

 しかし、アルシオーネを可愛がる街の女性陣は違っていた。

 アルシオーネが街に行くたびに、「お嬢の花嫁姿を早く見たいもんだねぇ」と言って年頃の男性を進めていたのだ。

 アルシオーネは、結婚よりもお金を稼いで借金を返すことしか頭になかったため、奥様連中の言葉を軽く流してただ笑顔を見せるだけだった。

 ただし、その笑顔は天上の天使が下界に遊びに舞い降りたが如く、可憐で道行く男たちだけでなく女たちまでもを魅了したのだ。

 その笑顔に惚れた男たちは数多くいたが、少しでもアルシオーネに秋波を送ろうものなら、どこからともなくセバスティアンが現れては、秋波を送った男に笑顔でこう言ったのだ。

 

「ほっほっほ。お嬢様はこの下界に降りた天使です。心を奪われるのも仕方がないことです」


 そう言って、朗らかに微笑むも、その目は一切笑ってはおらず、冷たい光を孕んでいたのだ。

 セバスチャンと目が合った男どもは、例外なく悟るのだ。

 その目が、「大切なお嬢様に手を出したら殺す」と言っていることをだ。

 因みにだが、セバスティアンは元王国騎士団の副団長を務めていた男だったが、幼馴染で弟分だった子爵が子爵家を継いだ数年後に騎士団を突然やめて執事になったという経緯がある。

 そのため、セバスティアンは、執事でありながらトライベッカの猟犬と恐れられているという一面もあったのだ。

 

 そんなセバスティアンを追いやってでもアルシオーネに告白するような勇者は今のところ現れる気配はなかったが、彼が牽制を怠れば、告白者は後を絶たないことを理解しているセバスティアンは、気を抜くことはなかったのだった。

 


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