3ー1.鈍機翁
パシャッ。
水飛沫がキラキラと陽光に煌めき、しなやかな肢体を濡らす。
パシャッ、パシャッ。
水の粒子が激しく踊る。
広場の中央には馬のための水飲み場があり、四方の吐水口から常時水が流れ出ている。
パシャッ、パシャッ。
水で満たされた馬桶の水面が激しく乱れる。
黒髪の少女が愛おしげに目を細めた。
「ふふっ、可愛い。妖精さんみたい」
『いやいやいや、それは無い!』
少女の言葉に透かさず遺物管理所の調査隊一行が突っ込んだ。彼らの視線の先では獅子栗鼠が水を跳ね上げ遊んでいる。
パシャッ、パシャッ、パシャッ、パシャッ、バシャーン!
獅子栗鼠が前足を勢いよく水面に叩きつけ、盛大に水飛沫が上がる。
「妖精……?恐怖の使いの間違いだろ」
「えーっ、あんなに可愛いのに」
主人の欲目であろう。少女は皆の評価に不満を漏らす。
タッタッタ……
ずぶ濡れになった獅子栗鼠は軽快に調査隊に近づくと、ラズの目の前で立ち止まった。
ブルブルブルブル……
獅子栗鼠が身体を勢い良く震わせる。
「ワッ、冷てえ!コイツ!」
頭から水を滴らせたラズが抗議の声を上げるが、獅子栗鼠は知らん顔である。そして当然、ラズ以外は魔法障壁を展開し、被害を被っていないのであった。
「長閑だねえ」
「ああ、長閑だ」
ピーヒョロー……
鳶が空を旋回する―――。
遺物管理所の野外調査隊一行は王都の衛星都市の一つ、通称“神都”で足止めを食っていた。
“神都”は、国教の総本山である。元々は土着の宗教の聖地であり、国教と融合し現在の“神都”となったと伝えられているが、乗っ取ったと言うのがより正確であろう。
その“神都”の国教会前広場で調査隊一行は手持ち無沙汰に屯していた。水場では再び獅子栗鼠が水を跳ね上げて遊んでいる。
「合流の場所はここで間違い無いですよね」
「教会側からこの場所を指定して来たんだ、間違いはないよ」
「まさか時間どころか日にちを間違えているとか無いよな?」
所長、隊長、副長の調査隊首脳陣が、本日何度目かの同じ内容の会話を繰り返す。教会側の同行者がこの場で合流する筈なのだが、約束の時間を過ぎても姿を現さない。王都を出立したのは早朝というのに、既に太陽は南中に掛かりつつあった。
「もう、放っといて先に進もうぜ」
「そういう訳にも行かないのですよ」
痺れを切らしたカンクリが声を上げ、副長が宥める。これも今日、何度も繰り返された遣り取りだ。
「しかし、教会の奴らどころか、他の馬や馬車の姿もずーっと見てねえぞ」
不思議なことに調査隊が到着してから今まで広場には、偶に人の姿は見られるものの、馬車や馬の姿は全く現れない。
「あら、あれは?」
ネフェリンが指さした方角から土煙が猛スピードで近づいてくる。
キィーッ!
箱型の自動車が土埃を上げ、調査隊の前で急停止した。黒の三つ揃いに帽子、白い手袋の運転手が運転席から降り、後部座席のドアを恭しく開く。自動車の後部座席から銀色の脚がニュッと伸び、銀色の塊が見えた。
「俺、寝ぼけているのかな?おかしな物が見えるんだが……」
ラズが目を擦りつつ言う。
「ああ、貴族の屋敷に飾られているというアレだね」
「あれ、ホントに着て動けんだ……」
「本当に人か?ゴーレムじゃねえの?」
最新鋭の自動車から現れたのは、旧時代の甲冑である。調査隊一行はざわついた。
後部座席の薄闇の中に甲冑の頭部が見える。その顔部分は面頬が上げられており、痩せたカイゼル髭の老人の顔が覗いている。どうやら、無生物では無いようだ。甲冑が自動車から降りようとして―――
ゴンッ。
ガシャン。
『あっ!』
甲冑が頭部をドアフレームにぶつけ、仰け反った。頭に上げられていた面頬が落ち顔を隠す。
「やっぱり、ゴーレムかもしれないな」
「亡霊かもよ。萎びたジジイのね」
「えっ、こんな真っ昼間からでるのかよ」
甲冑の耳には入らぬよう小声でごにょごにょと会話する。
「こりゃ!お前ら、ごちゃごちゃと五月蠅いぞ!」
甲冑が怒った。一行は慌てて口を噤む。
自動車のもう一方の後部座席のドアから、太鼓腹の男が降りてきて、ふうふう言いながら甲冑の横に並んだ。
「これは、クリソコーラ侯爵、ロック卿、まさか侯爵自らこの場においでになるとは、調査隊に参加される方のお見送りでしょうか?」
所長が甲冑とそのお供を和やかに出迎える。あれは面倒臭がっているなと、アンバーはその心内を読んだ。身内ならでは、である。
「何を言っておる!わしと甥のサンチョが同行するにきまっておろう!」
「えっ!」
老侯爵の甥であるサンチョことロック卿が今初めて聞いたとばかり、驚きの声を上げた。実際、この場で初めて聞いたのであるが―――
クリソコーラ侯爵、齢七十にして現役の侯爵である。いつまでも爵位にしがみ付く往生際の悪い老人と世間では評されている。一人娘が嫁ぎ、直系の後継者がいないことから、甥のロック卿が後継者として自ら吹聴して回っているが、彼は次期侯爵の威光を傘に威張り腐った厭な奴との専らの評判である。しかし、五十代となった今でも爵位を譲られる気配は無い。とにかく、ロック卿は老侯爵のご機嫌を損ねることが無いよう、ご機嫌伺いに必死なのだ。
「ちょ、ちょっと、待ってください。伯父さん。私はそんな話は聞いてませんよ」
「何だと、ちゃんと準備しろと言ったでは無いか!」
「それは、伯父さんのために用意したのであって、私が同行するとは一言も……」
「何だと!この老体に一人で行けというのかっ!」
「いえ……」
伯父を怒らせて、侯爵位を継ぐことができなければ、大変なことになるのだ。何れ侯爵となることを前提に方々に借金をしている。勿論、伯父の侯爵には内緒である。
「……この老いぼれ、サッサとくたばりやがれ」
「何だと?」
「い、いえ、何も……」
心の声が漏れていた。
「おい、甥も一緒かよ……」
「ねえ、それ、駄洒落?」
カンクリの言葉にカルシラが突っ込む。調査隊の面々は、老侯爵と甥、彼らが喜劇役者の間違いではないのかと思いつつ眺めていた。
「それで、その……自動車で同行されるのでしょうか」
所長が老侯爵に尋ねる。他にも聞きたいことがあったが、甲冑とか、甲冑とか、甲冑とか―――しかし、何故かそれには触れてはいけない気がした。
「そのつもりだが、何か問題があるかね?」
老侯爵ではなく、胸を張りロック卿が回答する。
王都近郊や貴族の避暑地であれば、道も整備されており、燃料も手に入れられる。しかし、これから向かう先は地図にも載っていないような田舎の村、自動車の燃料確保どころか、馬車でさえまともに通れる道があるかも分からないのだ。老侯爵の機嫌を損ねぬよう事情を話すが、またもやロック卿が口を開く。
「構わん。私の車は最先端を行く、高級車だ。そんじょそこらの車と一緒にするな。それに燃料も携行しておる」
「えー大丈夫かよ」
ロック卿が調査隊を睨みつけ、カルシラが態とらしくラズに視線を向ける。ロック卿の視線がラズに移る。
「い、いや、俺何も言ってないって」
慌てて首を振り否定する。とんだ濡れ衣である。
自動車は最近普及し始め、まだまだ性能に疑問が残る。軍用車でも無い限り、悪路で立ち往生するのは目に見えていた。それに燃料を携行する手段にも不安が残る。
「案ずるでない。馬車も用意してある。自動車で無理になれば馬車か馬に乗り換えれば良いのだ。おい、サンチョ、馬車はどうした」
「もちろん、手配しています。遅いですね。あ、来た来た」
「何、あのデコ馬車」
「……カボチャの馬車?」
金箔にゴテゴテした装飾の派手な四輪馬車が三台ほど広場に姿を見せ、調査隊と離れた位置に停車すると執事やメイドなどお仕着せの使用人がぞろぞろと降りてくる。
「あの……皆さん同行されるのでしょうか……」
「当然だ。旅先で伯父さんに不自由させたくないからな」
ロック卿が胸を張ると言うより腹を突き出し、踏ん反り返る。
「別荘に避暑にでも行くのかよ」
「絶対野営する気ないよな、アレ」
調査隊がヒソヒソと会話する横で、御者と思われる男が近づいてくる。舞踏会にでも行くような金糸や銀糸で刺繍された煌びやかな上着に白い長靴下、袖からはフリルが覗き、毛先がカールした白い鬘に羽飾りの付いた三角帽子。
「あ、童話の挿絵であんなの見た……」
少女がポツリと漏らす。挿絵ではカエルと魚があんな姿だった。
「ご報告申し上げます。」
男が帽子を取り、ロック卿に頭を下げた。
「何故か馬に落ち着きが無く、宥めつつここまできましたが、これ以上この場に近づくことができず……」
「あっ!」
調査隊一行は漏れた声を隠すように手で口を覆う。そして、機械人形のようにゆっくりと視線を原因と思われるもの―――獅子栗鼠に向けた。水遊びに飽きた獅子栗鼠は丸くなって眠っている。
「管理所の馬たちが魔獣に慣れたのですっかり忘れてたな。そうだよな、普通、馬って魔獣を怖がるんだったよな……」
「道理で広場に馬が来ない訳だよ」
「悪魔が水撒き散らして暴れてたもんな」
「シシィは悪魔じゃなくて天使」
獅子栗鼠の気配を魔道具で押さえているとはいえ、先ほどまで好き勝手に動いていたのだ、敏感な馬に獅子栗鼠の存在を隠すことはできなかったのだろう。獣耐性の無いロック卿が手配した馬は、固まり、後ずさりし、その場から逃げようと落ち着かない。
「あー、あのですね―――」
所長が老侯爵たちへ説明する羽目になった。
「何だと!そんな危険なものと同行できるか!」
ロック卿が顔を真っ赤にして怒声を上げる。『お、行くのを止めるのか』との調査隊の期待は直ぐに裏切られることになった。
「そう言えば、司祭から魔獣の話を聞いておったな。よし、サンチョ、魔獣を恐れぬ馬を用意しろ」
「えっ!伯父さん、何を言っているんですか!魔獣ですよ。魔獣!」
「煩い。早くしろ。魔獣を連れ帰るのだからな」
「は?伯父さん、正気ですか!?」
「何だ!わしに逆らうのか!?」
「い、いえ……」
結局、老侯爵の意向で獣に耐性のある馬を探し馬車を牽かせることになった。
「一体、いつ出発できるんだろうなあ……」
「さあねえ」
ゴォー……ゴォー……ゴゴゴ……
獅子栗鼠の鼾が響く―――。
太陽は既に南中を過ぎ、西に傾き始めていた。
神都中を駆け回り、ロック卿の使用人が漸く馬を見つけてきたが、ここは田舎町、見つかったのは、痩せ馬と兎馬の二頭のみだった。
「何だ、この貧相な馬は!一頭は馬でもないじゃないか!」
「見つかっただけでも御の字ですよ」
「馬車は一台ですね。できるだけ荷物を少なくして、馬たちに負担を掛けないようにしないと……」
ロック卿の相手も飽きて来たこともあり、調査隊首脳陣の彼に対する扱いもどこかぞんざいになってきた。ちらりと老侯爵を見る。あの甲冑が一番の無駄な荷物だろう。いや、本体の方か?
「おほん、この甲冑は軽量化の魔法が掛けられておりますぞ」
「これは失礼」
「うむ、3%軽量じゃ」
――殆ど減ってねえーっ!
「ロック卿、御者はできますか」
「出来るわけがなかろう!」
「では、自動車には、侯爵とロック卿に乗っていただくことにして、馬車には護衛を兼ねた御者、あとは食料などの物資を積み込みましょう」
ロック卿が用意した馬車は客車しかなく、無駄に大きい割に荷物を積み込む空間があまり無い。仕方が無いのでいざとなれば、侯爵達には樽と同席して貰うことになるだろう。しかし、そもそも食糧などの物資が殆ど用意されていないのであるが―――。
「アイツら、何しに行くつもりなんだろうな?」
「宿に泊まること前提だよ。こりゃあ、旅程変更だね」
調査隊一行は老侯爵とそのおまけと言う大荷物を抱え込むことに溜息を吐いた。
「待て!それでは、身の回りを世話する者がいないではないか……おい、そこの黒髪の娘と小僧、我々の身の回りの世話を申しつける」
「は?」
少女とラズがお世話係としてロック卿に一方的に任命された。
「しかし、黒髪に黒目とは不吉な娘だな。精々、不幸を呼び込むなよ」
ロック卿は少女をジロジロと見ると忌々しいとばかり吐き捨てるように言った。
少女の顔が僅かに曇り、両の拳がキュッと握られる。
「はあ?ふざけんじゃないよ!侯爵様の甥だか何だか知らないけど、旅では自分の面倒は自分で見る。それが鉄則だよ!それができないなら、さっさと家に帰んな!」
ネフェリンが啖呵を切る。
「な、何だと!無礼な!下級兵士の癖して生意気な女め!我々を誰だと思っておる」
「はっ、アタシと一戦やろうと言うのかい?」
「あ、いや……」
怒ったネフェリン姐さんを止めることは誰にも出来ない。ネフェリンの勢いに押されたロック卿は隣にいる老侯爵に助けを求めた。
「この女、伯父さんに逆らうなど不逞の輩です。憲兵に連絡して、投獄させましょう。ねえ、伯父さん」
「……ふむ、その娘の言うことも尤もだ。戦場では頼れるのは己のみ」
「はぁ?伯父さん?我々は戦場に行く訳では……」
「そうじゃ、先の戦いでは、わしはこの鎧を着て―――」
クリソコーラ侯爵といえば先の戦で武勲を上げたことが唯一の誇りである。味方が敗走する中、戦場でどっしりと構え、退かなかったとの話である。単に鎧が重くて動けなっただけであろうというのが大方の見方ではあるのだが……。
「あの……伯父さん?」
頼りの伯父が昔話を始め、ロック卿は振り上げた手を下ろす先を失い、助けを求めキョロキョロと辺りを見回した。
「僭越ながら、私が身の回りのお世話をさせていただきたく、同行の許可をお願いいたします」
執事と思しき男が老侯爵とロック卿に頭を下げた。この場を治めるため人身御供に志願したのであろう。出来た使用人である。
「あ、ああ、分かった。お前の同行を許そう」
孤立無援となったロック卿は使用人の助け船に飛びついた。ふんっ、とネフェリンが鼻を鳴らす。その陰で副長が剣の柄に添えていた手をそっと離した。
結局、老侯爵は甥を道連れに当初通り同行することになった。老侯爵側は、老侯爵とロック卿、自動車の運転手に御者、執事、痩せ馬、兎馬の総勢五人と二頭になった。
「こうなったら、魔力の高い娘を巫女として数名連れ帰り、教会に恩を売ってやる」
ロック卿の心の声がダダ漏れである。
「今日はこの町で一泊して、明日出発だな」
「行程の見直しが必要ですね。遠回りになりますが、できるだけ町に寄るようにしましょう」
「念の為携行食を少し追加しておくか……」
「また、主計長に責められるだろうな。悪いが数名は魔獣と一緒に野営を頼む。流石に魔獣は宿に連れては行けないからな」
「了解、それじゃ野営組は……」
所長の言葉を受け隊長が問う前に全員が手を挙げた。結局、所長、隊長、副長の三名を除く全員が野営することになった。
カンクリが未だ元気の無い少女の肩にそっと手を置く。
「まあ、あのサンチョとか言う馬鹿の言うことは気にするな。南方や東方からの移民が増えた今じゃ黒目はともかく、黒髪なんて珍しくないぞ。見ての通り俺も南方出身の黒髪だしな」
『え!?』
調査隊一同が驚愕の表情を見せた。
「何だお前ら、どう見ても俺は黒髪だろうが」
「いや、分かるか!」
カンクリの禿頭が西日を反射し輝いていた。




