2ー10.月の無い部屋
月の無い夜だった。
王都に月の無い夜は存在しない。なぜなら、新月の夜でも“二つ目の月”が夜空に輝き続けるのだから―――。“二つ目の月”は雲より上に浮かんでいるというのに雲に隠れることが無いという。
それでもその部屋の夜には月が無かった。
部屋の小さな窓からは“二つ目の月”の姿は見えない。それゆえ、その部屋の夜には月が無い。
少女は硬い寝台の上で膝を抱え蹲り、闇の侵食にじっと耐えていた。完全な闇夜では無いのだろう。少女の白い肌が闇の中、淡く浮かび上がる。
――怖い。
夜は怖い。太陽の下では虚勢を張っていても夜には剥がれてしまう。
眠るのが怖い。徐々に喰われていくから。
「……大丈夫、大丈夫、私は平気」
暗示の言葉が虚しく闇に吸い込まれる。
王都師団の模擬戦で咄嗟に魔力障壁を展開したため、災禍を封じ込める術式の鎖の一つが砕けてしまった。模擬戦など調子に乗って参加するべきではなかったのだ。あれから失われた鎖の隙間から黒霧がじわじわと漏れてくる。そして、溢れ出た黒霧は獅子栗鼠が喰らう。
それもいつまで持つだろう?
徐々に封印が壊れていく。そして、黒霧がゆっくりと蝕んでいく。
得体の知れないものに喰われていく恐怖。
少女は考える。何故こんなことになったのだろう?
――あの日、私が***に行っていれば(いなければ)、私が***であれば(なければ)、***にはならなかったのに。
記憶が虫食いだらけだ。否、継ぎ接ぎだらけなのかも知れない。
災禍を封じ込める精霊、木陰で眠る金髪の女性、長い黒髪の青年、玻璃のように砕け散る老人、着飾った少女達、呪文を唱える術士、真っ黒な靄に覆われた少女、等々々々々―――
記憶が出鱈目に縫い止められている。繋ぎ合わされている記憶は果たして少女のものだろうか?
――怖い。怖い。怖い。
沢山の顔が責め立てる。
『お前が悪い』
「私が悪い」
『お前のせいだ』
「私のせいだ」
少女は唇を噛んだ。涙が滂沱として溢れ出す。
「もう、全部投げ出してしまおうか……」
そうすれば、きっと楽になる。
――私なんて黒霧に喰われてしまえばいい。
闇が蠢く―――闇が少し濃くなった。
『ねえ――――なの?』
嗚咽が漏れる。
「くぅん」
生暖かいザラザラした物が少女の頬に触れた。獅子栗鼠が少女の頬を濡らす涙を嘗める。
少女は助けを求めるように獅子栗鼠の身体に顔を埋め、声を上げて泣いた。
***
その少年は薄暗い部屋の中、窓辺に佇み外をじっと見つめていた。
「おや、珍しい。外に何かあるのか?」
カンテラ片手に部屋に入ってきた男が少年に問う。
少年は物言わぬ人形のようにただ窓の向こうの闇を見つめるだけ。
キィ。
男は窓を開けるとカンテラを掲げ、外の様子を窺う。カンテラの灯に照らされるのは、草むらと建物の石壁。
「別に何もないじゃないか。うわっ」
明かりに寄ってきた虫を慌てて払う。
バタン。
「ちぇっ、お人形さんが珍しく動いたかと思えば、虚仮威しかよ」
男は窓を閉め、カンテラを少年の傍の小さなテーブルに置くと寝台に腰掛けた。
「それにしてもいつまで此処にいりゃあ良いんだ?巫女送りまで面倒を見るって話だったのに、ちゃんと追加の手当はでるんだろうな……って、空っぽの巫女様に言ってもしょうがねえか」
ゆらゆらと揺れる灯りに照らされ、少年の作り物めいた美しい横顔が浮かび上がる。その口元が笑っているように見えるのは光の加減の所為だろうか?
男は少年の美しい貌に見惚れつつぼんやりと思った。




