4ー12.月が墜ちる時
・7/10一部修正
アンバーが窓から見下ろすと、遺物管理所長とラング事務官が足早に建物に入るのが見えた。
「今日、兄貴が博士のところに来るとは聞いていないが……」
疑問に思いつつも、気まぐれな兄のことだ、予定変更はいつものことと、直ぐに興味を失い視線を部屋の中へ向けた。
ロードナイト伯爵邸の離れの二階は、書棚が何本も押しこめられ、書庫と化していた。部屋の隅には書棚に入りきらない書籍が積まれている。この部屋以外も二階の部屋はほぼ同様の状態だ。床が抜けないか心配になる。
アンバーと黒髪の少女は、いつものように文献を漁っていた。
通常、これらの部屋は書物を日光から守るため、分厚いカーテンが閉じられているのだが、今は一部のカーテンが開かれ、外光を取り込んでいる。
アンバーが半分閉じられたカーテンを全開にすると、埃が光の中を舞った。
窓を少し開け、風を通す。
風が傍らの少女の黒髪をサラサラと揺らした。
今日は束ねられていないのだなとアンバーはぼんやりと思った。そして、本の活字を追う少女の横顔を眺める。
彼が見る限り、少女が目を通すのは古語で書かれた文献ばかりだ。もう何冊目だろう? 少女の捜し物は未だ見つからない。
カチ、カチ、カチ―――
柱時計の振り子が規則的なリズムを刻む。
あれから―――所長達が少女を害する冗談とも本気とも取れぬ話をした時から、アンバーは極力少女の側に居るようにした。
その行為にどれだけ意味があるのかは分からない。ただ側に居ようと思ったのだ。
カチ、カチ、カチ―――
視線を感じたのか、少女が訝しげにアンバーを見上げた。
アンバーがその頬をちょんと突く。
「何?」
少女がムッと頬を膨らませた。その可愛らしさに、ついアンバーの手が伸びる。少女の左頬を摘まみ、ちょっと横に引っ張った。最初に会った時よりもふくよかになったようだ。ふにふにとして柔らかい。
「なひよ、ひゅる」
少女が手にした本を傍らの書籍の塔の上に重ねると反撃した。アンバーの両頬が引っ張られ、端正な顔が歪む。負けじと、アンバーも少女の両頬を摘まんだ。
暫くじゃれ合いが続き―――
「「ぷっ」」
と、どちらとも無く吹き出した。
少女は慌てて笑顔を隠し、両頬を擦ると、少し唇を尖らせた。一応、怒っている振りである。
カチ、カチ、カチ―――――――ボーン、ボーン、ボーン……
柱時計の点鐘が時を告げる。アンバーは点鐘を数えた。
「今日はここまでだな」
最近は日が傾くのが随分早くなった。直ぐに暗くなるだろう。できれば、明るい内に帰り着きたい。
本を元の書棚に戻し、カーテンを閉め、部屋を出る。階段を下りると、足を踏み出す度ギシギシと鳴った。
帰る前に博士へ暇を告げなければならない。
少女が博士の部屋の扉をノックしようと―――
『―――そうです。間違いありません。―――がブラシカの民を虐殺したのです。何か手を打たないと、大変なことになります』
『やはり、ブラシカを死の土地にしたのは、―――か。恐ろしい事よのう』
『ですから!このままでは、王都はブラシカの二の舞ですよ!早急に―――を憲兵に引き渡すべきです』
『だが、憲兵が適切な行動を取るとも思えんな。下手なことをされたら、それこそブラシカの二の舞であろうよ』
『手に掛けるにしても王都に影響がない場所でなければならんのう―――』
『果たして、そんな都合の良い土地があるものか―――』
『何を暢気な!我々は騙されていたんですよ!―――の危険性について述べられていたのは、お二方じゃないですか。早く何とかしないと、王都が死の霧で真っ黒に覆われてしまいます。皆、死んでしまう!―――に殺されて!』
博士の部屋の扉は歪んでいるのであろう。ぴったりとは閉まらない。その隙間から会話が漏れ聞こえる。
『いいですか、あの娘は化け物です!あの黒髪の娘は、人を喰らう化け物なんですよ!』
「聞くな」
アンバーが少女の耳を塞ぐ――――――が、遅かった。
「私は……人を喰らう……ばけもの……私が…………殺した」
心の奥底で何かが揺らいだ。
少女の身体がガタガタと震える。
アンバーは少女の手を強引に引っ張り、建物の外へと連れ出した。二人が行き着いたのは、いつかの本を虫干していた庭だ。
「アイツらの話は根拠の無い出鱈目だらけだ。お前には覚えのないことなんだろ?あんな巫山戯た話、真面目に取ることは無い」
「……私は…………」
少女がアンバーを焦点の定まらない目で見る。
「村を出て……」
――『ソレハ、イツ?ドウシテ、村ヲ出タノ?』
「村の皆が……笑って…………」
――『アラ、随分都合ノ良イ記憶ネ』
「……何故、皆の顔が黒く塗り潰されているの?」
――『ソンナ事モ、覚エテイナイノ?―――ノ所為ナノニ―――』
「だって、―――が封印の器があればって……」
――『ソレハ、誰ノ言葉?ソモソモ、何故、封印ノ器ガ必要ダッタノ?』
「村に帰ったら……」
――『帰ル村モ無イノニ?』
「だって、だって、だって……」
――『ダッテ、村モ、町モ、人モ、皆、―――私ガ、壊シテシマッタジャナイ』
少女の脳裏に真っ黒な霧に囚われ苦しむ人々の顔が浮かぶ。皆、彼女を責めていた。少女の頬を涙が伝う。
「…………私が皆を……殺してしまったんだ……私の……所為だ……」
――『ソウダ。オ前ガ悪イ。オ前ノ所為ダ!オ前ガ殺シタ!!』
地面に崩れ落ちた少女の身体から黒い霧が染み出し、全身を覆う。
少女に触れようと手を伸ばしたアンバーの身体が強く弾かれ、背中から樹木にぶつかった。樹木が色づいた葉を散らす。
辺りが急に薄暗くなった。
少女を取り囲む細い光の鎖が、黒い霧の中で淡く浮かぶ。
少女から溢れた黒い霧が凝集し、徐々に人を形取った。アンバーは背中の痛みに耐えながら、樹木に寄りかかりその様子を見ていた。以前見た時より、それは鮮明になっている。黒一色ではあるが、髪の長い目鼻立ちのハッキリとした美しい男だと分かった。
人影が少女の髪を掴み、強引に身体を引き起こした。
「実体……が…ある……?」
ガァァァァーーー!
何処からともなく現れた獅子栗鼠が体当たりし、黒い人影を霧散させる。
アンバーは立ち上がると、少女に駆け寄り手を伸ばした。少女は黒い靄を纏い地面に蹲っている。
「うっ……」
少女に触れた瞬間、アンバーの身体から、ガクンと力が抜け、膝を突いた。
「だ、だめ……離れ……て……」
アンバーの行動に少女が驚き、逃げるよう促す。少女を取り巻く靄がぐんと濃さを増す。少女は必死に内から溢れるものを押し止めようとしていた。最後の封印の鎖が弱々しく発光する。
「嫌だ……」
アンバーが確りと少女の手を握る。
「俺と……主従の盟約を結ぼう…………頼む……俺を信じてくれ」
――『ドウセ、マタ裏切ラレルワヨ。アノ時ノヨウニ―――』
徐々にアンバーから力が抜けていき、その身体が傾ぐ。それでも手は繋がれたままだ。
アンバーの琥珀色の目が、少女の瞳をじっと見つめる。
「ああ、黒い瞳だと思っていたけど、本当は深い、深い、茶色なんだな……」
アンバーはにこりと微笑んだ。そして、言葉を紡ぐ。
「俺、アンバー・スピネルは、君の僕となることをここに誓約する」
少女の深く濃い―――黒と見紛う茶色の瞳が揺れる。
繋いだ手から徐々に力が失われ―――
少女はアンバーの唇にそっと自身の唇を重ねた。
「!」
少女を取り巻く黒い靄が再び凝縮し、アンバーを取り込もうと襲う。咄嗟に少女がアンバーを突き飛ばした。
「シシィ、アンバーを……守って!」
獅子栗鼠が戸惑ったように少女とアンバーを交互に見て、そしてアンバーの元に向かった。
――『皆ヲ見捨テタクセニ、ソノ男ハ庇ウノネ』
少女の瞳が一瞬碧く輝いたように見えた。
見間違いかとアンバーが再度確認しようとするが、ぐんと身体が後ろに引かれる。獅子栗鼠がアンバーの襟を加え、執拗な黒い触手を避ける。
黒霧が凝縮し再び人型を取った。
「「時ハ来タレリ。永キニ渡ル我ガ怨讐、今為サン―――」」
黒い人影が少女を拘束し、声を発した。
何か違和感を覚える。
声が重なって聞こえるのだ。アンバーはもう一つの声がする方を見た。
樹木の影から、十二、三歳くらいの人形のように美しい少年が現れる。
「あいつは…………」
少年は黒い霧が渦巻く中、平然と少女に近づくと、黒い人影と並んだ。アンバーはその少年が黒い人影と良く似ていることに気づいた。
「「時ハ来タレリ……時ハ来タレリ……時ハ来タレリ―――」」
少年と黒い人影が同調し、呪詛のように何度も繰り返す。
どこからか現れたのか、紙片が少年の掌の上でくるくると回り、足下に魔法陣が浮かび上がる。
「「我ガ怨讐ヲ……我ガ怨讐ヲ……我ガ怨讐ヲ―――」」
「雷撃!」
アンバーは嫌な予感がして咄嗟に黒い人影に向け、魔法を放つ。放たれた雷撃は真っ直ぐ人影に向かって飛んでいき、人影を霧散させる。しかし、飛び散った黒い霧は瞬時に人影に戻った。少年と黒い人影がアンバーに虚ろな瞳を向ける。足下の魔法陣が妖しく輝いた。
「「此レハ貰ッテイク」」
黒い人影が黒い靄を纏う少女の頭を持ち上げる。
「一体、彼女をどうするつもりだ!」
少年と黒い人影が揃ってニィィィィィィと嗤う。
「「マダ器ハ壊サナイヨ……マダネ」」
魔法陣が強く発光した。
アンバーは眩しさに目を背ける。
「「我ガ怨讐ヲ……我ガ怨讐ヲ……我ガ怨讐ヲ…………思イ知ルガイイ!」」
やがて、光が収束し、アンバーの目の前には、少年も、黒い人型も、そして、少女も―――消えていた。
「くぅん」
獅子栗鼠が悲しげに鼻を鳴らした。黒い靄が残滓のように辺りを漂っていた。
黒い、黒い、深い、深い、闇の中で―――
パリン。
最後の封印の鎖が砕け散った。
少女の意識が深淵に沈んでいく―――
***
急に陽が翳り、部屋に集っていた三人の男―――博士、所長、事務官は論議を止め、訝しげに窓の外へ目を向けた。
「!」
窓越しに見上げる空は、真っ黒に塗り潰されていた。
気温が下がったようで、博士は無意識に腕を摩る。老眼の目を凝らすと、王城付近を中心として暗雲が渦を巻き、稲妻が生物のようにその中を暴れ回っているのが見えた。
ドン、ドンッと響く重低音と、バリバリと天を裂く音が不安感を煽る。
「これは一体……」
三人はただ呆然とその様子を見つめた。
突如、上空に王都全体を覆う程巨大な、黒く輝く魔法陣が浮かんだ。
「あれは、まさか……魔王のゆりかご―――」
ズンッ――――
「ぐっ!」
「むっ」
「うっ!」
突如、彼らの身体は重力が増したように重くなり、床に押し付けられる。
全身から力が抜けていく―――
這い蹲った床から、窓越しに見えないはずの月が見えた。
その月は手が届きそうな程、今までになく巨大だった。
低く垂れ込める暗雲を突き破り、二つ目の月が王都を押し潰さんばかりに迫っていた。
月ガ―――墜チ―――
テ―――クル――
恋愛ものの筈だったのに……何故かホラーテイスト強め?




