3ー7.女神の天秤
二羽の輝く鳥が空に溶けていく。
鳥を象った二羽の伝令は、副長の手の中から断崖絶壁の向こうへ飛び立って行った。
「伝令は王都と一番近い辺境師団の駐屯地に飛ばしました。ここから一番近い町はホーン領都ですが、領都の役人は信用なりませんからね」
「これだけの盗賊団が全くの野放しだったんだ。憲兵が知らないとは思えないしな」
「憲兵と盗賊団がグルってか」
副長の言葉に隊長とカンクリが同意した。カンクリの腕まくりした袖口から水がポタポタと滴り落ちる。それを横目に副長が口を開いた。
「それどころか、領主が背後に居るとみて間違いないでしょう。軍に盗賊団の情報が全く上がってきていない時点でおかしな話ですから」
「ホーン領の領主といえば、あの公爵か……」
所長が腕を組み、目を閉じる。
この国の政治は大きく王家支持派、国教会支持派、中立派の三つの派閥に分かれる。その三大派閥の一つ、王家支持派の筆頭家が、魔鉱石の鉱山という潤沢な資金源を持つホーン公爵家である。代々王家を支える忠臣であったが、世代交代を経るにつれ、不遜な態度が目立つようになり、現公爵は王をも凌ぐ権力を持つと自任している。所長に言わせれば、不敬の輩である。最近も不可侵の聖域に邸宅を建て問題になったばかりだ。
「しかしなあ、昨日今日できた盗賊団とは思えねえし、少なからず被害者がいた筈だろ、完全に隠し通すのは無理じゃねーか?」
カンクリが上着の裾を絞ると地面に黒い染みが生じた。
「被害届が出ないように被害者は谷底に落として口封じ、行方を捜索されれば事故扱ってとこかな?」
「または、おざなりに小規模な盗賊の討伐でお茶を濁していたのでしょうね」
「流石にこれで、御領主様も年貢の納め時ってか」
「さあ、それはどうでしょうか……ところでカンクリ、貴方は何故ずぶ濡れなのでしょうか?」
副長は先程から気になっている事を問うた。視線の先にはズボンの裾をまくり上げ、腕捲りしたびしょ濡れのカンクリの姿。
「おう、大浴場があったんでな。カルシラと風呂掃除だ」
「……そうですか」
鉱山跡は盗賊団のアジトとして使用されていた。騎獣の獣舎が増設されたぐらいで、元々鉱夫達が使用していた施設をほぼ流用したものだ。そこに大浴場もあったのだろう。
「それじゃあ、俺達は俺達の出来ることをしようじゃないか。ネフェリンが死なない程度に回復魔法を掛けてくれたことだし、事情聴取といくか。所長は風呂にでも入って休んでくれ。ここからは俺達の仕事だからな」
廃坑の一部を留置所として使用しており、回復魔法で死に損なった盗賊達の呻き声が反響している。
「しっかし、女神の天秤は恐ろしいな……」
盗賊達の様子を思い出し、カンクリが身震いする。
「カンクリ、あなたは……」
「いや、ノゼアン、俺はネフェリンがどうだとか言ってないぞ」
カンクリは副長の機嫌を損ねたかと思い、慌てて否定する。
副長はカンクリの頭から脛まで視線を這わせ―――
「いえ、何でもありません」
「お、おう、そうか……」
頭部は寂々なのに脛は茫々なんですね。とは流石に口にできない副長だった。
***
血と土埃に汚れた三人と一頭が草臥れた様子で地面に座り込んでいた。血の汚れは既に茶色く変色している。そこに人影が差し、彼らは反射的にサッと立ち上がった。
「あら、ラズ、いい男になったじゃない」
ネフェリンのからかいを含んだ言葉にラズが唇を尖らす。その左頬は紫色に変色し、大きく腫れ上がっていた。
「回復魔法を掛けてやろうか?」
「い、いや、こんな傷、ほっとけば治るから。ほら、姐さんは、死に損ないの盗賊に回復魔法の連発で疲れているだろうし、無理しなくていいから!」
「全く、そんなに顔を腫らして何言ってんだか」
回復魔法は、被術者の持つ自然治癒力を強制的に早める魔法である。そのためなのか被術者の負担が大きく、反動で倦怠感、頭痛、吐き気などは当たり前、命の危機に瀕した怪我に使用すると体力の無い者は逆に命を落とすという本末転倒な魔法でもある。
別名、命の前借り、または女神の天秤と呼ばれる。もちろんこの女神とは死神である。
「その程度の怪我であれば大した反動はないわよ。ほら、アンバーも獣傷はちゃんと治しておかないと後が怖いわよ。大丈夫、大して苦しまないって」
「やっぱり、苦しむんだ……」
ネフェリンの笑顔が怖い。
「多少辛くても後々のことを考えたら、傷は魔法で治しておきなさい。傷による高熱なんかでこの後の行程に影響がでるよりいいでしょ。て、ことで強制回復魔法ね」
「げっ!」
ネフェリンは目立った怪我のみを回復魔法で治した。多くの瀕死の盗賊達に回復魔法を掛け、魔力が底を突きかけていたため、正直、全てを治癒させるだけの力は残っていない。
――可愛い子供達のためには、多少の無理はしないとね。
アンバーの傷は見る見る塞がり、ラズの顔の腫れも引いていく。
「?*&%$#“!」
ラズは地面を転がりながら苦痛に悶える。
アンバーは顔を歪ませながら気合いと根性で耐えた。
少女は大きな怪我が無かったので回復魔法を逃れた。
獅子栗鼠はサッサとこの場から逃げた。
「ラズは大げさねぇ」
「……俺は回復魔法アレルギーなのっ!」
今、盗賊達は廃鉱の坑道の一角を留置所代わりにして放り込まれている。死に損なった盗賊達は女神の天秤に掛けられて藻掻き苦しんでいることだろう。ネフェリン曰く、「死なない程度の最低限の回復に止めた」とのことである。今なら盗賊達の自供が進むかも知れない。
――絶対、拷問魔法の間違いだろ。
勿論口には出さず、ラズは地面をのたうち回った。
ネフェリンがラズの瞳を覗き込む。その奥底にはまだ虚ろが残っているようだが、これだけ苦しんでいれば、余計なことを考える余裕もないだろう。
「……まあ、何れ自分で決着を付ける他ないんだけどね」
「ん?」
ネフェリンの呟きに少女が首を傾げ見上げると、ネフェリンはふふっと笑みを零し、口を開いた。
「それにしても酷い格好ね。さあ、ディー、さっさと入浴して着替えるわよ。大浴場が使用可能なのよ。もちろん、女性陣が一番湯ね」
盗賊が廃鉱山をアジトとして使用していたため、一部の施設の使用が可能だった。坑夫と盗賊達の汗を流していた大浴場は、カルシラの水魔法とカンクリの筋力で清掃され、ラズの燐寸魔法も火種として貢献し、なみなみとお湯が張られている。
「さあ、ディー、行くわよ」
どこからか獅子栗鼠が現れ、女性達と一緒にしれっとして浴場に向かう。血で汚れているが傷は既に癒えているようだ。
「おい……待て!シシィ、お前はメスなのか?」
這いずりながらラズが獅子栗鼠の股をのぞき込むと後ろ足で蹴られた。
「ぐぇ!」
「おい、ラズ、無事か?そもそも魔獣にオスメスがあるのか?…………で、どっちだった?」
倦怠感に襲われながらもアンバーが尋ねる。
「わからん……」
二人と一頭の姿は浴場の方向へ消えていった。
結局、獅子栗鼠の雌雄は謎のまま―――




