6ー10.王弟の決断
「月……が、……封印の器?」
アンバーの目が見開かれ、その瞳に兄、ジュードの姿を映す。
「何故……もっと早くそれを言ってくれなかったんだ。そうすれば、アイツだって……」
魔物に喰われることはなかった―――思わず口にしそうになった言葉を呑み込む。口に出してしまえば、それを認めていることになりはしまいか。
「それを言ったとして、どうにかなったとでも?」
ジュードの突き放すような言葉にアンバーは唇を固く結んだ。
どうにもならない。
月に足を踏み入れられるのは、王族と近衛の騎士、神事に携わる司祭と巫女のみ。田舎の小娘には不可侵の領域だ。月は手の届かない天高くにある。封印の器がそこに在るとしても、ただ指を咥えて見上げることしかできなかっただろう。
「スピネル所長、月が、その…封印の器とやらだと思うには、何か根拠があるのだろうか? 君は月に足を踏み入れたことなどないのだろう?」
ここで王弟が疑問を呈する。
「殿下、二つ目の月は何故、空に浮かんでいるのかご存知ですか?」
「何故?」
「いえ、言い換えましょう。どのようにして浮かんでいるとお思いですか?」
「それは、王都においては赤子でも知っている常識であるな。司祭や巫女達の祈りの力であろう」
「確かに巫女達が捧げる祈りで月が空に浮かんでいることは周知の事実です。しかし、祈りとは何でしょう? 信仰心? そんなもので空に浮かぶはずがない」
「不敬であるぞ!」
勲章を胸にぶら下げた厳つい将校がジュードの発言を咎めた。
「良い、私が許す」
王弟が今にも詰めよらんとする将校を止め、ジュードに先を促す。この場に国教会の人間が不在であったのは幸いであったかもしれない。
「ご存じの通り、私は古代遺物の研究者です。遺物の調査を行っていますと、動力装置と思われる核の部分が確認される訳です。大抵は魔鉱結晶が組み込まれていますが、大掛かりなものになると、術式が刻まれた物体、魔力を溜めておく動力炉と思しきものが存在します。そうですね……魔力燃料炉とでも呼びましょうか? 残念ながら殆どが破損しており、駆動はできないのですが、同様の技術が同時代の最大の遺物である月に用いられていないとは考えにくい」
ジュードはそこで一息入れると、辺りを見回した。
「そもそも、巫女として月に送られるのは、昔から魔力の高い者達です。月を浮かべ続けるには膨大な魔力が必要とされるのは、想像に難くない。巫女達が捧げる祈りとは、魔力と考えて良いでしょう。その魔力を大量に貯蔵しておく必要がある。正に“魔王のゆりかご”のように……そう考えると月は魔力を閉じ込める封印の器だと思われませんか?」
王弟は暫し考え込むと、徐に口を開いた。
「先生はどのようにお考えなのでしょうか」
王弟の視線が彼の師に向けられる。
「わしも同様の意見じゃ……」
『あくまでも仮説じゃがの』とは流石に続けはしなかった。博士もその教え子も月を訪れた事はなく、飽くまで推測の域を出ない。しかし、この場ではそれは事実でなければならないのだ。
コホンと一つ咳払いをすると、博士は言葉を続けた。
「多分、今回月が地上近くまで墜ちたのは魔王のゆりかごに魔力を奪われたのであろう。月の魔力の貯蔵が底を突いたとまでは言わぬが、近しい状況であろうな。巫女達が必死で魔力を捧げ、何とか浮いておるのじゃからな」
博士がちろりと王弟の様子を窺う。王弟の一言でこの場は動く。それ故責任を伴うのだ。
「流石に国の有事じゃ、月が不可侵だの言ってる場合ではなかろうて。それにのう……坊も分かっているのであろう。この国からは魔力が失われつつある。近頃の巫女達の魔力量はどうじゃ、少し前ならばあの程度の魔力持ちはその辺にゴロゴロしておったわ。このままでは遅かれ月は墜ちるであろうな」
「なっ!」
博士の見解に反応したのは周りの将校達であった。
「何、奪われた魔力を、利子を付けて返して貰うだけじゃ」
王弟は大きく息を吐くと覚悟を決めたという表情で口を開いた。
「私は王族として、月を墜とすわけにはいかない。あれを月に封印します」
王弟の一言で全ては決まった。
「それには、いずれかの門を開く必要があるが……」
封印は二つ目の月の内部、ジュード命名による魔力燃料炉部分で行う必要がある。しかし、月の周囲には見えない障壁が張られ、外側からは侵入することはできない。月の内部に入り込む手段は、三箇所ある門のいずれかを使用する外ないが、街中にあり住民に被害を齎す危険性の高い国教会の門や、政の要である地宮内の門に黒霧を誘導する訳にはいかない。残るは―――
「誰か地図を持て! 禁域の門を開く。王都師団、並びに月に伝令を送れ。王都師団は禁域のこの地点へ――」
王弟の指示が次々と軍人に飛ぶ。
禁域にある門は公にされていない王家の機密であるが、国の存亡が掛かる状況にそうも言ってはいられないだろう。王弟の一存で禁域の門の開放が決まった。しかし、門を起動する魔鉱結晶は砕け、使用できない状態にある。まずは門の起動に必要な魔鉱結晶を何とかしなければならない。
「門を開けるのは一度で良い。郊外に保存されていた屑鉱石を使用する。飽くまで応急処置であるが、起動に必要な魔力は王都師団の総員で魔力を流し込み、数で押し切る。後は、月の司祭や巫女に封印を任せよう。問題は、如何にあれを月の内部に誘導するかだが……」
王弟の言葉に博士とジュードの視線がアンバーに向けられる。
「アレは嬢ちゃんに異常に執着しているようじゃの。嬢ちゃんならば、誘導が可能じゃろう」
「……アイツは駄目だ」
「月が墜ちるかどうかの非常事態でもか?」
アンバーは頭を振った。あれは彼の知らない誰かだ。彼の主ではない。
「アイツは……!」
アンバーが口を開いた瞬間、その目が大きく見開かれる。心臓がバクバクと煩い。これは、この魔力は……
――還ってきた?
アンバーの全身が歓喜に震える。失われていた主の存在を再び強く感じる。
「…………やれる……かもしれない」
ジュードは訝しげに俯いた弟の顔を覗き込んだ。そこには何かを決意した弟の顔がある。
「やってもらわねば困る」
ジュードが王弟へ頷くと、直様禁域の門の位置や準備完了の際の合図についてアンバーに伝えられる。
「それから、準備が整うまで、月にも門にも黒霧を近寄らせぬよう、時間を稼いでもらいたい」
「は?」
「古代の技術で張られた月の障壁は頑丈だが、あれの攻撃で破られるとも限らぬ。準備が整うまで月を守ってもらいたいのだ。障壁が破られた時、月は墜ち、この国は終焉を迎えるだろう。頼んだよ。アンバー・スピネル君」
要望の形を取っているものの、実質王弟からの命令だ。アンバーは断る術を持たない。
「……全く無茶を言う」
そう言い残すとアンバーは勢い良く駆け出した。
主の元へ!
少しでも速く! 今度こそ主を失うことがないように―――
駆けていくアンバーの背中を見送り、王弟は博士にボソリと問いかけた。
「月にあの黒霧を引き入れても大丈夫なのだろうか?」
「さあて、のう……どちらにしろ、このままでは月は墜ちるであろうよ。それなら、一か八か賭けてみるのも悪くなかろうて。駄目だったら、その時また考えれば良いじゃろう」
「なんと無責任な……」
博士はジュードと目を合わせ、悪戯っ子の様にニヤリと笑った。
「そりゃ、そうであろう。我々は何の責任も負っていない部外者なのだからな」
「はあーっ」
この場の最高責任者である王弟が盛大に溜息を吐いた。
果たしてこの決断は正しかったのか。
月を再び空で輝かせる英雄となるか、それとも月を墜とした愚か者として歴史に名を残すのか……
「『時の王弟……は、月に魔王を封じることを命じた』…と、」
「博士、何を書いているのですか?」
「何、今回の事を記録に残そうかと思っての……『果たして、王弟の無謀な決断はどのような結末を迎えるのであろうか』、こりゃ一大スペクタルじゃの」
「無謀って何ですか、あなた達の口車に乗せられたんじゃないですか……」
「乗せられる方が悪い。『勇者か愚者か、王弟……』はて?」
「何です?」
「で、坊、坊の名前はなんだったかの?」
「え? もしかして、私の名前、知らなかったんですか……」
「冗談じゃよ」
「そうですよね」
「で、坊の名前は?」
「……」
謹んで新年のお慶を申し上げます




