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魔法を喰らう獣 〜“名無し”と魔王のゆりかご〜  作者: 天乃 朔
第1章 囚われの獣

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1−3.水難

 狭く質素な部屋だった。

 部屋の中央には無骨な木製のテーブル、向かい合う形で椅子が二脚置かれている。窓から見えるのは隣の建物の煉瓦の壁で、陽の注ぐ中庭に慣れた目には薄暗く感じられた。

 淡い栗色の髪を後ろで一つにまとめた片眼鏡の事務官は、部屋に入ると戸口に番兵のように立つ神職者にちらりと目をやり、椅子に所在なげに腰掛けている少女に視線を向けた。


 ――遺物のまがい物でも売りつけにきたのでしょう。さて、どう穏便にお帰りいただきますか…


 一見優男風の事務官は、人好きのする細い垂れ目を更に細め、表面上和やかに心中で追い出す算段を始めた。


「どのような遺物をお持ち込みでしょうか?」


 貴重な時間を割かれるのだからこれくらいは許されるでしょうとばかり、柔和な表情とは裏腹に言葉に嫌みをにじませる。本来なら門前払いといきたいところだが、万が一にも貴重な遺物である場合を考え、一応は話を聞くようにとの所長命があり、おざなりにでも対応はしなければならない。


「あの…持ち込みではなく…封印の器を譲って欲しいのですが………」

「は?」


 事務官は想定外の回答につい間抜けな返答をしてしまった。


「王都には封印の器があると聞きました。災禍を封じこめるため、どうしても必要なのです」


 ゴンっ。


「お願いします。譲ってくださいっ。ただ、お金は………」


 少女は一気に捲し立て、最後はテーブルに勢いよく額を着けて懇願した。何か音がしたように思う。

 事務官は少女の予想外の行動に思わず戸口の神職者に助けを求めるような視線を送ってしまった。


 ――ラング事務官はまだお若いだけに想定外の展開に弱いですね。


 神職の目がそう笑っ――語っていた。事務官はばつが悪そうに態とらしくコホンと咳払いなどして少女に向き直った。


「さ、災禍?災禍とは何でしょうか?」


 少女は災禍を知らない者がいるのが不思議というように、長い前髪で隠された瞳をきょとんとさせて事務官を見つめた――多分。


「災禍と言っても色々ありますよね。戦争、疫病、飢饉…全て災禍です」


 そもそも、それを封印するというのはおかしな話ではあるのだが…。


「……私たちの集落で災禍といえば、黒霧の災禍のことです」

「コクム?」

「クロキリと呼ぶ人もいます」


 黒霧の災禍といえば、共通認識でしょ。という少女の物言いに反して、事務官の反応が鈍かったので言い直す。


「クロキリ?聞いたことないですね」


 黒霧の災禍――コクム、クロキリ――地域的な呼び方なのだろうか?


「全てを喰らい尽くす黒い霧です。人も動物も植物も生き物は……いえ、建物であっても跡形も無く飲み込まれてしまいます」

「黒い霧……虫、飛蝗の大量発生とか?」


 虫が大量発生すると黒い霧のように見えると聞いたことがある。


「虫……ではありません。魔素?とかものすごく濃い魔力の塊と聞いています――」


 結局、少女も黒霧が何であるのかはっきりと分かっていないようだ。少女は辺境の村とも呼べぬ小さな集落に暮らしており、その地域では黒霧と呼ばれる災害が度々発生するらしい。ほとんどの黒霧は規模が小さく、大きな被害を齎すことはあまりないが、数十年に一度の規模で発生する黒霧の災禍は、放置するには被害が大き過ぎるため、器に封印するという。

 つい最近、過去に無い規模で黒霧の災禍が発生し、通常の器では封じることができないため、それを閉じ込められる強力な古代遺物の封印具を譲って欲しいとのことだった。


 ――魔力の塊?封印の器?そんな馬鹿な話があるものか。


 田舎者にしては不作法でもないし、会話もしっかりしている。まともそうに見えたのに、結局与太話に付き合わされてしまった。いくら辺境での出来事とはいえ、そのような災害があることは初耳であり、作り事としか思えない。


 ――おとぎ話なら余所でやってくれ。


「そのような黒霧の災禍やましてやそれを封じる遺物など聞いたこともありません。残念ですがお力にはなれないようです。他を当たってください」

「………お、お願いします。もう他にあてはないんです」


 少女は椅子を蹴り飛ばす勢いで跪くと床に額を着け、いわゆる土下座で懇願する。その勢いに事務官は数歩後退り、戸口に立つ神職の姿を視界に捉えた。

 幼気な少女に土下座せさるなど端からどう見えるだろう。神職の視線が痛い。


「所長様にお話を伺ってみてはいかがでしょう」


 それまで傍観者に徹していた神職がにっこり笑って口を開いた。


「えっ、所長に伺いを立てろと?」

「部外者が差し出がましいですが、所長様は彼女のお話に興味をもたれるかもしれません」


 少女は前髪の向こうから神職をまるで救いの神を見るような瞳で見上げている――多分。

 遺物管理所と国教会は別組織である。部外者に意見されるなど腹立たしいがが、青年事務官はこの女性神職者が苦手だった。年齢不詳、若くも見えるし、年配者にも見える。以前、うっかり年齢を尋ねたら、「女性に年齢を聞くものではありません」と軽く部屋の端から端まで魔力でぶっとばされた。ここのような狭い部屋では無く、そこそこ広さのある部屋で、である。壁にぶつからなければ、もっと飛ばされていたに違いない。


 ――結構年増とみた。


 心の声が聞こえたのか神職がジロリと睨んだ。そもそも彼女は何故、立哨のごとくこの場に立ち会っているのだ?


「…しょ、コホン。所長は今遺物調査のため不在です。あと数日は帰所の予定はありません。回答を言付かっておきますので、十日後に再度お越しください」

「十日後…」


 事務官に促され、少女はよろよろと立ち上がり、大きく開かれたドアから明るい中庭へ――


 バシャーン。


 神職者と事務官はゆっくりと振り向いた。

 そこには頭から水を滴らせた少女が立ち尽くしていた。


     ***


 青銅(ブロンズ)の魔物の口から止めず水が吐き出される。中庭の奥手には魔物の頭部を模した吐水口が三つ並び、真ん中の魔物に比べ両脇はすこし小ぶりで低い位置にある。吐水口の下は水を汲めるよう桶が設置され、溢れた水は中庭の中央に位置する長方形の池に流れ込む。

 睡蓮の花に彩られた水面の一部がふるふると震え、ゆっくりと水が盛り上がると蛇のように鎌首をもたげた。そして蜷局を巻くように空中にくるりと丸まり、水の球となって宙にふよふよと浮かんでいる。

 まだ幼い少年――レビは手摺の桟の隙間から右手を突き出し、人差し指一本で細やかに水を操る。ちらりと小部屋の扉へ視線を移し、まだ使用者が出てこないとみると。さらに池から水を供給し、水の珠を成長させていった。


 ――おいおい、早く出てこないと被害が大きくなるぞ。


 アンバーはそんなレビを横目にこれから水難に遭う者をおざなりに哀れんだ。水球は毛刈り前の羊のように成長し、扉の前で被害者を待ちわびている。


 カチャ。


 漸く扉が開くと、レビは絶妙な力――被害者を確実にずぶ濡れに、かつ水圧で怪我をさせない程度に水球を静かに押し出した。その魔力の制御力にはアンバーも舌を巻く。

 まずは神職者と事務官の姿が現れる。二人は背後を気にしている様子で、水球に気付くのが遅れた。気づいた時には既に水球が目前に迫っており、彼らは咄嗟に魔法の盾を展開し、自身を守る。


 バッシャーン。


 ――ゾワッ


 アンバーの背筋を得体の知れない感覚が走る。

 水球は障壁を避け、唯一未防備な少女を襲った。

 神職者と事務官は罪悪感を顔に貼り付けゆっくりと振り返る。

 ――自分たちだけ逃げた。大人達は無事で幼気な少女が犠牲になった。


「こらっ、レビっ」


 神職者はすぐにレビを叱りつけ、レビは脱兎のごとくその場から逃げ出す。

 事務官の恨みがましい瞳が何故止めてくれなかったと、その場に残されたアンバーに向けられる。


 ――今のは何だ?一瞬水球が…見間違いか…?


 少女の長い黒髪からは、水が滴り落ち続け――

 アンバーは静かにその場を後にした。


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