5ー10.セレン、あるいは“名無し”・★
私の名前は―――多分、――――――セレン。
でも私をその名で呼ぶ者はいない。だって、私は月の女神の色を持っていないのだから―――、私の瞳は夜の様に暗く、髪は闇の様に黒い。
私は双子の片割れだ。月の女神の色を持つ“セレン”と一緒に生まれてきた。なので、私も一応、“セレン”。だけど、私はどう見ても“セレン”じゃ無い。だから、誰も私を“セレン”とは呼ばない。私は“名無し”なのだ。
双子の片割れは魔物なのだそうだ。きっと私は魔物なのだろう。そんなのは迷信だと笑う人もいたが、多くの人は私の黒髪と黒目を魔物の証だと言った。この辺りには、黒髪も黒目も私以外存在しないのだから。
私は異質だった。
当然、祭りの花娘に選ばれることは一度も無かった。
私が選ばれる事は無いのだと思いつつ、心の奥底では、もしかしたら今年は―――なんて淡い期待を毎年抱いていた。黒髪黒目の魔物が選ばれる訳がないのに、何て馬鹿なんだろう。勿論、今年も私が花娘に選ばれる訳などなく、ちっぽけな自尊心を守るため平気な振りをしていた。そんな時、彼がこの村に現れた。
彼、―――ロウカンは、私と同じ黒髪の持ち主だった。私が彼に惹かれたのは当然だと思う。女神の色を持たない私を彼は“セレン”と呼んだ。彼がその名で私を呼ぶ度、周りは騒めいた。黒髪黒目の私が“セレン”だなんておかしい。だけど、私には他に名乗る名前が無かったのだ。
ロウカンは私を“セレン”と呼ぶことに抵抗がないようだった。東の国では、月の女神の名前は異なるのかも知れない。
彼に“セレン”と呼ばれると何だか心の奥底がむず痒いような変な気持ちになった。私なのに私じゃないような―――私はロウカンに夢中になった。彼も憎からず思っていてくれるものと信じていた。彼は私にも優しかったから―――
そう、彼は誰にでも優しかった。それは、私以外にも―――
馬鹿な私。
優しくされて舞い上がってしまった。彼の目もまた、私では無いもう一人の“セレン”に向けられていたと言うのに。
そして、ロウカンは黒の森で獣に襲われて怪我を負い、私の前から居なくなった。
“セレン”が彼の事をどう思っていたのか、私は知らない。
ただ、私は選ばれなかっただけなのだ―――
この村に居続ける限り私は魔物である。
王都では私のような黒髪は珍しく無いそうだ。そこでなら私も人として生きていけるのではないだろうか。私は王都に行こうと思った。ここに私の居場所はない。そう思ったから。
私はこの閉塞感から逃げ出したかった。
そう決めた日、私は村の偉い人達に呼ばれた。
「君には重要な役目を担って貰いたい。今回の祭りの主役をね」
祭りの主役―――花娘を私にと言う訳では当然無かった。お祭りの儀式の元になった黒霧の災厄を封じる儀式、その儀式の主役の“封印の器”を私にやれと言う事だった。
ボウ爺の姿が私の脳裏を掠めた。
忌み児に嫌な事は押し付けてしまえと言うことなのだろう。それを受け入れる義理など私には無い。断ろうと口を開きかけた時、誰かが言った。
「今回の黒霧は今までに無い規模でね。このままでは、多大な被害が出るだろう。君にはこの村をいや、村だけでなく町も、多くの人々を救って貰いたい。まさか、断りはしないよね。君のお母さんも、お爺さんも、お婆さんも、お姉さんも、お友達や、多くの人を救うためなんだから―――何て誇らしいことだろう」
村の偉い人達が笑顔で脅しをかける。
卑怯だと思った。
そんな名誉など要らない。そんなものあなた達にくれてやる。でも―――
結局、これは決定事項なのだ。私がどんなに抗おうと覆ることはない。
「この事は誰にも秘密だよ」
そんなの卑怯だ。
帰り道、ボウ爺を見た。
封印の器の成れの果て―――ボウ爺は役目を終えて、玻璃となり粉々に砕け散った。
その後のことはよく覚えていない。
心の奥底にまるで澱のように不安と恐怖がじわじわと溜まっていく。
私は祭りの日が、―――儀式の日が近づく恐怖にじりじりと耐えた。
いっそ逃げてしまおうか。
―――でもどこに?
祭りの当日を迎えた。
私は儀式が何時何処で行われるのか知らされていなかった。儀式は秘密裏に行われる為、目立つ魔法の伝令は使われないことになっている。直接使いの者から知らされるのだろうと思っていたのに、セレンから紙片を渡されて戸惑った。
儀式は秘密では無かったのか?
紙片には時間と場所が記載されていた。儀式はこの村のどこかで行われると思っていたので意外だった。セレンが興味を持ったようなので慌てて紙片を手の中に隠した。
兎に角、指定の場所に行かなくてはならない。結局それが私の選択だった。
私は去年誂えた晴れ着に今年も袖を通す。
昨年、もしかしたら花娘に選ばれるにではないかと淡い期待を抱いて仕立てたものだ。生成りの他の娘達に比べると地味なものだけど、それでも私には十分華やかだった。ベールで髪を隠せば、私も普通の娘だ。
乗合馬車で母達と町に向かい、友人と約束があるからと駅停で別れた。
紙片に記載された指定の場所、役所前の広場には大勢の人がおり、とても封印の儀式が行われる雰囲気では無かった。私はその場で使い者が現れるのを待ったが、指定の時刻を過ぎても誰も現れる事は無かった。
髪をベールで覆っていたので、私に気づけなかったのだろうか? それとも儀式が中止になったのかも知れない。それなら良い―――そう思った。
広場の隅を男が一人、転がるように駆けて行った。
続いて悲鳴が上がる。
辺りが薄暗くなった。否、黒くなった。
黒霧だ!黒霧が町に押し寄せていた。
何故、こんな所に?
人々が恐慌状態で逃げ惑う。
私は呆然と立ち尽くしていた。自警団で訓練していたのにこういう時、どうしたら良いか分からなかった。黒霧に巻かれそうになり、反射的に風の魔法を打ち付けるが、僅かに私の周りの霧を払っただけだった。
黒霧の濃さが増していく。
黒霧の災禍が町を襲う。
これは本当に黒霧なのだろうか?
『逃げろ!採掘場の方へ誘導しろ!』
誰かの叫び声で私の足が漸く動いた。何時の間にか頭からベールが無くなっていた。
魔鉱石の採掘場の大穴に近づき、私は振り返った。背後から黒霧が迫り、あたりの全てを侵食し続ける。黒霧の中心に何かが居た。
嫌な予感がした。
あの連絡の紙片、あれに書かれていた字はセレンの字に似ていなかっただろうか?
黒霧の中心にいるもの。真っ黒な髪に真っ黒な瞳、―――あれは私だ。もう一人の私。
もしかしたら、セレンは私が封印の器に選ばれた事を聞いてしまったのかも知れない。彼女は私の身代わりになったのだ。
セレンの身体は真っ黒に塗り潰されていた。身体の至る所から黒い霧が溢れ出す。きっと封印の儀式は失敗したのだろう。
セレンは私へと手を伸ばし、私はセレンへと手を伸ばした。
『大穴に誘い込め』
誰かが叫んだ。
私は黒い靄に覆われたセレンを抱きしめる。私たちの周りを光の鎖となった魔法陣が取り囲むと、セレンの身体は霧散し、私の中に入っていった。
全ての黒霧を封じることは無理だったようだ。私の周りを収まり切らなかった黒霧が漂う。セレンを内に抱いた私の身体は大穴へと落ちて行った。
暗い、暗い闇の中に私は、―――私達は、―――落ちて行く―――
お祭りの日、一枚の銅貨を貰った。
ねえ誰か、この銅貨一枚で、私を王都に連れて行ってくれないだろうか―――




