6ー7.男巫女
――『主ガ命ヲ落トス時、ソノ魔力を喰ラウノヨ』
黒く汚れた落ちかけの月を見詰め、アンバーの心は、主の形をした“何者か”が残した言葉を繰り返す。
――『主ガ命ヲ落トス時―――ノヨ』
どういう事だ。分からない。彼女は―――いや、そんな筈はない。理解できない。嘘だ。そんな馬鹿な事、アリエナイ。
思考がぐるぐると回る。
疎らな人影から悲鳴が上がったように思う―――ヨク聞コエナイ。
視界を轟音と共に尖塔がスローモーションで崩れ落ちていく。
コレハ現実カ?
――『主ガ命ヲ落トス時―――』
微かに彼女の魔力が頬を掠める。
パンッ!
アンバーが自身の両頬を強く打った。
これは現実だ。
「例え意味が無いとしても、最後まで足掻いてやろうじゃないか」
微かに感じる魔力を信じたい。
思考が追いつかないのなら、まずは行動するのだ。
***
国教会の建物は静寂に包まれていた。巫女候補たちは殆どが故郷に帰され、残されたのは帰る場所の無い者達だけだ。その僅かな者達も部屋で震えているのか姿は見えない。
ギギ、ギギギ……
廊下に並んだ扉の一つがそろそろと動き、僅かに開いた隙間から小さな頭がひょっこりと覗く。キョロキョロと辺りを見回しているのは、悪戯小僧のレビだ。
「おい」
頭の上から降る声にレビの身体がビクッと震えた。恐る恐る顔を上げ、小さな瞳が扉の陰にアンバーの姿を捉える。
「はー……なんだ、兄ちゃんか。こんなとこで、何してんだ?」
レビは安堵の声を漏らした。
「お前こそこんなところで何をしているんだ?」
「どーでもいいだろ。そんなこと」
アンバーが隙間から中を覗こうとすると、レビが直ぐさま扉を閉めた。
「兄ちゃん、ここより奥は教会の陣営だぜ。……あ!そうか!」
レビは得心したように頷く。
「……でもさ、逢い引きしようにも、巫女さんはもう残ってないぜ。みんなここから逃げ出しやがった。ああ、あの貴族のねーちゃんには笑ったけどな。迎えが来ても『月に行くまでは、絶対帰らないーっ!』って柱にしがみついて抵抗してた。まあ、結局、引っ剥がされて連れてかれたけどな。で、確か残ってるのは………」
レビは記憶を探り、脳裏に浮かんだ顔に眉根を寄せた。
「………………掃除のばーさん。………兄ちゃんってあんなのが好みなの?」
「馬ッ鹿、何を想像してんだよ。俺が用のあるのは男子宿舎だ」
レビの顔に憐憫が浮かぶ。
「兄ちゃん、幾ら綺麗でも相手は男だよ」
「そんなんじゃねえよ。お前は、俺を一体どんな目で見ているんだ」
「こんな目?」
レビが戯けた様子で両目を横に伸ばす。
レビはアンバーと同じく、先祖返りの魔物筋だ。元々は月に送られる覡として国教会に連れてこられたが、先祖返りであることが発覚すると、主のいない使い魔は危険として、覡として月に送られることなく、主が現れるのを待つこととなった。まだ幼い子供が競りに掛けられる家畜のように、主候補に連日面会させられては、堪ったものではないだろう。不満の捌け口に悪戯がすぎるのも納得がいくというものだ。アンバーにはその心情が何となく理解できた。
「アイツならまだ宿舎に居るよ。奥から二つ目の部屋。従者はサッサと逃げちまったけど、可哀そーに、見捨てられたんだろうね」
「そう言う―――」
“お前も帰るところがないのだろう”とは、流石に口には出さなかった。それから、ある考えが脳裏を掠める。
――本当にレビは帰るところが無いのだろうか?
アンバーは今になって漸く気付く。レビは疾うの昔に主を得ていたのではないだろうか。それ故、子供ながらに魔力を自在に操る能力を有していた。また、だからこそ、主から引き離されるのを恐れ、主候補の来所を極端に嫌っていた。
しかし、敢えて主がいることを隠す必要があるだろうか?
だとしたら、その主は―――、先程、レビは隠された階段室から出てきた。この建物の二階には国教会の執務室がある。そこは部外者立ち入り禁止であり、結界の魔法で守られているとのことだ。レビはそこに自由に出入りしていた。つまり、彼の主は教会の人間、多分、あの女性神職であろう。
アンバーは得心がいった。レビは主の居ない振りをして、政府機関である遺物管理所に探りを入れていたのだ。
アンバーとしては、政府機関の末端も末端の遺物管理所の情報が有用とも思えないのではあるが……。
――『フフン、今頃分かったのか。私は当然知ってたよ』
脳裏に浮かんだ兄が弟を馬鹿にした。想像でもムカつく。
「なあ」
レビが掌を上に向け右手を差し出す。
「情報料。当然、タダってワケないよな」
ちゃっかりしている。
銅貨を指で弾き上げながら立ち去るレビの背中を見送り、アンバーは男子宿舎へと足を向けた。黒髪の少女の姿をした“何者か”と獅子栗鼠が去った後、纏まらない思考でアンバーがまず考えたのは、彼女らを追う事だった。しかし、追うにしても既に時間は経過し、追う術もない。それよりも―――
「アイツだ。まずは男巫女を捕まえる」
以前、黒髪の少女を連れ去ったのは、男巫女だ。魔王のゆりかごの発現に関与しているのは間違いない。自分の意思がない人形のような美しい少年。でも騙されてはいけない。彼は見た目通りの”空っぽ”では無いのだ。
今やアンバーは、男巫女が今回の騒動の首謀者であると確信を持っていた。
板張りの床がギシッと軋む。
男子宿舎はひっそりと静まり返り、人の気配がない。
男巫女は既にどこかに行ってしまったのだろうか?
長い廊下にずらりと並ぶ扉の奥から二つ目が僅かに開いている。覗き込むと、寝台に腰掛けている小さな影が見えた。その前にはもやもやとした黒い人影が―――
「雷撃!」
アンバーは直ぐさま飛び出し、その黒い靄でできた人影に雷魔法をぶつけた。黒い靄は一度霧散して、直ぐにまた人型に戻る。アンバーは再び攻撃せんと身構えるが、その様子に気にも留めず、男巫女は黒い人影に手を伸ばした。男巫女の指先が触れた瞬間、黒い靄が男巫女に吸収され、ぼんやりとしていた男巫女の瞳に光が点る。
「やあ、礼儀がなってないね。私に何か用かな?」
男巫女の瞳がアンバーを見据える。その貌は、先程まで茫としていた人物とは思えぬ理知的で大人びたものだった。
「やはり、馬……愚かな振りをして、皆を騙していたのか……」
「ん、それは違うな。この身体は本当に空っぽなのだよ……こうして、私の記憶に触れることによって、漸くまともに動く……」
辺りを漂う黒い靄が集まり、男巫女に吸い寄せられるようにして消える。
アンバーには男巫女の言っている事は理解できない。できないが、確認しなければならないことがある。
「お前なんだろ、月を墜としたのは」
男巫女が薄く笑う。
「……この身体はね。ある男のために、もうずっと遠い昔から用意されていた器なのさ。そう、自身の願いを見届けるためのね。ねえ君、私もいい加減、解放されても良いとは思わないかい?」
「一体、何を言って……」
困惑するアンバーを余所に男巫女は言葉を続ける。
「だから、後押しをしてやったのだよ。蠱毒の器を回収し、“魔王のゆりかご”の術式が発動するようにお膳立てし……」
「やはりお前が元凶か!何故、アイツを……王都を破壊しようとするんだ!何故、“魔王のゆりかご”を発動させたっ!」
アンバーは男巫女に詰め寄った。しかし、掴み掛かろうとした手は見えない障壁に阻まれる。激情を露わにするアンバーを男巫女は軽くいなした。
「そうだな。折角だから、君に聞いて貰うのも良いかもしれない。きっとこれが最後の機会だろうしね」
男巫女は寝台に寛いだ様子で腰掛けたまま語り始める。その姿にいつもの意思の無い人形を想起する者はいないだろう。
「昔、一人の男が恨みながら死んだ。その男は死に際、魂を二つに分け、二つの魔法を発動した。一つは亡霊となり、仲間を、この国を呪う魔法。もう一つは何れ自分の器となる身体を転生させる魔法だ。この魔法はね、呪術の成就を見届けるまで何度も転生を繰り返すんだよ。でも……、いつまで経っても呪術は発動しなかった」
男巫女はここで一つ大きく息を吐く。その姿は少年なのに酷く年老いたように見えた。
「転生魔法は、膨大な魔力を使用する。時代が経るに連れ、転生体の個々が持つ魔力量も次第に減り、やがて転生に不足する魔力を魂で補うようになった。転生の度に魂が削られ、そして、遂に転生した身体は空っぽになってしまった。半身の呪術が完成しなければ輪廻から解放される事はない。このままだと次は一体どうなってしまうのだろうね」
男巫女は邪心のない笑顔をアンバーに向けた。アンバーはどう反応すべきか迷う。
「何度か転生して、今回の生で漸く半身を見つけた。でも、その半身は何故か蠱毒の器に取り込まれていたけどね。半身が“魔王のゆりかご”を発動するには、魔物、即ち―――、命、魔力が不足していたんだ。だから、私は半身の代わりに不足した魔力を集め、魔王のゆりかごを、呪術の術式を発動させたのだよ」
「なっ、馬鹿を言うな! 何で、何で……大勢の人が死ぬかもしれないのに、こんな事ができるんだ!」
アンバーの言葉に、男巫女はおかしな事を言うというように首を傾げ、淡々と言い放った。
「だって、私が可哀想じゃないか。もうずっと、ずっと、気が遠くなるような長い間、この時を待っていたのだよ。私の半身はね。恨んでいるんだ。自分を裏切った仲間とか、町の連中とか、彼らが造ったこの国とか……そうして、恨み続けるうちに、良識は追いやられ、殆どが単なる恨みの塊になってしまった。いずれ私の半身は全てを喰らい尽くし、魔王になるだろうよ。その時、王都は、この国は残っているのだろうかね。まあ、私にはどちらでも構わない。もういい加減、私も解放されても良いじゃないか。私の役目はここで終わりだ。来世は無い」
いつの間にか話の中の男は男巫女自身になり、アンバーは何も告げられなかった。
そんなアンバーの様子に男巫女は思うところがあったのかもしれない。思い付いたとばかり、言葉を続けた。
「そうだな。最後に一つ教えてあげるよ。どうやら今の時代、転移魔法は失われてしまったようだからね」
何も無かった筈の男巫女の手に魔法陣の描かれた護符が現れる。国教会が御守りとして売り出している転移魔法の魔法陣が描かれたものだ。
「この魔法陣は不完全なものだ。これには、目的地の座標が描かれていないのだよ。だから、魔法陣に座標を追加してやればいい」
「何故、俺にそんなことを教える? 」
「さあね? 何故だろうね? 兎に角、君は彼女の元に行きたいんだろう?」
「何故、それを……」
戸惑うアンバーに男巫女はニヤリと笑う。
「さあ、行って確かめてくるが良い。ほら、こんな風に、行きたい場所を思い描いてね」
男巫女の手の中の魔法陣に魔力が流され、徐々に光を放つ。
「彼女が強ければ、他を喰らって生き残るさ。弱ければ勿論、他の餌食だろうけどね」
そう言うと男巫女はアンバーに護符を手渡した。
アンバーの姿は魔法陣から溢れ出す光に包まれ―――、そして、光が収まった時、その場から消えていた。
殺風景な部屋に一人残された男巫女は、コロンと寝台に横になると、直ぐに寝息を立て始めた。




