【江戸時代小説/仇討ち編】鬼女の果て
淡い光の一切ない、深いふかい暗の夜。
「相討ちの覚悟なります故……」
真白い顔をした女が、襟元から文を取り出す。
女はこれを、駿河国に奉公に出ている弟に届けてほしいと言いに来た。
「確かに給わった」
この娘はおたえ(・・・)といって、見目美しく愛想が良いと、この村で評判の女子であった。
しかし、訳あって今は、その面にはなにを考えているのか言い知れない恐ろしさを秘めている。
気配は鋭く、肌に刺さる針のようである。この女子がまるで鬼女になりかけているのではないかと見間違うほどであった。
「そなたのような乙女を、復讐の鬼に変えたくはないのだが……」
おたえはほほ笑んだ。悲しみの含んだほほ笑みに見える。
「わたしはもう、なにも知らないばかりの生娘ではないのですよ」
蝋が溶け、灯火が消える、そんな前の静けさの夜に、彼女の瞳には怨恨の炎が宿っている気がした。
*
遡ること三月ほど前。
隣村の若い侍の次男坊が、その見た目からおたえをほしいと求婚してきた。
男の名は大次郎。名の通り、大柄な男である。
しかし、この男は素行が良くなく、荒くれ者という噂があり、実際、酒が入ると女子どもさえ容赦なく暴力をふるう、とにかく酒癖の悪いやつだった。
それでも一介の農民の娘が武士に逆らうことなんてできやしない。
おたえは大次郎と付き合わざるを得なかった。
三、四日して、おたえの父親が見た、娘の顔ときたら、そこらじゅう痣だらけで目の当てようがない。
そうすると、おたえの父親が黙っちゃいなかった。
「儂が話をつけてやる」
そう言って、農具ひとつ携えて、若い侍の家に乗り込んで行った。
「大事な娘に手をあげる、おまえのような野郎になんぞ、娘をやれるか!」
そう言ったが最期、無惨にも斬り殺されたその遺体がおたえの家の前に置かれていた。
冷たくなった父親の亡骸を抱いて、おたえは泣きに泣いたが、その口で言った。
「父上の敵……必ずこの手で……」
おたえは己の肉体をもってして大次郎を油断させ斬るつもりでいた。そしてまた、口論になった末の不慮の事故という筋書きも用意していた。
*
「親元に逃げたと思えば、わずか二、三日で戻ってくるとは……そんなに拙者のことが気に入ったか」
大次郎の硬い筋肉がおたえの柔い体躯を覆う。
大次郎に手首を掴まれ、おたえは恐ろしくなったが、胸に秘めた父の敵を討つ願いを強く想い、ここは耐えた。腰には隠した脇差がある。
「なにを。そなたがそうなるように仕向けたくせに」
この男はなにをしでかすかわからない。その恐怖心からおたえの首筋に冷や汗が流れる。
「フン。口ごたえするとは……よほど酷い目に遭いたいとみえる」
懐にその手を入れられる。
「嬲りがいがあるものよ」
着物をはだけさせる奴の眼はまさしく獣のそれ。おたえは恐怖に目をつむり、歯を食いしばった。
その間にも奴の手はおたえの真白い柔肌を滑るように胸の双丘を弄ばれる。
「そなた、やんわりとではあるが、酷くされて感じているのではないか。顔が赤いぞ」
いっそ殺してくれたらいいのにと、ふとそんな考えが頭をよぎる。
「これはどうだ」
胸を、まるで白桃でも握り潰すかのように強く握られ、突き出た突起に奴の舌が這う。
「ああっ、いやっ!」
顔を畳に押し付けられ、身を捩って逃げようにも股の間に脚を入れられ、固定されていてはそれも叶わない。
じたばたと動ける足と片手で羽交い締めする奴の身体を押し退けようと試みるが、大の男相手では為す術もなく、おたえは恐怖に震えながら罵倒した。
「貴様だけは、絶対に赦さないっ、この侮辱ッ」
「鬼のように睨んでも所詮は女子、男力には敵うまい」
そう言って大次郎は口づけを強要した。
気持ち悪さに吐き気がする。だが、悲しい哉、粘膜の触れ合いに慣れていないおたえの身体は、この男のものですら感じてしまうのである。
「はっ、あ……んんっ……」
「声に艶が出てきたな」
大次郎は笑い、さらに事を進めようとしてくる。
「力を抜け。悪いようにはせぬ」
その言葉に、おたえは思った。そういえばこの男はわたしのことを好いていると言っていたなと。
この男はただ、おたえを手中に落としめ、遊びたいだけなのだ。まるで女を玩具のように扱いながら。
おたえが一筋、涙を流したのを見て、大次郎は嘲り笑った。
「ほう。鬼でも泣くか」
わたしにはこの男を突き放すことも受け入れることもできない。
そう悟ったおたえは、そばに転がっていた脇差を首に押し当て力いっぱい引いた。
血飛沫が上がり、おたえの目の前が奴ごと真っ赤に染る。
流石の大次郎もこのときばかりは驚きに身を引いた。
薄れゆく視界に、おたえはきっとこれでよかったのだと朗らかに笑ったのだった。
おわり