世は全て事も無し
王都の空には二つの月が在る。
一つは真実の月、もう一つは虚構の月。
空から舞い落ちた白い欠片が、革の手袋に小さな染みを残した。
「雪か……」
ジュード・スピネル所長は曇天の空を見上げた。宙には二つ目の月が浮かび、それを隠すように六花が舞う。遂に冬の到来だ。
「積もりますかね? 復興に影響が無ければ良いのですが……」
片眼鏡の事務官が上着の襟を合わせ、げんなりとした表情を浮かべた。
六花はポツポツと跡を残し、地面に吸い込まれていく。
「被害があったのは殆ど貴族達の居住区域だ。王都全体から見れば大した被害でもないさ」
「でも、その一部に富が集中しているんですけどね」
今回の騒動は、地宮を中心とする内側の塀の中でほぼ完結しており、塀の外側では一部の商店や屋敷などが暴徒の餌食となったが、王都の大部分を占める庶民の居住区は難を逃れ、王都を離れた人々も続々と戻ってきている。
「なのに何故、我が遺物管理所は半壊しているんだ?」
彼らの目の前には半壊した建物があった。屋内というのに空から雪が舞い落ちる。
遺物管理所は王都の街中、庶民の居住区内に存在している。それも国教会の建物を間借りするという形で、である。本来なら損害を被るとは思えない立地だ。
「暴徒が……暴れたんですかね」
「略奪は行われていないのにか?」
「そりゃあ、ここにはガラクタしかないですから……」
事務官の口から本音がポロッと漏れた。
「……おい、全て貴重な遺物だぞ」
「えっ、ああ、えーっと、暴徒には価値が分からないということですよ」
目の据わった上司に、目を泳がせ言い訳を探す。
「ふんっ……まあ、良いさ」
ジュードだって本気で責めている訳ではないのだ。興味の無い人間には塵芥に等しい事くらい十分承知している。
「そうだな、禁域にある遺跡の調査許可が下りた事だし……よし、この機会だ。遺物管理所を禁域内に移転しようじゃないか!」
「嫌ですよ。却下ですよ。却下」
ジュードのかなり本気な提案は、即座に否定された。
「うーん、既に禁域は王都師団に踏み荒らされている。今更、禁足地もないものだと思うがな?」
「そういう問題じゃないんですよ」
心理的な忌避の問題ではない。もっと現実的な問題である。つまり通勤の問題、「利便性の悪い未開の地へ通勤できるかっ!」ということである。
遺物への偏向愛の強い所長なら、このままごり押しで移転しかねない。
この話題は危険だ。
事務官は、慌てて別の話題を振った。
「ところで、今回の騒動の後始末はどうする御積もりですか。あの娘を差し出さなくて良いのですか?」
ジュードは何を巫山戯た事をと、冷眼を事務官に向けた。
「馬鹿を言ってはいけない。彼女はこの危機を救った英雄だよ。何故、罪を問われる必要がある?」
表向きには、王弟と王都師団の活躍により事態は収拾したことに成っている。
「それは、そもそも所長が……」
「あくまでも仮説に過ぎないと言っただろう。……ところで、魔王のゆりかごが発動したと思しき場所にホーン公爵のカフスボタンが落ちていたそうだよ」
ホーン公爵は今も生死不詳の行く方知れずだ。
「この度のこともホーン公爵が国家転覆を企んだそうじゃないか。責任は彼に取って貰うべきだろう」
ジュードは無慈悲な笑みを浮かべた。
「世の中ってものは、分かり易い人身御供が必要なんだよ」
結局、何が起こったのか真相を知るものなど誰も居ないのだ。
もし、居るとすれば、それは―――
***
空には二つの月が浮かぶ。まだ色付く前の白い真昼の月だ。
国教会の敷地の片隅で、黒髪の少女は寝そべる獅子栗鼠に寄り掛かり、虚ろな瞳を空に向けた。
彼女の中は空っぽになってしまった。
見知らぬ地で一人きりでも、帰るべき村を失っても、平気でいられたのは、彼女の半身であるセレンがずっと一緒に居たからなのだと今にして思う。寂しさに押し潰されそうになり、雑用を請け負い動き回るが、ふとした瞬間に喪失感が襲うのだ。
――何故、自分だけここに居るのだろうか。
何度も、何度も繰り返し心を過る。
「今でもセレンはあそこに居るのかな……」
パチンッ。
何かを踏み抜く音に獅子栗鼠が顔を上げるが、その人物を確認すると直ぐに興味を失い再び寝そべった。
「こんな処に居たのか」
アンバーが少女の隣に腰を下ろす。
「……こんな処で何をしてるんだ?」
「芋の皮剥きも全部終わったよ……もうすることが無い」
「そうか……」
視線を月に向けたまま、心ここに在らずという様に少女は答える。その様子に耐えかねた様にアンバーが口を開いた。
「なあ、いつまでそうしてるんだ」
「……でもセレンが居ない。私はセレンの紛い物だから、セレンであってセレンじゃ無い。私は単なる名無しに過ぎない」
「お前とセレンとは別の人間だろ」
「じゃあ、私は誰?」
少女の瞳が漸くアンバーに向けられる。
「博士の処で文献を漁っていた時、古い神話の本を見つけた。そこには聞いたことも無い神々の物語が書かれていて、その中に夜の女神の話があった。夜の女神は長い黒髪で、その名前は―――」
アンバーは大きく息を吸った。
「その名前は、“ディアン”。この名前をお前……君に贈るよ」
少女の黒い、否、黒に近い茶の瞳が揺れた。
「……ディアン」
少女は頬に冷たさを感じ、空を見上げる。雪だ。
「お前にはシシィも…………俺もいるだろ。だから……」
「うん、だけど……今だけ泣かせて欲しい」
少女―――ディアンは、アンバーの胸に顔を埋めた。
六花が静かに舞い落ちる。
***
テーブルの上をジャラジャラと硬貨が跳ねる。
「ねえ、ちゃんと支払えるの? 銅貨と補助貨ばっかりじゃない」
「あんな大店に就職したって、ホントは嘘だったんじゃないのか?」
食堂のテーブルを二人の少年と一人の少女が囲んでいた。
「大丈夫だって。ひい、ふう、みい……ほら、あった」
財布の袋の中身をぶちまけた元スリの少年は、支払い額分の硬貨を拾い上げて、得意げな表情を見せる。
月が墜ちるという大騒動の中、彼はある商店を暴徒から守ったとして、幸運にも店主に気に入られ雇い入れられた。そこで、大見得を切って、仲間達にご馳走してやることにしたのだ。
「あら、これは何?」
少女が机の上に散らばった硬貨の中から、ひしゃげた銅貨をつまみ上げた。
「銅貨? でも随分古いわよね」
「昔の仕事の戦利品さ。何百年も昔の硬貨らしい」
「じゃあ、値打ちものなのかよ? お宝か?」
仲間の少年が身を乗り出す。
「いや、古いけど出回っている数が多い上にひん曲がっているから買い取り不可だったよ」
「じゃあ、何で捨てないで持っているのさ」
「これから価値がでるかもしれないだろ。それに何か幸運のお守りみたいだしさ」
就職できたのは、この銅貨の御陰……なんて、ここ最近の幸運につい迷信深いことを考えてしまう。
「ふうん、じゃあさ、もうこれ、必要ないでしょ? 貰ってもいい?」
少女がテーブルの上でひしゃげた銅貨を弾いた。硬貨が不安定に転がり、そしてシュッと消えた。
「!」
「やだっ! 何っ? ネズミ?」
少女が立ち上がり、ガタンと椅子が倒れる。
何らかの小動物が硬貨を咥えて走り去った。その姿は既に見えない。
その騒動の中、フードを目深に被った人物が静かに店を後にした。フードからチラリと覗く顔は恐ろしく整っている。
「あ、雪だよ」
その人物は、肩から掛けた鞄に声をかけると、その中を覗き込んだ。鞄の中では、猫とも鼠とも言えない小動物がひしゃげた硬貨を抱え丸まっていた。硬化を取り上げようと手を出すと、小動物はフーッ!と声を上げ威嚇する。
「分かったよ。取り上げないよ。それが気に入ったんだね」
小動物はひしゃげた硬貨を大事そうに抱え、安心したのか軈て寝息を立て始めた。
「ホントに君は、気ままだなあ…………ね、セレン」
少年は空を見上げた。そこには舞い散る雪の向こうに二つの月。
月は天に在りし―――
「世は全て事も無し……ってね」
(了)
これにて完結です。
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