5ー8.セレン 7・☆
あの日から私は不機嫌だった。祭りの主役が奪われてしまったからだ。
あの日、村の偉い人は、祭りの主役を妹にすると言った。この私では無く、妹を!祭りの主役はずっと私だったのに!
こう言うと私が妹を嫌っているように思うかもしれない。でも違う。私は私の次に妹を大切に思っている。だって、だからこそ―――
あの日からずっと心の奥底が何だか重い。ムカムカする。
結局、私は不機嫌なまま祭りの当日を迎えた。
私は淡い水色の晴れ着に着替え、刺繍の施されたベールを被る。私の頭にあるのは妹とお揃いの単なる木綿の布だ。私の金の髪を隠してしまうのは勿体ないけれど、祭りでは、未婚の娘はベールを被るのが決まりなのだ。本当は透けたレースのベールが良いのだけれど……。
私はその場でくるっと一回転した。スカートの裾が波打つ。ギャザーを多めに寄せて貰って良かった。
ふと窓の外に目を遣り、私はいち早く訪問者に気付いた。あれは村長の家の使用人だ。私は誰にも気付かれぬようそっと階段を降り、戸口に向かった。私はベールを目深に被り、扉が叩かれる前に訪問者を出迎える。
「あの……なな、いや、姉妹の妹さんの方に用事があるんだが……えーっと……どっちだ?」
彼は私が誰か分かっていないようだ。
「私が妹の方よ」
「ん……じゃ、コレ」
訪問客は四つ折りにされた紙片を押し付けるように手渡すとそそくさと元来た道を戻っていった。紙片を開くと時間と場所が簡潔に書かれていた。
私は急いで自分の部屋に戻り、真っ新な用紙とペンを手に取ると、時間と場所を紙に記入する。“羊ノ刻”、“町の役所前広場”。もちろん、手渡された紙に書かれていたのと異なる時間、異なる場所だ。それを四つ折りにし、妹に渡すため部屋を出る。我が家の居間兼食堂で妹の姿を見つけた。暢気なことに妹は、まだ普段着のままだった。
「あら? まだ着替えていないの? 早くしないと馬車に乗り遅れるわよ。これ、さっき村長のところの使用人から預かったわ。一体何かしらね?」
私は四つ折りの紙片を差し出した。妹は紙片の内容を確認すると少し怪訝な顔をしたが、直ぐに私に見えないように手の中へ隠した。
「ねえ、それって」
「あらまあ、もう支度が終わったの? 筆頭花娘さんは随分張り切っているわね」
少し妹を突いてみようかと思ったが、それを実行に移す前に母が姿を見せた。クスクスと笑いながら私に言う。
「失礼ね。お祭りに浮かれる子供みたいに言わないでもらえる? 私は皆より先に打合せがあるのよ。何たって、祭りの主役なんですからね」
私はチラリと視線を妹に向けた。
「あらあら、それは失礼しました。で、筆頭花娘さん、あなたは何時出発するの?」
「直ぐに家を出るわ。お祭りの運営側が別に馬車を用意してくれているの」
「あら、そう? 私達は後で寄り合いの馬車で町に向かうわね。ああ、そうそう、忘れるところだった。あなたたちにお小遣いを渡しておかなくちゃ。マイディア、今年も頑張って大役を務めて頂戴」
母は私達姉妹のそれぞれの手に銅貨を握らせた。
「うん、わかった」
私は一枚の銅貨を握りしめ、紙片に書かれていた場所、黒の森の辺の斎場へと向かった。
私と妹は背格好がそっくりなので、頭を隠してしまえば、ほぼ見分けが付かないだろう。私はベールを目深に被る。
やっぱり、祭りの主役は私じゃなくちゃね。
妹の役目を奪うなんて酷い?
いいえ、そんなことはない。だって、あの子はこの役目を嫌がっているのだもの。
胸に手を当てると心の奥底に澱が少しずつ溜まっていくのを感じる。これは……何? 不安? それとも恐怖?
まだ指定の時刻前だというのに、黒の森の辺には既に人が集まっていた。村の偉い人が勢揃いだ。見かけない人も大勢居る。町の人だろうか? あれは教会の司祭様? その司祭様と思しき人物がこちらを見たので、私は慌ててベールをより深く被り俯いた。
「ああ、儀式の主役が来たね。まだ一人、司祭が見えられていないが……まあ、あのお方だからな……。準備は整っているし、少し早いが始めようじゃないか。さあ、君は魔法陣の中央へ」
大丈夫、大丈夫、バレてない。
どうやら、入れ替わっていることに気付かれなかったようだ。私は魔法陣の中央へ誘導され、その場で跪くように言われた。五人の人物が私を取り囲む。何だか花娘の行列の後の儀式に似ている。
お祭りでは、花娘を乗せた山車が町を一周し広場に戻ると、祭り用に作られた特設の祭壇で〆の儀式が行われる。祭壇前の魔法陣の中央に筆頭花娘である私が跪き、その他の花娘達がその後ろにずらりと並んで跪く、そして祭壇の司祭様がこの地域の繁栄を願い祝詞を唱えるのだ。それは封印の儀式を模したものと言われており、その儀式で祭りは最高潮を迎える。
それに比べると、この儀式は、仰々しさはあるものの華やかさに欠ける。観客もいないし、花娘も私一人だけだ。そもそも何故、こんなところでひっそりと儀式を行うのだろう。もっと大々的に人を集めて行えばいいのに……そもそもこれは一体何の儀式?
私は跪き祈りを捧げるような体勢で考える。
私を取り囲む五人がブツブツと何かを唱えると、足下の魔法陣が輝きだした。
嫌な予感がした。
本能が叫ぶ。
――逃げろ!逃げろ!逃げろ!!
この場から逃げ出そうとするが、まるで無数の糸で地面に縫い付けられたように身体が言うことを利かない。五つの呪文が私を取り囲む。何らかの術式が私を中心に何重にも展開されているようだ。
辺りが急激に薄暗くなった。黒霧だ。黒霧が私に集まってくる。
――嫌だ!嫌だ!嫌だ!
私は恐怖のあまり悲鳴を上げ、この場から逃げ出そうと足掻いた―――筈だった。悲鳴は微かな呻き声となり、四肢は全く動かない。
黒霧はどんどん濃密になり、漆黒の闇となった。ただ、足下の魔法陣だけが薄ぼんやりと光を放っている。私の外側を突き破り、私の中に黒霧が入ってくる。私の頭の中で渦巻いているのは、無数の命の断末魔の叫びだ。悲しみ、恐怖、恨み、絶望、色々なものが混ざり合いうねっている。
――ああ、私が、黒霧に……喰われてしまう!
私は叫んだ。叫んだと思った。私の叫びは言葉にならず、ゲッゲッとおかしな音となって口から溢れた。
それは永遠とも、一瞬とも思えた。そして―――
「グガガガガガガガガァァァァァ―――」
私は吼えた。獣のように。
私の口から発せられる声、それは本当に私の声だろうか?
私の周りは黒い霧が漂う。一瞬光の筋のようなものが見えた気がする。それも直ぐ闇の中に消えていった。
漸く私の身体が動いた。ベールが頭から滑り落ち、私の黄金の髪が波打つ。瞬間、視界の中の金の房は、毛先から真っ黒に塗り潰されていった。
「いやああああああああああああ」
私は絶叫した。
世界が真っ黒になる。真っ黒な漆黒の闇―――
心の奥底から衝動が溢れ出す。
私は許せなかった。私から人である事を奪った者が。
私は恨んだ。村の人間も、町の人間も。
私は憎んだ。この世界を。全てを!
私は何かに突き動かされるように魔力を求めた。魔力とは即ち、生命だ。私は誰かの記憶を噛み砕き、生命を喰らう。
――全てを喰らい尽くしてしまえ!
私の奥底の魔物の本能が叫んだ。躊躇すれば、私が喰われる側になるだろう。そうだ、最後の一匹になるまで私達は喰らいあうのだ。そうして、最後に残った一匹が魔王となる。
黒霧の中、私は村を喰らう。町を喰らう。人を喰らう。
私はただ本能に従い生命を喰らう。
――なぜなら、私の前世は―――否、今も魔物なのだから―――
すぐそこに燦然と光り輝く生命がある。あれが喰いたい。
私は黒い靄に覆われた手を伸ばし―――
「セレン!」
誰かが私を強く抱きしめた。
目の前に、私がいた。黒い髪、黒い瞳をしたもう一人の私が―――




