4ー8.妄論
2022/6/1 加筆しました。
「三百年前?」
最初は笑えない冗談だと思った。一拍置いてそれが冗談ではないと認識すると、アンバーの口から言葉が溢れ出た。
「何を馬鹿なことを!人間が三百年も生きられる筈がない。博士も兄さんもおかしくなったんじゃないか?どうしたら、そんな結論になるんだ!?」
博士も所長もアンバーの反論にどこ吹く風だ。
所長はカップに口を付け、冷めた珈琲に僅かに眉根を寄せた。
離れに使用人は常駐していない。気を利かせた誰かによって、常にカップに暖かい飲み物が満たされているということは無いのだ。
所長は部屋の隅の黒い液体の残る実験器具にチラリと視線を向け、微かに首を横に振った。
「まあ、それが普通の反応だろうな。確かに荒唐無稽な話だ。ただな、お前は、あの娘の話を覚えているか?『黒霧の災禍』、『封印の儀式』、『存在しない町』……奇妙に一致する。状況がその可能性を示唆しているのだ。どんなに荒唐無稽に思えても、可能性がある限り否定すべきではない。それが研究者としての姿勢というものだ」
所長が手に持ったカップの中身をぐるぐると回す。冷たくなった珈琲を飲むべきか飲まざるべきか逡巡しているようだ。
「なんだよ、そのこじつけ。適当に話を捏ち上げるのが研究者の仕事かよ。それじゃ、アイツが三百年前に存在して、町を、大勢の人を死に追いやったって言うのかよ。そんな馬鹿なことがあるかよ!アイツは普通の人間だぞ。三百年も生き続ける化け物なのかよ!」
アンバーは激昂し、立ち上がった。強く握った拳が小刻みに震える。
「あの……、私にも普通の女の子としか思えません。いくらお二人の説でも強引すぎるかと」
ラング事務官がアンバーに同意する。
「まあ、落ち着け。あくまで推測に過ぎん。そうとも考えられるという話だ」
所長が静かにカップをソーサーに戻した。
「そんなこと考えること自体がおかしいじゃないか!人間が三百年も生きている時点でその説は破綻しているだろ!」
「ふぉふぉふぉ、議論は大いに結構、結構。だが、冷静さを失ってはならん。ほら、小さい坊も座った、座った」
その場の雰囲気を気にせずに博士が愉しげに言葉を挟む。アンバーは博士に従い、ドスンと長椅子に腰を落とした。
「あの嬢ちゃんが、普通かどうかはいささか疑問ではあるがのう……なに、結論づけた訳では無い。あくまで仮説の一つじゃ。明らかなのは、『黒霧の発生』、『封印の儀式の失敗』、『ブラシカの壊滅』、『西ブラシカの誕生』といったところかのう……」
博士が指折り数える。
「結論づけるには、『ブラシカの壊滅』から『西ブラシカの誕生』の間に何があったかじゃ。この空白を埋める必要があるのう」
「あのう……博士、『封印の儀式の失敗』は、手記の人物の憶測に過ぎないのでは?そもそも儀式自体、実際に執り行われたのでしょうか?」
ラング事務官が怖ず怖ずと手を上げる。
「ん、そうじゃのう……封印の儀式が執り行われたのは間違いないであろう。聖職者が敢えて嘘を書く必要もないしな。また、ブラシカを壊滅させたのは“黒霧”と呼ばれる“何か”であることも間違いない。と、すればじゃ、封印の儀式は失敗したとみるのが自然じゃろうて」
「……黒霧とは、多分魔力溜まりのことでしょうね」
所長がポツリと漏らす。
「所長、魔力溜まりって、物語に出て来る魔物が生まれてくるというアレですか?そんなもの実在するんですか?」
ラング事務官の頭に子供の頃に読んだ物語の挿し絵―――黒い池から這い出る恐ろしい魔物の姿が浮かぶ。博士が質問に答えた。
「なに、魔力溜まりの存在に関しては、古き言葉で書かれた文献が残っておるぞ」
「ひええ、それこそ神話の世界だ」
果たして、旧時代―――魔法国時代の文献にどこまで信憑性があるものなのか。
「兎に角、問題はブラシカを壊滅させた黒霧が、その後どうなったか……じゃな」
「どうなったって、……消えたんじゃないですか?」
「どこに?」
「それは……自然に……」
ラング事務官は記憶を探る。
物語の中では、禍々しき魔力を勇者が聖なる剣で薙ぎ払い、賢者が魔法で浄化する。浄化の石を魔力溜まりに投げ込むというものもあったはずだ。それは魔力で魔力を相殺する行為である。
魔力が時間とともに自然と消失するなど聞いたことがない。魔鉱結晶の魔力が放置していただけで消えてしまうのであれば、魔力で成り立っているこの国は大昔に機能停止しているであろう。魔力とは使用しなければ、ずっとあり続けるものである。それがこの世界の常識だった。
現在のブラシカの地には黒霧は存在しない。当時の災厄の痕跡としては、廃墟のみだ。ブラシカの黒霧―――魔力溜まりは、誰がどうやって浄化したのか。それとも、黒霧の正体は魔力溜まりではないのか―――
「確かに自然に、……魔力が周辺に拡散されて薄まった可能性も否定できんのう。それに世間一般の常識が間違っていて、魔力とは徐々に失われていくものやもしれん。しかし、それにはどのくらいの期間が必要かのう……数年、もしかしたら数十年、或いは百年以上か……」
博士は、脚を組みゆったりと座る所長、身を乗り出しているラング事務官、不貞腐れそっぽを向くアンバーへ順に視線を巡らせ、十分に間を置いて徐に口を開いた。
「ところで、じゃ……普通、町を復興する場合、同じ場所に復興するものじゃないかね?」
博士の唐突な質問に対し、その意図を探りながら、ラング事務官が答えた。
「でも、同じ災害の危険性がある場合、意図的に別の場所に造ることも考えられるのでは?」
「それにしては、ブラシカと西ブラシカの位置が近すぎんかの?ブラシカが壊滅状態であるのに、西ブラシカの場所に何の影響もなかったのは疑問じゃ」
博士が眼鏡のレンズ越しにチラリと所長に視線を送る。
「ブラシカの主な産業は、魔鉱石の採掘だったと思われる。採掘場からはできるだけ離れたくない筈だ。本来ならば、元の場所に町を復興したいところだろう。しかし、ブラシカの地に復興したくともできない理由があった。例えば……」
「帰ることが叶わぬほどブラシカが汚染されていたのかもしれんのう。それこそ魔物が跋扈していたかもしれん。少なくとも、仮の集落が新しい町となるまでの間は黒霧の脅威は消えなかったであろう」
「それほど汚染されていたとしたら、やはり、近隣である西ブラシカの地に影響が無かったのが何故なのか気になるところだ」
博士と所長が発言し、ラング事務官の視線が二人の間を往復する。
「手記では司祭が黒霧を結界の護符で防いでいましたよね。同じようにブラシカから溢れ出ぬよう結界が張られていたのではないですか?」
「ブラシカの町と発生源である森全体を覆う巨大な結界か?それが可能であれば、封印の儀式など行わず、始めから元凶である森を結界で覆っていた筈だ。そもそも結界の術式の展開には術者が内側に居る必要がある。巨大な結界を生み出すために多くの―――数百人規模の優秀な術者が自ら犠牲になったとは考えにくい」
「では、西ブラシカの方を結界で覆ったのではないでしょうか?」
「それもないな。結界は自由に出入りができない。外部との交易が不能となる。人の出入りの度に張り直すなど現実的ではない」
「そもそも、長きにわたりそれだけの規模の結界を維持できる術者、或いは魔道具が西ブラシカにあったとも思えんしのう……」
「風向きのせいで西ブラシカに影響が無かったとか?」
「それは考え難い。滞在中の西ブラシカの風向きは―――」
「では……」
「いや、それでは……」
「しかし……であろう」
三人の様子をアンバーは冷ややかな目で見ていた。
どうしてこの人達は、全く裏付けもないのに憶測だけでここまで議論できるのだろう?
例え結論が出たとしても、それが事実なのか確認の仕様が無いではないか。
アンバーを置いてけぼりにして三者の議論は続く。
「うーむ、そうじゃな。多分、何らかの理由で、黒霧が弱まったと考えられよう。それであれば、魔鉱結晶を利用した魔力障壁でも防げるかもしれぬ。…………ふむ、前言撤回じゃ、封印の儀式は成功していたのかもしれん。手記でも簡易的な結界が効力を発揮していたようじゃしな。ブラシカに残っていたのが封じられた黒霧の残滓に過ぎないのだとしたら、………………恐ろしいことじゃ、元々の黒霧は一体どれだけの規模だったのであろうな」
博士が大きく息を吐いた。
博士の説を受け、所長が考えを巡らす。
「仮に封印が成功していたとして、その器は―――多分、人間であろう。その人物は、どうなったのか。殺されたのか?……それによって、黒霧が押さえられた?もし、封印の儀式とは、黒霧を器である人間に封じ込め、その人間を殺すことだとしたら……」
「そうであるかもしれん。しかし、それには同意し難いのう。器を壊す―――殺すということは、折角封じた黒霧を再び解放することに他ならぬ。それよりも、黒霧が災いを齎さぬようになるまで、器を替え何度も封印が繰り返されてきたとは考えられないかね」
博士がチラッと所長を見る。
「……おや、坊は納得いかんか?」
「私としては、やはり―――」
所長には、博士の説は受け入れ難いようだ。
「それにな、あの嬢ちゃんが現在の封印の器と考えれば、何も嬢ちゃんが三百年前の人間である必要はなくなる。どうじゃな、小さい坊、これで納得いくのではないかね」
博士がいきなりアンバーに話を振った。三人の議論を聞き流していたアンバーは、突然の指名に困惑した。
「は?どうしてアイツをブラシカと関連付ける必要があるんですか。そんなの馬鹿げてる」
「お前はそう言うが、関連付けない方が不自然だ」
アンバーの抗議は、直ぐさま却下された。
「仮に何代目かの封印の器だとしても、あの嬢ちゃんは危険じゃの。ブラシカに起こった悲劇が王都で再現されてしまう。さすがに田舎町とは違い、優秀な魔術師も兵士もおる。王都が壊滅するとは思えんが、それでも甚大な被害は避けられぬ。再度、封印の儀式を行うにも封じる器がないしのう……。そもそも、現代において封印の儀式が行える術者がどれほどいるかも疑問じゃ」
「多分、普通に殺すだけでは駄目なのでしょうね」
「じゃろうな。器を壊して済むくらいなら、三百年前の悲劇は起こらなかったであろう」
「殺すにも、辺境など被害の少ない場所で行う必要があると言う訳か……」
博士と所長の会話は大分物騒な方向に向かい、堪らずアンバーが声を上げた。
「おい!待てよ!何もしていないのに、これから被害があるかもしれないってだけで、アイツを殺すっていうのかよ。そんなの無茶苦茶じゃないか!」
所長は激昂するアンバーに視線を向けると、非情な一言を発した。
「私は、大勢の王都の住民の命を救うためなら、一人の娘の犠牲を選ぶよ」
「は?」
「それに、あくまで可能性の話だ。お前は、彼女がブラシカの事とは関係が無いと思っているのだろう。それならば、何も気に病むことなど無い」
所長はニッと挑発的な笑みを口の端に浮かべた。アンバーの頭に一瞬にして血が上る。
「そんな詭弁があるかよ!」
反射的に立ち上がり、所長の方へ身を乗り出すものの、両の拳をギュッと握り締め堪えた。奥歯をギリッと噛みしめる。
「先に帰る!」
アンバーは感情にまかせ、ドスドスと大きな足音を立て退室した。乱暴に閉められたドアが積み重ねられた書籍と遺物を揺らす。
「博士、礼儀がなっていない愚弟で申し訳ありません」
所長は何食わぬ顔で頭を下げた。
「全く、坊は悪い奴じゃな。小さい坊のためにもこの仮説が外れてくれることを祈るばかりじゃ。ところで―――もし、殺さねばならぬのが、坊の弟であったとしたら、坊は躊躇無く手を掛けられるのかね?」
「愚問ですね」
所長が唇の端を上げる。
「出来る訳ないじゃないですか。見知らぬ大勢の王都の住民より可愛い弟一人の命の方が大事です」
「うわあ……」
ラング事務官がドン引きした。
「まあ、坊ならそう言うと思ったよ」
「当然ですね。人間とは利己的な存在ですから。兎も角、不確かな仮説だけで動くわけにはいきませんからね。しばらくは様子見といったところでしょう」
「まあ、監視を怠らずってとこじゃな……」
この人達はどこまで本気なのだろうとラング事務官は疑問に思った。
「さて、ラング事務官、我々もそろそろお暇しようじゃないか」
博士に暇を告げると所長とラング事務官は離れを後にし、馬車置き場を横目に母屋へと向かった。
「あら、お帰りかしら?」
暁の女神も斯くあらんと見事な赤毛を靡かせ玄関ホールに女伯爵が姿を見せる。ただし、シャツにズボン姿ではあるが。
「ローズ、申し訳ないが、馬車か馬を貸して貰えないだろうか」
「それは構わないけれど……」
女伯爵が首を傾げる。
「それと珈琲を頼む」
所長は先に立ち、伯爵邸の応接室に向かう。
伯爵邸の馬車置き場には、あるはずの遺物管理所の馬車が見当たらなかった。
「あいつ、減給だな」
ラング事務官は所長の背中を追いながら、そう呟くのを聞いた。
***
芋掘り用フォークを動かすと、土の中から馬鈴薯がゴロゴロと現れた。
国教会の畑は、そろそろ収穫の終わりを迎えていた。聖職者に交じり、巫女候補達の姿が見える。
「わたくしは、巫女ですのよ。それなのに何故こんなことをしなければなりませんの?」
巫女候補のルチルレイテッドが愚痴を零した。
およそ農作業をするとは思えぬ造花が飾られた鍔広の帽子を顎の部分でリボンに結び、フリルで縁取られたスカートをたくし上げて黒色のゴム長靴を履いている。顔も手も、スカートも泥だらけだ。
彼女も国教会に身を置く上は、巫女も聖職者と同様の仕事をする必要があるのは仕方が無いことだと分かっている。しかし―――
「何故、あの男巫女は参加しませんの!不公平ですわ!」
ルチルレイテッドが芋掘り用フォークを土に刺し、力を込めて起こした。
土中から馬鈴薯がゴロゴロと現れ、透かさず黒髪の少女が拾い集める。
「あなただって、そう思うでしょ。あら、あれは……」
遠目に馬車が止まり、御者台から飛び降りる人影が見えた。オレンジに色づいた空を背景に、その人影はどんどん大きくなる。
「アンバー様だわ。やだ、わたくしったらこんな格好で」
ルチルレイテッドが慌ててたくし上げたスカートを戻し、泥を払った。
「あの……スピネルさ……ま……」
アンバーはルチルレイテッドの前を素通りすると、黒髪の少女の両肩に手を掛けた。
「ん?何?」
少女がきょとんとした顔でアンバーを見上げる。エプロンの裾を持ち、馬鈴薯を抱えている少女。その顔は泥で汚れていた。
「これのどこが危険なんだよ……」
アンバーは思わず抱き寄せようとして、エプロンの中の馬鈴薯に阻まれる。
「どうしたの?お腹すいた?芋、食べる?」
少女は抱えた収穫したばかりの馬鈴薯をアンバーに見せる。
「はぁーっ、何でそんなに暢気なんだよ」
アンバーは息を吐いてしゃがみ込んだ。
空は既に真っ赤に染まっていた。
所長は珈琲が飲みたかった。




