5ー9.”それ”の記憶
“それ”はたゆたう。
ここは温かくて気持ちがいい。
“それ”は微睡みの中、この瞬間が永遠に続くことを願った。
しかし、無情にも“それ”は世界から追放される。光が肌を刺し、何かが肺に溢れ込む。
“それ”は大声をあげ泣いた。
誰かの手が“それ”の身体を抱き上げる。“それ”はまだよく見えぬ目を開いた。
「まあっ、月の女神の色を持つ女の子だわ」
「では、この子の名は“セレン”だな」
“それ”は金の髪に蒼玉の瞳の赤ん坊であった。それ故、“それ”は“セレン”になった。
その日、双子の赤ん坊が産声を上げた。
『多胎の胎には魔物が宿る』
この地域では、昔からそう言われている。つまり、双子であればどちらか片方は人の振りをした魔物ということだ。しかし大抵の場合、魔物を見分ける術は無い。そのため、人々は魔物に名前を与えることがないよう、多胎児の赤ん坊を同じ名前で呼んだ。
だから、必然的にもう一人の赤ん坊の名も“セレン”となった。
二人の赤ん坊はどちらも“セレン”であったが、もう一方がその名で呼ばれることは殆ど無かった。なぜなら、もう一方の赤ん坊は黒い髪に黒い瞳で、誰もが魔物の方に違いないと思ったからだ。
そうして、何時しかもう一方は、“名無し”になった。




