6ー4.魔王の解放 2
「これは、一体……まさか、転移魔法? そんな、ありえない!」
転移魔法とは不完全なものだ。なぜなら、転移先が何処になるか誰にも分からないからである。それこそ、運が悪ければ地面の中や水底に転移されるかもしれない。馴染みの場所に運よく転移されるなど万に一つもありえないのだ。
軽い混乱状態に陥ったアンバーの視界を少年―――覡が過る。
「あ、おいお前!」
少年はアンバーの呼び止めに反応することなく、ふらっと視界から消えた。
この魔法を発動したのは間違いなく彼だ。
生き埋めと何処に転移されるか分からない危険性を天秤に掛け、転移魔法を選択した? 否、違う。少年は少なくとも二回は転移魔法で目的の場所まで移動している。常識としては、転移魔法の行き先は指定できない筈だ。でも、もしできるとしたら―――
アンバーは少年を追うため、立ち上がろうとして、腕の中の存在が身動ぎしたのに気付いた。
「くぅ~ん」
獅子栗鼠がアンバーの腕の中の存在に鼻を寄せる。彼は黒髪の少女の頭を庇うように両腕に抱いていた。
「ん……」
少女の瞼が震え、黒い―――実際には深い茶の瞳が覗く。
アンバーから安堵の溜息が漏―――
「……か……ゅう」
シュッ!
その瞬間、少女の指先から火球が放たれた。
「なっ!」
獅子栗鼠がサッと身を翻し、一拍遅れてアンバーが少女の上半身を支えていた腕を解き飛び退く。
ゴンッ!
「痛っ!」
少女の後頭部が地面に打ち付けられた。
ヴォォオオオオオオッ―――……
先程までアンバーがいた場所で黒い靄状の何かが断末魔を上げ、消失した。
「ひ、酷いっ!たんこぶになったぁ」
少女が涙目で後頭部を摩りながら、ヨロヨロと立ち上がる。スカートから細かな破片がパラパラと落ちた。
「いや、酷いのはお前だ。突然魔法攻撃する奴がいるか!俺を殺す気かよ!」
咄嗟に回避できたから良いものの、命中していたら火傷じゃ済まない。
「むう、助けてあげたのに、その言い草はないよね。ほら、未だいるよ」
アンバーと獅子栗鼠が振り返り様、黒い靄の塊を切り裂く。
ヴォォォォォォッ―――……
黒い霧が少女に吸い寄せられるように消える。
「何だ、こいつら? 実体の持たない魔物? あの黒い炎の中に居たのか? 一緒に転移してきた……?」
「繋がっているからね……切り離せなかったんでしょ」
「は? 何言って……」
ドォォォォォォォ――――――――ン!
空気が震え、鈍い音が響く。アンバーは音のした方を見上げた。
地宮を押し潰さんと迫る月の下部が、黒い巨大な蛇のような靄に纏わり付かれている。黒い靄はもぞもぞと蠢き、まるで獲物を絞め殺そうとしているようだ。黒い大蛇が鎌首をもたげ、その頭部を月にぶつける。何度も、何度も、何度も―――その度鈍い音が響き、黒い靄が血のように飛び散る。
「何だ、あれは……月を壊そうとしているのか……? あれが魔王?」
月を喰らおうとする黒い大蛇。物語に登場する魔王とは似ても似つかない。
「あれは……恨みの塊……かな。仲間を、村人を、国を、全てを恨んだ男の成れの果て。今は感情にまかせ暴れているけど、何れ気付くと思うよ。まだ器の中にいるんだって。器の中にはまだ魔物が残っていて、最後の一匹にならない限り、呪術は完成しないんだから……器の中の魔物は最後の一匹になるまで喰らい合う」
その器は―――アンバーが少女を見る。
「魔王のゆりかご……か。それじゃ、この辺に湧いてるこの黒い靄の塊みたいなのは……」
「ゆりかごの中の魔物」
少女が爪を立てると黒い靄の塊が、断末魔を上げる。少女は黒い靄を掌に乗せるようにしてスッと吸い込む。そして、さも美味しいというように舌舐めずりをした。
「うーん、あれと戦うのは分が悪いなぁ……」
視線の先には月に絡みつく黒い大蛇。
「本気でアレと遣り合うつもりかよ」
アンバーには少女の言葉は絵空事にしか思えず、実感が持てない。これが現実と思いたくなくて、脳が拒絶しているのかも知れない。
だって、どう考えたって、あんな化け物に勝てるわけが無いじゃないか。
「……タダでヤられるつもりはないわよ……でも、せめて何か武器が必要だよね」
少女がチラリとアンバーの剣に視線を向ける。アンバーが反射的に腰の剣を押さえた。
「むーぅ、けーち。別にアンタの獲物を奪わないわよ」
「あ、いや、これは、別に……」
アンバーがあたふたとする横で、少女は暫し考え込む。
「もっと……ああ、そう言えばあれがあった」
「あ、おい」
少女は遺物管理所の建物の奥へと足を向ける。
「あー、しつこい。火球」
ヴォォォォォォッ―――……
襲いかかる黒い靄の塊が断末魔を残し、次々と少女に吸い込まれていく。その後をアンバーと獅子栗鼠が追った。彼らはいくつもの雑多に積まれたガラクタの山を抜け、遺物保管部屋の目当てに辿り着いた。
「ほら、武器ならお誂え向きにあるじゃない」
目の前には巨大な剣の置物がある。刀身が少し弓状に反り、刃先の方が少し広がっている片刃の剣である。少女は剣の置物の刀身に指を這わせ、刻まれた模様に魔力を流し込んだ。
「……『風よ……謳え、私の剣は羽よりも軽い』……さあ、全てを断ち切る刃となりなさい」
少女の呟きと共に刀身の模様―――古代文字が浮き上がる。置物の表面が無数にひび割れると、中から光が溢れ出す。そして、そこには輝く巨大な剣が浮かんでいた。
「は? 何だこれ?」
「何って、剣でしょ?」
一般的な大剣よりは遙かに長く、少女の身長以上ある。重量もかなりあるように見え、怪力自慢の大男でも扱うのは難しそうだ。それなのに少女は軽々と片手で持った。
「見た目より軽いのか?」
「持ってみる?」
少女がひょいと投げる。大剣はアンバーの手から零れ落ち―――
ドォン!
床にめり込んだ。
「おい、俺に恨みでもあるのか」
少女が手を翳すと大剣が浮き上がる。多分、この大剣は魔力で扱う必要があるのだろう。
「……最初から知っていたのか?」
アンバーは訝しげに少女に問う。
「そんなの知るわけないじゃない。武器になりそうだと思ったから、魔力を流し込んで鍵となる言葉を唱えただけ。魔法って想像力が大事でしょ。強く思え!さすれば願いは叶えられん!ってね。何か昔の偉い人が言ってたよ」
「何だよ、その出鱈目」
魔法とは想像力である。よく言われる言葉だ。だから少女は魔法で思い描く武器を生み出したと言っている。ありえない。
「ふうん。まあ、いいわ」
少女は戸口をチラッと見た。黒い靄の塊が今にも溢れ出さんばかりに集まっている。目を凝らすと、それらが互いに喰いあっているのが見て取れた。小さな黒い靄の塊がより大きな漆黒の塊に膨れ上がっていく。
少女は巨大な剣を両手で握ると、黒い塊に向け思い切り振り下ろした。
ドガガガガガガガガガァァァァァ―――
建物の壁が崩れ、黒い靄の塊が四散する。瓦礫と化した壁の向こう側には、黒い大蛇に纏わり付かれた月の姿が見えた。
「無茶苦茶だ……」
アンバーは人的被害が無いことを願った。
瓦礫の上で大剣を片手に少女が二つ目の月を指さす。
「ねぇ、アレを喰らって私が魔王になるわ」
――ああ、やっぱりだ。
アンバーは両の拳をギュッと握り、言葉を絞り出した。
「なぁ……お前が魔王になったら、月は墜ちずに済むのか?」
「さあ? どうかなぁ? なってみないと何も分からないよ。アレの恨みが強ければ、私が代わってこの街をぐちゃぐちゃにしちゃうかもね。もしかしたら、あの月を食べてしまうかも」
少女が妖しく笑う。
強烈な違和感。
アンバーの手が少女の大剣を持つ細い手首を強く掴み、グイと引いた。
「お前は誰だ?」
黒髪の少女が首を傾げる。
「私は私よ―――」
「違う。お前はアイツじゃ無い」
ずっと感じていた違和感。主従の契約を結んだのだ。間違える筈がない。
――でも、それなら何故、この得体の知れない娘から彼女の魔力を感じるんだ?
「ふーん、やっぱり分かるんだ。……私? 私は……ゆりかごの中の魔物の一匹。そして、あの子の最初の使い魔」
少女の瞳の色が揺らぎ、鮮やかな碧に変わる。
「なッ!」
一瞬、アンバーの手が緩み、少女の手がするりと抜けた。
「シシィ、おいで」
少女の呼び声に獅子栗鼠が少女とアンバーを交互に見る。そして、―――少女の側に近づくと、頭を擦り付けた。
「シシィ、良い子ね」
「あ、おいっ!」
少女は大剣を片手に獅子栗鼠に跨がると、屋根の上まで一気に駆け上がった。
「ねぇ、私からあの子の魔力を感じるのが不思議? ふふっ、使い魔はね―――」
碧い瞳の少女が、紅い舌で唇を舐める。
「主が命を落とす時、その魔力を喰らうのよ」




