4ー1.恋せよ乙女
巫女候補のルチルレイテッドは焦っていた。
周囲からは巫女と呼ばれているが、彼女はまだ、正式には巫女ではない。月での儀式を経て初めて正式な巫女になるのだが、”巫女送り”の儀式が中断されてから、未だ儀式は再開されていないのだ。それどころか、新たな巫女候補がぽつぽつと加わり、宿舎が埋まってゆく。
「一体いつになったら正式な巫女として月に行けるのよ。まさか、わたくしもあの娘達とまとめて一緒に月に送られるわけじゃないわよね。このままじゃ、直ぐに冬が来て、一年経ってしまうわ」
以前は年に二度行われていた”巫女送り”もここ数年は魔力の高い巫女候補が集まらないため、年に一度しか行われていない。今年は既に三人の巫女が月に送られているので、今年分の”巫女送り”は終えたものとされているのかもしれない。
「ああ、こうしている間にも優良物件に買い手がついているかも知れないわ。先に月に送られたあの娘、子爵だかの妾腹らしいけど、結構可愛かったわ。勿論、わたくしには、劣りますけど。でも、将来有望な騎士様があの娘と既成事実なんて作られたら、後から月に降り立つ美しいわたくしと出会って恋に落ちても、悲劇的な結末しか生まれないじゃないの!ああ、何て可哀想な騎士様とわたくし……」
巫女候補に与えられた簡素であった部屋の中をぐるぐると回り、ルチルレイテッドはレースで飾られたピンク色の寝台に突っ伏した。彼女の頭の中では、有りもしない悲恋の物語が繰り広げられている。
「もうっ、このままじゃ、いつまで経ってもわたくしの騎士様に出会えないじゃないの……」
ルチルレイテッドの思考はいつの間にか父親との約束の場面に飛んでいた。
ルチルレイテッドは男爵令嬢である。
彼女の父親はアゲート商会を主宰する商人で、爵位も妻も金で買ったとの専らの噂であった。実は、アゲート夫妻は大恋愛の末の結婚であるのだが、それを知る者は少ない。一人娘であるルチルレイテッドは彼らの愛情を一身に受け、何不自由なく育った。そのためか、少し我が儘に育ってしまったようだ。
ある日、父親は商会に勤める優秀な若者を見込んで婿養子として迎える旨を娘に伝えた。が、当然娘はそれに反発した。
「わたくし、こんな細目で笑顔の胡散臭い男は願い下げですわ」
ルチルレイテッドが使用人の男を指さして言った。
「えっ、本人が居る前でソレを言う……?」
その若者の顔立ちは比較的整っていたが、狐顔で目が細く、笑うと目が線状になった。
「商人なら営業用の胡散臭い笑顔は当たり前じゃないか。娘は親の決めた男と添い遂げるのが幸せなのだよ」
父親は若者の胡散臭い笑顔を認めた。
その横で、母親が紅茶のカップを優雅に口に運ぶ。
「ご自分は恋愛結婚をしておいて、よくもまあそんな事が言えますわね!あんな男を押しつけようとするなんて、どうせ、お父様は商売のことしか考えていないのでしょう。わたくしが可愛くないんだわ」
ルチルレイテッドがよよよと態とらしく目を伏せた。
「大根ね」
「大根役者だわ」
母親と女中がルチルレイテッドの演技を酷評する。
「ああ、ルチル、お前が可愛くないなんてこと、あるわけないじゃないか。こんなに美しく、可愛らしい娘が二人といるわけがない」
父親はオロオロと娘のご機嫌をとる。
「あら、引っかかるお間抜けさんがいたわ」
「百戦錬磨の旦那様も奥様とお嬢様にはからっきしですね」
女中が空になったカップに紅茶を注いだ。傍らでは父と娘の会話が続く。
「わたくしが美しく、可愛らしい?当然ですわね」
「こんなにも可愛い娘だからこそ、心配なのだよ。どこの馬の骨とも分からん男に騙されるのではないかと……」
「は?わたくしが騙される?」
鼻高々に扇を仰いでいたルチルレイテッドの手が止まった。
「そうだぞ、お前のような世間知らずの我が儘娘が、どこぞの輩に良いように弄ばれて捨てられてしまっては……だからワシの見込んだ信頼のおける相手とだな」
「はああああ!?私が世間知らずの我が儘娘?捨てられるですって!?その発言、お父様でも許せませんわ!」
父親の口からつい本音が漏れた。今更口を押さえたところで遅い。
「うちの娘、ちょっと沸点低くないかしら?」
「ちょっとどころか”かなり”です。奥様」
「淑女としては如何なものかしらね?」
「そうですね。もう少し猫を育てた方がよろしいかと……」
「そう?あら、このクッキーおいしい」
長閑なお茶会の横で、さらに父娘の喧嘩の華が咲く。
「お父様の子飼いなんて真っ平御免ですわ。御覧になっていて! わたくしが立派なお相手を連れてきて見せますわ。そうですわ、騎士様なんて素敵ですわね」
ルチルレイテッドがうっとりと宙を見つめる。この国の騎士といえば、第一師団に所属する王家の近衛を務めるエリート中のエリートである。容姿で叙任されているとの噂があるほど皆見目麗しく、女性や子供達の憧憬を集めている。
「お前のようなじゃじゃ馬を好いてくれるような騎士がいるものか。そもそも騎士と出会う場がないだろうに……」
この娘は舞踏会で王族を警護している騎士に色目でも使う気なのか?
それ以前に王族が出席するような舞踏会へ下級貴族が参加することすら難しいだろう。
「あら、これですわ」
ルチルレイテッドがテーブルの上にあった新聞をさっと広げた。
「わたくし、巫女になります。巫女になって月で素敵な騎士様を捕まえて、お父様を見返してやりますわ」
そこには巫女募集の記事が掲載されていた。
「は!?お前が」「あなたが」「お嬢様が巫女!?」
「「「無理、無理、無理」」」
その場にいた者が一斉に首を横に振った。どうみてもルチルレイテッドは、おとなしく祈りを捧げる巫女なんて柄じゃない。
「もぉ、皆して何ですの!見てらしゃい! 素敵な騎士様を捕まえて見せますわ!」
目的がどこまでも不純だった。
「お前のような娘に騎士が捕まるものか。良いだろう、巫女の務めを終えて戻った時に騎士を捕まえていなかったら、ワシの選んだこの男と結婚しろ」
「ふん、その勝負、買わせていただきますわ」
「どうせ、巫女になれずに門前払いされて帰ってくるさ」
父親は巫女の条件がゆるゆるになっていることを知らなかった。
「わーはっははは」
「おーほほっほほ」
父と娘の高笑いが建物内に響く。
「あのー……ワタシの意見も聞いて欲しいんですけどね……」
狐顔で糸目の男が呟いた。
***
上衣を脱ぐとムワッと身体から熱が発散された。
汗を流していた男達が次々と上半身裸となり、汗臭さと熱が辺りを漂う。訓練場の人いきれにアンバーは不思議と安心感を覚えた。
流れ落ちる汗がスッと砂地に吸い込まれていく。
「なあ、アンバー、お前いつまでブラブラしてるつもりだ。いくら隊長のお気に入りでも流石に席が無くなるぞ」
汗を滴らせた若者が数人、近づいてくる。何れも筋肉質の引き締まった体躯をしている。
「お気に入りって何だよ」
「いやあ、愛されちゃってるよなあ。モテる男は辛いねぇ」
一人の若者がニヤニヤと意味深な笑みを浮かべた。
「どうせコイツのことだ、偉っそうに選り好みしてるんだろ。サッサとその辺の有力者に尻尾振っとけよ」
「そんなんじゃねえよ」
悪友達の言葉にアンバーがムッとした表情を見せる。
彼らはアンバーの士官学校時代の同期達である。今は近衛師団こと第一師団に所属し、王家の地上の城である地宮の警備にあたっている。二つ目の月にある月宮を警備するのが月の騎士ならば、こちらは言わば地の騎士だ。騎士は容姿で選ばれるとの噂の通り美丈夫揃いである。式典の時など、月の騎士は白地に金糸の刺繍、地の騎士は黒地に銀糸の刺繍の豪奢な礼服を纏いそれは華やかで、女性達の黄色い声が絶えない。
アンバーも騎士としての将来を嘱望されていたのだ。もし、魔物筋の先祖返りでなければ、或いは主選びが順調に行っていれば―――
「しっかしお前、俺たちと暢気に訓練なんてしてて良いのかよ。どっかの有力貴族の令嬢と逢い引きでもして、サッサとお前の主様になって貰った方がいいんじゃないか?」
「非番だと言うのにこんなところで剣を振ってる奴らに言われたくないな」
元々彼らが非番ということで、久々に剣を交えたのだ。自分のことを棚に上げて何を況んやというところである。
「そう思うだろ。ふふん、それがそうじゃないんだな。なんとアインの奴、新入りの巫女さんといい感じなんだぜ」
「なにっ!アイン、お前いつの間に!」
「ずりいぞ、抜け駆けか!」
先に反応したのは他の騎士達だった。アインと呼ばれる騎士に詰め寄る。
「アインは地の騎士で月の騎士じゃ無いだろ。月にいる巫女とどこで知りあったんだ?」
その様子を横目にアンバーが疑問を呈する。
「俺たち、この間の“巫女送り”の儀式の時、王族のお供で月にいたんだよ。その時、アインの奴、新入りのカワイイ巫女さんに一目惚れってワケだ。はぁーっ、上手くやりやがったよな」
「そうは言うけどサ、たまにしか会えないし、先輩騎士の当たりが強い、強い」
騎士達に揉みくちゃにされながら、口にした言葉は単なる惚気だった。一応、困り顔を作っているものの、口元の笑みが隠しきれていない。
「けっ!彼女がいるだけいいじゃねえか」
「そういうツヴァイだって、あの女官とは……ああ、振られたんだっけ……」
「グサッ!」
ツヴァイと呼ばれた騎士が胸を押さえる素振り見せた。
「何だ。ツヴァイやっぱりお前は、暇じゃないか」
「出会いが無いんだよ。出会いが!騎士ってモテるんじゃなかったのかよ」
ツヴァイの言動はアンバーの良く知る誰かを彷彿とさせた。憧れの騎士様も実態はこんなものである。
「多分、お前に問題があるんだと思うぞ」
「ちぇっ、そう言うアンバー、お前はどうなんだよ。浮いた話は無いのかよ。気になってる女の一人や二人いるんだろ?ほら、その娘のことを思うとドキドキするとかさ」
「気になる……女?」
アンバーの脳裏に黒髪の少女の姿が浮かぶ。
彼女の記憶といえば、いつも戦いの場面だ。
「……ドキドキ……するかも知れない…………」
それはそうだ。
あの時も、あの時だって、魔獣から命を救われているのだ。当然だろう。
「何だとーっ!」
「えーっ、いるのかよ。」
「嘘だろ、難攻不落のアンバーが遂に陥落かよ」
「どんな女だ?美人か?」
むくつけき男達の標的が一瞬でアンバーに変わった。
「いや、世間で言う美人では無いな……」
「あー、女神の色って奴か?あんなの有り難がっているのは年寄りだけだろ。金髪碧眼でも司書のババアみたいのは御免だね。あれ、美人かぁ?」
「しっ!ツヴァイ、発言には気をつけた方が良い。何処から耳に入るか分からないよ」
「ふふん、女性をババア呼ばわりはいけないな。だから君は振られるんだよ」
「何だよ。地味に俺の心を抉るなよ」
自分が発した言葉が返って来て、再びツヴァイの心に傷を負わせた。
「それより、アンバー。その彼女とは何処まで行ってるんだよ」
「え、ああ、この間あいつの故郷へ……」
結局、故郷の村には辿り着けなかったのではあるが―――
「なっ!そこまで話が進んでいるのかよ!魔物筋は相手に対する執着と行動が凄いとは聞いていたが……」
「女嫌いのアンバーがまさかオレより早く……」
「ん?何の話だよ」
この間の遠征が何だと言うのだ?
盗賊に襲われたりと、同期達に比べ実践経験は積んだかも知れないが、羨ましがられるようなことではない。どちらかと言えば、経験したくないことだ。
「その彼女と将来の約束をしてるんだろ」
「は?」
アンバーはここで漸く話が噛み合っていない事に気づいた。
「お前らが思っているような関係じゃないぞ。あいつとは何でも無い」
どちらかと言えば……戦友?だろうか。いや、それとも……
「まさか、まだ想いを伝えていないのかよ!」
「だから、そんなんじゃないって!」
この感情を一体何と表現したものか。
アンバーの思考がグルグルと回る。
「彼女のことを思うとドキドキするんだろ」
「ああ」
「彼女を護りたいと思っているんだろ」
「ああ」
「それなのに恋愛感情では無いって言うのかよ」
「ああ」
うまく機能しない頭で機械的に答えていく。
「じゃあ、彼女のことを正直どう思っているんだよ」
「喰いたい……」
――しまっ……
ポロッと言葉が溢れた。慌てて口を閉じるが、もう遅い。
「おいっ!アンバー、無理矢理とかは駄目だぞ!犯罪だからな」
「お前達、一体何言っているんだ?」
「お前は、その彼女が好きなんだろ?」
「は?好き?俺があいつを?……好き……?……違う、ただあいつを守りたいと……いや、違わない?」
口を押さえ、俯いたアンバーの顔が耳まで赤く染まった。
「おいおい、何だよ、乙女かよ」
***
アウイン隊長の使いで遺物管理所を訪れたラズは、帰り掛けに新入りの巫女候補達を見つけ、その姿を目で追った。
「新しい巫女様かあ……」
――『では、何処かの商家に婿入りする他ないのう……』
頭の中で老侯爵の言葉が蘇る。あの中に商家の跡取り娘はいるだろうか?そして奇跡的に自分を好いてくれないだろうか。
「そんな都合のいい話がある訳ないか……」
ゴンッ。
巫女候補に気を取られ、柱にぶつかった。
「痛ってぇ……ん?」
「―――巫女――と―――」
ブツブツと声が聞こえ柱の陰から覗くと、一人の巫女候補の姿がある。
「月に滞在できるのは、短くて一年、長くて三年。つまり、お父様から戴いた猶予は最大三年……ちょっと待って!今、こうしている時間も巫女の期限に含まれているなんてことは無いわよね?……そうよ、いざとなれば修道女っぽいのになるという手も……あー駄目だわ、わたくし、聖職者って柄じゃないのよね」
金の美しい髪がサラサラと揺れる。巫女候補、ルチルレイテッドが独り言を呟きながら廊下をウロウロしていた。
「あー、あの巫女様か、相変わらず綺麗だな。……そういや、あの巫女様の父親は商会主だったっけ………………まあ、貴族令嬢だし、俺には関係ねーな」
「―――アンバー様に―――」
その場を立ち去ろうと踵を返したラズは、馴染みの名前に足を止め、耳を攲てた。
「婿候補筆頭のアンバー様は暫くお出掛けで、漸くお戻りかと思ったら、お忙しいのか中々お目にかかれないし……。他に有望株は……教会関係者は論外ね。お爺ちゃんか、顔が綺麗なだけの中身の無い男巫女候補だけですもの。……そうね、遺物管理所の方なんてどうかしら、所長様も独身よね。……って、あの方、アンバー様以上にお姿をお見かけしないんですけど……他にめぼしい方は……王都師団の方が偶に見えられるわね。素敵な方がいらっしゃったけれど……」
ラズの耳が一言も聞き漏らすまいと大きくなる。
「でも、やっぱり狙うなら近衛師団の騎士様よね。ああ、こうしている時間も惜しいわ。どこかに素敵な騎士様が落ちていないかしら……」
……。
「……あー、例え、庶民だったとしてもアレだけはないわ」
ラズは柱の陰でそう呟いた。




