5ー6.セレン 5・☆
ドン、ドン、ドン! ドン、ドン、ドン!
家のドアが乱暴に叩かれる音で、私は夢の世界から現に引き戻された。
漸く夜が明けようかという時間である。東の地平線が薄らと紫色に染まっているものの、私基準ではまだ夜だ。
「う……ん……まだ眠い……」
ドン、ドン、ドン!
私の寝ぼけた頭は再び夢の世界へ旅立とうとするが、ドアを激しく叩く音に邪魔される。
「何なの……もうっ!」
眠い目を擦りながら、部屋を出て階段を下りていくと、そこには既に祖父と妹の姿があった。遅れて祖母と母が不安気に顔を見せる。
ドン、ドン、ドン!
「こんな朝早くから誰だ!?」
激しく叩かれるドアを祖父が恐る恐る開けると、近所の小母さんが酷く疲弊した顔で立っていた。
「何だ、サンじゃないか。これは一体何事だ?」
「昨日からバイ達が帰って来ていないんだ。見かけてないかい……」
「お前達、何か知っているか?」
祖父が私達に問いかけてきたが、私も妹も首を横に振った。
「バイ?……ああ、あの小憎たらしい糞ガキかい? そういえば、ここのところ見かけてないねぇ」
祖母の言葉に母が答える。
「確か、今年から自警団に入ったんじゃなかったかしら?」
「あの悪たれ坊主が村を守るのかい? これはお笑い種だね」
「おい、ばあさん」
流石に祖父が咎める。
「ああ、こんな時に話すようなことじゃなかったね」
バイは近所に住むサン小母さんの息子で、村の悪ガキを束ねるガキ大将だ。そのバイ率いる悪ガキの一団、五人の子供達が昨日から帰って来ないそうだ。親たちは悪ガキ達が互いの家にでもいるのだろうと思い込んでいたうえ、遅くまで遊んでいるのはいつもの事と放置していたらしい。暗くなって、漸く子供達が居ないことに気付いて、夜通し心当たりを探したが、未だ見つかっていないとのことだ。
「ここまで探して見つからないのは、黒の森に入ったのかも知れない……って……。ダンナと娘が自警団に捜索隊を出すようお願いに行って……だ、だけど、夜の捜索は無理だって……わ、わたしは一体どうしたらいいか……」
サン小母さんがさめざめと泣き出し、祖母が慌てて小母さんを家の中に入れた。直ぐさま母が火魔法でお湯を沸かし、お茶を入れる。
小母さんは夜が明けるのを一人でじりじりと待っていたらしい。
祖父がドアを閉めようとしたタイミングで光の鳥が家へと飛び込んで来た。自警団からの魔法の連絡だ。
「夜明けと共に自警団が森に捜索に入ることになったから、自警団員は村の広場に集合だって」
妹が自警団からの連絡事項を伝える。
「私、広場に行ってくる」
妹が家を飛び出した。その後を祖父も追って行く。年寄りがあんなに走って大丈夫なの? じゃなくて―――
「私も行く!」
私も妹と祖父に続いて飛び出そうとして、寝間着姿だった事に気付いた。
ああ、出遅れた!
「さあ、こうしている間にもバイが家に帰って来るかもしれないよ。サンは家に居て出迎えなきゃ。私達も一緒に居てやるよ」
小母さんは温かいお茶を飲んで、少し落ち着いたようだ。
私もこうしちゃ居られない。直ぐに着替えて広場に行かなくちゃ!
村の南東には『黒の森』が広がっている。『黒の森』と呼ばれているのは、陽の届かない暗い森だからとも、災いを齎す黒霧が発生するからだとも言われている。
私達は黒の森は危険、そう刷り込まれる。魔獣が跋扈しているだの、亡霊が彷徨っているだの子供の頃から森に近づかぬよう言い聞かされるのだ。
しかし、そんな脅しが利くのもごく一部の子供だけである。駄目と言われれば反抗したくなるもの。多くの子供達は魔獣を使役することに憧れて、黒の森に入り込む。こう考えると「魔物が跋扈している」という脅しは逆効果なのかもしれない。で、結局、黒の森は昔から子供達の内緒の遊び場だ。それは昔からのことなので本当は内緒でもないのだけど。
でも、子供達も弁えたもので、大抵は森の奥深くまでは行かない。これは代々年長者が年少者に教え込む。森の奥に行けるのは自警団に入団してから、他の団員達と一緒に、である。
バイは今年、自警団に参加が許されたまだ幼い子供だ。そして、相当の悪ガキである。そのバイが、まだ未入団の子供達を率いて、森の奥に入ってしまったらしい。
村の広場にはカンテラを片手に多くの村人が集まっていた。その中には、村人でないロウカン達の姿もある。捜索は自警団が中心となって行う。自警団をいくつかの班に分け、黒の森に入ることになった。バイの父親は自警団の一員で、まだ陽が昇らない内から先陣を切って森の中へ姿を消した。自警団は森の中へ、他の村人は改めて辺りを捜索する。
「町に向かったとは考えられないか? おらが荷馬車を出そう」
「オレが一緒に行く」
「リウ爺さんのところの獅子栗鼠に探させるのはどうだ?」
「ああ、ありゃあ、駄目だ。年食っちまって、役に立たん」
行方不明の子供の母親と思しき啜り泣きが聞こえる。
「案外、どこかの納屋の屋根裏で寝込んじまっているのかもしれねえぞ」
「そうだな。大事になって出るに出られねーのかもな」
誰かが啜り泣く母親に声を掛ける。
もしかしたら、そうかもしれない。でも、そうでないかもしれない。
完全に陽が昇り、本格的に子供達の捜索が始まった。
私は特段、捜索範囲を割り当てられなかった。自主的に、適当にその辺を探せば良いということなのだろう。ちらりとロウカンの様子を窺うと、彼は森の奥を捜索する班の一つに振り分けられたようだ。森の中にその背中が消えていく。
私は暫く木々の間に消えゆく彼の背中を見つめていた。そして―――
周りの目を盗み、ロウカンの後を追った。
木の枝にひょいと飛び乗ると、枝から枝へと渡っていく。直ぐにロウカンの姿を捉えた。私は枝の上で息を殺し、彼の様子を窺う。ロウカンの居る捜索班は、自警団員二名、旅人三名の五人組で、彼らは大声で子供らの名を呼び、草むらを揺らし、捜索に夢中で私に気付く様子がない。
彼らは黒の森の奥へとどんどん踏み込んでいく。そうしている内に、ふと、何か嫌な感じがした。この感じ、遙か昔に経験したことがある。
――危険!
本能が告げる。
空気に黒い何かが僅かに混じっている。私はこれ以上、ソレに近づかぬよう捜索班から距離を置いた。捜索班は更に森の奥へ、ソレの下へと進む。
「何だ?黒い靄……否、瘴気……か?」
ロウカン達、旅人三人組が首を傾げる。
「黒霧だ!」
自警団員のどちらかが声を上げた。漸く彼らも気付いたようだ。自警団員の二人は透かさず魔法を放ち、黒霧を払う。しかし、直ぐにまた黒霧で覆われた。
「かなり濃いぞ!」
何度も、何度も魔法を放つが埒があかない。
「不味いな。一旦、撤退しよう」
「おい、待て!彼処に子供が!」
魔法で黒霧が霧散した一瞬、倒れている子供の姿が見えた。旅人の一人――私は興味が無いので名前は覚えてない――彼が子供の側に駆け寄った。
「馬鹿っ!無闇に近づくな!」
制止の声は遅かった。黒霧が旅人を包み、大きく膨らむ。そして、まるで生きているかのように更なる獲物を取り込もうと黒い触手を伸ばす。
「風刃!」
放たれた最大級の魔法が辺りの黒霧を散らす。
「急げ!今のうちにここから逃げるんだ!」
自警団員の一人が子供を抱え、倒れている男をロウカンともう一人の旅人が二人掛かりで引き摺り出す。
「兎に角、撤退だ」
魔法の使えないロウカンが先頭に立ち、身丈以上に成長したシダ植物を伐払い、道を拓く。大男を背負った旅人と子供を抱えた自警団員がそれに続き、殿のもう一人の自警団員が魔法を放ち、背後に迫る黒霧を散らす。黒霧は意思があるかように執拗に彼らを狙う。
巻き込まれては堪らない。私も更に距離を置くことにする。ちょっと離れた木の上から、彼らの様子を窺う。
ロウカンは恐怖で冷静な判断力を失っているのだろう。背後に気を配らず、矢鱈と剣を振り回し先に進む。子供は兎も角、がたいの良い大男を担いでいては、まともに逃げるのも難しい。徐々に後続との距離が空いていく。やがて、ロウカンは一人で土地勘のない森の中を彷徨うことになった。
「くそっ!森を抜けるにはどっちに行ったらいいんだ」
いつの間にかシダ植物の海は、下草が殆ど生えていないコケ類のフカフカした絨毯に変わっている。ただ樹冠が日射しを遮っているので、辺りが暗いのは変わらない。
「ロウカン……」
私は彼の名を囁いた。彼の耳には自分の名前が届いたらしい。辺りをキョロキョロと見回している。
「だ、誰だ!」
樹冠を風が渡る。サワサワと梢を揺らす音。
「…………気の……所為か?」
葉が散った。
私は木の枝からロウカンの目の前に飛び降り、彼の顔へ爪を振り下ろした。
ギャアアアアアーーー!
悲鳴が森に響く。
「ロウカン、私はね。あなたを許すことが出来ないの」
***
森に捜索に入った者達が次々と村に戻ってくる。中には行方不明だった悪ガキ――子供達の姿も見られた。しかし、子供の数が足りない。無事だった子供達の親は涙を流し喜び、未だ子供が見つからない母親は不安で半狂乱になった。
暫くして、仲間を背負った旅人と、だらりと子供を抱えた自警団員が帰って来た。
「早く、婆様を呼んでこい!」
出迎えた誰かが大声を張り上げる。
そして、少し遅れて息も絶え絶えの自警団員が、もう一人―――
「た、大変だ!く、黒、黒霧だ!そ、それも、かなりの濃度っ……」
息の乱れた自警団員が吐き出すように告げる。
その言葉に集まっていた村人は騒然となった。黒霧が数年前に発生した時は、畑が汚染され、家畜が死ぬなど、大きな被害を齎している。
ざわめきが辺りに伝播していく。
そこにロウカンが自衛団員の肩を借り、引き摺られるようにして帰ってきた。どうやら、運良く他の捜索班に拾われたようだ。彼は左手で顔を押さえ、俯いている。
傍若無人な若い娘達がいつものようにロウカンに群がった。肩を貸している自警団員が娘達を追い払おうとするが、我欲に支配された娘達がそんなことで怯むわけが無い。
「まあ、怪我をしたのね。可哀想に」
一人の娘の無遠慮な指がロウカンの左手に触れた。ロウカンが反射的に顔を上げる。
「「「ヒィッ!」」」
娘達が一斉に悲鳴を飲み込んだ。
ロウカンの美しい顔は、左側が獣の爪で深く抉られていた。




